第3話 助けたいのは離れたくないから

 祭司さまの家といっても、ほかの家とたいして変わらない。

 竹垣があって、庭があって、土間のある玄関と、台所に通じる裏口、お風呂が離れにあるのも同じだし、家の中の作りも似通っていたはずだ。


 暮れのお祭りのときは開放されるから誰でもこの家に来たことがある。ただしそれは昼間だけで、夜に訪ねたことはなかった。

 月明かりに照らされる祭司さまの家は、静かに眠っているふりをして実は薄目を開けているような、侮れない気配があった。

 見られている、ような感覚。


 落ち着け、フウナ。

 いくら祭司さまだってこんな時間に起きているはずない。それを見計らって家を抜け出してきたんじゃないか。


 じりじりと時が過ぎる。虫の声が耳についた。行くのか行かないのかどうするんだと問いかけられている気がする。

 雨が顔に当たった。

 冷たかった。


 とても冷たい場所にサヤは行くんだ。


 体が動いた。

 竹垣の陰から庭に忍び込む。

 腰をかがめて玄関にむかった。

 濡れた土が足音を吸い込んでくれる。

 開いているわけないと思いながら取っ手に指をかけた。

 少しずつ力を入れる。

 戸口が、横に動いた。

 開いていた。


 どうして?


 戸締まりを忘れたのかなあ。それとも祭司さまの家は戸締まりをしないのかな。

 なんであれ都合がいい。玄関はだめでもともと、試してみたというだけで期待していなかったんだから。玄関がだめなら裏口、それもだめなら窓という窓を片っ端から確認していくつもりだった。


 月明かりの届かない真っ暗闇に佇んで目を動かす。

 だんだん物の形が見えてくる。

 草鞋を帯の間にねじ込んで裸足になると、土間から上がって奥へ進んだ。


 あのあとサヤはこの家に連れて来られた。

 サヤの両親はついて行かずに玄関先で見送っていた。サヤの姿が見えなくなると、サヤのお母さんは泣き崩れた。

 とてもじゃないけど声をかけられなくて、黙ってその場を離れた。すぐにサヤたちを追いかけて、祭司さまの家の前で立ち尽くした。出てきたのは村長さんだけで、わたしを見ると何も言わずに目をそらした。ほんの少しだけ頭を下げてくれた。


 サヤが出てくるのをひとりで待った。

 胸が内側から焼かれるような気持ちだった。

 

 嫌だ。

 サヤがいなくなっちゃうなんて嫌。

 ものすごく、絶対に、嫌。


 大人たちはどこまで知っているんだろう。家に戻っても、誰もお人身さまの話題を持ち出す人はいなかった。いつもどおりだった。

 サヤが選ばれたみたいだよ、と言いかけて、のみこんだ。

 言えなかった。言いたくなかった。怖かった。口にすれば自分がサヤを殺しちゃうような気がした。


 サヤがいなくなる。


 それを思うと、心が歯ぎしりする。


 どうしてサヤなの?

 嫌だよ、どうにかしたい。


 わたしが、どうにかしてみせる。






 祭司さまの家の二階は初めて上がった。まっすぐ立つと天井が近い。手を伸ばすと触れてしまった。冷たくてザラザラしていた。

 一階は知っている部屋がほとんどで、お人身さまがそこに泊まっているとはなかなか想像できなかった。だからまだ一度も足を踏み入れたことのない二階から捜そうと決めた。


 狭い廊下に月明かりが射していた。歩くと軋んで床が音をたてた。それほど大きな音ではなかったけれど、静けさを破るには十分だ。ビックリして片足を上げたまま周囲を窺った。

 誰も来ない。

 何も変化がない。

 息を細く吐いて、そっと足を下ろした。


 小部屋がいくつかあるけれど、予想に反して開け放たれていた。古そうな書物が棚に並んでいる部屋、なんだかよくわからない道具が詰め込まれている部屋、かと思えばからっぽの部屋もあった。

 突き当たりの部屋だけが、ぴったりと障子を閉められていた。

 真っ黒な影が障子に落ちる。いびつに塗り固められたわたしの影。


 この部屋はなんだろう。

 物置かもしれない。

 誰かがいるかもしれない。

 誰かがいたらどうしよう。

 それがサヤじゃなかったらどうしよう。

 もし侵入したことを気づかれて騒ぎになったら、もうこのままサヤに会えないままになっちゃうかもしれない。


 鼓動が速い。

 口が渇く。

 無理やり唾を飲む。


 迷っていても仕方がない。時間は限られているんだ。


 そっと障子を開けた。全部は開けずに、隙間から中を覗く。

 布団が敷かれていた。

 誰かがいた。

 布団の上で、膝を抱えて背を丸めていた。

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