第2話 お人身さまに選ばれたのは

 嫌な雨だ。

 臭いし気持ち悪いし、地面が湿っているからせっかく新しい草鞋もすぐに汚れた。


 サヤに会いたい。


 近道をしようと雑木林に入る。見慣れた木々の隙間を縫って走り抜けた先は、サヤの家の畑だ。うちの庭の何倍も広い。遠くからでは何も植わっていないように見えるけれど、近くまで来れば芽が出ているのがわかる。霜が降りるほど寒くなる前にちゃんと収穫できるはずだ……雨がやめば。


 駆け足で畑を突っ切って裏口に着いた。

 勝手知ったる友達の家だから遠慮なんてしない。中に入って声をかけようとしたとき、いつもと違う話し声が聞こえてきた。台所と居間を仕切る暖簾の陰からそっと覗き込む。

 村長さんがいた。隣に祭司さまもいる。向かい合って座るのはサヤの両親と、二人に挟まれたサヤだ。


「わたしではいけませんか」


 サヤのお母さんが言った。祭司さまが首を振った。


「わたし」


 サヤの声だ。か細くて泣き出しそうなその声に胸を突かれた。


「なにか悪いことした? どうしてわたし?」

「村を救ってくだされ」


 村長さんが頭を下げた。床に着きそうなほど深く頭を下げた。祭司さまも同じように頭を下げた。

 慌てた様子でサヤのお父さんが身を乗り出す。


「すんません。もう何年も白矢しらやの雨なんて降ってなかったから、娘にはお人身ひとみさまの心構えを教えてこなかったんです。自然と身につくもんだって……。自分らは子供んときにあったし、上の子が生まれたときにもあったから、いつかまた雨が降ったら自分が行くんかもしれねえ、そう覚悟してきましたが……」

「なんでわたし? なんで?」

「サヤ」


 サヤのお母さんがサヤの肩を抱いた。サヤの細い肩を、腕を、何度もさすっている。


「わたし、明日、死ぬの?」


 サヤ、と。それ以外の言葉を忘れてしまったかのように、サヤのお母さんはサヤの名前を繰り返した。


 これは何?

 何の話をしているの?

 まさか、

 でも、

 まさか。


「村のためだ、サヤ。誰かがやんなきゃなんねえことを引き受けるのは名誉なことだ」


 サヤのお父さんが言う。声が震えていた。

 村長さんも祭司さまも頭を下げ続けている。サヤのお父さんの黒い頭が見えて、お母さんに肩を抱かれるサヤの顔があった。

 サヤはお父さんを見つめていた。お互いに目を合わせた様子で、サヤのお父さんが問う。


「サヤは、村のみんなが好きか?」


 サヤの顔がみるみる色をなくし、絶望に染まったように見えた。






 聞いてはいた。

 白矢の雨が降ったら、誰かがそれを止める役目を担うのだと。

 聞いて育った。


 白矢の雨はいつ降るか予想できない。三十年降らなかったときもあるし、二年連続で降ったときもあるという。

 村人が最初に阿芽アメに食べられてから、十年後にまた白矢の雨が降った。

 稲の刈り入れが終わってから降り始めて、年をまたいで降り続けたらしい。ひと冬ずっと降っていたのだ。沼が干上がってしまうのではと噂しながら春を待ち、田起こしを始める頃についにやんだ。けれどその年の田畑は状態が悪く、収穫が少なかった。


 沼の水は土の力を奪う。

 だから白矢の雨が降ると、村は生贄を用意するようになった。

 それがお人身さまだ。


 お人身さまを選ぶのは村の祭司さまだった。祭司さまは神さまと話せるらしい。

「はい」と「いいえ」を交互に尋ねながら花びらを一枚ずつちぎっていく花占いとか、土に描いた円の中に蹴った石が入るかどうかで判断する石占いとか、友達とそういう遊びをよくやった。あれよりも複雑な問いかけをするのが祭司さまだ。


 お人身さまにふさわしいのは誰か、祭司さまは神さまに問う。その結果を村長さんに伝え、村長さんが選ばれたお人身さまに伝える。

 年齢も性別も時代によって異なるお人身さまが何人も阿芽の群れに飛び込んでいった。そして例外なく、白矢の雨はやんだ。


 聞いてはいた。

 白矢の雨が降ったら誰かがそれを止める役目を担うのだと。

村人全員の命を救う人に誰かがなるのだと。

 それは自分かもしれない、家族かもしれない、友達かもしれない、そうだとしても取り乱してはいけない。

 そう聞いて育った。


 でも無理だよ。

 そんなに簡単に受け入れられるわけないよ。


 うんと小さい頃から一緒に遊んできた。

 二人だけに通じる内緒話もいっぱいしたし、初めて好きな男の子ができたときは一緒に悩んだし、誰にも言いたくない、親だって知らない恥ずかしいことも互いに知っている。

 その心の内に触れ合って、傷だって安心して見せ合って、励ましたり励まされたりしながら過ごしてきた。


 サヤは大事な、大切な、いちばん信頼している友達なんだ。

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