20:50『未知との遭遇は憧れとの決別なのか?』

 警部がパタリと携帯電話を閉じた。機械が苦手な彼は、このご時世にいわゆるガラケーなのである。

「守衛の話によると、建物裏の窓が割られて、防犯センサーが反応したらしい。もちろん、ただのこそ泥とは思えん。『韋駄天ストライダー』が館内に侵入した可能性がある」

「僕は椎名探偵が何かやらかしたんじゃないかと思いましたよ」

 宇佐見刑事がそう言うと、怒ったという仕草なのか、椎名探偵は両の拳を腰にあてて眉根を寄せてみせる。

「失礼な。私だっておしっこしてる時に急にベルが鳴って、心臓が止まるかと思うくらい驚いたんですから。おしっこは止まりませんでしたが」

「なんで上手いこと言ったみたいな感じなんですか。何も上手くないです」

「私のおしっこが美味いとか美味くないとか、この刑事変態です」

「そんなこと言ってませんよ!」

 突然の警報は、数十秒間鳴り続けてから止まった。顔を洗っていたはずの椎名は、そのうち何事もなかったかのように戻ってきた。単にトイレで長引いていただけらしい。

「館内は広い。闇雲に探してもどうせ見つからん。それより標的はここにあるのだから、館内は守衛さんに任せて、我々は標的を守ろう」

 宇佐見と椎名が頷く。

「窓を割って侵入とか強引ですね。怪盗の手口とは思えない泥臭いやり方だ」

「確かにな。何か予定が狂ったのかもしれん」

「例えば……ハンググライダーで屋上から侵入するつもりだったけど、操作に失敗して墜落、刑事がやってきて危うく正体がバレそうになり、ハンググライダーを置いて逃走したが、予告した手前退くに退けず、他に策もないので窓を割って強引に入るしかなくなった、とか」

 椎名探偵がそう言うと、三人は互いに顔を見合わせたあと、

「いやいやまさか。そんなマヌケな怪盗がいるわけが」

「あっはっは、椎名探偵、案外面白い冗談をいいますね」

「うん、この推理は、私自身さすがにどうかと思う」

自分たちの相手がそこまで間抜けだと認めたい者はいなかった。

「きっと、この窓ガラスも陽動でしょう。窓を破るだけ破って侵入せずに逃走。我々を揺さぶってるだけです」

「そうだな。敵の策に惑わされるな。我々の本丸はこの刀。これを守るのが第一目標だ。本物の怪盗はいずれ姿を現す。そこを抑える」


「それで、我々が守っているのに、どうやって奪うんですかね」

 闇雲に奪いに来たって、三対一ではどう見ても分が悪い。宇佐見の疑問はもっともである。

「だから、コスプレ男を囮に使ったり、警報ならしたりして、揺さぶりをかけてるよね」

「うむ。だが、宇佐見君が外していて椎名君が眠っているという絶好のタイミングでも仕掛けてこなかった。これがよくわからん」

「僕はともかく、まあ椎名探偵が眠っているかどうかは外部からはわかりませんしね。単純にタイミングが掴めていなかったのかも」

「問題は次はどう来るかだな。もっとも、ここを離れさえしなければ守れるとは思うのだが……」

「負傷者の救護なんて方法で僕を釣りだしましたからね、次もそういうのっぴきならない状況を作り出して、ひとりづつ引き剥がす作戦かもしれません」

 椎名探偵は持ち前の推理力、というか探偵小説の知識を思い出してみた。

「もっと古典的な方法もあるよね。よくある手口だと、発煙筒で燻しだすとか」

「まあスプリンクラーと排煙装置が作動するでしょうね。ずぶ濡れにはなるかもしれないが、我々が追い出されることもない。ちなみに排煙装置の手動ボタンはあれです。万が一自動で作動しなかった場合はあのボタンを」

 宇佐見が壁のスイッチを指さした。確認済みである。

「照明を落として暗闇で奪うとか」

「全員電灯は持っているな」

 縦溝警部がそう言うと、三人はお互いに手に持った懐中電灯を掲げてみせた。椎名の懐中電灯はペンライト、縦溝警部と宇佐見刑事が持っているのは、警棒としても使える大型の懐中電灯である。念のため一度パチパチと電源を入れてみるが、何も問題なく点灯する。椅子には予備の懐中電灯すら置いてある。

「あとは不審な物音を出して、おびき出すとか」

「展示室外なら守衛さんに確認を頼もう。もしすぐ近くでも、ふたりが残って、ひとりだけ確認に行けばいい」

「わかったわ。宇佐見刑事、あなた本当は怪盗の変装でしょ」

 言うが早いか椎名の腕が伸びて、宇佐見の頬をつねり、髪を引っ張る。

「痛ててて。だから変装じゃありませんって。椎名探偵こそ」

 宇佐見も椎名の頬をひっぱった。

「お二人さん、仲のいいことで」

 椎名と宇佐見は揃ってキッと縦溝警部を睨むと、二人同時に警部の頬をつねった。

「問題ないね」

「問題ありません」

「ちょっとつねるの強すぎない?ワシ上司だよ一応」

「事件解決のためです」

「右に同じ」

 変なところで息のあったチームワークを見せる二人である。

「そもそも、マンガやライトノベルじゃあるまいし、我々をお互いに騙せるほどそっくりに変装なんて無理ですよ」

「そうだな。怪盗がどんな変装の達人だったしても、この三人の中の誰かに化けたらさすがにすぐバレるだろうな」

「でも最近の特殊メイクはすごいらしいですよ。誰かにそっくりなシリコンのマスクなんかも作れるみたいです」

 椎名がスパイ映画で見たシリコンのマスクをぐにーっと伸ばして剥がす仕草をする。

「その場合も相当に入念な準備が必要だし、化ける相手の顔のデータを取らなくちゃならない。今回の事件を我々が担当するとは限らなかったし、ワシや宇佐見君そっくりのマスクを作る時間も機会もないだろう。椎名君についても同様だ」

「となると、やはり怖いのはニセ警官ですね。変装しやすく、信頼されやすい。守衛なんかころっと騙されてしまうかもしれません。もちろん我々も」

「あとは……天井がパカっと開いて糸が垂れてたりしない?」

「特に問題なし。っていうか流石に気づくでしょう」

 椎名はもしいつの間にか刀がサンマにすり替わっていたら面白いのにな、とすら思った。


 その時、扉が勢い良く開いた。

「ボンジュール!大怪盗『韋駄天ストライダー』、ここに参上!」

 黒の礼服、シルクハット、片眼鏡、ステッキ。あと、たぶん付け髭。大声で挨拶を叫びながら入ってきた大柄な男は、絵に描いたような怪盗紳士だった。あまりにズバリ怪盗の格好なので逆にうさんくさいくらいだ。ただし衣装の膝がちょっと破れており、袖口は泥だらけだ。

「うっわ、普通に入ってきた!だっさ!」

 待ちに待った怪盗紳士との初対面、椎名探偵の最初のコメントはこのとおりである。鯉や刀の感想とは大違いだ。

「こいつ!こいつです!さっきビルの下に落ちてた奴!」

 宇佐見が指さして叫ぶ。

「さっきは突然走り去ったりして失礼した、刑事殿。私としても、会場に入る前に捕まってしまう愚かな真似は避けたかったのだ」

 自称怪盗はピタリと直立不動で言う。隣のビルからハンググライダーで侵入するという手口は愚かではないのだろうか。

「おや、それにしても警察の方々、いくらなんでも少なすぎやしませんかな。やけにパトカーも少ないなとは思いました。たしか二十人はとお願いしたはずなのですが」

「お前を捕まえるなんて三人で十分だ。今すぐ自首するならまだ罪はずいぶん軽いぞ。まだろくな犯罪も成功させていないんだからな。悪いことはいわん。投降するんだ」

 そう言いながら、警部はじりじりと距離を詰めてゆく。

「変装もこなす、ってただのコスプレじゃないか」

宇佐見もつぶやく。確かに、何に化けるとか騙すでもなく、ただの怪盗紳士っぽい雰囲気の演出でしかない。ちょっと奇抜なファッションに過ぎないが、こういうのは変装と呼ぶのだろうか。

 警部が怪盗と話しているあいだに、宇佐見と椎名は目配せしてそれぞれ扉にゆっくり近づいていく。怪盗は後ろに回り込もうとする宇佐見のほうとちらりと一瞥すると、回りこまれまいと自分もじりと一歩下がった。

「おっと、三対一では不利でーす。多勢に無勢とはこの事でーす。今は挨拶まで、一旦引き上げでーす。アディオス!」

 怪盗は間延びしたニセ外国人口調でそう言うと、さっと踵を返しドアの向こうに姿を消した。

「どうします?追います?」

「宇佐見君、足に自信は?」

「どうでしょう。さっきは全然追いつけませんでした」

「挑発に乗るようだが、まああれさえ捕まえてしまえば事件は解決だ。逆に言えば、あれを捕まえない限り、このまま夜が明けるまで奴におちょくられ続けることになりそうだ。すまんが、ちょっと後を追ってみてくれ。守衛さんにも連絡しておく。守衛さんと三人がかりならきっとなんとかなるだろう」

「署に応援を呼んだほうがいいんじゃないでしょうか」

「ふうむ、あいつの目的は刀だから、すぐに博物館から逃げ出すというわけでもあるまい。守衛さんもいるし、ひとまず我々だけでやってみよう。ニセ警官が付近をうろうろしているのも気になるしな」

「この展示室に追い込んでもいいと思う。ひとりで捕まえるのは難しいけど、ここならうまくすれば三人で挟み撃ちにできる。あいつも最終的にはこの展示室を目指すはず」

「了解。こっちは頼みました」

宇佐見が廊下に出ると、奥の階段を怪盗が駆け降りる足音が聞こえた。


————————


【物語のポイント】

・この自称怪盗の正体は何なのか

・怪盗はどうやって標的を奪取するつもりなのか

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