19:45『その誘惑は女探偵の甘い罠なのか?』

 いよいよの不審者出現の報告に、縦溝警部と宇佐見刑事に緊張が走る。ついに始まったのだ。

「不審者はどんな風体だと?」

 警部も真剣な面持ちだ。

「見た目はピザのデリバリーサービスだそうです。博物館から注文があったなどと言い張って、敷地内に押し入ろうとしています」

「あっ、その注文私」

「お前か!」

「さっき出前はまずいって言ったの椎名探偵じゃないですか!」

「それ言ったのは注文した後だし。親切な守衛さんにピザの割引チケットもらったんだもん!深夜警備にはピザが最高って!それに超お腹空いたし。みんなの分もあるから心配しないで」

「……椎名君、受け取ってきたまえ。ただし決して油断しないように。財布の中を覗いた瞬間にガツンとかもありうるから、守衛さんに一緒に付いて来てもらってな。出前の人が門の外に出るまでちゃんと見送ること」

「了解~♪」

 椎名探偵は警察官のように敬礼をすると、可愛らしいデザインの財布を握りしめて軽くスキップしながら展示室を出て行った。宇佐見は椅子にへたり込むと、がくっと肩を落とした。この調子では、ガッチリした宇佐見の肩が抜群のなで肩になってしまうのも時間の問題であろう。


 椎名がピザの箱を抱えて何事も無く展示室に戻ってくると、ふたりの刑事は密かに安堵の溜息をついた。念のために守衛室に電話を掛けてみたが、確かに閉館後のロビーで警部を待っていた時に、椎名にピザの割引チケットを渡したということであった。『大事な電話』ってピザの注文かよ、宇佐見は疑問が解けるとともにこの探偵を警備に加えることが不安になってきた。これでは爆弾を抱えているようなものだ。爆弾探偵。

「デリバリーの店員に不審な点はありませんでした?」

「あったよ、ちょっと不審なくらいイケメンだった。学芸員さんも夜遅くまでお仕事大変ですね、とか爽やか笑顔で言われて多分私軽く口説かれちゃったと思うんだけど、学芸員じゃなくて刑事だよ、あと彼氏いないよって言ったら、ビクッとしてなんか急にそっけなくなっちゃって、照れてるのかなって……」

「ちょっ……必要もないのに、あんまり刑事だなんだと漏らさないでくださいよ。そもそもあなた刑事じゃないですし。それから、それ営業スマイルってやつです。あと、幾らなんでも一言に突っ込みどころが多すぎます。少しづつにしてください、少しづつに」

「外までちゃんと見送ったか?」

「はい。宅配バイクが門からで出て行ったのを、私は手を振って見送りましたとも。でも店員さんは手を振り返してくれませんでした……」

「ううむ。我々の思い過ごしか」

 それでも警部はまだ疑いが疑いが晴れないというように考えこむ。

「途中で配達バイクを強奪して店員に扮し、偵察だけ済ましたって可能性も」

「うーん、怪盗は我々が出前を頼んだなんて知らないだろうし、偵察ならもう少し確実な方法を取ると思うがな。それに、椎名と玄関で受け渡しをしただけだろう、多分あまり情報は得られなかっただろうし」

「念の為、そのピザ店にもう一度電話を掛けて、異常がなかったか確認しておきます」

「そんなの後でいいから食べましょう食べましょう。せっかく熱々なのに、冷めちゃいますよ。腹が減っては戦が出来ぬと言ったのは警部のほうです」

 確かに、ピザの箱からは実に誘惑的な香りが漂ってきていた。これに抗える人間はあまり多くはない。

「宇佐見君、ちょっと来てくれ。ふたりで奥の長椅子を持ってこよう」

「ドリンクはコーラと烏龍茶どっちにします?」

「僕はなんでもいいです」

「ワシは烏龍茶で頼む」

 もはやピクニック気分の三人だった。


 大きめの長椅子をふたつ展示室の奥から持ってきて、標的の刀のガラスケースの目の前にどっかと置いた。真ん中にLサイズのピザの箱。ピザは一枚で4種類のトッピングが楽しめるもので、探偵によって選ばれたものである。警備のはずが一挙にピザパーティーの始まりである。

「ほう、出前のピザも案外旨いもんだな」

「僕も結構好きなんですよ。この三種類のチーズが乗ったやつとか特に。椎名探偵はなかなかいいピザセンスをしてますよ」

「そうでしょうそうでしょう。おしゃれピザ探偵椎名なのかといえば私のことですからね」

「いよっ、ピザ探偵」

「あっ、でもピザ探偵ってなんかちょっとやだな」

「張り込みの時はいつもコンビニのおにぎりだったが、ワシも今度からピザにしようかな」

「この魚介系の風味がするトッピングはなんでしょうね。なんとも言えない深みがあってすごく美味しいですよ」

「それスペシャル鯉チーズピザだよ」

「鯉!?この切り身が?」

「鯉に恋する宇佐見刑事、なんてな。しまった、これさっき椎名くんも使ってたな」

 椎名探偵はもとより、縦溝警部も宇佐見刑事も大変に満足気である。老若男女関係なく、ピザパーティーで不機嫌になる人間というのは皆無と言っていいだろう。

「でもよく考えたら、このピザに睡眠薬とか下剤とか入ってたら私達アウトだよね」

 警部と刑事の手がピタリと止まる。

「……もう食べちゃいましたよ」

「椎名君、そういうことは食べる前に言うか、せめて食べ終わってどうしようもなくなってから言ってほしいんだが」

「たぶん大丈夫ですよきっと。万が一そういう可能性もないとはいえないよねってだけです。あれ、ふたりとも食べないんですか」

「……もういい」

「じゃあ残りは私が頂きますね」

 美味いピザを中途半端に味見させられた警官ふたりの恨めしそうな顔も意に介さず、椎名探偵はもちゃもちゃとピザを食べ続ける。

「このポンコツ探偵め……怪盗との大事なデビュー戦をトイレで過ごす破目になればいいのに」

「小学生じゃあるまいし、食べてる時にウンコとかそういう下品なこと言うのやめてもらえます?だいたい、美少女探偵はウンコとかしませんから」

 この探偵のピザを食べる手が滞る気配はまるでない。ピザとコーラはブラックホールのような胃袋に次々吸い込まれてゆく。

「ふたりとも、もしウン……じゃなかった、体調に異変があったらすぐに言うんだぞ。そういえば、あまりの旨さに、食べているあいだすっかり刀から目を離していた。ピザ……恐ろしい食い物だ」

 さっきまでの歓談はどこへやら、警部は声に緊張を漲らせて言う。警部がごくりと喉を鳴らしたのは、キャリア二十年のベテランがこうも容易く油断させられた衝撃のためか、ピザの冷めてなお立ちのぼる麻薬の如き誘惑的芳香のためだろうか。多分後者である。

「刀は大丈夫?いつのまにかサンマにすり替えられたりしてない?」

椎名がもしゃもしゃとピザを食べながら言う。

「光沢から見るかぎり、僕の推測ではおそらくこれはサンマではないです」

宇佐見刑事は刀を確認しているようで、実は横目で椎名の姿を睨んでいる。

「あっそれと警部、これレシートです」

「勝手に注文しておいて経費で落とすつもりか。ワシは一切れしか食べておらんのだぞ」

悲痛な面持ちで警部は千円札を何枚か財布から取り出すと、それを椎名に押し付けた。


 ピクニックの一行がピザを食べ終えて一休みしていると、椅子の上に載せてあった警察無線がノイズ混じりに鳴った。博物館すぐ近くの道路で、男性がビルから落下して負傷、通報者によれば軽傷だという。

「すぐ近くだな。……ビルから落下で軽症?わけがわからんな」

「ビルから……ひええ」

 椎名はまるで自分が痛いかのように顔をしかめた。この探偵は怖いのも駄目なら痛いのも駄目なのか。

「やむを得んな。宇佐見君、ちょっと様子を見てきてくれないか」

「このタイミングで、さすがに様子がおかしいよ。私達をおびき出すための、怪盗の罠じゃないのかな」

 椎名探偵が珍しく先回りして危険を警告する。それはつまり、逆にこの件はあまり危険ではないと考えるのが良さそうである。

「そうかもしれませんが、そうでないかもしれません。もし本当に事故なら負傷者を放っとくわけにもいかないし、僕ちょっと行ってきます」

「応援が必要なら電話で呼んでくれ」

「守衛室には救急箱があると思うし、ロビーには自動A体外式E除細動器Dが。ビルから落ちて救急箱でどうにかなるのかわからないけど。気をつけて」

 宇佐見は走って展示室を出て行った。警部は顎に手を当てて考えこむ。ピザ屋には不審な点は見つからなかったが、今度のは明らかにおかしい。いったい何がどうなればビルから落下して軽傷になるんだ?自殺を試みて失敗したとかだろうか。このタイミング、偶然というにはあまりに出来過ぎている。

「——ところで、警部……何だか……頭が重くて……」

 宇佐見を見送った縦溝警部が振り返ると、椎名探偵はその場にガクリと膝をついて頭を垂れていた。



————————


【物語のポイント】

・ピザ屋店員は怪盗と関わりがあるのか

・謎の負傷者の情報は一体何なのか

・椎名探偵の体調の異変は何なのか

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