19:19『呪われた刀身は魚の切り身なのか?』
古美術を展示するような展示室は展示品を痛めないようにするために日光を遮り照明も出来る限り絞ることが多いが、妖刀『
展示室に入ると、三人はまずは標的の刀を確認することにした。『生蔵丸』は展示室中央付近のガラスケースに収められている。白い布の上に載せられた刀身が、照明を反射して鈍く輝いている。
「きれいな刀ですね。ピカピカしてます」
椎名の感想は相変わらずド直球である。特に刀に詳しいわけではない宇佐見も、なんとなくきれいな刀だという気がした。だが、どんな人をも惹きつける謎めいた魅力というのは、まさしく刀の呪いそのものなのではないだろうか。
「でも呪われてるらしいですよ。持ち出そうとしたり売ろうとしたりすると不幸が起こるとか」
「それ、ただの宣伝用キャッチコピーなんじゃないの?一晩中呪いの刀と一緒とか、わりとシャレにならないと思います。怪談とかお化け的な話題は推奨できません。もっと楽しげでキュートな感じの話題でお願いします。そういう怖い話をして、私が漏らしても知らないよ?」
椎名探偵は軽く青ざめて言った。この探偵、怪談もダメとかさすがに弱点が多すぎやしないだろうか。宇佐見は不安になってきた。
「
「はぁ……」
「ぶ゜っ゛ふ」
各人の名誉のために言っておくと、面白くもない駄洒落を言ったのが縦溝警部、上司の冗談にため息をつくノリの悪い部下が宇佐見刑事、駄洒落を聞いて小汚い吹き出し方をしたのが椎名探偵である。しまった、と真面目な縦溝は思った。この駄洒落は『なんてな』を付けないと駄洒落であることを気づいて貰えないくらいわかりにくい。しかも、「かいとう」は同音異義語が多くて駄洒落を作りやすいが、逆に言えば文字媒体でないと伝わりにくい諸刃の剣だ。宇佐見君が笑わなかったのは、伝わりづらかったせいだろうな。ワシももう少し鍛錬が必要だ。縦溝警部は駄洒落でも毎日が真剣勝負である。
「それで、怪盗はなぜこの刀を標的にしたんでしょうか」
椎名探偵は根本的な疑問を口にした。怪盗の主要な目的が犯罪そのものだったとしても、この刀を選んだ理由が何もないということはないだろう。この背景を探れば、怪盗の正体に繋がるかもしれない。
「怪盗は女性で、ブームが過熱するうちに欲しくなっちゃったとか」
「『
「男性キャラクターに擬人化された刀が、イケメン怪盗に強奪される。まさに略奪愛」
「ちょっと想像力が逞しすぎやしませんかね。あと『韋駄天』がイケメンであるという証拠は何もありませんが」
「夢見る女子の妄想力を舐めてはいけない。イケメンの可能性があればそれはイケメンなのよ」
「椎名探偵もそっち方面の人なのですか」
「私は雑食だし、三次元でもなんでもいけるよ。怪盗×探偵」
「三次元て……」
「
「やめてください」
警部はまた首をかしげている。警部にこれを説明する必要はないだろう。
「この刀って高価なんですか?」
「うーん、正確な額はわからんが、江戸時代末期の作品で作者も無名、古美術的価値はそれほど高くないそうだ。たぶん庭の錦鯉の値段の合計よりは安い」
「さすが私のアンジェリーナ」
「今はブームらしいから、もう少し高く売れるかも知れませんね」
「まあ有名な刀なら売り払うのも簡単ではないだろうし、金銭的な目的ではなさそうだ」
そもそも怪盗はあまり金銭的な理由では獲物を選ばない。多くの場合、標的は『それを盗んだら目立つだろう』という注目度が基準になっているらしい。この刀も特別展の目玉であるからして、それなりに有名であるという。
「それで、この刀の呪いって一体どんなことが起こるんだろうな」
「ひいっ!」
呪いと聞いて椎名探偵が青くなる。
「ああ、ここのパネルに解説がありますよ。読んでみます」
——昔々のこと、池で釣りをしていた武士が、それはそれは大きな鯉を釣り上げたそうな。持ち帰って食べようと思ったが、あまりに大きかったので、帯びていた刀で旨いところだけを切り分けた。すると鯉の生臭さが刀に染み付いて、どんなに拭っても拭っても一向に臭みがとれない。仕方なくそのまま帰ろうとしたが、なんだか腰の刀が鯉のようにビクビクと跳ねまわる感じがして、一向にうまく歩けないのだ。躓いたり転んだり、どうにかこうにか這いずるようにして屋敷まで辿り着いたが、どうにも刀の生臭さは取れず、匂いがおさまるまで蔵に仕舞っておくことにした。しかし生臭さはおさまるどころかいよいよ増し、やがて屋敷は魚の臭気に包まれてしまった。武士はこれは鯉のたたりだと気がついて、池のほとりに祠を建てて刀を祀ったところ、生臭い香りはなくなった。それからというもの、生臭い蔵に仕舞われていたから、この刀は
「ぴぎゃあああああ!」
椎名探偵は耳をふさぐと目に大粒の涙を蓄えて絶叫し始めた。
「落ち着いてください、椎名探偵。これ別に怪談ってほど怖くはないと思いますよ。せいぜい転んだとか生臭いとか、この刀の呪いってその程度じゃないですか。だいたい、探偵ともあろうものがそんな非科学的なことでどうするんです」
縦溝と宇佐見には別に怖い話には思えなかったが、どうにも椎名探偵の絶叫がおさまらないので、この話はひとまず止めになった。結局、怪盗がこの刀を狙う理由ははっきりせず、まあ単に有名なものを選んだんだろうということで落ち着いた。なお、洞察力に優れるとされる天才探偵椎名なのかがこのとき思いついたのは、目の前の警部と刑事を掛け合わせるという恐るべきアイデアだけである。
この展示室の出入口は、廊下に面した重い扉がふたつ、それからその向かい側にいくつか小さめの窓が並んでいる。カーテンがかかっていたが、警部はそれを開けて確認する。
「宇佐見君、この窓の下はどうなっていた?」
「裏口ですね。資材を搬入するトラックを停めたりできるような広めの空間になっています」
「ロープでもあれば屋上からこの窓を破って入れると思うか?」
「そうですね、ロープを降りる技術があればできるんじゃないでしょうか」
「気になるな。守衛さんにこの上の屋上もよく確認してもらうようにお願いしよう」
明るいうちに周囲を確認しておいたことが少しは役に立ったようだ。
「侵入には他にはどんな手口があると思う?」
「ヘリコプターで屋上から侵入するとか」
「目立ち過ぎでしょう。音で即バレです」
「まあ目立つのが奴らの本懐だし。怪盗とはそれを本気でやりかねん連中だ。だからこそ怖い」
「あとは地下にトンネルを掘って……」
「刀一本盗むのにどんな労力だ」
「ラーメンの出前に見せかけて侵入とか」
「……それはありえるな。守衛さんには不用意に出前を取らないように言っておく」
「火事を起こして消防士に扮して突撃」
「消防車用意するの?スパイ映画ならともかく、怪盗としてはちょっと頑張り過ぎじゃない?」
「警察の応援を呼んだ時に、警官に紛れ込んで侵入とか」
「ありうるな。そうか、安易に応援を呼ぶのも考えものだな。ワシだって署員全員の顔がわかるわけじゃない」
「もうすでに刀は偽物にすり替わっているとか」
「どうだろ。それならもうどうしようもないが、それは予告とは違うし、怪盗的には反則だよね」
怪盗たちにも一応の美学はある。それは、盗むのは予告したものだけだというものだ。予告していないものに手を出すなら、それは怪盗ではなくただのコソ泥に過ぎない。
「客が出て行ったあとひと通り守衛が巡回しているが、我々も念のため展示室内を洗いざらいチェックする。この部屋の展示品はだいたい施錠されたガラスケースに入っているから、あまり工作できる場所は多くないが、ガラスケースの裏、ソファの裏、コンセント、スイッチ、ドアノブ、調べるのはそういった箇所だ」
警部があちこちを指さす。
「盗聴器、発煙筒、爆発物、スピーカー、何があるかわからんからよく探せ。ペン、電卓、電源タップ、モジュラージャック、そういうものにも細工はできる。怪しい物は全部回収して持ってこい」
三人は手分けして展示室じゅうをチェックしたが、怪しい物は何一つ見当たらなかった。警部は何かしら仕掛けがあると踏んでいたが、肩透かしに終わった。
「意外に何もありませんでしたね」
「ううむ、どうせ見つかると見越して何も仕掛けなかったか、それとも我々にも気づかれないような巧妙な方法で細工をしたか」
「ガラスケースまるごとひとつ偽物を作ってしまうというのはどうでしょう」
「うーむ、他のケースと全く同じに作るのは難しいし、勝手においたらケースの配置が不自然になる。守衛さんも毎日見回っているんだから、違和感に気づくかもしれない。だいたい、そんな大きなものを気付かれずに搬入して設置することが難しいだろう」
怪しいところが何も見つからない。怪盗がどんな手でかかってくるのか、さっぱり予想がつかなかった。
「この展示室をこの三人で守る。トイレなどで誰かが外すとしても、一度にひとりづつにして、常に二人はこの展示室にいるようにしよう。どうしてもという場合でも、絶対に一人はここに残ること。展示室外で何か起こった時には、基本的にはここの守衛さんに対応をお願いする。展示室の鍵はひとまずワシが預かっているが、ワシが出て行く時には残る誰かに預ける」
「扉の施錠はどうしましょう」
「どうせ合鍵かバールか、何らかの方法で入ってこようとするのだから、別に開けておいても同じだろう。そもそも鍵を掛けたくらいで怪盗が防げるならワシらも警備システムも要らんしな。それに、扉を施錠しておいて鍵穴に棒きれでも差し込まれたら、ワシらが閉じ込められてしまう可能性もある。むしろいつでも怪盗を追跡できるように開けておいたほうが無難だろう」
宇佐見と椎名も頷いた。
それで、と椎名はちょっとわくわくした様子で続ける。
「警部、怪盗と戦うための装備は万全かしら?」
椎名は指で銃の形を作って、バーンと撃つ真似をしてみせた。
「言っとくが拳銃は持ってきておらんぞ。手錠だけだ」
「そんなので大丈夫ですか?」
「犯人に当たったらどうする」
「当たらないほうがいいんですね」
「当然だ。おもちゃではないんだぞ、命中したら文字通り命に関わる。それに、こんな屋内じゃ威嚇射撃もできん。跳弾が万一美術品に当たったら、それはもう面倒なことになる。警察官の武器は拳銃じゃあない、地道な聞き込みで鍛えたこの足だ」
そういって警部は自分の太腿をポンポンと叩いてみせた。
「また古い警察官みたいなことを言って」
椎名は刑事ドラマみたいな銃撃戦が見れるかと思ったのか、ちょっとがっかりした様子だった。自分を追っているのがこの善良な警部であることを、怪盗は感謝すべきかもしれない。
「椎名探偵は何か格闘技とかの経験は?」
あまり期待はしていないが、宇佐見が念のため訊いてみる。
「全然。体を使った戦闘で私が得意なのはじゃんけんくらいかな。なにしろ頭脳労働専門なので」
「その頭脳労働が役に立ったところをほとんど見ていないんですが」
「この灰色の脳細胞が警部×刑事という新ジャンルを見事に開拓した功績をお忘れでないかな。ふむ、私の探偵としての洞察力に疑問があるということだね。それじゃあ——宇佐見刑事の秘密をひとつ、当ててみようか」
そういうと、椎名は宇佐見の耳元でぼそぼそと囁いた。
「はぁ……?だから僕はそっちの気はないですって。至って普通。ノーマル」
「えっ?おかしいな。絶対そっちだと思ったんだけど。多分自分でも気づいていない素質がある感じのアレだと思うよ」
「なんでそう思ったんですか」
「女の勘、というやつよ。私のこの勘は、九割は的中する特技なんだけど」
「それ推理でも何でもないですよね。洞察力はどこに行ったんですか」
「ふむ。それじゃあ宇佐見刑事はただの女好きということでいいかな」
「その日本語表現に何か疑問はないのでしょうか」
椎名探偵の脳細胞は物理な外見上もピンク色だろうが、その脳細胞が生み出す思考パターンもピンク色であると考えられる。
そのとき、宇佐見のスマートフォンが鳴った。
「縦溝警部、守衛から連絡です。正門付近にて、敷地内に侵入を試みる不審者ありとのことです」
守衛からの連絡を伝える宇佐見の声には、今までにない緊張がみなぎっていた。
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【物語のポイント】
・怪盗はなぜこの刀を標的にしたのか
・怪盗はどうやって刀を奪取するつもりなのか
・正門に現れた不審者の正体は
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