15:55『博物館の庭園はデートスポットなのか?』

 兼望かねもち財団博物館は御翁川おおきながわという大きな川のそばに建てられた近代的な建物だ。この博物館は学術資料から化石のような考古学的な展示品、絵画、刀剣のような美術品、書籍の類まで幅広く蒐集していて、この辺りでは最も大きい博物館である。軽い散策ができる庭園まで備えていて、兼望財団の資金の豊富さが伺える。

 宇佐見刑事と椎名探偵は博物館の職員とも打ち合わせたが、まずは明るいうちに、建物の配置を頭に入れたり、不審なものがないかチェックしておこうということで、博物館の外周を歩いて回ることにした。まだ開館中なので、建物の外にもちらほら人影が見える。背の高い老人が庭園から出てきたので、すれ違うときに軽く会釈をする。この庭園は展示品に飽きた人間の散歩コースであるようだ。

「椎名探偵はどっちに行きます?右回り?左回り?」

 東の正面玄関から建物を一周するには、南側の庭園に続くほうの道と、北の建物の裏口に続く道がある。多少の希望は叶えてやろうと宇佐見が訊く。

「『椎名探偵は』って、一緒に行くんじゃないんですか?」

 椎名は不思議そうに首を傾げて言った。

「あんまり時間ないんですよ。結構広いですし、手分けしましょう」

「えー……。えー……」

 この探偵、何故かやけに渋る。人手が足りないから協力してもらっているのに、何が悲しくてわざわざ同じ箇所を一緒に見て回らなければならないのか。

「……。一緒に行きますか」

 それを聞いた途端、椎名探偵の顔がぱっと明るくなる。

「私錦鯉が見たい!」

「観光じゃないんですよ!」

「池はあっちだって!」

 椎名はまるで聞いていない。まあどうせ博物館の敷地内を一周するのだから、どちらから周ってもでも同じだろう。庭園に向かって歩き出した椎名探偵を、宇佐見刑事は小走りで追いかけた。


 このポンコツ探偵ならいざしらず、たとえ怪盗の相手という気の乗らない仕事であっても、宇佐見刑事はひとまず役目は果たす男である。博物館の警備状況の確認という本来の目的を忘れてはいなかった。というか椎名探偵を見るれば見るほど、自分がしっかりしなくてはという気にさせられる。

 博物館の建物は全体的に新しく、四角く角ばった形をしている。おおきく西棟と東棟のふたつの建物からなっており、高い方の東棟は四階建て、低い方の西棟は二階建てである。それぞれの建物は大小大きさの異なる直方体が多数重なり合ったような複雑なデザインになっている。ここからは見えないが、どちらの棟にも広い屋上があるらしい。標的の刀があるという東棟三階の展示室は、ここからでは建物の裏になるので確認できない。

 敷地をぐるっと囲む塀はかなり高く作られている。脚立程度では乗り越えるのは難しいだろう。目を凝らすと、塀の上に目立たないようにワイヤーが張られているのも見える。あれに触れると警報が鳴るのだろう。

 宇佐見はイメージした。あの展示室から刀を奪取、窓を破って段状になった二階の屋根に飛び降りる。それから、でこぼこした壁を伝うか、はしごかロープを使って地面へ。正面玄関まで、体力のある人間なら全速力で三分ほどだろうか。正面玄関は固められると見て、はしごか何かを用意して塀を乗り越えようとするかもしれない。塀を超えたところで、仲間が逃走用車両で駆けつける。比較的現実的なシナリオとしてはそんなところか。

 あまり現実的でないシナリオとしては……守衛になりすまして展示室に侵入、スモークかフラッシュバンを焚いて撹乱したあと、刀を奪って屋上に登り、ヘリコプターで高笑いしながら脱出——

「何、ぼーっとしているんですか」

椎名の声に思考が遮られる。

「考えているんですよ。ぼうっとなんてしてません。椎名探偵こそ、ちゃんと博物館の配置を頭に入れておいてくださいよ。いざというときに迷子では困ります」

「あれかしら、館長自慢の錦鯉の池」

 椎名の指差す方には確かに大きな池があった。周囲をよく見回すと、木々の間に目立たないように監視カメラが設置されているのも見える。近くに行ってみると、水も澄んでいて、よく手入れが行き届いているようだ。池をのぞき込むと、両の手では数えきれないくらいの数の色とりどりの錦鯉が優雅に泳いでいる。

「綺麗。きらきらしてる」

 椎名探偵は鯉の鱗と同じくらい目を輝かせて素直な感想を言った。宇佐見の方はというと、高そうだな、俺の給料何ヶ月分なんだろう、怪盗はこっちを狙ったほうが手っ取り早く金になるんじゃないか、などと浅ましいことを思ったが、椎名の屈託の感想を聞いてしまうと自分の擦れた感想など口にする気にはならなかった。習性なのか、鯉たちは自然と近寄ってくる。

「この縞々はアンジェリーナ、こっちの黒いのはナタリー。あっちの赤いのはキャメロン。みんないい子ね」

「勝手に名付け親にならないでください」

 池のほとりに立てられた五角形の高札風看板には、『。館長』と、ず太い筆文字で大書してある。椎名探偵はその看板を数秒間見つめたあと、おもむろにポケットから個包装されたクッキーを取り出し、それから鯉とクッキーを交互に眺める。

「ちょっ……餌あげちゃダメですよ!」

「やっぱりダメかなあ……みんなすっごい食べたそうな顔して集まってくるんだけどなあ」

「館長が怒りますよ」

 椎名はしぶしぶクッキーを仕舞った。ただでさえ博物館側は警察を入れることを渋っていたのに、館長の機嫌を損ねたりしたら我々の予定も台無し、怪盗は二度目の悲しい思いをすることになるだろう。

「警察が追い出されて一番がっかりするのは、我々ではなく怪盗のほうでしょうね。まああんな目立ちたがりなだけの迷惑な奴ら、放っておけばいいと僕はいつも思うんですけどね」

「宇佐見刑事は、怪盗が嫌いなの?」

 椎名はなぜか少し寂しそうな声で訊いた。

「警察官ですから」

「そうじゃなくて」

「ええ、立場は別にしても、個人的にも嫌いですよ。あんな目立ちたがり屋ども」

「私は好きよ、怪盗。だってこれで仕事もくれたわけだし。今回初めて本物の怪盗に会うことになりそう。すごく楽しみ」

「私立探偵ならではの意見ですね。でも今の僕は刑事ですから。犯罪者を追うのは同じでも、仕事があって喜べないのが刑事です」

 我ながら随分つまらない職業観を持ったものだ、宇佐見は自分で言いながらそう思ってしまった。宇佐見はこの仕事が嫌いなわけではないが、椎名が自分の仕事に抱いている思いと、宇佐見が抱いている思いは、あまりにかけ離れていた。

「『野兎ワイルドラビット』って怪盗、知ってる?」

「……覚えてないですね」

「『野兎』が活動していたのは六年ほど前。ターゲットにした相手はたったひとつ、当時法外な利息と苛烈な取り立てて問題になっていた闇金融業者『くろがねファイナンス』。鉄ファイナンスは巧妙に警察の捜査を掻い潜って不正融資を続けていたが、『野兎』はこの業者の資金を何度も掠め取るとともに、不正行為の証拠を次々と盗みだしては公表。この影響を受けてマスコミや政治家も動き、実態が明らかになった闇金融の社長および役員は次々逮捕。業者は解散。『野兎』は目的の達成を宣言して、以降は行方不明」

「ああ、思い出しました。当時はそこそこ話題になったかもしれませんね」

「私、その怪盗に憧れて探偵になったんだよ。怪盗なのに悪い奴らをやっつけているのが、本当に、純粋に、格好いいと思った。だからこそ、会って、どうしても正体を暴きたくて。いつか探偵と怪盗として相まみえることができたらって。どんな人なんだろうって。でもあれから『野兎』の音沙汰はまったくなし。どこへ行っちゃったのかしら」

「……僕は怪盗に憧れたりしませんよ。たとえ闇金融という悪と戦うという目的だったとしても、そのために悪を為すなら、それもまた悪の一部でしかありません」

「宇佐見刑事が言っているのは、きっと正しいことなんでしょう。でも、この怪盗が私の憧れであることにも変わりはないんだ」

 その話をするあいだ、椎名は池のほとりにしゃがみこんでずっと水面を見つめていて、宇佐見には椎名がどんな顔をしていたのかはわからなかった。そのうち椎名は鯉を見つめながらもう一度ポケットからクッキーを取り出したので、宇佐見は慌ててクッキーを取り上げた。


 『錦煌めく湖』の奥は小径になっていて、柳や桜の木が作り出す自然のトンネルになっていた。小さな木戸を抜けると、アスファルトの敷かれた広場がある。ここは資材を搬入するトラックを停めたり、博物館の職員の通用に使われているようだ。見上げると、標的の刀があるという展示室らしき窓も見える。そのまま東棟を回り込むと、建物を一周して博物館の正面入口に戻る。

 正面入口には広い駐車場も隣接していて、自動車やバイクが何十台も停まっている。できればすべての自動車を調べたいところだが、そこまでの人手も時間もない。犯行予告が突然今夜と指定されたのは、もしかしたら警察が博物館中を調べ尽くす前に実行したいからなのかもしれない。宇佐見が腕時計を見ると、閉館時間が近づいていた。

「そろそろ縦溝警部も来るかもしれません。ロビーに戻りましょう」

 宇佐見がそういうと、椎名は頷いてついてきた。

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