13:50『警備計画は真っ白けなのか?』

 椎名探偵は警察署でもソファにくったり寝そべってくつろいでいる。ロビーのソファを一人で占領し、怪盗『韋駄天ストライダー』が過去に起こした事件の新聞記事のスクラップファイルを眺めているのだ。通り掛かった職員はみんな一様になんだこいつという困惑を顔に浮かべたが、この妙な女とは関わりあいになるまいとそのまま通り過ぎていた。縦溝警部はそばで別の『韋駄天』関連の事件を扱ったことのある職員と話をしている。

 奥の廊下から宇佐見刑事が戻ってきた。

「警部、鑑識からの報告です。二通目の予告状から検出された指紋が、『韋駄天』のものと一致しました。ポテチを食べたあとに書いたんじゃないかというくらい、それはもうべったりと指紋がついていたそうです」

「そうか、ご苦労」

「そこまで指紋べったべただと、『韋駄天』はよほど怒って我を忘れていたんでしょうか。最初の予告文には指紋はなかったのに」

「いやあ、以前の事件でも指紋べったりの予告状送ってきたし、単に間が抜けているだけでは」

「『韋駄天』の外見とかはわかってるんですか?イケメンですか?」

 椎名はのっそりと起き上がって警部に聞いた。

「男性、年齢不詳、身長は高め。ガッチリとした筋肉質体型。得意というほどではないが、奴も多少の変装をこなすようで、あまり外見上の確実な情報はない」

「つまり、イケメンである可能性は十分あるわけですね」

 椎名が目を光らせて言った。この女は何のための情報を集めているんだろうか。

「性格のほうは、わかっているのは猛烈にドジというくらいだ。それと、他の怪盗と同じように、やたら自己顕示欲が強く、警察にも堂々と姿を見せて名乗る。だいたいは途中で犯行に失敗して逃げてしまうので、詳しいことはよくわかっていない」

「それだけミスして毎回捕まらないってのは、逆に凄いかもしれませんね」

「それが何故なのかもどうもよくわからん。ほぼ毎回しっかり警察の目の前に姿を表わすのだが、とにかくドロンとうまいこと逃げおおせるのだ。まあ出会ってみてからのお楽しみいうところか」

 ふむ、と椎名探偵が腕を組んで考えこむ。寝そべってはいるが、一応は頭を働かせているようだ。ここは怪盗を逮捕する計画をたてる上で非常に重要なポイントだと言っていいだろう。なぜこの怪盗はこうもうまく逃げ切るのか、それがわかっていなければ今度もまた逃してしまう可能性が高い。

「博物館はなんと言っていた?」

「今度は博物館の方にも予告状が行ったそうです。ただし警察も探偵も必要ない、怪盗は自動警備システムで撃退できるからと正直迷惑がってますね」

「怪盗が来るなら探偵が必要なのは世間の常識でしょ!山と言ったら川、ポテチと言ったらコーラ、怪盗と言ったら探偵!」

「博物館によれば、自動警備システムは最新型で万全、常時二名以上の守衛も常駐しているそうです。警察にうろうろされるほうが、逆に警備上問題あるということでしょう」

「なんか行きたくなくなってきたな。でもワシらが行かないことには怪盗は捕まらんし、延々と予告状を出し続けられても迷惑だ。マスコミの方は?」

「予告状は地元新聞社やテレビ局にも届いていたらしいですが、どこも興味ないそうです。最近、『脚長ロングレッグズ』っていう詐欺師が世間を騒がせてるでしょう?その詐欺師が今夜行われるショッピングモールのオープン一周年セレモニーで何かやらかすという話が流れてて、社会部の記者はみんなそっちの取材に行っちゃうらしいです。まあ『韋駄天』は無名ですしね。誰それ?っていう感じです」

 詐欺師『脚長』といえば、その巧みな変装術でイケメンに扮しては、女性に多少の金品を援助して信用させ、最終的には全財産を掠め取るという、一種の結婚詐欺師のような犯罪者である。ところが、その手口が有名になりすぎて仕事がやりにくくなったらしく、最近は持ち前の変装術を活かしていろいろな犯罪に手を広げているともいう。マスコミとしても、イケメンとして知られる『脚長』はワイドショーのネタにもちきりなのだ。ただしイケメンなのは変装であるが。

「あと、どこから聞きつけたのか、近くの中学校の新聞部の生徒だけが取材を希望したんですが、夜になるのでやめさせました。なかなか賢そうな子だったし、昼間だったら取材させてやるところなんですが」

「学校新聞レベルかあ……哀れな怪盗」

 まだ大した事件も解決したことのない新米探偵が、まだ大した事件も起こしていない三流怪盗を憐れむ。はっきり言って、この怪盗の捜査の優先順位は低いのだが、これにまともに取り合っているのは縦溝警部の生真面目さ故である。

「仕事でやってる我々はともかく、物好きでその哀れな怪盗に構ってるあなたも相当なものですよ」

「椎名君のほうは?過去の新聞記事を眺めていたようだが」

「わかったのは——ここのコーヒーが案外美味しいってことだけかな」

 椎名探偵は紙コップに残った冷めたコーヒーをくるくると回してみせた。


————————


 宇佐見刑事が過去の犯罪データベースを探っていると、新聞のスクラップに飽きたのか、椎名が近づいてきて肩越しにディスプレイを覗いた。

「宇佐見刑事、なにそれ」

「何で入ってきてるんですか、駄目ですよ覗いちゃ。これ部外者は閲覧禁止のやつです」

 宇佐見ぎょっとして、椎名の肩を押してディスプレイから追いやる。部屋から追いだそうかと思ったが、この変な探偵は目の届くところにおいておいたほうがいろいろ安全そうな気もしたので、とりあえず近くのイスに座らせる。

「椎名探偵は何か作戦は思いつきましたか」

 この椎名探偵、今のところ大した洞察力も発揮していない。韋駄天を天ぷらだと思っているあたり、知識を豊富に蓄えているというタイプでもなさそうだ。これまで見てきた限り、この探偵にみなぎっているのはせいぜい食欲と睡眠欲くらいである。せめてアイデアくらいは出して捜査に貢献してほしいのだが。

「そうだね……まず十分な数の警察官が必要かな。ズラリと並んだ時に画に迫力が出るように。この警察署、全員かき集めれば百人以上はいるよね」

「それはちょっと……人手不足で椎名探偵に手伝ってもらうくらいなんですよ。だいたい、発想が怪盗と同じレベルじゃないですか」

「あとサーチライト!怪盗が空を飛んだ時に見えるように」

「それも怪盗が予告状で言ってましたね。怪盗は飛ぶのがデフォなんですか」

 確かに空を飛んで逃げるのはとにかく目立つ。怪盗としては是非とも飛びたいところなのだろう。実のところ、ヘリコプターを使った逃走というのは案外効果的であるらしい。刀一本を盗むのに割に合うのかはわからないが。

「拡声器を用意して、『お前は完全に包囲されている。大人しく投降しろ』って呼びかけるのよ」

「それで投降した犯人なんて、現実はおろかドラマでも見たことないですけど」

「田舎のお袋さんが泣いてるぞ」

「どちらかというと立てこもり事件のときじゃないですかね、それ」

「夜だし、たぶん遠目だから、化粧は濃い目でいいよね」

「誰視点ですか」

「しまった、このスーツはちょっと地味だったかも」

「それ、犯人逮捕の作戦じゃなくて、自分の事務所の広告戦略ですよね。見てくれは心配いらないと思いますよ。多分マスコミは誰も来ませんから」

 椎名は口を尖らせて見るからに不満気である。案外目立ちたがり屋であるあたり、この探偵は怪盗と似た気質があるようだ。

「宇佐見刑事は、今私が着ているみたいなパンツスーツと、フレアスカートのスーツだったら、どっちが好き?」

「そうですね、僕としてはどちらかというとスカートのほうが女性らしくていい……ってこの話はどこに向かっているんですか」

「ええと、宇佐見刑事は私のミニスカート姿が大好きなエロ警官、危険な男につき女性諸氏は注意されたし、と。あれ?下の名前何でしたっけ」

「変なメモ残すのやめてください」

「おっと落としちゃった。机の下に入っちゃって……取りにくい……」

「署内で変なビラを撒くのはやめてください!誰かが見たら僕が誤解されるでしょ!服装は動きやすければどうでもいいですから」

「いいじゃない、私のデビュー戦なんですから。可愛くしたいんです」

 椎名探偵はぷうとふくれてみせた。


 しばらくすると、署長と打ち合わせをしていた縦溝警部が戻ってきた。

「椎名君は?」

「さっきコーヒーのおかわりを探しに何処かへ行ってしまいました」

「そうか。済まんがふたりで先に現地に入って、博物館の間取りや標的の展示品、警備状況を確認し、向こうの守衛とも情報交換しておいてくれ。ワシはもう少し準備があるから、十八時に現地に行くつもりだ。実際の建物を見れば何かいいアイデアが思いつくかもしれん。作戦があったら考えておいてほしい」

 相手の出方は不明、人出も限られる。こういうときこそ型にとらわれないフリーダム探偵の奇抜なアイデアが欲しいところだが、その探偵はお茶と茶菓子の確保に必死だった。




————————


【物語のポイント】

・怪盗『韋駄天』はなぜ毎回うまく逃げおおせるのか

・会話の中で登場した人物たちは、今後物語にどう関わってくるのか

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