12:23『探偵の胃袋は底なしなのか?』

 勢い込んで椎名探偵の事務所を出たはいいが、運転手の宇佐見刑事に縦溝警部が指示した行き先は、何故か近所のラーメン店である。腹が減っては戦が出来ぬということだが、椎名探偵まで後部座席にしっかり乗り込んでいる。無償で協力してくれるんだから、ラーメンの一杯くらい奢ってやっても罰は当たるまい、というのが警部の弁だ。謝礼はいつも警部のポケットマネーから支払われているらしい。このあまり役に立たない探偵に対して捜査協力者として正式に謝礼を出すとなると、不正支出がどうのこうのと言われかねず、手続きがいろいろ大変なのである。

 警部が昼食に何を食べたいかと聞いたところ、椎名探偵は寿司がいいと言い始めた。それを聞くなり縦溝警部の顔がさっと青くなり、ラーメンだラーメンにしろと説き伏せて、結局昼食は強制的にラーメンに決定した。どうも以前、椎名探偵に寿司を奢って大変なことになったらしい。でもラーメンならラーメンで、椎名探偵はまったく不満はなさそうだ 。後ろの座席から運転席のヘッドレストをぽこぽこ叩いてはしゃいでいる。

「ラーメン探偵椎名なのかと言ったら私のことでしょう」

グルメレポーターかなにかだろうか。

「ラーメン一杯の依頼料で丸一日働かされるとは、実に安い女である」

「宇佐見刑事、心の声が口から漏れちゃってるんですけど」

「はあすみません……ちょっとヘッドレストを叩くのやめてもらえませんか。熱いビートがどんどんフィーバーしてきてます」

 宇佐見としてはこのような民間人を現場に関わらせるのは反対なのだが、警部はやけにこの探偵に信頼を寄せている。なんでも人並み外れて優れた洞察力を持つということなのだが、それが実際に発揮されるのを宇佐見は未だに見ていない。

「縦溝警部、やっぱり今夜も我々は博物館に行かないって案はどうです?予告に気づかなかったふりをして。そうすれば奴も標的を盗む理由がなくなります。事件は防がれて、僕らも夜勤せずに済んで大団円です」

「君は鬼か。奴が前回、深夜ひとりぼっちの博物館でどれだけ惨めな思いをしたのか、考えたことがあるのかね。せめて逮捕してあげるのが情けというものだ」

「下衆。悪魔。鬼畜刑事」

 せっかく最高の折衷案を提出したのに、なぜこの女にまでそこまで言われなくてはならないのか。

「博物館の警備は万全というが、まあ予告があって万が一盗まれたとあれば、我々の沽券にも関わるしな」

「マスコミにも超なじられるよ」

「それは嫌ですね……椎名探偵は人ごとだからいいでしょうけど」

「じゃあ宇佐見刑事も探偵に鞍替えしたら?ウチで足揉み係兼探偵助手として使ってあげてもいいよ」

「貧乏探偵事務所なんて御免こうむります。親方日の丸最強ですよ」

 椎名探偵は少し残念そうだ。普段事務所ではひとりなので、掛け合いをする相方もなく、寂しいのかもしれない。椎名探偵の表情が、バックミラー越しにちょっとだけ見えた。


————————


 昼飯時であるにも関わらず、ラーメン屋の店内にはかなり空席があった。穴場だろう、だが美味いぞと警部がいう。椎名探偵はというと、もう目に見えてウキウキである。奥の座敷を選んで座る。

「何にします?ラーメン?チャーシューメン?塩ラーメン?鯉ラーメン?」

「鯉ラーメン?」

「宇佐見君はまさかの鯉ラーメンか。求道者だな」

「鯉ラーメン注文する人なんて初めて見た……」

「いや何ですか鯉ラーメンって。そんなよくわからないもの注文しませんよ。僕は担々麺で」

「鯉ラーメンにしとけばよかったのに。わたしはチャーシューメン大盛りで」

「ワシは塩ラーメンでいいかな。最近腹が——」

 犯行はもう今夜である。料理が届くまでの待ち時間も貴重な作戦タイムだ。三人は頭を寄せて会議を始める。ただしラーメンが届くまでのあいだだけ。

「『韋駄天ストライダー』……過去に十数件の事件を起こしたが、どれもこれも失敗したという、『絶対に失敗する怪盗』か」

「え?一件もですか?」

「いや、たしか一件だけ成功した事件が。一昨年のクリスマスのことだ。駅前のドーナツ店で、閉店後に廃棄されたドーナツを盗んで食い散らかしたことがある」

「なんてくだらない事件……」

「犯罪は犯罪だ。予告状は届いていたらしいんだが、バイト店員が即座に破り捨てたので店長は知らなかったらしい。店内と倉庫を食べかすだらけにされた店長が怒って被害届を提出、盗難および店舗敷地内へ不法侵入事件として受理された。廃棄品でも誰かの所有物だからな」

「店長は何も悪くないけど、それで被害届出されてもなあ……。野良猫にゴミ袋を散らかされたようなものでしょう」

「なお、その時ひとり楽しそうにドーナツパーティーを開催する犯人の姿が、店内の防犯カメラにモロに写っていたそうだ。テーブルの上には、ドーナツを並べて『ストライダー参上』みたいな感じのメッセージが残されていた」

「クリスマスにひとりパーティーですか。寂しいですね……というか、そんな証拠があって、なんで逮捕できなかったんですか」

「探偵を名乗る女が、警察の到着前に店舗に入り込んだんだ。犯人はまだ遠くに逃げていない、今すぐ姿を確認して跡を追うから、と店長を丸め込んで監視カメラの映像をまっさきに確認」

「それで?」

「女はその最中に操作ミスで録画を消去」

「アホか!」

「それに気づいた女も逃走。警察は電子計算機損壊等業務妨害の容疑で女の行方を追ったが未解決だ。追ったというか、事件が事件だけに警察もまるでやる気がないので実際は放置している」

「そりゃそうでしょうよ。……いやちょっと待って下さい、その怪盗、案外抜け目ないかもしれませんよ」

「と、いうと?」

「もしかして、その女は実は怪盗の変装だったんじゃないでしょうか。防犯カメラに写っていた事に気づき、探偵を名乗ることで店長を騙してデータを提出させる。そこでミスを装ってデータを消去、逃走。もしくは、わざと犯行をカメラに写させて、店長の反応を楽しんでいた可能性すらある。怪盗とはそういう奴らだ。どうでしょう?」

「なるほど。だが当日、犯行時刻前から近くのバーでその女がひとりで飲んだくれているのを複数の人間が目撃している。店員や周囲の客にさんざん絡んで迷惑がられていたらしく、店員もよく覚えていた。アリバイありだ」

「……こんな推理を披露している僕がバカみたいですね」

 宇佐見の推理が大外れだったのはまあいい。それより、クリスマスに単独パーティーを開催した怪盗も寂しければ、クリスマスにひとり飲んだくれて他の客に絡んでいるその自称探偵の女もずいぶん寂しい。あれもこれも哀しい話だ。

 それで、同じテーブルについているこの女探偵は、なんで吹けもしない口笛を必死にヒューヒュー吹いているふりしているのか。しかもこの話が始まってからやけに無口である。宇佐見はある可能性に思い当たったが、それが事実だった時の哀しさを思うとそれ以上追求する気は起きなかった。


「ふう、美味しかった。さて、食べたぶんは働かなくてはね。まあこの天才超美少女探偵椎名なのかが動くからには、大船に乗った気でいていいよ」

 一足先にラーメンをスープまで飲み干した自称美少女は、そう言ってどっかりと背もたれに体を預けると膨れた腹を撫でた。細身の割に、餃子とチャーシューメン大盛り味玉付きをペロリと平らげる食欲は大したものである。探偵よりグルメレポーターに向いているかもしれない。

「少女……椎名探偵ってお幾つなんですか?」

「女の子に年齢を聞くとか失礼すぎ。デリカシーなさすぎ」

「確か、にじ——ふんぐっ!」

 突然縦溝が吹き出して、口からシナチクが宇佐見の器を目掛けて一直線に飛んできたが、宇佐見は驚異的な反射神経を以ってシナチクを手の甲で弾く。椎名が思いっきり警部の脛を蹴飛ばしたのだ。そういうのはもう少し周囲に気づかれない感じでやってほしい。テーブルごと揺れては、宇佐見としても落ち着いてラーメンを啜れない。

「成人してるなら『少女』ではないかな」

「『美女探偵』より『美少女探偵』のほうが語呂がいいでしょ」

「ただの『探偵』でいいじゃないですか」

「そんな弱いキャッチフレーズで仕事が舞い込むと思うの?こちとら水商売なんだから真剣だよ」

「へえ、そういうからには結構な売れっ子なんですね?」

「今年はタウン誌の取材が一回、地元農協のキャンペーンガールが一回。警部の口利きで防犯啓発ポスターの撮影が一回。それから映画やドラマのエキストラが二回。あとは料亭『味錦』の看板娘としてお客さんにひっぱりだこ」

「探偵業は……」

「医者と消防士、それから探偵は、暇な方がいいのよ」

「あと警察官と自衛官と葬儀屋もですね」

 まあ、あんな怪盗くらいしか大きな犯罪が起きないこの街は、それだけ平和だということだ。これはもちろん喜ぶべきことだろう。

「宇佐見君と椎名君って結構相性よさそうでないかな。宇佐見君はどうせ彼女いないんでしょ?椎名君と付き合っちゃえば」

「警部はいきなり何を言い出すんですか。僕だって誰でもいいっていうわけじゃないんですよ」

宇佐見は特にラーメンを吹き出すようなこともなく、げんなりしたように言った。

「私だって嫌、こんなデリカシーもなければ収入もなさそうな貧乏臭い男」

「収入って……これでも警察官ですよ!合コンしたい職業一位の公務員ですよ!」

「うわっそういうこと自分で言う男って最低」

「僕はですね、少しでも正義の為に尽くしたくて警察官になったんですよ!怪盗のおふざけに付き合うためでも、こんな変な女を接待するためでも、断じてない!」

「まあまあ、要するに仲良くやろうよってことさ」

「でも付き合っちゃえは飛躍しすぎでしょう」

「まあ確かにこの刑事さんいじると反応面白いし、彼氏はともかくペットくらいならいいかも」

 部下と探偵の喧嘩も、警部には微笑ましく見えるようだった。それより、怪盗の予告は今夜である。急いで情報を集めて警備計画を立てなければならない。本当ならこんなところで悠長にラーメンを啜っている余裕などないはずだが、どうもこの探偵にしろ警部にしろ緊張感がなさすぎて、宇佐見まで気が抜けてしまいそうだった。

「行きましょう。時間はあまりありません」

宇佐見はそう言って、残りのスープを時間をたっぷりかけて味わっている縦溝警部を急かした。



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【物語のポイント】

・怪盗『韋駄天』はなぜ犯行に失敗するのか

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