椎名なのかは探偵なのか?『鯉に呪われた妖刀・生蔵丸盗難事件』

小林稲穂

11:12『予告状は物語の始まりなのか?』

 自称天才探偵、椎名なのかは苦悩していた。とある怪盗が送りつけてきた犯行予告文の解読が、さっぱり進まないからである。ソファにだらしなく横たわったまま、ビニールの袋に入れられた便箋をつまみ、何度もひっくり返しては隅から隅まで舐め回すようにそれを眺める。


——六月十日の夜 錦煌めく湖のほとりにて 呪われし銀の刃を頂戴仕る 怪盗『韋駄天ストライダー


 洋封筒に入った上等なカードにはそれだけ印刷されており、あとは手書きのサインが入っていた。

「『韋駄天』って何だっけ?海老天とかの仲間だっけ?」

 椎名探偵は鼻を鳴らしてそう言った。椎名の向かいのソファには、このやる気も閃きもない探偵の腕を何故か妙に買っている縦溝警部と、神仏を天ぷらと間違えているこの罰当たりな女は一体誰なんだという困惑を顔に浮かべた宇佐見刑事が座っている。

「怪盗なんか放っておいたらいいじゃないですか。構うから余計につけあがるんです」

 宇佐見刑事は面倒くさそうに言った。宇佐見は基本的に怪盗の起こす事件は嫌いである。ただの目立ちたがり屋ごときのために、わざわざ自分らが盛り上げてやるというのが気に食わないのだ。宇佐見が正したいのはそんな幼稚な悪ではない。

「そうは言ってもな、これは脅迫事件でもあるわけで、まったく無視するわけにもいかん」

 対して、縦溝警部は基本的にクソ真面目である。どんな些細な事件でも真剣勝負。それがこの警部のいいところでもあり、悪いところでもあった。

「この『韋駄天ストライダー』っていう怪盗は三年ほど前に活動を開始した犯罪者で……」

「ああ、この怪盗の基本的な情報は私も知っています。以前にちょっと」

「そうなのか。それでどうかね椎名君。何かわかったかね」

「さっぱりわからない。まったく何一つ。一切」

 探偵はびしっとそう断言した。警部はなぜこの探偵に予告状を見せにきたのか、宇佐見は不思議でならない。

「いえ、ひとつだけわかったことがあります。犯人は——アホね」

 それを聞いた宇佐見刑事はがっくり肩を落とす。

「念の為に聞きますが、その心は」

「暗号じみた犯行予告で格好をつけるのは結構だけど、解けないんじゃ予告する意味がない。暗号が解けないのはこの天才美少女探偵のせいじゃなくて、これを作ったアホ怪盗が全部悪いんだよ」

 それを聞いて宇佐見刑事はますます肩を落とす。怪盗と探偵のどっちがアホでもいいから、何か事件解決に繋がる情報が欲しいのだが。それで、この自称探偵、さっきから肩書の頭に少しづつ余計な単語が増えている気がする。

「それで、この日って何か大きな事件はありましたっけ?」

 椎名探偵は予告状の日付を指さして見せた。この予告状、日付だけはやけにはっきりしていたのだが、盗む対象がわからない以上どうにも対策が取れず、当日を過ぎてしまったのだ。予告を警察にすっぽかされた怪盗というのは珍しい。

「いいえ、特に。その日にあった窃盗事件は、この辺りではスーパーで裂きイカが万引きされた事件だけ。もうただの悪戯だったってことでいいじゃないですか。考えるだけ無駄ですよ」

 手帳を見ながら宇佐見刑事がため息をつく。

「さっきからしきりに捜査を止めさせようとしている……この刑事、実に怪しい……」

 椎名探偵が宇佐見刑事をじとーっと横目で眺めた。顔に不信感が丸出しになっている。いきなり刑事を疑い出すとは、とんでもない探偵もいたものである。誰彼構わず犯人に仕立て上げれば、そのうち真犯人が炙り出せるとでも思っているのだろうか。

「冗談じゃないですよ。僕ならもっとマシな予告状を出します」

「……うむ、仕方ない。椎名君でも何もわからないなら、捜査は打ち切りだ。宇佐見君の言うとおり、ただの悪戯として片付け——」

「そうか!」

 椎名探偵が唐突に叫んで、ソファからむくりと起き上がった。

「何かわかったのか」

 縦溝警部が緊張した声でそう尋ねる。

「ええ。わかってしまえば簡単なことでしたよ」

 自称天才探偵はにんまりと笑ってみせた。やけに自信ありげである。

「『錦煌めく』、これは二丁目にある料亭『味錦あじにしき』のことよ。『呪われし銀の刃』の銀の刃とはサンマのこと」

「なるほ……ええ?」

 サンマを盗むために警察に予告状を出すという、尊大なドラ猫のようなまさかの怪盗像に、刑事二人は戸惑いを隠せない。

「『呪われし』とはつまり、いまいち味が良くないって意味。あの料亭、最近仕入先が変わって、サンマの鮮度が落ちたのよ」

「何でそんなことを知っているんですか……」

「探偵業が暇すぎて、私はそこでバイトをしてるの。つまり『韋駄天』の標的は『味錦』の傷んだサンマ……!これを盗み出し証拠を掴むと、クチコミグルメサイトでこの事実を公にすると脅して、料亭からたっぷりと口止め料を——」

 椎名探偵が神妙な面持ちで怪盗の卑劣なる計画を暴露しようとしたまさにそのとき、この探偵の暴走を遮る絶妙なタイミングで宇佐見刑事の携帯電話が鳴った。メールを開いて読むと、宇佐見は少し驚いたような顔をみせた。

「警部、署のほうに新たな予告状が届いたようです」

 画像が添付されていたので、三人で代わる代わる宇佐見のスマートフォンを覗きこむ。


——先日、犯行予告の場所に警察が来なかったので、今夜改めて頂戴に参上することにした。警察諸君がわかっていないかもしれないので念の為に言っておくが、標的は兼望財団博物館所蔵、妖刀『生蔵丸』である。せいぜい警備を厳重にしておくことだ。あまり警備の人数が少ないとこちらとしても格好がつかないので、最低でも二十人くらいは欲しい。夜間なのでサーチライトも忘れずに用意しておくこと。マスコミにはこちらから連絡しておく。怪盗『韋駄天ストライダー


「『錦煌めく湖のほとり』か、そういえばあの博物館の庭園の池には、なかなか見事な錦鯉がいたな。館長の趣味らしい」

 警部が納得したように頷く。

「ああ、兼望かねもち財団博物館には確かに『生蔵丸なまくらまる』なる日本刀が所蔵されていますね。最近の刀剣ブームに乗っかって、妖刀というキャッチコピーを付けて目下売り出し中、現在特別展をやっていてその目玉展示品みたいです。案外そのまんまでしたね」

 宇佐見刑事がスマートフォンをいじりながら言った。高度に情報化された現代社会、キーワードさえわかってしまえば、検索するのは猿でもできる。探偵も情報屋も商売あがったりである。警部が椎名探偵に目をやると、彼女は顔を赤くして蒟蒻みたいにぷるぷる震えていた。

「売り出し中って……まるでアイドルか何かだな」

「そう、アイドルみたいなもんですよ。いろんな刀をイメージしたキャラクターを作り、ゲームに登場させたり、グッズを売り出したり。女性のあいだでずいぶん人気があって、今度アニメも放映するらしいですよ。博物館としても抜け目なくこのブームに便乗していく様子です」

「『女性のあいだ』?刀でチャンバラといえば男の子って気がするが」

「それが、今回のブームは女性ファン中心なんですよ。博物館にも女性客ばかり押しかけているんじゃないですかね。日本刀をモチーフに、イケメン男性キャラクターへ擬人化したオンラインゲームがあって……」

 宇佐見の話を聞いても、警部は首をかしげていた。この人にはちょっと難しい話だったかもしれない。

「——つまり、最近の女性には侍みたいな男がモテる、ということか」

「う、うん?まあとりあえずそんな感じの理解でいいんじゃないでしょうか」

「ふむ。ワシもたまには羽織袴でも着てみるか」

 警部の疑問は妙な結論に着陸したようだが、まあそこはあまり重要ではないので構わないだろう。警部が女性ウケを気にしていたのは、宇佐見には意外だったが。

「鯉くらい何処にでもいるよ!いくらなんでもヒント少なすぎるよ!だいたい、湖じゃなくて池じゃねーか!」

 ぷるぷる涙目で震えていた探偵がついに叫ぶ。探偵の嘆きはもっともだが、そこを何とかしないことには彼女が名探偵と呼ばれる日は来ないだろう。凡庸な探偵止まりなら幸い、怪盗がサンマを盗み出すという斬新な推理を披露するようでは、肩書が『迷探偵』になるのは時間の問題である。

「今度の予告状は死ぬほどわかりやすいな。というか今夜か。こっちにもいろいろ予定ってものがだな……」

 生真面目な縦溝警部も、この急展開にはさすがに面倒臭さを隠しきれていない。

「封筒もカードも一緒。サインの筆跡もそっくりですね。前回の予告状と同一犯で間違いないでしょう」

 揃って自己顕示欲の塊である怪盗たちは、自分の成りすましを防ぐために犯行予告文に必ず手書きのサインを入れる。それも、芸能人でもそんな手の込んだサインは書かないだろうほどの、凝りに凝った飾り文字のサインである。

「そうか……!わかった、奴の考え……!」

 椎名探偵が顎に手を当てて低い声で言った。たぶん、椎名探偵の背後に閃光が走ったりすると、背景のイメージとしてはぴったりだろう。そんな顔をしている。

「たぶんみんなわかってますけど。もう推理するところなんて残ってないですよ」

「そうじゃなくて、もう一つわかったことがあるよ。恐らくこいつは——相当怒っている」

「怒っている?」

「警察がいないだけで犯行を止めてしまうというのは、つまり標的の刀そのものは奴にとってそれほど重要ではないということよ。奴の目的は犯罪そのもの。それで、考えてもみなさい。何週間もかけて綿密な犯行計画を立て、意味深な予告状を送りつけ、警察の妨害を知恵と機転で切り抜けて鮮やかに獲物を奪取し、サーチライトが照らす中をまんまと逃げおおせる大作戦。翌日の新聞記事には一面に名前入りで大々的に報道され、一躍大怪盗として名を馳せるはずが、いざ現場に行ってみたら人っ子一人いない深夜の博物館」

「ああ……それはなんというか、惨めだな」

 確かにそのとおりかもしれない。この女は肝心なことはわからないくせに、なぜ犯人の機微ばかり妙に見通すのか。宇佐見はこの探偵がよくわからなくなってきた。

「怪盗というのはどいつもこいつも目立ってナンボの連中だ。そいつがこうもきっぱり無視されたとあれば——いや我々としては決して無視しているつもりはなく結構頑張って捜査しているのだが——怒り心頭なのはまあわからんでもないか」

「いや普通にわからんですよ。自分が解読不能の予告状を出したのが悪いんであって、まったくの逆ギレですよね」

「それに、予告を出しておいて実行しないとなると、怪盗の信用にも傷が」

「怪盗の信用……」

 あまり聞いたことのないフレーズである。怪盗も一種のタレント、コネと信用が大切というわけだろうか。

「予告して実行しない怪盗なんてただのチキン、弱虫、目立つゴミ、犯罪者のクズ。きっと同業者からは、この怪盗の面汚しめが、っていう扱いよ」

 犯罪者のクズとは救いようがない。宇佐見はさすがに怪盗が可哀想になってきた。

「よし。奴が先日犯行を行わなかったのは、博物館に警察がいなかったから。逆に言えば、我々が博物館に行きさえすれば、必ず奴は計画を実行に移すだろう。我々はそこを抑える。決行が今夜ならあまり時間はない。すぐ行くぞ」

 縦溝警部がそう言うと、三人は同時に立ち上がった。

「え?椎名探偵も来るんですか」

「当然でしょう。私の事件ですから。怪盗退治デビュー戦よ」

 椎名探偵は胸を張って言った。いつから事件はこの女のものになったのか。さっきまで全然やる気がなかったくせに、計画がわかったとたんこの手のひらの返しようだ。もう何度目かわからないが、宇佐見刑事は再びがっくり肩を落とした。


————————


【物語のポイント】

・一見何気ない会話も、最終的に物語に絡んできます。『韋駄天』『アホ』『サンマ』『目立ちたがり』『鯉』『刀剣ブーム』『アイドル』『怪盗の信用』、そして警部がこの頼りない探偵に協力を求める理由と、刑事が怪盗にうんざりしている理由。

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