第3話 約束だよ!

 遊園地のデートの日から、僕と佳代は恋人同士になった。

 それまでの学生生活は一変し、彼女との時間は僕を明らかに高めてくれた。佳代は成績が優秀で、大学の専門課程以外にもTOEFLなどの検定、資格の勉強にも励んでいた。僕は彼女に負けじと英語検定の勉強を始めた。彼女に負けたくないというよりは、佳代をリスペクトし、彼女のように努力したいと素直に思ったからだ。

 佳代が数あるサークルの中で選んだのはボランティアだった。身体障害者の子供たちに社会体験をさせるという内容のものだ。僕自身はボーイスカウトに入っていた経験もあり、ある程度内容は理解できたが、敢えてそれをしようとは思わなかった。僕は友達に誘われて、音楽サークルに入った。せっかく大学生になったのだからと遊びたい気持ちが溢れていたからだ。だが、彼女の行動を見て少し恥ずかしくも感じていた。

 彼女と僕はどちらも一人暮らしをしていたので、お互いのアパートに通い合ったりもした。佳代はパン屋でアルバイトを始め、僕は以前からしていたコンビニのバイトを続けた。給料を貰えると、毎回その日に僕は佳代にケーキを買って行った。佳代はモンブランが好きで、僕は馬鹿の一つ覚えのように大体モンブランを買っていたのだった。


 二回生になった初夏のある日、アルバイトの給料が入ると僕は大学近くにあるケーキ屋に行った。そこのケーキ屋はどの商品も安価で、しかもサイズが大きいのが取り柄の店だった。学生からは人気があり、佳代もその店のファンだった。僕は店に入るといつものようにショーケースの中でモンブランを探した。でも、そこには目当てのケーキが無かった。

「ああ、どうしようかなあ。他のケーキって言ってもなあ」

と呟いていると、恐らく同じ大学の学生っぽいアルバイト店員が声を掛けてきた。

「あのう、今日はモンブラン売り切れてしまったんです。すいません。でも、このフルーツタルトも美味しいですよ」

「フルーツタルトかあ。佳代って好きだったかなあ?ま、たまにはいいだろう。これにします」

僕はフルーツタルトを二つ購入し、彼女のアパートに向かった。こういう時には何かが起こりそうな気がする。別に僕は都市伝説を信じたり、信仰深い人間でも無いが、普段起こらない事が起きると嫌な予感を抱く。たかがモンブランだが、されどモンブランだ。何も起こらなければ良いのに、と願いながら彼女の部屋のインターフォンを鳴らした。

「俺だけど、耀司だよ」

「うん、わかった。今、開けるね!」

出てきた佳代は少し暗い表情を浮かべていた。僕の予感は的中した。ケーキを包んだ箱を開けて、僕は彼女に伺った。

「ごめんね、モンブラン無かったんだよね。これでも良かったかな?」

「うん……後で食べようかな」

「佳代、何かあったの?それともモンブランじゃないとダメだったかな」

「さっきね、実家から電話があって……お父さんが倒れたんだって」

「ええ?そんなあ。佳代、こんなことしてる場合じゃないよ!行こう、石川へ!」

「でも、命に別状は無いから、お母さんが急がなくても良いって言ってるし。大丈夫だよ、ただちょっと心配で」

「佳代、行かなきゃ駄目だよ。大事なお父さんだろ?」

「耀司も一緒に来てくれるの?」

「もちろんだよ!早く支度して行こう!」

「耀司、本当にありがとう」

佳代は涙を流しながら、僕の胸にしがみついていた。僕は力の限り、彼女を抱きしめた。やっぱり僕の嫌な予感は的中した。いつも強くて、しっかり者の彼女があからさまに弱っているのを何とか助けたかった。こんな佳代を見るのは初めてだった。僕には大したことは出来ない。ただ、彼女の力になりたい。支えになりたい。何とかして佳代の不安を除去したい。そんな感情が僕を走らせていた。


 二人とも支度を済ませるとJR大阪駅へと急いだ。駅に着くと、すぐに一番早く出発するサンダーバードの乗車券を購入し、金沢に向かった。列車に乗り込むとツーシーターの座席に二人は並んで座った。彼女は疲れたのか、僕の肩に体を預け、すぐに眠ってしまった。夜の車窓から見える景色はほとんど真っ暗で、僕はずっと頭を留守にしていた。

 金沢に着くと、佳代を起こして、そこからタクシーで病院へと向かった。少し眠って落ち着いたのか、佳代はいつもの彼女に戻っていた。すると、彼女は僕にそっと囁いた。

「耀司、本当に一緒に来てくれてありがとう。耀司がいてくれたから、少し落ち着けたよ」

「落ち着けて、良かったね。早くお父さんに会いに行こう」

佳代の頭を撫でながら、僕は笑顔で彼女に応えた。


 タクシーに乗って、二十分ほどで佳代の父親が入院している病院に着いた。すぐに病室に向かい入室すると、佳代の母親が迎えてくれた。

「佳代、お父さん、意識が戻ったよ。今は、寝てるけどね。あんた疲れたやろ?」

「ううん、大丈夫。電車の中で眠れたから。それと彼が、山崎君なの」

「ああ、あなたが山崎さんね。佳代からよく聞いています。わざわざ、こんな処までお越し頂いて、本当にすいません」

「いえ、僕が勝手について来ただけなんです。初めまして、山崎耀司と言います」

佳代の母親は、挨拶を済ませると、僕と佳代を自宅に招いてくれた。そして、僕たち二人は突然の出来事の一日を振り返る間もなく、疲れてすぐに布団に入った。

 翌日、目を覚ますと、佳代の母親が朝食を用意してくれた。僕は久しぶりの手作りの朝食を満喫した。そして、朝食を終えると父親のいる病院へと向かった。前日と同じ病室に入ると、佳代の父親はベッドの上に横になったまま、笑顔で招き入れてくれた。

「君が山崎君かあ。わざわざ遠い処まで、すまないね。佳代がいつも世話になってます。いやあ、なかなかの男前だな。はは」

「初めまして、山崎耀司と申します。よろしくお願いします」

佳代の父親は僕を気に入ってくれたようだった。僕は恋人の父親と会うのは初めてで、病室に入るまで極度の緊張をしていた。だが、そんな心配を佳代の父親は一瞬で取り除いた。彼の声や、表情は明らかに僕を包んでくれたのだ。

 それから佳代と僕と彼女の両親で、他愛も無い話をして過ごした。大学はどんな感じなのか、大阪はどんな場所なのか、など興味津々で二人は僕たちに耳を傾けたのだった。普通ならば僕の両親のことを聞いたりするものだろう。だが二人からはそんな質問は全く出ない。むしろ僕自身を理解しようと努めてくれていたように感じた。僕は佳代を産んでくれた両親に対して、純粋に感謝の気持ちを抱いた。そして、佳代の父親は僕らが帰阪しようとする時に意を決して語り出した。

「なあ、山崎君。俺もこんな身体になってしまって、君にお願いするのはおかしいかもしれないが。佳代をよろしく頼むよ。出来る範囲内で良いからさ」

「はい!頑張ります」

僕は笑顔で応えた。


 それから一か月経ったある日、僕は給料日にモンブランを購入し、彼女のアパートへと向かった。先月は買えなかったが、今回は目当てのものがあって安堵感を抱いた。彼女の部屋のインターフォンを鳴らすと、佳代は笑顔で迎えてくれた。僕は少し気になっていた事を打ち明けた。

「今日はあったよ、モンブラン。二か月ぶりだね。そう言えば、お父さんってもう大丈夫なの?」

「うん、もう退院したみたい。ただ、右半身が不随みたいになったようなの。お母さんが大変だけど、なんとか生活してるみたい。でも無事で良かったよ。命に別状は無くて」

「そうなんだ。本当に良かったね」

僕は、佳代の父親と交わした約束を思い出していた。「佳代を頼む」と言った父親は、僕に佳代を託したのかもしれない。自身がくも膜下出血になり、ひょっとしたら身体に支障を来す事も予見していたのでは。そして、不自由な身体の自分ではなく、佳代が愛した一人の男に何かを託したのではないか。考えれば考えるほど、複雑な感情が頭を混沌とさせた。それは、得体の知れない何かが肩に降りてきたようだった。

「落ち着いたら、また金沢に行こうな」

「うん、ありがとう。約束だよ!耀司、大好き!」

佳代は、満面の笑みになって僕に抱きついてきた。僕は彼女を抱きしめながら、これからもずっと佳代と一緒にいたい、と脳内を埋め尽くしていた。

(佳代、お父さん、本当に無事で良かったね。君のお父さんに佳代をよろしくって言われて、俺、嬉しかったんだよ。君を幸せにしたいよ)

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