コッペリアには目玉がない

響きハレ

コッペリアには目玉がない

 「今日はみなさんに新しいお友達が加わります」

 そう言って本田先生は教室の入り口の方を見て手招きした。入ってきたのはつやつやした新品のような真っ赤なランドセルをしょった女の子だった。黒髪がつやつやで、少しつりあがった切れ長の目が印象的だった。ぷっくりと膨らんで柔らかそうな頬は、緊張しているのか紅潮していて、とてもかわいい女の子と思った。

  女の子は綺麗に髪を二つに結い、リボンをつけていて、余所行きのようなきれいな服に身を包んでいた。フリルのついた白いブラウスに、膝丈のひらひらした黒のスカート。まるで これからピアノの発表会にでも行くかのようで、白のハイソックスをはいた女の子の足元は、上履きがなんだか浮いているように見えた。僕は一目見てそ の子のことが気になった。

 本田先生が黒板に名前を書いて、女の子に自己紹介を促す。

 「橋本可憐です……」

 橋本さんはまっすぐ教室の奥を見つめたまま、ほとんど表情を変えないで自分の名前を名乗ると、次の言葉で教室中を唖然とさせた。

 「私は魔法使いのおじさんに作られた人形です。私、今日から心があるんです。魔法使いのおじさんに魂を吹き込んでもらったんです。学校に来るのは初めてなので、みなさんよろしくおねがいします」

 叮嚀に、やや硬い調子でそう言うと橋本さんはおじぎをした。本田先生をはじめ、僕らはみなきょとんとして何も言うことができなかった。



 橋本さんは、一番後ろの席の僕の隣になった。休み時間に、当然橋本さんのまわりには人だかりができた。

 「ねえ、さっき言ってたことってどういうこと?」「本当なの?」「ギャグにしてはちょっと」

 「ええ本当よ」

 橋本さんは表情一つ変えずにそう言うと、着ていたブラウスの裾を上げてお腹を丸出しにした。

 「この傷、魔法使いのおじさんに魂を入れてもらったときにできた傷なの」

 血色の良い肌色の、柔らかそうなお腹には、縦に長い傷跡があった。手術をした跡のような傷跡が。

 「ねえ、あなた」

 橋本さんは僕を見つめた。

 「ちょっと私のお腹に耳を当ててみて」

 「え?」

 僕はそのときどんな顔をしていただろう。心臓が強く胸を打って、体中が火照っていた。息が荒くなっていたかもしれない。

 「さあ、早く」

 どきどきしながら橋本さんのお腹に耳を当てた。橋本さんのお腹は暖かく、思っていたように柔らかかった。耳をすませると、どくんどくんという血流のような音の他に、何かモーターのような機械の音が聞こえた。

 「モーター音?」

 「私の体の中にはモーターが入ってるの。ね、これで分かったでしょう、私が人形だってことが」

 僕が橋本さんのお腹から離れると、橋本さんはブラウスの裾を下げた。橋本さんは無表情だったが顔が真っ赤になっていた。僕の心臓はさっき以上にどきどきしていた。

 僕はあのモーター音を響かせる柔らかなお腹と、そこにあった生々しい傷跡が頭にこびりついて、その晩はあまりよく眠れなかった。



  翌朝学校へ行く途中、橋本さんが家から出てくるところに出くわした。大きな家の建っていた広い土地を分割していくつも似たような家が建った、その中の家の 一つだった。小さな二階建ての家。その家の玄関から出てくるところだった。それを見送る少し太ったおじさんの姿が見えた。

 「橋本さん。おはよう」

 橋本さんは小声で「おはよう」と言うとちらちらと玄関の方を見て、小走りで僕の手を取って学校へと歩き出した。「見ちゃだめ」まっすぐ前を向きながら、小さな声でそう言った。僕は黙って何も言わなかった。

 角を曲がると橋本さんは立ち止まって僕の手を放した。肩で息をしていた。

 「見た? あの人、私の魔法使い」

 「あのおじさんが?」

 橋本さんがうなずく。

 「私の魔法使いは、私のことを独占したがってる。私が誰かほかの人と一緒にいるのがとても嫌みたいなの。後で怒られる」

 「何も知らなくて…… ごめん……」

 「いいの、あなたのせいじゃないから。私が、悪いの」

 橋本さんは顔を真っ赤にして、少しうつむいてまた歩き出した。



  学校では橋本さんは浮いていた。綺麗に髪を結い、リボンをし、余所行きのような服に身を包んだ橋本さんは、鬼ごっこやドッジボールをするようには見えず、 実際にやっていても校庭の端にぼうっと立っているだけでやりたいとは言っては来ず、自然と誰とも付き合わないようになっていた。女子の間では「あいつおかしいよね」という話でもちきりだった。だが僕にとってもっと困ったのは男子の方で、男子の間では僕が橋本さんのことが好きなのだということになっていて、僕はしょっちゅうそのことでからかわれた。僕はそんな風にからかわれるのが本当に嫌だったのだが、橋本さんのことが気になって仕方がないということは本当だった。

 橋本さんは体育の授業はほとんど見学していた。本田先生が言うには橋本さんは体が弱く、みんなのようには走り回れないのだ、ということだった。だから橋本さんには優しくしましょうね、と先生は付け加えた。教室のみんなははいと答えたが、僕も含めて、内心までもそう思っていたかどうかは疑わしかった。



 ある日のこと。授業中に僕の席の隣で橋本さんが、急に体調を崩した。机に突っ伏して息が上がっていた。橋本さんの様子に気づいた僕は、本田先生に言って彼女を保健室に連れて行くことにした。

 「迷惑かけてごめんなさい……」

 橋本さんはぜいぜい息を切らせていて、とても苦しそうだった。

 「橋本さん、大丈夫?」

 「私のことは心配しないで……」

 だが、橋本さんは何かを我慢しているように、抑え気味に苦しそうな声を出して、廊下にへたり込んでしまった。僕があっと思った次の瞬間、ぴちゃぴちゃと音がして、橋本さんの下に透明な水たまりができているのに気づいた。橋本さんは俯いて、ぜいぜい息を切らしながら顔を真っ赤にしていた。

 「あ、あの……」

 僕はその場をどうにかしようと思ったのだが、口を開いても言葉にならない声が出るだけだった。

 「橋本さん、お腹痛いの?」

 「違うの…… ごめんなさい…… 私、大丈夫だから……」

 橋本さんはそう言ってよろめきながら立ち上がった。橋本さんの脚はびしょびしょになっていた。橋本さんの脚に僕は見入ってしまいそうになったが、すぐさま視線を逸らした。

 「後で掃除しとくよ」

 僕はそう言ったものの、どうしたらいいのかはさっぱり分からなかった。

 「保健室に行こう」

 橋本さんは黙って頷いた。



 翌日、学校に来てみると黒板に大きく橋本さんと僕の名前の相合傘が書かれていた。誰から聞いたのか橋本さんが廊下でおもらしをしたことはクラス中に知れ渡っており、橋本さんと唯一交流のある僕はクラスの中の好奇の的となりつつあった。

 「さっき橋本見かけたけどあいつ今日も廊下でうずくまってたぜ。お前行かなくていいのかよ」

 僕はここから逃げ出してしまいたくなった。そのとき、橋本さんが教室にやってきた。黒板に描かれた相合傘を見ると、橋本さんはうつむいて顔を真っ赤にしてしまった。橋本さんはすぐに走って教室を飛び出した。僕も思わず橋本さんの後を追った。始業のチャイムが鳴り響いた。

 人けのない階段の踊り場で、橋本さんは手すりにつかまって立っていた。走ったからなのか、体調が悪いのか、ぜいぜい息を切らせて顔を真っ赤にしていた。苦しそうに見えた。

 そのとき、橋本さんの足元にごとりと何かの落ちる音がした。見ると、ピンク色で紐のついたウズラの卵のようなものが足元に転がっていた。それはモーター音を響かせていた。紐の先は小さなリモコンのようなものと繋がっていた。

 「あ…… 落ちちゃった……」

 そう言うと橋本さんは力を失ってその場に倒れ込んだ。僕が駆け寄ると、橋本さんは落ちたピンクのウズラの卵を手に取ってスカートをめくり、それを自分の股に入れた。橋本さんはなぜか下着は履いていなかった。薄らと毛が生えているのが目に焼きついた。一連の光景を目にして、僕は心臓を一突きされたような気がした。

 「橋本さん……! パンツ……」

 橋本さんはなんだかまるで寝ぼけているように意識がしっかりしていないように見えた。

 「ああ…… お仕置きだから……」

 「お仕置き……?」

 「おもらしして汚しちゃったから……」

 僕の頭は混乱していた。

 「魔法使いのおじさんの、お仕置き……」

 僕の体は小刻みに震えて硬直していた。

 「私、今日は帰るね…… なんかごめんね」

 橋本さんはよろよろと立ち上がり、手すりに捕まって階段を降り始めた。僕はショックを受けていて、何も言えずに座りこんでいたが、すぐに立ち上がって橋本さんの後を追った。



 「あの…… あそこに入れた…… ピンクの……」

 僕は道の途中でもごもごとはっきりしない言葉を発していた。橋本さんの顔は見れなかった。

 「あれ…… お仕置きなの?」

 「あれは、違うわ…… あれは私が人形の証なんだって、魔法使いのおじさんは言ってた。だからいっつも入れてるの…… でもあれを入れるとなんか変な気分がして…… 我慢できなくて、それでおもらししちゃったの…… 変な気分がするのは、人間の心の証だっておじさんは言うんだけど……」

 「ねえ…… そのおじさんのことなんだけど……」

 僕は考えていたことを思い切って口にした。

 「橋本さんのおじさん…… ひどい人なんじゃない……? お仕置きって、虐待じゃない……?」

 それを聞いた橋本さんは、苦しそうにしながら目を丸くしてこちらを向いた。ほとんど睨んだといってもいいような気がした。

 「おじさんは私のこと可愛がってくれるわ…… 私を作ってくれたのもおじさんだし、私に魂を吹き込んでくれて、心を生んでくれた…… おじさんは私に心が無かったときから、私を可愛がってくれた…… 毎日私をお風呂に入れてくれるし、毎晩私を抱いて寝てくれる…… 私を本当に愛してくれる……」

 橋本さんの頬は紅潮して、どこか安らいだような表情をしていた。僕はハンマーで撃たれたように力を失った。自分が遠く突き放されたような気がしたのだった。そうしているうちに橋本さんの家へ着く。

 「せっかくだから上がってって」



 橋本さんの家の間取りは普通だった。だが、居間には何体もの女の子の人形が立っていたり座っていたりした。人形はどれも穏やかな無表情をしていたが、つやつやした肌の色をしていて、綺麗な服を着ていた。普段橋本さんが学校に着てくるような、ひらひらした余所行きの服だった。

 「この子はアンジェリカ。この子はアンリエット。この子は雛。この子は未来……」

 橋本さんは人形の名前を紹介してくれた。

 「みんな私の仲間たち……」

 人形たちは今にも動き出しそうな雰囲気でそこにたたずんでいた。僕はとんでもないところに迷い込んでしまったかのような気がしていた。

 「ねえ、橋本さんが人形って…… 本当なの……?」

 「本当よ」

 橋本さんは冷蔵庫から麦茶を出して僕に注いでくれて、それからソファに座り込んだ。

 「どこからどう見ても生身の人間にしか見えないのだけど……」

 僕は部屋の中の人形たちを見やる。

 「この人形たちと橋本さん…… 同じだとは思えないな……」

 そのとき玄関の扉が開いた。

 「おい、可憐! 帰ってるのか! ……誰か連れ込んでるのか!」

 野太い男の声だった。男は廊下を大きな音を立てて歩き僕らのいる居間へとやってくると、僕を凄い形相で睨みつけ、すたすたと近づいてきて僕の顔を殴りつけた。僕はその勢いで後ろに飛ばされた。橋本さんの小さな悲鳴が聞こえた。

 「学校から連絡があったから急いで戻ってきてみれば! お前は誰の許可があって男を連れ込んだんだ!!」

 男はそう叫ぶと駆け寄ってきた橋本さんの頬をひっぱたいた。橋本さんはその場に倒れこんだ。

 それから男は僕をもう一度睨みつけると、「俺の可憐を汚すんじゃない」と叫んで僕を力いっぱい殴り飛ばした。それから僕は意識を失った。



 気がつくと僕は両手を縛られて、その紐はテーブルの脚に結びつけられていた。口はタオルを噛ませられていて声を発することはできたが下も口も動かすことができず言葉が出なかった。それから殴られたせいか、ひどく頭が痛くて、くらくらとした。

 「気がついたか」

 男はソファに座ってにやにや笑いながらこちらを見下ろしていた。男の膝に橋本さんが座っていた。男の首に手を回して、無表情で僕を見つめていた。

 「そこでじっとしていなさい」

 そう言うと男は橋本さんの股に手を入れてピンク色のウズラの卵を取り出した。橋本さんの顔が一瞬歪んで声が漏れ聞こえた。それから男は橋本さんの服を脱がせ、傷跡のついた柔らかいお腹があらわになった。胸は小さくツンと尖っていた。橋本さんが裸になると男も服を脱いで、二人ともに裸になった。

 男がソファに座ると、その上に橋本さんが僕に背を向けて、男にのしかかるように二人で向き合って座った。聞いたことのないような、橋本さんの深い吐息が聞こえた。二人はゆっさゆっさと動き、橋本さんはその度に苦しそうな声を上げた。だがときどきちらりと見える橋本さんの顔は、苦痛に耐えているようには見えず、逆に喜びを覚えているようにさえ見えた。

 僕はその光景に釘付けになり、心臓をばくばくさせながらぷるぷると小刻みに震え、体を硬直させていた。早くここから逃げ出したいという苦痛と、どうしてもこの光景から目を離せないという好奇心とが綯い交ぜになって僕を苦しめた。

 橋本さんの体の影から男がこちらを見てにやりと笑ったが、僕は目を逸らしてぎゅっと目蓋を閉じた。だが、「しっかり見ろ!」と男が叫んで、僕は恐怖で飛び上がりそうになって目を開けたのだった。

 しばらくして橋本さんが悲鳴を上げてびくんて体を震わせ、二人は動くのをやめた。橋本さんはそのまま男にもたれかかり、ぜいぜい息を上げていた。二人の体はじっとりと汗ばんでいた。

 男がぐったりとした橋本さんを抱きかかえてソファに座らせると、橋本さんの股から白い液体がどろりと垂れるのが見えた。それから男は僕に近づいてきて胸倉を掴み、「見たか?」と大きな声で聞いた。僕は震えて何もできなかったが、男はもう一度「見たか?」と声を上げた。僕は何度も頷くと男は満足したようににやりと笑って、僕の腕の紐を解いた。

 「分かったらさっさと帰れ」

 僕は置いてあったランドセルを手に取った。

 「誰にも言わないよなあ?」

 男が睨みつけるので、僕は目を逸らして何も言わずに頷いた。

 「可憐に手を出そうなんて思うなよ」

 僕は黙って一目散に家を飛び出した。



 僕はそのまま学校へは戻らずに、家に帰った。家には誰もいなかった。僕は自分の部屋のベッドの中に潜り込んで、眠ってしまおうとしたが、さっきの光景が頭から離れなかった。僕は自分の股間にじんじんとした苦痛を感じ、自分で自分を慰めた。初めてだった。べとべとした白い液体が出て、僕の手についた。それから僕は手を洗った。たぶん数十回は石鹸をつけたと思う。

 その後母親が仕事から帰って来たが、僕は自分の部屋に閉じこもった。学校から連絡を受けたのだろう、母親が心配して部屋に来たが、体調が悪いと言って僕は狸寝入りを決め込んだ。その晩僕は一睡もできなかった。

 翌日は普通に学校に行った。相変わらず黒板には大きく相合傘が書かれていたし、クラスのみんなは僕をからかったが、なんだか僕は上の空で、みんなのからかいもあまり響かなかった。それを感じたのかからかっていた連中の熱もしばらくしないうちに冷めてしまった。

 橋本さんはそれからも今まで通りに学校に来ている。本当に、「今まで通り」に。静かな授業中は微かに隣の席からモーター音が聞こえてくるし、授業中に「体調を崩す」ことも何度もあった。その度に僕は保健室に連れて行く役割を買って出たが、橋本さんは僕の顔を見ても、その紅潮した表情一つ変えなかった。それが僕はなんだかとても苦しかった。



 保健室に行く道すがら、僕は気になっていたことを口にした。

 「橋本さんはこのままでいいの……?」

 橋本さんは僕の方は見ずに答えた。

 「私は大丈夫。だって私は魔法使いに作られた人形なんだから」

 橋本さんの頬は紅潮していた。

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