あとがき

 歌姫をお読みいただき、ありがとうございます。


 本作は、再起ものとしてはちょっと変則かもしれません。というのも、美琴さんは「まだ」再起していないからです。美琴さんが失った歌。その歌の代わりになるものは、まだ得ていないんですよ。


 美琴さんは「歌を失って空っぽになった」と告白していますが、空っぽになんてなっていません。厄介ながらくた……喪失感と負の感情がみっちり残っていましたから。まず塵芥を片付け、本当に空っぽにしたあとで、さあどうしようかなと前を向く。本作ではがらくた整理のプロセス……自縄自縛からの解放をどうしても見ていただきたかったんです。


 一本気で負けず嫌いの美琴さんは外から見ると「強く」見えるんですが、実際はその正反対。常に自分をてっぺんに置いておかないとすぐ転げ落ちてしまう危なっかしい存在です。もっくんに負け続けたことで他人と競うという枷を外したのはいいものの、到達位置の見えない抽象的な「歌」を目標に置いてしまったためにかえって危なっかしくなりました。

 両親や恋人の裏切りは、本心ではどうしようもなくしんどかったはず。意地を張って傷を歌で無理やり塞ごうとしましたが、心に傷ができるとそもそも歌が紡げません。負の堂々巡りに陥ったんです。


 美琴さんが歌を取り戻すには、歌と一体化していた自我を一度歌から切り離し、先に心の傷を塞ぐ必要がありました。そこはなんとかなるんですよ。理解者と時が癒してくれますから。

 じゃあ、傷の修復が進めば歌えるようになる? そんな単純な話じゃありません。回復後に歌と自我を再び一体化してしまうと、以前同様に歌と共倒れするリスクを負ってしまいます。美琴さんはどうしても自分の中の歌姫を一度解放する……いや、追い出す必要があったんです。


◇ ◇ ◇


 本作でタイトルにした『歌姫』。わたしは歌姫を何の象徴にするかをかちっと固めず、逆にたくさんの意味を持たせました。混じり気のない歌心であり、歌いたいという意思であり、届けたい想いであり、自身の理想像であり、自我の分身であり、最終的には自分から旅立たせる歌そのものであり……。わたしが定義を固めませんでしたから、当然のこと美琴さんも再起までの間に歌姫の捉え方を少しずつ変えています。その辺りを読み出してくださるとすごく嬉しいです。


 最後に美琴さんに「歌姫は出て行った」と言わせましたが、その歌姫は何か、そして自分もいつかは新しい歌姫に……の歌姫は何か。そんなのも併せて考えていただければ。


◇ ◇ ◇


 美琴さんはとてもストレートな性格なんですが、表現者としてもストレートというわけではありません。そういう自我と表現とのズレは、美琴さんだけでなく他の主要な登場者も同じように抱えています。

 飄々とした店長は、実は鬼の求道ぐどう者。ひょうきんで軽く見える千賀さんは、実はすごい頑張り屋。サポートに甘んじているように見えた大山、沢田のコンビも、穏やかな姿の奥にはっきりと自己主張を持っていました。


 様々なズレを完全に解消して、自己表現における理想と現実を一致させることは誰にも出来ないと思います。出来ない以上は、どこかに現実的な落としどころを探すしかありません。

 音楽との付き合い方以前に、自分をどのように表現するかというもっと根源のところで、これだと決め付けずにいつも白地を確保しておいた方がいい。店長が主張し美琴さんが納得した柔軟な姿勢は、わたしにとっても努力目標です。


◇ ◇ ◇


 このお話の主人公である佐竹美琴という女性。わたしがこれまで描写して来た人物群の中で、もっとも単純に設定してあるキャラです。

 人にちょっかいを出したりイジったりするのが大好きで、誰にでもずかずか遠慮なく踏み込んで行きます。感情がいつも露出していて、機嫌の良し悪しが分かりやすい。その上、超が付く負けず嫌いで気が短くて手が早い。怒らせると、すぐにトレイやげんこが降ってきます。じゃあ超俺様かというと、必ずしもそうではありません。がらっぱちな態度とは裏腹に人の心の影や弱みをよく見抜き、それに同調シンクロしないで徹底的にどやします。自分にも他人にも真剣なんですよね。良くも悪くも裏表のない、直球一本やりの力技タイプです。

 実にイジり甲斐のあるキャラなので出来れば恋バナに持って行きたかったんですが、本作ではあえてその要素を完全に外しました。美琴さんが歌と向き合う姿勢のひたむきさ、真剣さ。それを、どうしてもピュアに描き切りたかったからです。


 これから美琴さんがどのように歌と付き合って行くにしても、彼女はきっとその過程を楽しんでくれるんじゃないかなあと。そういう祈りを込めて、本作を締めくくりたいと思います。


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歌姫 水円 岳 @mizomer

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