最終話 わたしの歌姫へ

 クリスマスコンサートっていう大イベントを無事消化して、マスダ楽器は通常の年末繁忙のみになった。音楽教室の年末年始のスケジュール調整、教室の割り当て、生徒さんたちの楽器購入やメンテの手続き、販促。毎日ばたばたと忙しいけれど、繁盛するのは店としてありがたいこと。わたしたちが暇な方が困る。


 年明け後のレッスン予定表をチェックしていたら、伝票を鷲掴みにした店長が無精ひげの伸びた顔をひょいと突き出した。


「どんな感じ?」

「今のところはノートラブルですー。あとは、リトミック科の先生や生徒さんにインフルが出ないことを祈りたいところですねー」

「そうなんだよなあ。こればかりはなあ」

「みかんいっぱい食べて、予防するしかないですよ」

「俺は、みかん嫌いなんだよなあ」

「みかんの方が店長を嫌ってるんじゃないすかー?」

「なんだとう?」

「ぎゃはははっ!」


 店長とばか話をしていたら、店に入って来たひょろっとした若い男の人が真っ直ぐレジに歩み寄ってきた。


「いらっしゃいませー」

「先日はありがとうございました」


 あ! 沢田さんじゃん。帽子被ってないからすぐに分かんなかった。


「こちらこそー!」

「一応、ご報告に」


 うん。きっと解散報告だろう。


「解散……ですか?」

「はい。俺とヤマが抜けるってことじゃなく、完全に解散てことにしました。リピカさんにもそれで了承をもらって」

「引き止められなかったかい?」

「リピカさんは、ハマだけ欲しかったみたいっす。でも、そのハマが一番ダメなので」


 沢田さんの苦笑いは、冗談抜きに苦そうだ。

 やっぱ解散かあ。寂しいけど。わたしには最初から、そうなるんじゃないかっていう予感みたいなのがあった。


 CP4のような魅力も実力もあるバンドが、なぜ仮契約のままだったのか。店長だけじゃない。芸プロの担当者もまた、繊細さの裏にあるひ弱さが最初から気になっていたんだろう。

 CP4は、リーダーが強烈な個性でみんなをぐいぐいリードするバンドじゃない。互いにこっそり肩を寄せ合うような、ふわっとしたユニットだったんだ。バンドとしての求心力を保ち続けるには、田手さんは優しすぎたし浜草さんは弱すぎた。そして、大山さんと沢田さんは最初からサポートしか出来なかった。誰かが突出しないからまとまりはいいけど、揺るがない精神的支柱がなかったんだ。

 ホールライブを経験することで一皮むけて、しっかりした芯が出来れば『仮』は取れたのかもしれない。でも、ライブのプレッシャーに浜草さんが耐えられなかったんだろう。


「浜草さんは、田手さんのサポが切れても大丈夫なの?」


 わたしの心配顔を見た沢田さんが、内々の事情を明かしてくれた。


「そろそろハマの方が限界だったんすよ。トシのサポートを重たく感じてたみたいで」

「あ、そうかあ。そっちかあ」

「トシとの関係が対等イーブンじゃないから、ハマにはコンプレクスばっかどんどん溜まっていっちゃう。見てて、痛々しかったです」

「少し時間と距離を置いた方がってことね?」

「そうっす。お互い、離れないと分からんこともあるでしょうし」


 そうだよね。完全に壊しちゃったってことじゃなく、バラして風を入れる時間を取ったのかもしれない。


「ハマはネットの歌い手に専念するみたいです。わたしは対人恐怖があるから、ライブとかやっぱ無理ってカミングアウトして」

「ああ、正直にげろったんだー」

「その方がいいだろ。無理はよくないよ」


 店長がずばっと言い切った。


「バンドってのは生き物さ。誰かが嫌だしんどいって思ったら、そこから先には行けないよ。それに、フォーピースってのはソロイスト四人じゃない。誰が欠けても困るんだ。俺らが代役やれちゃうってことはまだまだ煮込みが足んないのさ。解散はしゃあないよ」

「ははは。ほんとそうですね。でも」

「うん」

「俺とヤマはこれからもコンビでやります。すんごい楽しかったんで」

「いいんじゃない? 今度は君らがきっちりイニシアチブを取ったらいいよ」

「そっすね。あ、それで」


 沢田さんがぐいっと身を乗り出す。


「クリコンで佐竹さんと一緒に歌ってた子。いいなあと思ったんで、誘ってみようかと思ったんですけど。脈がありますかね?」

「ああ、千賀さんね。ボーカル張ってた学バンが解散したから、今はフリーだよ」

「お!」

「でも、彼女がうんと言うかなあ」

「え?」

「論より証拠さ。彼女がいたバンドのスタジオライブ音源があるから、聴いてみたらいいよ」


 そう言ってさっと事務室に引っ込んだ店長が、一枚のCDを持って戻ってきた。


「学バン解散前の、最後のリハの音源。リハって言っても観客いるから、一切手抜きなしのマジだよ」


 それ以上何も説明しないでCDプレイヤーにCDを突っ込んだ店長が、沢田さんにヘッドフォンを渡した。なんだろうっていう表情でヘッドフォンを装着した沢田さんは、店長がプレイボタンを押した途端派手にずっこけた。


「ぐわあっ!」


 ひっひっひ。オープニングから全開でジュダスプリーストのペインキラーだもんなあ。千賀さんは、自分がメイン張る時にはウルトラギャオスになるからねい。気合い爆裂になったら、はんぱじゃないぞお。

 冷や汗をだらだら流しながら聴いていた沢田さんは、ヘッドフォンを外してこめかみを押さえた。


「佐竹さんのオペラ以上に信じられないっす」


 ぎゃははははははっ! 店長と二人で、腹を抱えて大笑い。


「ひっひっひっひっひー。とってもそんな風には見えないでしょ?」

「音圧高あ!」

「でもね。彼女はそう出来るように、がっつり鍛えたんですよー」

「え?」


 仕上がった声だけ聞けば地声だと思っちゃうけど、違うんだよね。あの声は千賀さんの努力の賜物なの。決して天賦の才能じゃない。


「歌い始めた頃の千賀さんは、浜草さんと同じよ。透き通るような声。まさにエンゼルボイスだったけど、ものすごく線が細かったの。それなのに、縦ノリ系で無理に声出そうとして一発で喉潰して」

「ぎょえええっ!」

「一念発起して、地味ぃにボイトレで喉を鍛え上げてきたの。彼女は見かけによらず、すっごい根性あるんですよ」

「そっかあ」


 持っていたパンフを丸めてメガホンみたいにする。それを口の前に構える。


「自分のキャパをしっかり広げておかないと、こんな風に歌いたいっていうイメージは表現出来ないです。シャウターは上手に絞ればウィスパーになれるけど、逆は出来ませんから」

「うーん、確かにそうですね。コンサートの時には、上手にコントロールしてたものなあ」

「声量や声質だけでなくて、選曲もそう。彼女はがっつり声が出せるハードロックが好きなんだけど、ハードロック一辺倒じゃ幅が出せない。静かなバラードや軽いポップス系にもちゃんとチャレンジしてるし、歌い切れます。でもね」


 丸めたパンフでレジ台をぽんぽんと叩く。


「MCでも言ってたと思うけど、彼女は自分の好きなように歌いたいの。自分を押さえ込んで歌うより自分を残らず出し切りたいっていうのが、今の千賀さん。だから、そう出来ない条件ならうんと言わないと思う」

「そっかあ。残念だなあ。あ、佐竹さんは?」


 そう来ると思ったんだ。思わず苦笑いしちゃった。


「わたしはダメよー」

「どうしてすか?」

「歌姫が出て行っちゃったからね」


◇ ◇ ◇


 クリコンの余韻が静かに消えて。今日は、年内最後の営業日だ。音楽教室のスケジュールが組まれてない分、お客さんの出入りは少なめで、わたしたちはいつもよりちょっとだけのんびりムード。

 店長は在庫処分で空いたエレピのスペースにパイプ椅子を置き、展示してあったクラギの弦を張り替えてる。お客さんがいなければ、そのまま演奏を始めちゃいそうなノリだ。でも自重して、鼻歌で済ませてる。


「ふんふんふん、ふふーん、ふふん、ふふふん……」


 頭の中で演奏してるのは、バッハのパルティータかな。


 そうなんだよねー。店長は、プロギタリストとしての道を諦めてからもギターを捨ててない。今でもそこそこ弾けるってことは、忘れない程度には練習してるんだろう。でも、もうちょい突っ込むのか、もっと引くのか、あえて決めないんだ。音楽への向き合い方に余裕と自由度を持たせることで、人にもそうしたらって勧めることが出来る。

 わたしが店長の姿勢でいいなあと思うのは、お勧めを自ら実践してるとこなんだよね。隠れた凄腕を自慢するでもなく、挫折の黒歴史を苦く吐き出すでもなく、今の自分が関われる範囲の音世界をとても大事にしてる。


 店長を見てて、わたしもそういう生き方をしたいなーと思うようになった。だから、わたしはもう歌わない。声楽家としては、ね。

 好きな歌を、好きな時に、好きなリズムと調で、好きなように歌おう。そうしたら、べらんめえなわたしでもいつかは新しい歌姫になれる時が来るんじゃないかなあ。


「佐竹さーん! お客さんが試奏用のサックス吹き比べたいって言ってるから、試奏室開けたげてー」


 レジの後ろでほけてたわたしは、串田さんの声で我に返った。お、いかんいかん。仕事、仕事!


「はあい!」


 くすくすくすっ。


「へ?」


 がばっと立ち上がったわたしの耳元で小さな笑い声が聞こえて、慌てて周囲を見回した。でも、誰もいない。

 うん。笑ったのはきっと、羽が生えて飛んで行ったわたしの歌姫なんだろう。ちぇ! ちょっかい出しに来やがったかあ。歌うのは、笑い出したくなるくらい楽しいよーって言いに来たんでしょ?


 わたしは、手にした鍵束をウインドチャイムみたいにちゃりちゃりっと鳴らしながら、レジカウンターから出た。それから虚空に指を突きつけて、がっつり文句をぶちかました。


「こら。笑うんじゃないの! 笑いたいのはわたしの方なんだからさ。うふふふふっ!」



<< FIN >>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る