第十七話 歌うということ

 口をもぐもぐさせながら、店長が話を続けた。


「もし田手さんたちがちゃんと本番に間に合っていれば、今回のとは違うけどちゃんとコンサートが成立したんだ。浜草さん目当てのファンのキャンセルは出なかったから、売り上げ的にはむしろそっちの方が上だったかもしれないし、プロモーションとしても筋が通る。ただ、万一のリスクは回避しないと俺らが巻き添え食っちゃうから、前もって手を打っといただけさ。必ずこんな風になるって予測してたわけじゃないよ」


 微妙な表情だったCP4の二人にも直接確かめる。


「結果的にバンドが割れちゃったけど、もし四人揃ったコンサートが盛り上がってたら、大山さんと沢田さんはもうちょい様子を見ようかと思ったかもしれないでしょ?」

「確かに。そうっすね」

「ええ」

「いい悪いじゃなく、何かのきっかけでくっついたり、割れたり。それはバンドって形を模索する限り避けられない。そんなもんだよ」


 さばっと言った店長が、口いっぱいに頬張っていたピザをごくんと飲み込んでわたしの方を向いた。


「それにしても、さすが音大の声楽科に居ただけあるね。佐竹さんのアヴェマリアには鳥肌が立ったよ」


 あはは。鳥肌返しされちゃったよ。


「そうですね。あれが、わたしの最初で最後の晴れ舞台ですから」

「え? もう歌わんの?」

「オペラプリマとしては。あの一回でもういいです」

「ふうん」

「わたしも浜草さんのことなんか言えませんよ」

「え? どういうこと?」

「わたしを捨てた親や恋人への意地。わたしが歌にしがみついてきたのは、その意地だけです。だけど、意地だけじゃ歌を紡げません。人間不信がひどくなって、歌を紡げる心がなくなった。だから、歌えなくなっちゃったんです」


 ふう。


「想いを込めた歌を誰かに届けたいっていう気持ちになれませんでした。歌で人を圧倒しようとして、逆にお客さんの視線が全部敵意に感じるようになっちゃった。怖かったですよ。ほんとに……」


 うんうんと頷いた店長が、わたしに聞き返した。


「じゃあ、さっきアヴェマリアを歌ったのは、誰かに届けようと思ったってことかい?」

「そうです」

「ふうん。誰に? 今日のお客さんに?」

「あはは。あれはナベさんの勇み足ですよー。わたしは誰にも聞かせるつもりはなかったんです」

「え? でも誰かにって」

「わたしです。わたし自身に、です」


 顔を上げて、店長やスタッフを見回す。


「わたしね、歌を諦めて大学を中退した時。死ぬつもりだったんですよ」


 がたっ! いくつもの椅子が鳴って、スタッフが何人か真っ青な顔で立ち上がった。


「わははっ! その時は、です。わたしは今生きてますし、もうそんなことは考えないと思います」


 どすん。おどかさないでよーって感じで、みんなが腰を下ろす。


「でも、あの時は本当に空っぽだったんですよ。意地でも何でも、わたしには歌しかなかった。その歌さえ取り上げられて、わたしは何のために生きてるか分からなくなったんです」

「うーん」

「昔から今までずーっと変わってないですね。どうしても白黒勝ち負けにこだわる。全部ぶち込んで、壊れる寸前まで自分を追い込んじゃう。それで結果が全敗なら、わたしどうしたらいいんだろうって思っちゃうじゃないですか」

「はははははっ!」


 からっと笑った店長が、手の甲で口のトマトソースを拭いながら……。


「なんだ、俺と同じかよー」

「さっきお話を伺って、似てるなあって」

「だな」

「でも。全部無くしたって言いながら、わたしはまあだ歌にこだわってた。それが苦しくて苦しくて仕方なかったんです」


 ふう……。


「やっと……やっとね。店長が手首の故障でギターとの付き合いを原点に戻したみたいに、わたしも勝ち負けとか意地とか人生の目標とか、そんな重ったい荷物を全部降ろして、わたしの中の歌姫を自由にしてあげようと思えたんですよ」

「自分の中の歌姫、か」

「はい。わたし自身は歌姫なんかじゃないですよ。すぐ感情がどかんと爆発する瞬間湯沸かし器で、上に超が付く負けず嫌い。口は悪いわ、態度はでかいわ、すぐパンチが出るわ。こんながらの悪い歌姫がいたら、市中引き回しの上はりつけ獄門でしょ」


 ぎゃははははははっ! みんなが腹を抱えて大笑いしていた中、店長だけはにこりともせずにわたしを見据えていた。


「いろんなことにすぐ振り回されちゃう自分から離して、わたしの中の純粋な歌心だけを解き放ちたい。ずっとそう思ってた。だからアヴェマリアを歌ったのは、わたしじゃないです。わたしはただ聞いてただけ」

「ふうん。何か歌姫を引っ張り出すきっかけがあったのかい?」


 店長が不思議そうにわたしに聞いた。


「ありました。草笛、です」

「CP4の?」

「そう。あの草笛っていう歌が、歌姫を揺り起こしたんです。きっと、歌詞にシンクロしたんでしょうね。歌うのが嫌で嫌でしょうがなかったのに、あの曲にだけはすんなり入り込んじゃった」

「そうすか……」


 じっとわたしの話を聞いていた大山さんが、はあっと溜息をついた。


「俺は」

「うん」

「今日、佐竹さんが歌ってくれた解釈の方が好きっすね」

「ほう。どうしてだい?」


 店長がすかさず突っ込む。


「あの歌は、トシが書いたみわへのラブレターっすよ」


 ぱん! 思わず手を叩き合わせちゃった。


「やっぱりいっ!」

「分かりました?」

「うん! 草笛が人との接点なら、それを通して自分をさらけ出してしまえばいいじゃん。そういうメッセージでしょ?」


 大山さんと沢田さんが、揃って笑顔で頷いた。


「そうっす。ぱっと聞けば悲しい曲に思えるかもしれないけど、実際はリバティソング。解放の歌だと、俺たちは思ってます」

「すぐ自分の殻にこもろうとする浜草さんに、そこからもう出ようよって促す歌ね」

「はい」


 だからかあ。わたしの中の歌姫が目覚めたのは。でも、その曲が閉じこもっちゃった浜草さんを起こせなかったのは……皮肉だよなあ。


「なるほど。田手くんもやるねえ」


 店長もすごく納得したみたいだ。


「あのさあ、それじゃあ、なんでもっとストレートな歌にしなかったの?」


 串田さんが、わけ分からんという顔で聞いた。確かにそうなんだよね。でも。


「串田さん。はっきりしたメッセージソングは、彼女のカラーには合わない。うまく歌えないんですよ」

「うわ、そうかあ」

「だから、田手さんは歌詞をあいまいにして、歌い手の心境に任せる部分を多くしたんじゃないかなあ。浜草さんの心に少し余裕が出てきたら、きっと違う面が見えるんじゃないかって期待して」

「無理だろ」


 店長が、一刀両断ずんばらりん。情け容赦なし。


「彼女が歌うということを自己表出の手段としてしか使わない以上、曲の中には入り込めても世界は作れない。残念だけど、彼女はずっと一番の歌詞止まりだと思うよ」


 懐の深い店長にしては、ずいぶんあっさりと切り捨てたなあ。でも店長の次の言葉を聞いて、わたしはしっかり納得した。


「歌にこだわり過ぎさ。浜草さんも田手さんもね」


 なるほどなあ。そこも、かつてのわたしと同じだ。


「俺がギターなしで、そして佐竹さんが歌なしでちゃんと毎日暮らせてるように、自分の生き方を楽しくする方法なんざ山のようにあるよ。そいつをちゃんと使わんのは損さ」


 わははははっ! 思わず大笑いしちゃった。うん。確かにそうなんだよね。


「店長」

「うん?」

「そんな風に考えられるようになるには、時間が要りますよー。わたしは三年かかりました」

「時間だけかい?」

「いえ、もちろんサポーターは必要だと思いますけど、浜草さんにはもういるでしょ?」

「はははははっ! 確かにな」


 事故の時、浜草さんを置いて田手さんだけがここに来ることは可能だったし、バンマスとしてはそれが正解だったと思う。だけど田手さんにとってCP4と浜草さんなら彼女の方が大事だったんだ。大山さんや沢田さんにとっては無責任でなんだかなあと思う判断だろうけど、すでに自立しているお二人と不安定さが全然解消してない浜草さんならどうしても彼女のケアを優先しなければならない。


 自分のミュージシャン生命が断たれても、彼女を気遣うことを第一に考える。それは、第三者から見ればバカみたいかもしれない。でも田手さんにとって彼女が全てである以上、外野が田手さんの判断にとやかく言ってもしょうがない。願わくば、そういう田手さんの底なしの優しさに、彼女がちゃんと気付いてくれますように……。


「さて。ピザもなくなったし、これでお開きにしますか」


 店長があっさりと締めて、最初に立ち上がった。みんなも次々に腰を上げて、帰り支度を始める。


「俺は会計済ませてから大山さんと沢田さんを送ってくから、みんなは店舗の方頼むな」

「うーす」

「お疲れ様でした」

「お疲れー」

「お疲れさんしたー」


 軽い反省会のはずなのに、わたしのせいでどっしり重くなっちゃった。そっちを反省しないとなー。思い込むと一直線にだあっと行っちゃう悪い癖が直らない。とほほ。

 でも、店長のひょうひょうとした姿勢がかちこちになりそうな空気をうまく解してたなー。ほんとに動じないって言うか、乾いてるって言うか。


 店長のドライさは、最初わたしが思ってたのとちょっと違うかもしれない。店長のは感情を出さないとか、隠すとか、繕うとか、そういうんじゃないんだよね。気持ちに余裕を持たせておいて、感情の出し方を工夫してるんだ。いつでもナマで直球のわたしと違って、自分をしっかりプロデュースしてる。


 そういうところは、ちゃんとプロ意識を持ってやってるんだよね。すごいわ。


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