節穴探偵事務所
@Asterous
第1話 繋がらない扉
第1節 訪問者
春の柔らかい日差しが窓から差し込み、埃が舞う室内を柔らかく照らす。本来は板張りの床一面に、本や新聞の切り抜きが散らばっているため、歩く時にあの独特の悲しげな音が聞こえなければ、来訪者はその床が何で出来ているか知ることはないだろう。部屋はさほど広くはなく、古く重厚なゴシック調の机と椅子、三架の本棚に申し訳程度の来客用のソファーと机とがあると、もう他に大きな家具は置けなかった。このソファーが役割を果たさず、舞う埃の良き友となるのは、客となる依頼人があまり来ない上に、大抵は来ても「そのような案件は扱っていない」と、にべもなく追い返されるためである。そのため、可哀想な依頼人は肩と靴についた泥を落として帰り、ソファーは来客用とは名ばかりの、という称号を得るのだった。
この部屋の持ち主はというと、日当たりの良い一角に陣取り古い本を読んでいた。彼女は短く切り揃えられた白い髪が風に揺れるのも構わず熱心に文字を辿っており、その弛みない集中力の頑丈な糸は、向こう百年経とうとも一向に切れる気配が無さそうだった。そのため、出入口の扉で遠慮がちに彼女や部屋の様子を伺い狼狽えている訪問者が気づいてもらうためには、勇気を出してこの静寂を破るしかなかった。
「あ、あのう…こんにちは。すいません、ここは節穴探偵事務所であっていますか?」
探偵事務所の場に不似合いな小さな子供の声に、紡錘はその速度を落とし、
「昨日まではね。今はただのボロ屋さ。」
と、彼女に返事をさせた。
「た、助けて下さい。シンがいなくなっちゃったんです!」
「交番を開いたつもりもないんだけど。」
「お願い、助けて下さい…きっと、今ごろ一人ぼっちで泣いてる。」
「それが犬か猫のどちらかは知らないけど、案外野生を楽しんで鳴いているんじゃない。」
「ちがう!シンは、私の大切な弟なんです。ちょっと目を離した隙に…今日はいつもと様子も違ってて。」
「へえ、いなくなってからどれくらい経つの?」
「もう、5日くらい…。」
「普通なら、僕みたいな怪しい探偵事務所なんかじゃなくて、警察に行くと思うんだけど。」
「言っても、誰も信じてくれないから。あなただって、目に見えない扉がある、っていきなり言われても信じないでしょう。」
ここで、彼女は初めて視線を依頼者に移して嬉しそうに笑った。
「信じるとも。」
第二節 依頼
呆気なく友と別れたソファーに腰掛け、きょろきょろと不安そうに辺りを見回す小さな依頼人に温かい紅茶を差し出すと、彼女は惜しみない好奇の眼差しを無遠慮にぶつけつつ向かいのテーブルの上に腰を下ろした。彼女がこうして視線を投げ掛けていることは、既にこの迷子捜索が彼女の取り扱い案件となっていることを示していた。そして、いなくなった日時ではなく場所を聞いたのは、彼女の取り扱う事件に特有なあることへの直感のためであった。
「それは…、えっと、古い工場みたいな…、名前は知らないです。」
突如たじろぎそうになる程の強い好奇心を含めた視線に絡めとられ、圧倒されていた依頼人は思わず視線を逸らし、口ごもりながら答えた。
「なるほど。早速の現場に行こう…でも、その前にもう一つ聞きたいんだけど…。」
「はい?」
「君の父母…お父さんやお母さんには、もうこの事は伝えた?」
「………ううん。」
「それは何故?」
「お父さんも、お母さんも…シンが扉の先にいるときは、シンのことがわからないの。他にも、シンのお友達も…私以外の皆が、シンのことを忘れちゃうの。」
それを聞いた途端、彼女の口角が上がった。予想通りといった笑みであり、とても嬉しそうにくつくつと喉を鳴らし笑った。依頼人はその様子を困惑しつつ見ていたが、やがて彼女は目を細め乱反射する光を浴びて優しく言った。
「同情するよ。」
第三節 現場
「君たち姉弟はずいぶんと仲が良いんだね。」
「はい。…お父さんとお母さんは、あんまりおうちに居なかったので、私が良く面倒を見ていたんです。とても良い子で、私の言うことも、ちゃんと分かってくれたよ。」
「シンは今いくつくらいなの?」
「そうですね…生まれてから5年でしょうか。」
「君が生まれてから。」
「私は12才です。」
「難儀だなぁ、僕ならきっと川に流してしまうよ。復讐に来ないことを願って。あ、この場合は父親ではないからセーフかな。」
「そんなこと!ひどいです。」
「僕は色々鈍いんだよ、許してくれ。…続けて?」
言葉とは裏腹に悪びれた様子もなく気持ち良さそうに髪を風になびかせ横を歩く彼女に、依頼人はしばらく抗議の眼差しを送っていたがため息をつくと前を向いた。
「私達はいつも一緒だった。鍵はお母さんからもらってたし、良く探検したんです。スーパーにも行ったし、公園にも行ったし…、あとは神社にも。」
彼女の赤い瞳が反射的に動く。鋭く機械的に、揺らめく赤い炎は目の前の子羊を食わんばかりであった。ただ流れる沈黙に押されて、子羊は恐る恐る咀嚼を続ける。
「シンが急に扉を開けていなくなっちゃうのは、昔からなんです。きっと、不思議な力を持っているんだと思う。私は、入ったことないんだけど…。」
「単純に、見えないところに隠れて、いなくなってるフリをしていたって訳ではないのかい?」
「私も、最初は悪戯だと思いました。だから、私も一緒に連れて行って、ってお願いしたの。自分で見るのが一番手っ取り早いと思って。」
「でも、君は一度も扉の先に行ったことがない。そうだね?」
「はい。その時も、断られたんです。正確には、『僕も一緒に行きたいけど、お姉ちゃんはきっと入れないよ。』と言われてしまったんです。だけど、どうしても行ってみたかったから何度もお願いしたの。だって、シンが飽きずにいつもいつも入る扉の先は、きっと楽しいに違いないと思ったから。」
少女は寂しそうに笑いながら俯くと同時に、歩みが遅くなり、目の前に咲くハルシオンがその歩みを止めた。
「だから、帰ってこなくなっちゃったのかな。家にいるより、私と遊んでいるより、楽しい場所だから・・・。私、悪いお姉ちゃんだったのかなあ。」
少女の瞳に小さな昏い花が咲く。大きな瞳に湛えた涙を栄養にしてどんどんと花は増え、少女の視界を埋め尽くしていき、少し身体が震えただけで目の前の世界ごとこぼれ落ちそうになった。少女が口を開きかけた刹那、彼女はそれを制止する。
「泣くのは後だ。君の弟は連れて帰る。」
たとえどんな形になっても、と言いそうになったが、彼女はそれを飲み込んだ。彼女が発した音に振り返った少女の姿が、陽炎となって消えそうなほど儚く見えたからだった。
第4節 探検
依頼人に連れられて辿り着いたのは小さな工場で、静まり返ったその様子や小さな植物たちが我が物顔でそこらじゅうを彼らの国にしていることから、何年も前に稼働は止まっており、取り壊し待ちであることが窺えた。さすがに、彼女も現場につくなり眉をひそめた。
「建物自体はまだしっかりしてるようだけど…小さな子の遊び場にするには危ないと思うよ。」
「ごめんなさい…探検してみたくて。」
「気持ちは分かるけどね。人間のもつ好奇心とは概してそんなものだ。」
「…探偵さんも、人間じゃ?」
「僕は少し鈍いのさ。」
黄色い蝶が彼女たちを追うように無邪気に舞う。アスターが道標となり、彼女たちを導く。
「あ、ここです。この階段の先の扉で、シンはいなくなっちゃったんです。」
依頼人が指を指した先は、日陰になっており草花もなく、じめじめとしたこけが生い茂る非常階段であった。
「へえ、ここが。案外、異世界への入り口もつまらないところにあるものだね。」
「異世界?」
「そう、僕らが住んでる世界とは少し異なる世界、異世界だ。君の弟が懇意に通っている扉の先だよ。それにしても、現実の非常階段から異世界に逃げ込むだなんて、いよいよ本当に現実が嫌になったのかもしれないねえ。」
「そんな・・・。やっぱり、もう帰ってこないんじゃ・・・。」
「からかっただけさ、泣かないでおくれ。」
二人はカン、カンと心地よい金属音を響かせ、滲んだ血のように赤黒い錆をまとわりつかせる階段を登る。すると、飾りっ気のない非常口が姿を表した。かつては意気揚々と緑色の灯火を掲げ、民衆を導いていた救世主も今や一人ぽっちで過去の栄光に身を浸すのみとなり、心なしかうなだれているようだった。
「ここです、この先に行ったきり、シンは・・・。」
「ふうん・・・、試しに開けてみるか。・・・鍵が壊れているな、普通に開いてしまった。でも、これはどうやら普通の扉のようだよ。君も試してみて。」
彼女はつまらなさそうに持っていた杖で扉を小突き閉めた。
「うん…私がやっても同じだと思うけどな。」
そう言い終わらないうちに、依頼人は姿を消していた。彼女と同様扉を開け、一歩踏み出し探偵の顔を見上げようとしたが、目の前を良く確認しなかったため大きく道を踏み外したのだった。彼女が下を覗きこむと、依頼人が小さくなって落ちていくのが見えた。
「あはは、落ちちゃった。君なら開けられると思っていたけど、まさかこんな風に落ちるとはね。君、大丈夫かい?」
薄情な探偵の無邪気な一人笑いを遠くに聞きながら、少女は落ちていた。落ちながら、仄かに輝く青い透明な膜を幾つも破っていった。膜は少女に破られ、一度沈んだ後放射状に跳ね上がっていくつものエゾギクを咲かせた。端の飛沫はそのまま放物線を描いて再び下に落ち、鈴蘭のように小さな花を連なりに咲かせ、エゾギクと同様に散っていった。開いた扉から漏れる微かな光とこの飛沫の花の他に光源がなかったため、下へ下へと続く暗闇の世界と、咲き乱れる花はまるで少女が棺に収まっていくようであった。
「置いていかれるとまずいな、僕も行くとしよう。」
彼女も両手を広げ、暗闇へ落ちていく。しかし、何も起きない。
「こう、あからさまに依怙贔屓されると、どうにも気分が悪いな。客人にも何かあるべきだろう、例え招かざる者だとしても…それがエチケットやマナーというものだ。」
落ちながら体勢を整え彼女が杖を横に振ると、甲高い音が鳴り響いた。叩いたのは一度であるにも関わらず、何度も音は鳴り響いた。その音が鐘の音聞こえるようになる頃、彼女達は新たに開いた巨大な扉の中に落ちた。彼女が尻餅をついたのは、世に知られる一通りの神々にあの世で便宜を図ってもらえるよう頼んだ後のことであった。
節穴探偵事務所 @Asterous
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