第06話 決意の病室

 パチリ、と目蓋を開く。

 開くという行為。

 つまり、今まで眼を閉じていたということだ。

「…………え?」

 白いベッドと、白塗りの個室。

 ここは、きっと、病院だ。

 だけど、何か普通じゃないことが身に降りかかっているような気がする。

 ここは普通の病院じゃないかもしれない。

 いきなり個室に案内されるなんておかしい。

 そんな重傷を負った覚えはない。

 ボールが頭に……そうだ、当てられたのだ。

 ようやく、意識が状況に追いついてきた。

 倒れた視界の隅に、ころころとボールが転がっていた。

 だから、ボールを当てられたに違いない。

 だけど、どうして、俺はここにいるのだろう。

 普通、学校ならば、とりあえず保健室に、ぐらいの傷だったはず。

 当たった箇所に手を当ててみるが、まるで痛みがない。

 意識喪失したぐらいなのだから、こぶぐらい覚悟していたが、なんの突起物もない。

 なだらかな湾曲を描いている。

 どうしてだろう。

 まったく痛みがないこともだが、どうしてここにいるのだろう。

 いきなり救急車に乗せられたのだろうか。

 まるで記憶がない。

 気がついたら、ここにいたのだ。

 糸を手繰るみたいに、意識を喪う前の最後の記憶を思い出す。

 長門有希。

 涼宮ハルヒの手下のような連中の一人だ。

 彼女の姿を視認したのが最後だった。

 彼女がボールをぶつけたとは考えられない。

 あんなところでキャッチボールをするようなキャラではないだろうし、野球部でもない。

 それに、ぶつけた犯人なら、もっと心配そうに駆け寄るぐらいはするだろう。

 だが、じっと、こちらを観察するように彼女はずっとこちらを見続けていた。

 なんで、あんなに見られていたのだろう。

 俺だって、長門有希に目を奪われていたから、あまり他人のことなどいえたものじゃないが、気になる。

 あの視線。

 気遣いというよりかは、どんな風に意識を喪っていくのかを診断する医者のような目つきだった。

 おかしすぎる。

 一番おかしいと思ったのは、長門有希のことだ。

 彼女の圧倒的存在感だ。

 目を引き剥がそうにも、引き剥がせなかった。

 何度も、教室で見たことがある。

 だが、今までは彼女は正直、パッとしなかった。

 美人と言えば、美人だ。

 単体で、外見だけで言えば、クラスでも上位に入る。

 なのに、彼女はまるで無愛想で、ふとした瞬間に頭から抜け落ちそうなほど、存在感が希薄だったはずだ。

 なにより、SOS団には、認めたくはないが、見た目だけは一級品の涼宮ハルヒがいる。

 男の9割は見ただけで惚れそうな、朝比奈みくるがいる。

 まず、二人に眼が行くはずなのだ。

 頭を打ったせいだろう。きっとそのせいで、長門有希のことを魅力的な女性だと一瞬だけ思ってしまったのだろう。

「それは、本当なんですか?」

 声が、する。

 病室の外から、男の声がした。

 医者じゃなさそうだ。

 声からして、恐らく同世代ぐらいの男子生徒だ。

それにしては、落ち着いた声色をしている。

「――本当」

 誰かと会話をしている。

 小さな声で、あまり聞き取れない。

 内緒話をしているのを、このまま聴いているのはよくない。

 だが、だからといってここから出て行って、話聴こえていますよと、わざわざ言いに行くのも憚れる。

「それじゃあ、彼には見えていたんですか? 朝倉――いえ、情報統合思念体が」

「そう」

 朝倉さん? の名前が出てきたが、内容が分からない。

 聞きなれない単語もでてきた。

 もしかして、ゲームか何かの話でもしているのか。

「ただし、全ての端末に対応していたわけではない。バックアップである彼女という端末を通じて、情報統合思念体とアクセスする超感覚能力の持ち主だった」

「信じられません。それはもしかして、やはり涼宮さんが?」

「恐らく、三年前に発現したもの。情報統合思念体に今まで出会わなかったから無事だったが、ここ最近の彼は明らかに脳に負荷がかかっていた。人間の脳の処理能力の許容を完全に超越していて、非常に危険な状態が続いていた」

「それで、彼はもう大丈夫なのですか?」

「彼が持っていた能力は解析して、既に消去しておいた。もう危険性はない」

 何の話をしているんだ。

 冗談やゲームの話をしているように聴こえない。

 いたって、真面目に話をし続けているのが不気味だった。

 何故か、気分がわるくなってきた。

 とんでもないことに巻き込まれているような、そんな感覚。

 ――と、困惑していると、肘が机に置いてあった花瓶に当たってしまう。

「あっ!」

 倒れそうになった花瓶を、咄嗟に持って元の位置になおす。

 幸い、水や花は床にぶちまけられなかったが、元の位置になおす時に、大きな音を立ててしまった。

 やばい。

 病室の外から話し声が終わってしまっている。

 気づかれてしまった。

 コンコン、と控えめなノックがされる。

「は、はい……」

 すると、ガチャリとドアノブを回して、柔和な笑顔を貼りつけた男子生徒が入ってきた。

「どうも。意識は快復されたようですね」

「……あ、ああ、はい……」

 後ろから、俯きながらついてきたのは、長門有希。

 彼女はいつも掛けている眼鏡を掛けていなかった。

 コンタクトでも始めたのだろうか。

 それにしても、この二人組は何をしにここに来たのだろうか。

「申し遅れました。こちらは長門有希さん。そして僕は古泉一樹と申します。自分の状況は把握していますか?」

「えっ、と」

 なんとなく把握している。

 が、

「…………ッ!」

 頭が急に痛みを訴える。

 過去を思い返そうとすると、霞がかっている。

 すぐに、痛みは引いた。

 まるで、気のせいだったかのように。

「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫、で、す。確か、ボールを誰かにぶつけられて……」

 次第に頭の中がクリアになっていく。

「そうです。申し訳ありません。実は長門さんとキャッチボールしていた時に、たまたまあなたにボールが当たってしまったんです。倒れ方が異常だったので、一応救急車を呼んでここまで運んできてもらいました。もちろん、ここでの費用は全額出させてもらいます」

「えっ、あ、ありがとうございます」

 あまりにも飛躍した話なので、遠慮できなかった。

 軽い冗談かと思ったが、古泉は否定しなかった。

 古泉たちが見舞いに来た理由は分かった。

 それに、確か、古泉もSOS団とやらの団員だったはずだ。

 涼宮一派の二人に言い寄られると、寒気すらする。

 一体何を企んでいるんだ。

 さっきの話も、気になる人物の名前がでていた。

「あの、朝倉さんのこと知っていますか?」

「どうして、それを我々に?」

「えっ、いや、ただ、捜してたんです。朝倉さんを。あの近くにいたから、見たのかと思って、それで……」

 空気が悪くなったような気がする。

 あまり、空気を読むのは得意じゃないが、他人と衝突するのは面倒だ。

 適当な口実を並べていると、ずっと黙りこくって古泉の後ろに控えていた長門の瞳の色が微妙に変わった。


「彼女は消失した」


 一瞬で、視界が真っ白になった。

 そして、すぐに元の世界に戻ってきた。

「そう、ですか……」

 なんだろう。

 涼宮ハルヒの同類の彼女らしい、とても変な発言だったのに、否定する気に全くならなかった。

 長門有希は、恐らく嘘をつかない。

 というより、嘘をつけない。

 そんな感じがするのだ。

 今すぐにでも、彼女から冷気が漂ってきてもおかしくないぐらいに、彼女の瞳は氷点下。

 機械のようであり、嘘をつけるような、そんな器用な人間ではない。

 人間らしくない、まるで宇宙人のようだった。

 そのせいか。

 朝倉さんは消えてしまったのだと、何故か心の底から受け入れてしまった。

「どうやら、朝倉さんは転校するみたいですね。父親の都合とかで海外へ行くとか先生が言っていましたよ」

 古泉が慌ててフォローするが、その声は遠い。

 耳鳴りがする。

 もう、悲しくて、悲しくて。

 いつの間にか、ポタポタと涙がシーツに落ちていく。

 止められなかった。

 気がついたら、泣いていた。

 人目をはばからず、感情がこぼれていた。

 朝倉さんと、一生会えない気がした。

 ストーカーの如く、海外へ会いに行けばいいとか、そんな簡単に会えない気がしたのだ。

 ただの直観。

 だけど、絶対にこの直観は正しいように思えた。

 心の中で何かがポッカリ穴が開いた気がした。

 朝倉さんと過ごした日々を思い返すと、後悔しか残らない。

 どうして、もっと積極的に話さなかったのだろう。

 生まれて初めて、ここまで心を奪われたというのに。

 失ってから初めて分かることがある。

 そんな月並みな言葉が、心に染みる。

 俺は、涼宮ハルヒが嫌いだ。

 本当に、大嫌いだ。

 だって、アイツを見ていると、自分がどれだけ何もやっていないのかを思い知ることになるから。

 本当は、宇宙人がいたらきっと楽しいって、頭の奥底では思っている。

 でも、いつだって諦める。

 斜に構えて、涼宮ハルヒのような人間は餓鬼だなって遠巻きに見る。

 だけど、本当に餓鬼なのは、冷ややかな目線で大人ぶっている自分だ。

 自分ができないことをやってのける涼宮ハルヒに嫉妬しているのを、嫌悪感という形で誤魔化している俺自身だ。

 ただの人間に興味がない。

 宇宙人がいたら私のところに来なさいと。

 大勢の前で公言し、そのために尽力する。

 絶対に馬鹿にされることぐらい、涼宮ハルヒには分かっているはずだ。

 それでも、そんな周りの空気を纏めて吹き飛ばすほどのエネルギーが、涼宮ハルヒにはある。

 そんな風に生きられたら、どんなにいいかって思う。

 自分の好きなように生きるのはだめ。

 刹那に生きることは楽をすること。

 周りと協調性を持って、自分のやりたいことは我慢するべき。

とか、親や教師。周りの大人たちは口々にそうやって言う。

 同世代のクラスの連中だって、それに同意している。

 だから、涼宮ハルヒの陰口をいつだって言っている。

 だけど、だけど、やっぱり違うはずだ。

 本当に辛いのは。

 本当に大変なのは。

 自分の気持ちに素直に生きることだ。

 嘘をつかず、自分の目標のために行動することだ。

 時には利己的に、周りに迷惑をかけることだ。

 学校という名の社会では、少しの差異で爪弾きにされてしまう。

 そのリスクを背負って、自分自身になれるのはほんの一握りだ。

 誰もが誰かにあわせて、自分を見失う。

 妥協することが日常になってしまう。

 そんなのは嫌だ。

 だから、俺は、きっと涼宮ハルヒのようになりたかった。

「すいません。お邪魔のようなので、我々は退散します。今日にでも退院できるそうですよ」

「…………」

 いつまでも涙を流している俺を一瞥すると、長門有希は病室のドアを閉める。

 個室で一人きりになった。

 だから、余計に考えに耽ってしまう。

 朝倉さんは、何を考えているのか最後まで分からない人だった。

 どこからどう見ても、いい人で。

 優等生で、欠点なんてどこにもなかった。

 一見、そんな風に見えるけど、だからこそ、どこか危うかった。

 ふとした瞬間に見せる、彼女の瞳は怖くて、そしてその奥底に、寂しさが見えた気がした。

 彼女とちゃんと心の底から話したことなど一度もない。

 もしかしたら、ずっと偽りの彼女しか見ていなかったのかもしれない。

 だけど。

 きっと。


「それでも、好きだったんだ」


 誰かを本気で好きになったことはきっとない。

 朝倉さんのことを好きだったのかも分からない。

 ただの一目ぼれで。

 その一目ぼれは、あまりにも鮮烈なイメージが焼きつき過ぎて、まるで洗脳されたかのようだった。

 今ではその洗脳もとけて、思い返すと、普通の朝倉さんが見える。

 でも、やっぱり、好きだ。

 胸が、胃が、身体の器官全てが痛い。

 こんなにも痛いってことは、やっぱり、それだけ好きだったんじゃないかって思う。

 この感情は決して忘れることなく、これからも生きていく。

 身体が張り裂けそうになりながらも、それでも生きていかなければならない。

 そのために、何をやればいいだろうか。

 何も思いつかない。

 何かしたいけど、今は何もしたくない。

 とりあえず、誰かに話しかけてみたい。

 心のシャッターを開きたい。

 人は簡単に変われないし、今日は病院だから、明日誰かにはなしかけよう! なんて思っている自分は、明日になれば誰にも話しかけられないだろう。

 でも、今は、なんとなくうまく行く気がする。

 一番最初に話したいのは、やっぱり涼宮ハルヒだ。

 むかつくが、あいつに話しかけてみようと思う。

 きっと、無視されるだろう。

 ただでさえ、最近何も面白いことがないのか、機嫌が悪い。

 俺なんかがいきなり話しかけても、相手にされない。

 でも、もしかしたら、朝倉さんがいきなり、他のクラスメイトに何の報告もなしにどこかに消えたと、言ったらどうなるだろうか。

 最後の最後に、朝倉さんとずっといたと、自分が話せばどうなるだろうか。

 涼宮ハルヒは、爛々と瞳を輝かせて席を立ちあがるだろう。

 俺にできないことを、涼宮ハルヒはやってのけるだろう。

 朝倉さんのことについて、調べるに違いない。

 今でも嫌いだが、嫌いだからこそ、分かることもある。

 もしも、涼宮ハルヒとまともに話せなかったら、谷口だろうか。

 あいつも、きっと朝倉さんの話ならくいついてくれるだろう。

 そして、したり顔で。

 妙になれなれしく。

 無自覚に。

 俺の心の傷を抉ってきそうだ。

 だけど、今は誰かと話したい気分だ。

 失った部分を、何かで埋めたい。

 本当に痛い時は、こんなにもなりふり構わないんだな。俺は。

 初めて知れた。

 自分自身のことを。

 初めて、自分の汚い部分を誰かにぶつけようと思う。

 明日になれば、俺はきっと本気を出す。

 そんな、最低のフラグを立てて、俺はベッドのシーツで涙と鼻水を拭った。

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朝倉涼子の消失 魔桜 @maou

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