第12話
グループホームでは、毎日のようにコース料理にも似た夕食が提供されていた。いい思いをした反面、金銭的には、苦労した。ただ話ができる人が居たことは、唯一の救いだった。
酒飲みのおじさんだったが、それだけに知識は豊富だった。要するに頭が良かった。グループホームを利用するに当たり、見えないルールがが幾つかあった。
・夜中に職員に連絡を取らない。
・パンは一日に二枚。
等である。当時、私は長田むつみ会とグループホームを併用していた。二束の草鞋を履きこなすには、少し無理をしていたが、三食の食事が提供されることには、有り難味を覚えていた。毎晩、コーヒーを作ってくださる利用者の方がいた。阪神タイガースの大ファンで、
「一緒に映画を観に行きませんか?」
と私が誘ったにも拘らず、約束を破って一人で観に行ってしまった。
その映画を、「さや侍」という。
刀を持たない侍が、さやだけを持ち、藩を追われて逃げるシーンから始まる。まさかそれが、本当になるとは思わなかった。
私は、その後、グループホームを追われることになる。引越しか入院を選択肢として突きつけられた時、私は引越しを選んだ。楽しい毎日だったのに、こんなはずじゃなかった、と思わざるを得なかった。
役所に通って、相談をしたり、長田むつみ会の職員の方に相談をしながら、私一人にしてしまうと、また自傷行為に走る恐れがあるため、同じマンションに、知り合いの方と違う日に入居することになった。
それからは、私のマンションの一室に、入り浸る人が居て、困った思いをした。いつしか、引っ越した私の部屋は宴会場になっていた。
それも束の間のことだった。
また私は、一人っきりになった。もうあの時のように泣く事はなかった。YouTubeに下手な動画を描き、遊んでいた。そうこうしている内に、主治医から仕事の依頼が舞い込んだ。メールだけで精神疾患を和らげる方法はないか、という画期的な論文を書こうとされている方の勉強会に参加してみないか、とお誘いだった。
私は、文章を書くのが、得意なので、添削から任された。その後、神戸つながる勉強会と題して、ディスカッションが行われた。とは言え、主治医の先生から、為になる話を聞こうというコンセプトに近かった様な気もする。
のちにそれが、「R100」という映画のコンセプトになったのかどうかは、定かではない。M-1の先生の修士論文になったことは、間違いはない。
そうこうしている内に、携帯電話は固定電話に取って代わり、またスマートフォンは、携帯電話に取って代わった。
幾つか端折ったが、当時、戴いたテレフォンカードは、雲上の富士という形に姿を変え、財布の中に入っている。
私が壊れていった背景 小笠原寿夫 @ogasawaratoshio
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