第11話

 退院した後、私は元のアパートに戻って、身辺整理をした。そこは、携帯電話とパソコンに向かって、動画を編集していた部屋の面影は消えていた。整然とした部屋には、父が使ったと見られるパソコンの連絡先が、残っていた。

 長田むつみ会に通う傍ら、神戸大学医学部附属病院に、通院した。神戸大学といえば、桂枝雀師匠が、前田達青年だった頃、

「ここで一番を獲るのは、無理や。私は別の世界の落語に生きよう。」

と、決めた場所でもある。飛び降りてから、初回の診察の時、私は、精神科神経科の診察室の扉をノックした。

「失礼します。」

私は、何事もなかったかの様に、主治医に挨拶をした。

「普通に入ってきたな。」

主治医は、そう仰ってせせら笑った。後に、

「貴方が、死んだら迷惑する人もおるやろ?先生が死んだら、迷惑する人は、もっとおる。」

と、教わった。私にどれほどの価値があるのかは知らないが、まだやり残している事が、あるのだろうか。少なくとも、主治医には、まだやるべき事があると思っている。主治医に学ぶべきところは、山ほどある。患者としての私は、非力である。

 そういった経緯で、グループホームに入居するに当たり、先ずは挨拶に行った。新しく仮住まいする住居に、当時の長田むつみ会の職員の方に付き添ってもらい、厚かましくも部屋を見て回った。

「めっちゃええとこですね。」

と、子供だった私は、部屋中を隈なく見て回った。

グループホームの施設長は、パワフルな人だった。話を聞くと、神出病院というところで、看護師をされていた経験があるらしかった。その為、多数のグループホームのメンバーを納得させるのも上手だったが、そのパワフルさ故に、陰で憎まれ口を叩かれる事もあった。その辺りは、ロシアのプーチン大統領を彷彿とさせた。

 唯、グループホームで提供される夕食は、やたらと旨かった。生活保護の身分で、この生活が出来る有り難味を、当時、私は気にも留めていなかった。その時分、メンバーの人が一人亡くなっている。後にも先にも、人が亡くなる現場を目の当たりにしたのは、あの時だけである。

「君、ひらのに行ってもらうから。」

と、言われたのは、その少し後のことである。

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