第26話 再び先輩と君が呼んだ
気づくと、俺は横になっていた。
「気付かれましたか」
ずい、とサヴァーが上から僕の顔を覗き込んだ。
「ここは?」
「ブリッジです。制圧完了後、鬼灯様は気を失われたのですが、覚えてらっしゃいますか?」
そう言われたらそうだった気がする。ちょっと曖昧だけど。気を失っていたのは十分程度だ。撃たれたショックと過労が重なったんだろう。
「寝ていてもらって大丈夫です。全て終わりました。今、伊那鷺様が操縦しております」
ちょ、大丈夫なのか? あいつ船舶免許なんて持ってんのか?
「持ってはいないようですが、自信ありげでしたよ? 何か、運転技術に関する本を読んだとかなんとか」
まあ、天才だからな。しかも機械のように、マニュアル通りきっちり作業できるからな。一読すればあらゆる機器を使いこなせるんだろう。
「確か『今日から私はエースドライバーだから』と仰っていたかと」
よし止めよう、今すぐ止めよう。そのまま実践するとマニュアルにないような運転されそうだ。大型客船でドリフトターンとかマジ勘弁っすわ。
「大丈夫ですよ。吉祥院様もついていらっしゃいますので、無茶なことはしないでしょう。ほら、動かないでください。包帯が巻けませんから」
見れば、サヴァーが右肩に包帯を巻いてくれている。そうか、撃たれたんだったか。そんなことも今思い出した。痛み以上に疲れとか、張っていた気が抜けたせいか、何も考えられなくなっている。
「はい、おしまいです」
包帯を巻き終えたサヴァーが言った。
「血は止まっていますし、骨や太い血管を傷つけていません。けど、到着までは大人しくしていてくださいね」
言われなくてもそうする。もう今日は何一つしたくない。到着まで寝る。明日のバイトは休む。いや、もう一週間くらい休む。許されるはずだ。こんだけ頑張ったんだから。
「ありがとうございます」
「いいえ。お気になさらず」
そう言ってサヴァーは医療道具を片付け始めた。
「無事で何よりっす」
入れ替わりに、ヒナが近づいてきた。治療が終わるのを傍で待っていたようだ。
「なんだよ、泣きそうな顔して」
「こんな顔にもなるっすよ。撃たれたなんて聞いたら」
そう言って彼女は、恐る恐る、撃たれた肩に手を伸ばした。
「痛むっすか?」
「多少な。だけど、そんな心配するほどのもんじゃない。かすり傷だ」
撃たれたショックがでかくて大げさに騒いだが、傷口はそこらで転んだ擦り傷程度の大きさだった。本当にかすり傷で、大騒ぎしていたのがちょっと恥ずかしい。
「よかった」
縋り付くようにして、人の肩に額を当てた。少し痛むが、払いのけるわけにもいかず、我慢してそのままにしておいた。少しだけ、肩口が湿っているのは無視した。
「そういや、狼男とイスカはどうした?」
黙ったままなのも居心地が悪いので尋ねる。彼らが脱出した先にヒナが待っていて、手引きをしたからだ。
「あ、はい。二人とも無事っす。狼男さんはテレビ電話で鷹ヶ峰さんに事情を聴かれてるっす。彼の証言で組織に捜査のメスが入るみたいなこと言ってたっす。イスカちゃんはそこっす。アイシャちゃんと一緒にいるっす」
鼻を啜りながらヒナが言う。視線の先にイスカがいた。僕の視線に気づいたイスカと、傍にいたアイシャがこちらに近寄ってくる。
「よお。イスカさん」
少し意地悪な笑みを浮かべて彼女の名を呼ぶ。
「これから死ぬ、みたいな宣言して、まだ生きてる感想は?」
そう言うと、彼女は苦笑して
「少々、恥ずかしいですね。お別れの挨拶をして別れたのに、数分後にコンビニで会ったみたいな感じで」
「そりゃちょっと恥ずかしいね」
「でも、まあ、悪くは無いです」
ふ、とイスカの肩から力が抜けた。
「もう一度、挨拶できるというのは良いですね」
そう言ってもらえると、こっちも頑張った甲斐がある。
『申し訳ないが、安心するのはまだ早い』
人の安寧をスパッとぶった切る伊那鷺の声がマイクから聞こえた。
『起きて早々申し訳ないが、すぐに操舵室まで来てもらえるだろうか』
まじか~・・・・・。がっくりと頭を垂れた。
「伊那鷺様があそこまでいうからには余程の問題が発生したのでしょう。少し見てきます」
そう言ってすぐさま行動に移せるサヴァーはやっぱりすごい。人間一度ホッとしてしまったらそこから切り替えるのは並大抵の精神力じゃ無理だ。俺も正直動けない。さっきまで死ぬような思いをして、ようやくついた一息だ。人類がこたつにあらがえないのと同じだ。
「ああもう! クソッ」
悪態を吐いて、勢いで起き上がる。少しくらっと眩暈がしたのは血が流れたからか。
「先輩!」
慌ててヒナが俺を支えた。すまん、と彼女の肩を借り、体勢を整える。
「まだ無理っすよ。幾ら軽傷だからって、倒れた時頭も打ってるんっすよ?」
「他の奴らが大変な時に、俺だけ寝てるわけにはいかんでしょうが」
「来たな」
俺たちに気付いた吉祥院が首だけこちらに向けた。他には先にここに来たはずのサヴァーがいない。代わりに台の上にノートパソコンが設置されて、画面に鷹ヶ峰が映っていた。
『悪い知らせだ』
鷹ヶ峰が言った。何か、この人の口からは悪い知らせしか聞いたことがない気がする。
『先ほど、気象庁から最新の台風情報が入った。月本に接近していた台風だが、三つあった台風が一つに合体した。それにより、観測史上最大勢力となる台風となった』
ふ、その程度のこと俺が推測してないとでも? テロリストを排除した今、それくらいしかないからな。想定の範囲内だ。この程度の状況の推移なんて慣れっこだ。
『その影響かは不明だが、台風の速度が上昇した』
なるほど、暴風域に吞み込まれる時間が早まったからか。それまでに港に戻らなければならないわけだ。
「問題はここから」
伊那鷺が言った。
「現在エデン号は海上約四〇海里上に位置している。最も近い港までは約二時間。そしてエデン号が台風の暴風域に吞み込まれるまで、あと一時間」
間に合いませんやん。
『今、こちらで救助ヘリを用意し飛ばしたところだ。十五分でそちらに到着する。それに乗って脱出しろ』
絶望的な状況に光が射した。なんだ。助かる方法あるんじゃないの。心配して損したぜ。
「それで本当によろしいのですか?」
吉祥院が引っ掛かる言い方をした。
『問題ないわけではないが、仕方あるまい。人命優先だ。さっきも言っただろう』
「そのために、総工費千五百億の船を捨てると?」
千五百億・・・? え、牛丼何杯分? A5判ハードカバー何冊分?
「この船の燃料積載量は約二千トン。出向して間もなくシージャックされエンジンを停止したために使われず仕舞です。転覆して燃料が漏れれば、船自体の撤去もさることながら、汚染除去作業なども必要になるでしょう。経済にも環境にも影響が出ます」
『ならば、どうあがいても転覆は免れない船をどうすると言う?』
「免れないのは台風の被害のみです。転覆すると確定したわけではないでしょう?」
ですので、と吉祥院は凶悪な笑みを浮かべた。
「残り四十海里を航行させ、エデン号を港に戻します」
耳を疑った。
もう何か、最近耳を疑い過ぎて耳自体が本体たる俺を騙そうと詐欺を働いているんじゃないだろうかと思えるくらいだが、それでもこれは、いくらなんでも聞き間違いだろ? あの吉祥院がこんな博打に出るなど。
『それは認められない。いくらお前でも分が悪すぎる』
「みくびっていただいては困ります。私にあらゆる乗り物の操縦技術を叩き込んだのは姉様ですよ?」
『死ぬかもしれない危険を冒させてまで守る必要はない、と言っているんだ。千五百億は、いずれ稼げる。だが、それ以上の価値のあるお前の命は一つだけなんだ。たった千五百億ぽっちの金のために、お前を危険に曝すわけにはいかない』
金額が大きすぎてもう何だか良くわからないが、鷹ヶ峰にとっては彼女がかけがえのない人物だと言いたいのは良くわかった。だが、千五百億以上の価値を持つ女は姉様、と首を横に振った。
「どんな仕事にも危険はつきものですよ。いえ、リスクのない仕事などありません」
鷹ヶ峰がはっとした顔で吉祥院の顔を見た。
「今この月本があるのは、自らの命の危機も顧みずリスクと、世界と戦い、国の為、会社の為、家族の為に働き続けた先人たちがいるからなのでしょう? この大会はその先人たちの働きに敬意を表するとともに、それを超える人材を発掘するための物だと認識しておりましたが、間違いでしょうか?」
今までの彼女からは考えられないような言葉が飛び出した。俺たち全員が驚いたが、一番驚いているのはおそらく鷹ヶ峰だ。画面越しでもわかるくらい目を見開いていたかと思うと、声を上げて笑い出した。
『勝算があるのだろうな?』
「当然です。私を誰だとお思いで?」
『分かった。港で待っている』
話し終えた後で、吉祥院がこちらを向いた。
「聞いての通りだ。伊那鷺、操縦を代われ」
素直に吉祥院に場所を譲る伊那鷺。そのまま退散するのかと思いきや
「一人で全て出来るとは思わない方が良い」
隣の席にどっかと座った。
「おい」
「最短で最も安全な航路を導く。操船は任せる」
PCを操作する背中は、これ以上は何も受け付けないと語っている。
「実は自信ないんじゃないの?」
伊那鷺に習うように、アイシャも手近な椅子に座り込んだ。
「港に戻るんでしょ? なら私たちがここに居ても問題ないじゃない」
挑戦的な目で吉祥院を見るアイシャ。
「サヴァー女史、こいつを何とか・・・・」
「いないわよ。さっき犯人どもを受け渡すために出てった。後で戻ってくるって」
吉祥院が苛立たしげに唇を噛み締めている。
「まあまあ。凰火ちゃん落ち着くっす」
「大山まで・・・・お前ら頭おかしいんじゃないのか!」
「何を今更。友達を残して自分だけ逃げられるほど、私は賢くないんすよ」
吉祥院のイライラが最高潮に達し、その矛先がついに俺に向いた。こいつらをどうにかしろと視線が語る。俺は、その視線を無視して、PC画面に映る鷹ヶ峰に顔を向けた。
「鷹ヶ峰さん。これが終わったら、俺たち全員の時給をアップしてください」
「ほ・お・ず・きいいい!」
睨まんでもええがな。
「あのね、俺、一応君らの引率。年長者で先輩のバイトリーダーなんだよ。責任者なの。君らが残業すんのに、俺が残らないわけにはいかないの。後、さっきも宣言したけどもう一度言うぜ。全員で一緒に帰るんだ」
顔をひくつかせる吉祥院に言う。
「俺たちは、同じ職場で働く同僚で、仲間だ。仲間が命を賭けて職務を全うしようとしてるのに、ほっとけるわけないだろ」
全力で懸命に闘う人間には、必ず味方が現れる。現れて当然なんだ。応援したくなるんだから。
好きにしろ、と言い捨てて、吉祥院は操船に戻った。
『鬼灯』
「はい」
『命令だ。必ず全員で戻れ。そうすれば先ほどの件、店長に伝えておく』
「ありがとうございます」
ま、事ここに至って俺が出来る事なんか知れてるけどね。それでも、出来る事はやろうと思う。
窓の外を睨んだ。ポツリ、ポツリと雨粒が窓を叩き始めている。
がちゃり、とドアが開き、サヴァーが戻ってきた。
「ヘリが到着しました。犯人たちの受け渡しは完了しております。で、皆さまはどうされるのでしょうか?」
彼女が操舵室の人間の顔を見渡し、アイシャの顔を見て、深く息をついた。どういう話に決着したのか悟ったのだろう。
「私から言わせれば、皆さま頭がどうかしたのではないのかと疑わざるを得ません。戻られましたら、病院での精密検査をお勧めします。とくにお嬢様。あなたは御身を一体何だと考えているのですか」
「まあまあ、いいじゃない。多分。こうなることは運命だったのよ。みんなも見たのでしょう? あの夢を」
全員の視線が、アイシャに集まった。
「伊那鷺が言っていた、あの話か?」
吉祥院が尋ねると、アイシャはにい、と笑った。
「そう、それ。私たち全員が同じ夢を見て、今話題の都市伝説の通りなら、全員死ぬってこと。おそらく、この船に乗っていた全員が同じ夢を見た。それって、今回のシージャックを予見してたってことでしょう?」
「でも、テロリストたちはみんな捕まったじゃないっすか。だから、それってもう外れたってことでいいんじゃないんすか?」
「そうとも限らない」
ヒナの意見を、伊那鷺が否定した。
「確かに今回のシージャックで命を落とすかもしれなかった、が、それ以外の要因が無いとは言い切れない。だから考え方を変える。船に乗っていると死ぬから降りる必要がある、から、全員が同時に死ぬ状況を作らない、に」
全員同時に死ぬという状況を作らないことで予言に抗うということか? ヘリで救助されたら、多分全員同じ場所に移動させられる。多分。近隣の病院、その後に向かうのはおそらく事情聴取のための警察署だ。そこに全員集合すると予言が発動するって話になんのか。
つまり、何かが、たとえば爆弾の仕掛けられている船に乗るから全員死ぬ、ではなく、全員揃うと何かが起こって全員死ぬ。それを避けるために複数人、まあ俺たちのことなんだけど、死亡率の高そうな荒れ狂う海を船で渡りきることってのはどうかと思う。今更言ってもどうにもならないけどね。
「おっしゃりたいことは分かりました。けれど、それがお嬢様がこの船に残るという理由にはなりません。全員揃わなくていいのなら、お嬢様だけヘリで避難しても問題ないはずです。代わりに私が残れば済む話です。それでも不安なら、お嬢様のみ大山書店に戻るなりすれば」
「却下よ」
即答だった。
「リツも言ってたけど、私たちはチームよ。全員で困難を乗り越えてこそチームの結束力も高まるってものよ」
「お前らがいても五月蠅いだけなんだがな」
「シャラップ!」
吉祥院のため息交じりの文句にアイシャが噛みつく。それを見てヒナが笑い、サヴァーが呆れ、伊那鷺が無関心を決め込んでいるように見せておいて実は聞き耳を立てている。何というか、いつもの書店での空気が流れているようだ。
「なんだか、心地良いですね。この空気は」
「だろ?」
最高のメンバー何だから、と自慢げにドヤ顔で振り返るとイスカがいた。俺は笑顔で固まった。
「・・・一緒にヘリで帰ったんじゃなかったの?」
「淋しいことを言わないでください。それとも、私は皆さまのバイト仲間ではないのですか?」
それに、と彼女は続けた。
「私も見たいのですよ。ノアの予言が外れる所を」
この後のことを、正直俺は思い出したくない。思い出そうとするとなんというか、最初に恐怖が先頭で記憶のドアからいらっしゃいませこんにちわしちゃうもんで、それ以上のことを思い出したくなくなる。だから覚えてない。そういう事にした。また一つ、人に言えない歴史が生まれたぜ。
俺から言えることは、二度と豪華客船には乗らないということと、軍事衛星をハッキングしないさせない使わせないと固く心に誓ったことと、エデン号は無事に港についたということだ。
つうか、どこの誰だよ。衛星からのレーザーで高波を打ち消そうとか考え出した奴。波ぶち抜くどころか船ぶち抜くところだったじゃねえか。しかも連続使用しすぎて最終的に壊れるし。足がつかないようにしてるから大丈夫なんて伊那鷺は言ってたけど、本当に大丈夫か? 弁償代払えとか言われても無理だぞ。ネットで調べたら百億くらいって書いてた。ワロタ。マジワロタ。笑うしかなかった。
そうそう、シージャックの顛末だが、組織の幹部連中が一斉検挙されたのをニュースで知った。鷹ヶ峰が手を回し、彼らの国外逃亡を防ぎ、全員お縄と相成った。で、冤罪で捕まってた天城スザクが昨日釈放されたらしい。らしい、というのは、あれだけネットでもテレビでも犯人たちが連呼してたから、必ず報道されるだろうと思ったら、全くそれ関連の報道がなかった。天城スザクの解放は極秘裏に行われ、表向きは無かったことになっている。だから、いまだに俺は天城スザクがどんな人物か知らない。多分世間も知らないだろう。鷹ヶ峰なら何か知っているかもしれないが、わざわざ極秘裏にするようなことだ、突いて余計なトラブルに巻き込まれたくない。俺の中では、もう、ノアの予言も、シージャック事件も過去のことだ。終わったことをわざわざ蒸し返さない。俺は前だけを向いて生きるんだ。
だから、俺はまだ予言の一週間を過ぎても生きてるし、ヒナも、アイシャも、伊那鷺も、吉祥院も、サヴァーも生きてるし
「先輩」
呼ばれて振り返ると、プラチナブランドの美少女がいた。
「何を黄昏ているんですか」
「いや、なに。後輩から先輩と言われるのは、くすぐったいけど良いもんだと思ってね」
イスカが苦笑した。
「そんなこと言うと、またヒナさんがふくれますよ」
「だって、あいつの先輩って呼び方には敬意ってもんがこもってないんだよな」
多分あいつは俺のことを鬼灯先輩という名前だと思ってる。つまり呼び捨ても同然だ。俺はお前の飲み友達かっつうの。
さて、普通にイスカは大山書店に残っているが、あの後実は結構色々とあったんだ。
彼女のわずかに残った記憶や俺がノアから教えてもらった彼女の出自などのデータから、鷹ヶ峰たち全面協力のもと調べてもらったら、色々と分かった。本名や生年月日、出身国、家族構成などなど。そして、彼女は戸籍上、すでに死んでいることも判明した。おそらく、彼女を利用した連中の仕業だろう。何もかける言葉が見当たらない俺たちに対して「今は、新しい名前があるから大丈夫です」と彼女は気丈に振る舞った。
しかし、こうなると現実にいろいろ問題が出てくる。記憶喪失だから一時的に預かっていたが、帰る場所すらない天涯孤独の身の、戸籍も持たない人間をどうするか。
「帰る場所がないなら、うちにいればいい」
真っ先にそう提案したのは大山店長だ。男前だぜ。部屋が余ってるんだから住み込みで働けばいいと声をかけたのだ。
残る問題は身元だ。戸籍とかどうする? ということになって、今度はヒルンドー国大統領令嬢付メイドと大山書店イリーガル部隊が動いた。あれよあれよという間にヒルンドー国籍を取得し、サヴァーさんの遠い親戚というIDが用意された。
「これが、ヒルンドー戸籍管理システムのファイヤーウォールの穴」
「参りましたね。幾ら後進国とはいえ、行政府管理下のサーバーが侵入されるとは。至急セキュリティの脆弱性対応を行わないと」
「よければ、私に依頼という形で出してくれれば、今よりもましな物を用意できるが」
「よろしいのですか?」
「もちろん。ただ、ロハ、というわけにはいかないけど」
「承知しております。ジェルド大統領に話は通しておきます」
と、戸籍取得後に何やらビジネスをしていたが、聞かなかったことにした。
こうして、戸籍も居場所も確保した彼女は、今もこうして大山書店の新人として勤務している。当然のことながら、世間の男連中が大山書店に新たに現れたプラチナブロンドの美少女を放っておくわけがなく、彼女目当ての客が急増した。軽く先月比三十%オーバーだ。世間では新たな派閥、イスカ派が出来たとか噂が飛び交っている。真剣に大山書店アイドルグループを検討しよう。
補足するほどのことでもないが、そんな美女美少女に囲まれて勤務する俺に対しては憎しみと殺意の視線が先月比百%オーバーで飛び交っている。その内ガチで刺されるかもしれない。どうして俺が憎まれなければならないのか甚だ疑問だ。そんなに嫌なら話しかければいい。なんならバイトの面接に来て一緒に働けばいい。彼女らに抱くその幻想、一撃でブチ壊されること請け合いだ。
「しかし、今日は何やら騒がしいですね。さっきからパトカーがずいぶんと行き来してますけど」
「そうだね。多分、大統領令嬢暗殺を企てたどこぞの子悪党たちが一斉検挙されてるんだろうね」
さっき鷹ヶ峰に通報しておいたんだが、流石仕事が早いぜ。
変わったと言えば、世間を騒がせていたノアの認識が変わった。俺がテロリスト相手にアウトロウという組織を名乗ったことで、裏社会に組織【アウトロウ】が認知されてしまったらしい。ノアはアウトロウの首領で、性格は残虐非道、あらゆる兵器に精通し、電子戦はお手の物、白兵戦でもテロリスト集団をたった一人で殲滅できるまさに最強最悪、伝説のエージェントになってしまった。噂が独り歩きするのは良く聞くけど、こんな成長率の高い話聞いたことない。伝言ゲームの間に話を盛る西の人間が数人いたに違いないな。
さっき俺に接触してきたのは、俺をノアだと勘違い、ではないと言えばないんだけど、伝説のエージェントだと思い込んだ、ヒルンドーと月本との同盟を良く思わないどこぞの国のエージェントだ。自分の手を汚さずプロに外注するなんざ小賢しいことこの上ないが、依頼を俺に出したもんだから間抜け以外の何者でもない。どうして顔で判断するかなぁ。顔に傷があるからって脛にも傷もあるわけじゃないんだぞ。ぷんぷん。
彼らには、これから鬼より怖いメイドの特別接待が待っていることだろう。背後関係を洗い出されるのも時間の問題だ。同情はしないけどね。
そんなことを考えていたら、いいタイミングというか、狙ったように鷹ヶ峰が来店した。
「お疲れ様です。鷹ヶ峰さん」
「お疲れ様です」
「鬼灯、イスカ嬢。お疲れ様」
俺はすす、と鷹ヶ峰に近付いて、小声で尋ねた。
「で、どうでした」
鷹ヶ峰はうむ、と頷く。
「問題ない。君に接触してきた連中を含めて、関与していた全員を確保した。これで、アイシャ嬢に危害が及ぶことはないだろう。念のため、学校からここまでの道に私服警官を配置することになった」
「よかったです」
「全くだ。被害が及ぶ前に喰い留められて本当によかった。お手柄だぞ」
「いえ、そんな。偶々です」
とは言うものの、素直に嬉しいは嬉しい。神経と胃の壁をすり減らしたかいがあったぜ。最近自分の意志に反して嘘と演技が上手くなってきた気がする。
「そんな謙遜するな。さすがはWWG月本代表だと私も誇らしく思うぞ」
・・・・・・・・・・ゑ?
最近、俺が見ているこの世界は現実ではなく幻想の世界なんじゃないかと思い始めてきた。だってそうだろう? 自分の感覚すら信じられれなくなってきたのだから。もしそうなら、誰かこの幻想をぶち壊してくれませぬか。
「ん? 何をそんな驚いている」
「ゑ、ゑ? いやだって、あの予選会って、シージャックのせいで中止になったんじゃないんすか?」
「誰がそんなことを言った?」
いや、言っては無いけど、誰だってそう思うよ。だってシージャックだぜ? 事件だぜ? 普通中止になったと思うじゃない。
「事件や事故は痛ましいことだが、それのためにいちいち何でもかんでも中止したり延期したりしてたら世界経済は回らんぞ? 出来る所は進めないと。我々の命の砂時計はその間も落ち続けているのだ。そう考えたら止まってなどいられなくはないか?」
言う事がいつだってカッコよすぎるよこの人。絶対俺の方が正しいこと言ってるのに、この格言めいた言葉のせいであっちの方が正しいように聞こえてしまう。だが、俺だってそう簡単に引き下がるわけにはいかない。なんたって俺の平穏の為だ。このまま代表なんぞに選ばれたら、前の大会以上にひどい目に遭うのは目に見えている。
「や、よしんば中止になってなかったとしましょう。けど、俺たちがトップだったはずがないんです。俺たちの作戦では動き出すのは二日目からだったし。あの時点では全く金は稼いでなかったはずです」
「一日目はな」
含みを持たせて彼女は言った。
「一日目は、って、その一日目にシージャックが発生して、その後競技自体出来なかったと思うんですけど」
「いいや、そんなことはない。なぜならその後も、参加者やゲストたちの資産は大会係員の手によって移動させられていたのだから」
嘘だろ。まさか、あれもカウントされるって言うのか?
「組織アウトロウは、資産を自分たちの口座に移動させるために、あるチームの口座を踏み台として使用しようとした。結局彼らはそのまま資産を移動させることは無く、混乱させるだけさせてどこかに消え、あるチームの口座にはエデン号に乗船した全ての参加者の資産が全て入っていたことになる」
彼女の話を聞いている間、無意識に奥歯を噛み締めている自分がいた。
「もちろんあれは全て演技であるし、アウトロウに奪われた資産は元の持ち主に返したが、それは大会終了後だ。大会終了時点で、あるチームがトップだった。だからそのチームが優勝だ。まあ、実際彼らのおかげで全ての事件は解決したわけだから、大会委員会も満場一致で彼らの世界大会出場が決まった」
「それは、そのチームの実力とは全く無関係なんじゃないんですかね・・・。たまたま悪の組織が利用したってだけで・・・」
我ながら情けない位弱々しい反論だ。あってないようなものだ。
「運も実力の内だ」
前にも言っただろう? と案の定バッサリと切られたぜ。
「と、いう訳で、大山書店チームはめでたく月本予選を勝ち抜き、本選たる世界大会出場が決定した。そこまでは良いな?」
そこまでは良いな、って。良くは無い。まったく良く無い。けれど、その言い方を聞くとまだ何かあるのか? これ以上あるのか? え、もうお腹いっぱいいっぱいなのですが?
「他でもない、アウトロウのことだ。君には、このままアウトロウの首魁、ノアでいてもらう」
「なんですと?」
僕の内心に渦巻く言葉の嵐を凝縮して圧縮してその一部分だけがぽろっと出た。解答したら多分原稿用紙十枚分くらいの言葉が乱舞しているのでここでは割愛します。
「先も話したように、すでに君たちの裏の活躍は君たちの正体以外は各方面に知れ渡ってしまっている。その影響が、君に裏組織の人間が接触してきたことだ。君を探し当てたことは偶然の一致かもしれない。だが、君が宣言したあの瞬間から都市伝説たるノアは現実世界に誕生し、組織アウトロウはその名を轟かせた。誰もが彼らの動向に注意を払っている。特に裏社会の人間は、どうにかして彼らと同盟を結べないか、結べないならば消してしまいたいと考えているようだ」
まさかのブラックリストに載ってるような連中にブラックリスト扱いかよ。
「いやいや、待ってくださいよ。そんな賞金首扱い嫌ですよ」
「そうは言ってもだな。こればかりはさすがの私でもすぐにはどうにもできんぞ。それに、これは君が蒔いた種でもあるんだけどな」
「そうですけど! そうなんですけど、それは必要に迫られて!」
「そう、イスカ嬢を守る為だな。君がそのままノアを名乗り続けることは、彼女を守ることにもつながる」
「ど、どういう意味っすか」
「彼女の過去を知る者が、彼女とこの街で起こったノアの都市伝説とを結びつけないとも限らない。そうすると、彼女は再び彼女の力を悪用しようとする連中に狙われることになる。だが、そいつらが察知する前に、新たなノアの伝説で上書きしてしまえば、彼女の身は守れる。ノアの正体が男だった、と広まっているのも好都合だな」
後ろを振り返ると、俺の視線に気づいたイスカが微笑みながら小首を傾げた。ぐ、くそう。そんな可愛らしい仕草をするんじゃない。卑怯だ。
「君は、再び彼女を辛い場所へと返すのか?」
俺の心情を読み取ったように鷹ヶ峰が言った。
「無理だな。君はそんなことが出来る人間ではない。そんな人間があの嵐の中のエデン号に残ったりするものかよ」
完全に詰みだ。俺はいつものポーズ、そう、両手をついて四つん這いになるアレね、あのポーズになった。俺ほどこのポーズが似合う人間もいないだろう。
するり、と、胸元から青いダイヤが零れ落ちた。イスカから譲り受けたウィル・ダイヤモンドだ。「名前のお礼です」と、今思えばあまりに高価な物だからとこちらが固辞してもかなり強引に俺に譲ろうとしていたなあ。まさかこういうことか? サヴァーが語っていた、ウィル・ダイヤモンドの逸話『持ち主に不幸が訪れる』というあれなのか?
「大丈夫ですか?」
いつかと同じように、イスカは四つん這いになった俺に声をかけ、傍らにしゃがみ込んだ。そして、「大丈夫」と答えた俺の耳元で囁く。
「良かった。てっきり、逃げ道が塞がれたのかと」
彼女と目が合う。悪戯っぽくウインクする彼女と。
この女狐め、全て想定通りか。やってくれるぜ。
よくよく考えれば、たった一人で裏の組織と渡り合おうとしていた女だ。これくらいしぶとくて強かでも何の不思議もない。
「先輩が悪いんですよ。諦めていた私に『生きたい』と思わせたんですから。なら、私は全力で、ありとあらゆる手を使って生きますから」
この書店は悪女ばかりが集まるフェロモンか何か出しているんだろうか。世に数多の萌えがあろうが、悪女萌えってのは新ジャンルだ。先駆者になりたい方、どうぞこちらまでご連絡ください。
責任、取ってくださいね。そう微笑む彼女に、俺はぐうの音もでない。
君の人生はこれからだ・・・?(仮) 叶 遼太郎 @20_kano_16
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