第2話 今日も今日とて俺のバットは空を切る
左バッターボックスに立つ俺の耳に、やる気のない声援が聞こえてくる。
だが、それも至極当然のことだ。何せこれは第二試合。ベストメンバーで行われる第一試合とは違って、半分お遊びみたいなものなのだから。
そう、言ってしまえばオマケである。
おそらくベンチに座っている連中は「あ~早く帰りて~」だったり「腹減ったな~」とか思っていることだろう。
……全く、呑気な奴らだぜ。俺がこんなにも追い込まれているというのに――。
「ストライ~ク! カウント、ノーボール・ツーストライク」
インコース低めをズバッと突かれ、俺は思わず腰が引けてしまっていた。
「おいおい! 奏多、振ってけ、振ってけ!」
ベンチからの指示に、俺は軽く頷いて見せる。
てか、何だよそのアドバイス、適当すぎんだろ……。
心の中で毒づきながらも、俺は再びバットを構え直す。
すると、待つが早いか、マウンド上のピッチャーは相棒のミットめがけて渾身のストレートを投げた。
俺はそれを迎え撃つ、のだが――
ブンッ!
と、バットは華麗に空を切り、直後、ボールはミットに吸い込まれた。
「ストライ~ク! バッターアウト! ゲームセット!」
審判が高々と手を上げると同時に、待ちになったと言わんばかりに、両軍の選手たちがホームベースに向かって集まって来る。
これにて試合終了。
はぁ、今日も平常運転だったか……。
真っ赤に燃える火の玉が最後の力を振り絞り、空虚な空にオレンジ色の色素を滲ませる。
名残の明るみを漂わせながら、太陽が本日の役目を終えようとしていた。
現在、午後四時四十五分。
俺たちは今、ボコボコになった校内のグラウンドをトンボで均している最中である。
「あーあ、もう一日終わっちまったな。明日から、まーた学校かよ。中学生マジで忙しいわー」
俺の隣で意気消沈している幼馴染。どうやら、随分お疲れのご様子だ。
「試合でもいいところなかったしな、俺たち。マジでテンション下がっちゃうよな」
俺が苦笑いを浮かべると、鳴は酷く重いため息をつく。
「それな。今日の試合とか苦痛でしかなかった」
「だよな……。俺たち、再来週の秋季大会、ちゃんとベンチ入りできるのかな……」
「それは大丈夫だろ。だって、秋季大会は他の大会と違って、二十二名ベンチ入りできるんだぜ? 俺たち二年生は全員で十三名だから余裕でしょ」
丸顔の幼馴染が自信満々にそう言ってきたので、俺は呆れたように乾いた笑みを漏らす。
「お前馬鹿だろ? ベンチの枠が増えるからといって、必ずしも二年生が選ばれるとは限らない。いつもの十八名は固定だろうし、残りの四人も単純に実力がある奴を選出するはずだ。大体、年功序列のお情けがあるなら、俺たちとっくにベンチ入りしてるはずだろ」
三年生が引退してから早三か月、俺と鳴は一度もベンチ入りを果たしたことがない。それは紛れもない事実だ。
にも拘わらず、鳴は引き下がらなかった。
「そうは言っても、いつもの十八名以外はどいつもこいつも大して差はないだろ。実力が同じくらいなら、二年生から選ばれるのが自然じゃねぇか?」
「じゃあ訊くが、今日のお前のプレーを見て、誰がベンチに入れたいと思うよ? 代走で起用されて牽制アウト。守備では悪送球連発。打席が回って来たかと思うと、三球三振。ボロクソもいいところ、最低最悪じゃないか!」
「……それ、ほとんどお前にも当てはまってるけど、自分で言ってて悲しくならねぇか?」
「あっ」
同情の眼差しを向けられ、ようやくブーメラン発言だったことに気付いた。マジで穴が合ったら入りたい気分だ……。
「えっと、とにかくだ。俺たちは今、非常にまずい状態にある。それだけは間違いない」
「まあ、そうかもな」
納得したのか、鳴が押し黙った。そんな無言の間を埋めるように、俺は告げる。
「取り敢えず、俺はこれから二週間、素振りしたり走ったりして自主練に励もうと思う」
「それ、即効性ないだろ」
「いいんだよ! こういうのは、気持ちの問題なんだから!」
「ふ~ん。気持ちねぇ……」
その後、俺たちは時間の許す限り、ただ黙々と外野の土を均していた。
◇ ◇ ◇
俺の通う神代中学(通称・
故に、体育館からは校庭の様子が丸見えであり、今日の俺のかっこ悪い姿も、きっと
「隼人くん、マジで凄かったね! あのホームラン!」
「雲雀くんも! さすがエースって感じのピッチングだったよ!」
グラウンドの手前に設置された野球部の部室。
その前には、女子たちによる小さな人だかりができていた。
「サンキュ。秋季大会は期待しててくれよな。絶対優勝するからさ」
びよんびよんと無造作に伸びた髪が印象的なその男の名は、
「俺も約束するよ。絶対優勝するって」
一方、手足がすらっと長いこの男は、うちのエース・
……にしても、鬱陶しいくらい黄色い声が飛んでいるな。思わずため息の一つもつきたくなってくる。
俺はロッカーの扉に備え付けられた小さな鏡で髪型をチェックする。
野球部は坊主であるべき!
というしきたりは、うちにはない。高校野球ではこうはいかないのだろうが、まあ中学軟式野球では、うちみたいに割とゆるめの学校も多いのが実情だ。
「……よし」
いつもの束感ミディアムヘアにセットし直した俺は、「バタン」とロッカーを閉めた。
「さて、いくか」
俺は自分にそう言い聞かせ、部室の外へ出ることにした。
「あっ、東條くん来たよ、翼!」
部室から出るや否や、有象無象の人だかりとは少し離れたところにいた二人組が、俺のもとに駆け寄って来た。
薄いピンクブラウス。紺のブレザー。赤を基調とした英国チェック柄のミニスカート。
周りの女子と着ている制服は同じなはずなのに、全く別物に見えてしまうほど可愛く着こなしている。多分、いや十中八九、元々の素材が良いからに違いない。
そんな華やかな印象しかない二人組の片方――黒髪セミロングの少女・
「聞いてよ、東條くん! 翼ったら今日ね――」
「ちょっと!? それは言わないって約束でしょ、琴音!!」
ライトブラウンの長いストレートヘアを靡かせながら、鮎川の口を必死に塞いでいるこの少女。名前は南翼。驚くと思うが、俺の彼女である。
「奏多くん、気にしないでね。琴音ったら、つまんないこと言おうとしてただけだから」
「そ、そうか……」
その割には、随分力強く鮎川の口を押さえているな。さすがに苦しそうだ。
「取り敢えず、離してあげたらどうかな?」
俺が微苦笑を浮かべながらそう言うと、翼は「仕方ない」といった表情で鮎川を解放した。
「ぷはっ! もう……翼ったら……私を殺す気……だったでしょ……」
息を整えながら不平不満を口にする鮎川。てか、今のでキレないあたり、相当心が広いな、この子は。
そんなことを思っていると、視界の端に二つの大きな人影が入ってきた。
先ほどまで人だかりの中心にいたはずの高坂と雲雀である。
「二人、何やってるの?」
「ってか、鮎川辛そうだけど大丈夫か?」
身長175センチ近くある二人に尋ねられ、鮎川は見上げるように顔を上げる。
「大丈夫。ただじゃれてただけだから。気にしないで」
そう言われると、返す言葉もない。案の定、雲雀は困ったように頬を掻いていた。
しかし、もう一人の男はというと――
「そっか、それならいいんだ。ところで話は変わるんだけどさ、二人も勿論、今日の俺たちの試合は見てくれたよな?」
制服のズボンのポケットに手を突っ込みながら、高坂は確認を込めた問いかけをした。
……なるほど。本当の目的はそれか。
要するに「俺のカッコいいプレーを見てどう思った?」と聞きたいんだな、こいつは。
だが残念だな。鈍い俺でも分かるその下心を、鮎川が気付かないはずがない。
「ごめん。女バスも忙しかったから、最初の試合は全く見てないんだよね」
そこで言葉を切ると、鮎川の視線が翼に移動する。
「第二試合の最後らへんは食い入るように見てたんだけどねー」
その言葉の意味を理解したのか、翼の顔が真っ赤に染まる。
「もう、琴音! ほんと、余計なことは絶対言わないでよね!」
「まだ何も言ってないじゃない」
「まだって何!? やっぱ言うつもりなんじゃん!」
この二人、さっきからずっとこんな調子だけど、疲れないのかな。てか、やっぱ俺のダサい姿、翼たちに見られてたか。はあ……。
心の中で深いため息をついていると、不意に「ツンツン」と背中をつつかれる感覚が生まれた。言わずもがな、俺は我知らず振り返る。
「なんだ、鳴か」
「なんだとはなんだ」
不機嫌さを隠そうともしない幼馴染。ったく、今こいつの相手をするのは心底疲れそうだな。
「で、どしたよ?」
俺が尋ねると、鳴は翼の方をちらっと窺う。
「今日は南と帰るのか?」
「まあな。……もしかして、俺を待っていてくれてたのか?」
「か、勘違いするなよ! 暇なら、帰り道に愚痴を聞いてもらおうと思っていただけの話だ!決して、お前と一緒に帰りたかったわけではない!」
何そのツンデレ、気持ち悪いんだが……。
俺が若干引いていると、鳴はこほんと一つ咳払いをして、
「じゃあまあ、俺は先に帰るな。お前も、あまり遅くなると真由美さん心配するだろうから、ほどほどにな」
そう言い残して、鳴はさっさと帰っていった。
あの、お前は一体俺の何なんだ……。
邪魔な幼馴染がいなくなった後、俺は再び翼たちの方に顔を向けた。
何だが高坂と雲雀が一方的に話している感じで、翼と鮎川は非常に困惑した表情を浮かべている。俺としては二人を助けてやりたいのは山々なんだが、そうした場合、高坂たちから何を言われるのか分かっているだけに、どうにも踏み出せない。
……とは言え、このまま黙って見過ごすなんて男が廃る。特に、翼は俺の彼女なんだから。彼氏なら、彼女のために一肌でも二肌でも脱ぐべきである。
俺はそう結論付けると、意を決して彼らの会話に割り込むことにした。
「翼、鮎川」
名前を呼ばれた二人、もとい高坂と雲雀を含めた四人の視線が一斉に俺に集まる。
「そろそろ帰ろうぜ。あんまり遅くなると、親御さん心配するだろうし」
まるで待っていましたと言わんばかりに、翼と鮎川の表情に笑みが零れる。
だがそれとは対照的に、高坂と雲雀の顔は苦々しく歪んでいた。
「……東條、お前、女とイチャついてる暇なんてあるのかよ」
「隼人の言う通りだ。俺がお前なら、一刻も早く家に帰って自主練に励んでいると思うがな」
ある程度予想していた返しではあったが、実際に言われるとグサッと来るな……。でも、ここで引くわけにはいかない。
「それとこれとは話が違うだろ。第一、翼たちとは元々一緒に帰る約束をしていたんだ。約束は守るのが普通ってもんだろが」
正論をぶつけられ、高坂と雲雀が押し黙る。その間を利用して、俺は翼たちに目で合図を出した。
「ほら行くよ、翼!」
「あっ、うん」
とことこと、二人が俺の横に並ぶ。何か物凄い優越感だが、今はそんなことはどうでもいい。
「行こうぜ」
俺たちは手前の二人から逃げるようにして背を向け、歩き出した。
その際、後ろから氷柱のような鋭利な視線を受けていたのは言うまでもないことだ。
◇ ◇ ◇
「ごめんね、送ってもらっちゃって」
「気にするな。丁度、通り道だし」
「そうだよ。それに、一人じゃ心配だもん」
完全に陽が落ちた、午後六時二十分。俺たちは今、鮎川の家の前にいた。
「二人ともありがとう。あとは、二人の時間を楽しんでよ」
満面の笑みでそう言い、鮎川は自分ちの敷地内に足を踏み入れる。だがその数秒後、何かを思い出したように彼女は「あっ、そうだ」と言い、さっと振り返る。
「今日の東條くん、カッコよかったよ。一応、感想ね」
大きな猫目に見詰められ、俺は思わず言葉に詰まってしまった。すると隣で、
「琴音、好きになっちゃだめだからね。奏多くんは私の彼氏なんだから」
「分かってるわよ。そんな泥棒猫みたいなことしないから」
冷たい声音で釘を刺す翼を適当にあしらった後、鮎川は家の中に入っていった。
「もう、琴音ったら! 全然冗談に聞こえないから困っちゃう!」
歩きながら、ぷんすか頬を膨らませている翼。怒った顔も可愛いのだが、さすがにずっとこの調子だと困るので、俺は何とか話題を変えようと試みる。
「そう言えば、女バスの方はどんな感じなんだ? 秋季大会勝てそう?」
俺の彼女、南翼は女子バスケットボール部に所属している。だが、ただ単に所属しているわけではない。エースで副キャプテン。彼女もまた、俺の知らない別次元を生きている人間の一人なのである。
「う~ん、どうだろ。やってみなくちゃ分かんない、っていうのが本音かな」
頤に手を当てながら虚空を見上げる翼。そのふわふさの長い睫に縁取られた大きな瞳には、一体何が映っているのだろう……。
「そりゃそうだな。スポーツに絶対(、、)なんてないもんな」
「うん、そういうこと」
「「…………」」
暫し、沈黙が落ちる。
思った以上に話が膨らまなかったので、俺が必死に次の話題を探していると、
「ねぇ、奏多くん」
少し気恥ずかしさの混じった声音が耳に届き、俺はそちらに顔を向ける。
「うん?」
身長166センチの俺に対して、翼の身長は158センチ。自ずと、俺のことを見る翼は甘えるように上目遣いになっていた。
「手、繋ぎたい……」
ドキッとした。付き合って一年半になるけど、未だに彼女の可愛さは底知れない。二人で並んで歩くだけでも緊張するし、手を繋げば頭が真っ白になる。その先も何度も踏み込もうとしたけれど、毎回結局有耶無耶になっている。そんな馬鹿みたいに初々しい関係を続けている俺たちなのである。
「いいよ。ほら」
俺は肩に担いでいた黒のエナメルバックを担ぎ直すと、優しく左手を差し出した。すると、翼は嬉しそうに俺の手を取り、
「あったかい、奏多くんの手」
「そうか?」
「うん。すごく落ち着く……」
こうやって、二人きりの時は思いっきり甘えてくる翼。彼女の言動を見ていると、妙に守護本能を擽られてしまう。
「じゃあ、今日はこのまま帰ろうか」
「うん」
もはや言葉は必要なかった。
その後、俺たちは互いの体温を重ね合いながら帰路についた。
青春アステリズム 八神 涼 @gekikara
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