青春アステリズム

八神 涼

第1話 昔の俺と今の俺

 プロ野球選手。

 それが小学校の卒業文集で語った、俺の夢だ。

 甲子園出場だとか、ドラフト一位だとか、メジャーだとか、当時の俺は本気で書いていたし、本気で実現できると思っていた。

 そりゃそうだ。何せ、あの頃の俺は「夢」や「希望」しか持ち合わせていなかったのだから――。


 俺、東條奏多とうじようかなたの小学生時代は、まさに「バラ色の学校生活」と言うにふさわしいほど充実していた。

 運動会の駆けっこでは常に一位。

 学校祭の出し物では常に主役。

 抜き打ちテストでは常に高得点。

 まさに非の打ちどころがない優等生。

 当然友達もたくさんいたし、女子からも一目置かれていた。

 そんな小学校生活を謳歌していた小六の秋――俺は野球に恋をした。


「奏多、校庭で野球やるんだけど、お前もやらね?」

 きっかけは、幼馴染である有明鳴ありあけめいのその一言だった。

 日曜の昼下がり。暇を持て余していた俺は、彼に連れられ校庭へ。

 そこで、俺は人生初の体験をすることになった。


 木々の葉も美しく色づき、秋も深まる十月の寒空。

 気付けば俺は、線で書かれた簡易バッターボックスに立っていた。

 相手のピッチャーは隣のクラスの山田くんだ。因みに、カードオタク。

 言うまでもなく、投げる球は超ひょろひょろで、俺は何の苦も無く打ち返すことに成功した。

 カキーン! という金属音が校庭に響き渡り、ゴムボールはライトとセンターの間を破っていった。

 俺は走る。全力で走る。

 二塁を通過し、三塁も蹴る。

 そうして、守備がもたついている間に、俺はホームまで生還した。

 所謂、ランニングホームランというやつだ。

「ナイスバッチ、奏多! ってか、相変わらず足はえぇな、お前!」

 笑顔を浮かべながら、チームメイトたちが温かく迎えてくれた。

 俺は「サンキュ」と軽く礼を言ってから、息を整えるためにベンチに座り込む。

 そして数秒後、思った。

 野球ってめちゃくちゃ気持ちいい!!

 と。


 それ以来、俺は毎週のように友達と野球をして遊んでいた。

 あのバットにボールが当たった時の何とも言えない感触、そしてダイヤモンドを駆け抜ける爽快感。すっかり俺は野球の虜になっていた。

 そして、冬が超え、卒業を控えたある日のこと――


「奏多、お前、中学になったら何部に入る?」

 学校の帰り道、鳴が何気なくそんなことを聞いてきたので、俺は即答してみせる。

「何って、野球部以外ありえないだろ」

「えっ、マジ?」

 問われ、俺はこくりと頷く。

「マジのマジ。大マジだよ」

 ドヤ顔でそう言われ、黒髪のツンツン頭をした幼馴染は呆れたようにため息をついた。

「言っとくけど、部活でやる野球と俺たちが今までやってきた野球は全くの別物だぞ? そこら辺分かってて言ってんのか?」

「……確かに、部活だと好きなポジションについたり、じゃんけんで打順を決めたりなんてできないだろうな」

「なら――」

「それでも……俺は野球部に入る。真剣に練習をして、レギュラーの座を掴みとって、試合で活躍する。きっとそれは物凄い大変なことだろうけど、だからこそ挑戦してみる価値はあると思うんだ」

 俺の決意に満ちた言葉を聞いた幼馴染は、「そうか」と小さく呟いてから、

「じゃあ俺も入る! 元々、お前に野球の魅力を教えたのは俺だしな! やっぱ、色々責任とか感じちゃうわけだわ!」

「……いや、そういうノリ、マジでいらないから」

 陽気に捲し立てる鳴に、俺は辟易とした表情を見せた。すると、場の空気がすっと変わる。

「冗談だよ。……実を言うとな、俺も野球部には少し興味があったんだよ。でも、クラブにも入っていなかった俺なんかが、中学から野球を始めたところでレギュラーなんかになれっこない。そういう弱い気持ちが心のどこかにあったから、中々言い出すことができなかったんだ。すまん」

 本音を吐露する鳴。実はこれで、意外と繊細な部分を持っているのである。

「それならそうと早く言えよ。別にそういう気持ちを持っていたからって、恥ずかしいことなんかこれっぽっちもないんだからさ。寧ろ普通だ。ふ・つ・う」

 頭の後ろで手を組みながら、俺はそう助言してやった。

「……お前でも、やっぱそんなこと考えるのか?」

「まあな。でも、それを乗り越えてこそ男ってもんだろ」

 俺のキザな台詞を聞いた鳴は、口を尖らせながらそっぽをむく。

「ちぇっ、イケメン様は言うことまでイケメンかよ。全く、世の中不公平だぜ」

「まあそう言わずにさ、これからも一緒に頑張っていこうぜ」

「……言われなくても、そのつもりだ」

 言い終えると、鳴は俺に向かって握り拳を突き出してきた。

「レギュラー、絶対取ってやろうな」

 まるで少年漫画の一コマのようなシーンだった。

 俺は高鳴る感情を抑えながら、自分の拳を鳴の拳に押し当てる。

「ああ、絶対だ!」

こうして、俺たちは野球部での活躍を誓い合った。


 ――あれから一年半。

 結論から言おう。

 あの頃の誓いを達成することは、まず間違いなく不可能である。


 当初の予定通り、地元にある富山県上岡市立神代中学校に入学した俺は、迷うことなく野球部に入った。

 新入部員は俺を含めて十三人。うち九名がクラブチーム上がりの経験者だった。

 まず俺たちを待ち構えていたのは、球拾いと応援練習の日々。三年生が引退する六月中旬まで、基本的にこれ以外何もやっていなかったように思う。

 そして、六月下旬。二年生・十七名と一年生・十三名の新チーム体制がスタートした。

 俺たち一年生は各々希望するポジションでの練習に励むことになったのだが、俺は迷った挙句、セカンドを希望することにした。

 経験者も初心者も関係ない。みんな横一線からのスタート。俺は「やってやる!」という強い思いを持って初日の練習に臨んだ。

 しかし――

 その思いはすぐに圧し折れた。

 次元が違う。

 それが初日の練習を終えてみての俺の感想だった。

 見ているだけでは分からない、実際に経験してみて感じる歴とした差。

 守備での足さばき、グローブの使い方、スローイング。

 打席でのタイミングの取り方、ボールの見切り方、バットの振り方。

 そして何より、一球に対する集中力。

 とてもじゃないが「追いつき追い越せ」なんて口が裂けても言えなかった。

ある程度は上手くなれるかもしれない。だが、それと同時に彼らはもっと上手くなる。この「埋まることのない差」を感じてしまった時、俺の描いていたサクセスストーリーは脆くも崩れ去った。


 同年八月・地区新人戦。

 同年十月・秋季市民大会。

 翌年三月・春季市民大会。

 翌年六月・中学校総合体育大会(通称・総体)。


 結局、俺は一度もベンチに入ることができなかった。

 

 そして、上級生が引退し、再び新チーム始動。

 だが、運が悪いというか何というか。

 下の代は、学童野球に於いて県大会出場を果たしてしまうほどの実力者揃いで、俺なんかは競うことさえ許されなかったのだ。


 最早プライドを保つことは不可能だった。

 一年間頑張ってきた意味。

 それを自分に問うてみても、何も返ってこない。

 俺はその時、ようやく気付いた。

 ああ、これが「挫折」というものなのかと。

 初めて味わうその感覚に、たまらなく恐怖を感じた。逃げ出したいと思った。でも、辞めることは許されない。それはとても恥ずかしいことであり、男として最低なことだから。

 そして何より、がそれを望まないから。

 だから俺は、今もこうして部活を続けている。


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