14(蛇足編)
薄暗い部屋の中で青い髪の青年は独り、巨大な機械に向かっている。特徴のない暗色の目は薄く濁り、瞳孔の奥に瞬くのは諦めを受け入れきれなかった執念の残滓。体液をいくら培養しても、死んだ彼は戻らぬ。繋ぎになる細胞を持つ人間はもうこの世には誰一人としていない。全ては滅び、生き残ったのは彼ひとりだけ。人類は地上から姿を消して細胞一つ残ってはいない。
「二眼くん、寂しいんだ。君とまたおしゃべりがしたいんだよ、君はもう目覚めないっていうのに」
机の上に出しっぱなしのステンレス食器はどちらも埃をかぶっている。青年は隣に置いてある古い機械のケーブルをじっと見た。瞬きをしない大きな目が暗い虚無を見つめている。そっと手に取り首に増設した神経プラグへと繋ぐ。ガチリという音とともに経年劣化していたケーブルのツメが折れて、青年は機械を外すことが出来なくなった。望めど拒めど、アタッチメントはもう外れない。脳の半分を継承した青年は、古い地球人だった彼と同じものになった。
肉体の死と長い時を経た彼らは一人になった。銀色の脳へ、電気が通る。ノイズ。
「馬鹿ですねえ、そんなに苦しいのなら早いとこ自害してしまえばよかったじゃないですか。私の事なんか待っていないで」
暗い視界で聞こえたのは懐かしい声。クリアな合成音声だった。スナップショットは耳を疑った。銀の脳は、電気信号によってその疑いを感知する。
「幻聴ではありませんよ、声帯は私のものです。その様子だと、喉がどこにあるか知らなかったのでしょう? 私がなぜあんな声で喋っていたのかもご存じなかったようですね。まったく、泣いている場合じゃありませんよ…………私がもう目覚めないのだとずっと嘆いていたのでしょう。聞いていますか、スナップショット」
無視して青年は真っ暗闇の視界の中、部屋の外へ出た。視神経が繋がり視界が開ける。空は青く、眼下には蓮畑が広がっている。黒い大きなレンズに、空の青と地上を埋める薄桃色が映り込む。
「前に君と話した通りの景色だ。覚えているかな。ずっと、ずっと君のことが忘れられなかったんだ」
「私と同じですね。ふふ……愛していますよ、スナップショット」
肩を震わせていたスナップショットは頬を伝う涙を払い、へらりと笑って見せた。
◆
部屋の中に、データを精査する音が静かに響く。途中、デジタル二眼レフは心底嫌そうな声をあげた。
「げっ、スナップショット、私の体になにしたんですか」
「君と同じことをしたまでだよ。君のことが知りたくて」
「……なにかわかりましたか。そうですね、有益な情報は得られました?」
「いいや、君に共感して、僕は童貞を失った。それだけだよ」
「ええと、共感してもらえるのはありがたいですが……いえ、どうなんでしょうね……」
◆
「しかしこうしてスナップショットと真の意味で同一のものになってしまったわけですが、私の悲願はなされなかったってことでいいんでしょうかね……」
記憶を確かめながら、デジタル二眼レフはぼそぼそと呟く。助手の世迷言にスナップショットは呆れたように言った。
「いいんじゃない。叶えたくなんかないってずっと言ってたろ」
「サイバネボディを用意すればどうとでもなりますが……まあ、あなたにそれを要求するのも酷い話ですよね……」
「専門外だよ」
クローニング以外の人体置換技術の廃れた今、性感感知デバイスの再現は不可能だ。そうでなくとも門外漢のスナップショットにまともに動くアンドロイドを一から作れというのはどうしても荷が勝つ。
「存じております。まあ、捉えようによってはこのまま一つになるっていうのも悪いことではないのかもしれません。体を繋げる、などというのはしばしば性行為のそれに例えられるでしょう」
なんでもないことのように口にしたデジタル二眼レフに、スナップショットはあからさまな嫌悪を示した。
「気持ち悪いよ、二眼くん。それは気持ち悪いよ、サイコパスみたいだ」
不可解なパルスが走り、スナップショットは首を傾げた。デジタル二眼レフが動揺していた。
「ええと、世間一般での私の評価をご存知でしょうか? スナップショットはそうは思わないのかもしれませんが、仕事の一環であったとしても、屍姦殺人をする人間は一般的に異常者扱いです。あなたはサイコパスみたいだと言いましたが……どちらかと言うと本物ですよ」
「え? あ、そうなの? それは知らなかった。そうすると僕も同類かぁ……」
「……スナップショット、あなたも大概ですよね……ああ、それで結局私の目はどうなりました? 私からは結局見せなかったのでしょう」
「君の目も手足も、外さずに体ごと埋葬してあるから安心してくれ。そうだね、死は薄い緑色をしていたよ。二眼くんはあの目で向こう側を見てきたんだろ、どうだった?」
「どうだったと言われましても、向こう側へ行ったのは人間のほうの私ですからね……私もあなたと同じですよ、スナップショット。コピーされて、復活のために現世に残される楔。いまごろ生身の脳味噌はあちらでドクターと仲良くやっているんじゃないですかねえ……」
「あれ、そうなの? そんなもんなのかな」
「まあ、そんなもんですよ、スナップショット。私たちは生きています。現世に残された者同士仲良くやりましょう」
◆
「全てを解明するときが、きっといつか来るって二眼くん言ったよね」
「ええ、言いましたね。そんなようなことを」
「うん。きっとやってみせるから、きちんと見届けてくれよ。君は記録係なんだろ」
「ふふ、また私にあなたを見送れと言うんですか? 趣味が悪いですよ、スナップショット」
くすくすと楽しそうにデジタル二眼レフは囁いた。スナップショットは口をとがらせて反論する、趣味が悪いのは自分ではない。
「僕と君が同じものなら、死ぬときだって同じだろ。置いてくことも置いていかれることもなくなったからって僕をからかわないでくれよ」
いたずらっぽく笑うデジタル二眼レフの声が耳に届く。デジタル二眼レフははにかんだような声で後に続けた。
「わかりますか。まあ、わかっちゃいますよね。ええ、こうなったからには間違いなく最後までご一緒しますよ。マイマスター、私は、あなたの助手なのですから」
「僕はドクター(スナップショット)だ。そんな他人行儀に言わないで、いつもみたいにスナップショットって呼んでくれよ」
「ええ、ええ、スナップショット。あなたの、お気に召すままに」
スナップショットは窓を開けた。涼しい風が吹き、青い空の高いところでは雲がゆっくりと流れる。ここは地球。暖かな太陽光線が照らす地上は帰ること叶わなかった人類の故郷。
地球人と女神の末裔、地上に降り立った二人の行く末とは? 二人が果てに見る真理とは? 女神のいないこの世界、それを知るのは互いのみ。
コピー・モデル 佳原雪 @setsu_yosihara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます