「ロリータ」
わたしは少女を見ていた。
どこかの家の裏口にあたる古い木戸に背を預け、油滲みの残る石段に腰を下ろして石畳の路地を歩く細い素足を眺めるともなしに見ていた。
薄汚れた路地裏の突き当たりには小さいながらも広場と呼べる空間があり、見上げれば高い建築に囲われた四角い空がある。青い色はところどころ白く霞んで、濁っているのか透明なのかを判別させない。
小さな四角に切り取られていればなおさらに。
ぽつりぽつりと見える開かれた窓を繋ぐように渡された細いロープには、派手派手しい女物の下着が吊るされて風にたなびいている。少女もまた、この区域に住む者がみなそうであるように、派手派手しい下着姿同然のいでたちで、わたしの前にあるのだ。
ペチコートは桃色で、少女の頬と同じく淡い。
透けた布地の向こうにはぼんやりと少女の形が浮かび、細い手足に揺れるヒダがまとわり付いている。
嫌が応にも、少女の裸身を想像させずにはいられぬ服装は、誰それに勧められるでもなく、少女が母親に似せるべく自身で選んだと聞いた。少女の母親はこの地区で娼婦をしている。
少女はなんら疑うふうもなく、いずれは自身も母同様に男を誘い、見ず知らずの者たちから金を得て暮らすのだと告げた。
そうしてわたしに自身を買ってほしい、と詰め寄った。
空から降り注ぐ僅かばかりの陽光が、少女の淡い金髪に跳ね返る。あどけない頬を隠すように流れる金色のウェーブは、首元でことさらに巻きを強くして少女の動きに合わせて踊る。
小さな唇は、似合いもせぬ背伸びした交渉を続けている。
「こないだのおじさんは酷いのよ、ガリガリだから嫌だって。あと二年待ってふっくらとしたら買ってやるって。」
不満げに頬をふくらませ、名も知らぬ少女はむくれた顔を作ってみせた。
そうしながらも、ちゃんと女をアピールする仕種は忘れないらしく、腰を捻ってありもしない胸を強調するように、わたしの前に突き出してみせる。
この路地をまっすぐに突き抜ければ、きらびやかな表通りに出る。そこは華やいだ店先のショーウィンドウがずらりと並ぶ、着飾った人々が闊歩する世界だ。
大きな窓ガラスが外と内とを隔て、ショーケースにはまるでこの少女がそのままに写されたような人形が並んでいる。同じようにペチコート姿だったろうか。
振り返って今、わたしの目の前には少女がおり、品を作って誘いかけている。造形物と同じように整った形の少女はしかし生きており、ショーケースの中で動かぬ人形とは違い、小鳥のように跳ね回ってもいた。まるで自身の価値など知れているとでも言いたげに、少女の瞳は時折わたしを映して値踏みする。
その身を売るのが当たり前と思っている。
このような精神を持ちながら、しかし純潔は護られていた奇跡に、わたしはうっとりと目を細める。
「初めてなのよ、だから安売りはしないわ。だって一度限りなんだもの、そうでしょう?」
自身の告げる言葉の意味も知らぬままに、少女は無邪気な笑顔をわたしに向ける。
純潔を捧げるべき相手は、この区域に住まう少女にとっては金でなければならないらしく。
表通りには恵まれた人々が闊歩する。その人々など知らぬかのように、少女は今だけを見ている。
着飾った家族連れは父と母の間に娘を歩ませ、その両手をしっかりと護るように己の手で隠している。同じような年頃のこの少女の両手は無防備に、わたしの膝から内腿に向けてを、そろりと移動している。
細い腕は、着飾った娘の腕よりなお細い。
少女の穢れなき純潔はいずれ破られてしまうのだ。
わたしの少女を見つめる目に、何を考えたのか這い登る手は離れ、くるりと踵を返して遠くなる。
裸足の指先は小さく、冷たい石畳に吹き寄せられた埃と砂を踏みしめる。表通りから吹き流されて、路地裏の隅には泥が溜まり砂になる。
「おじさん、お金持ち?」
振り返った少女の瞳には期待が溢れ、わたしの目の奥の色を読み取ろうとしている。
いずれ、穢れてしまう純潔は、今すぐに金が欲しいのだと告げている。
(なろう発表:2011.6)
【文学】短編集 柿木まめ太 @greatmanta
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