第42話 マニアに仕切られる鉄道マニア
SL列車運行のコントロールは三陸夢絆観光鉄道の本部で行われ、それは通常のローカル鉄道の運営と同様に、陸泉鉄道職員など少数の「プロ」を中心に行われていた。SL観光鉄道としての安全運行の基本的な仕組みは、ガントレットレイル区間にせよBRTバス区間にせよ、陸泉鉄道運行時代と同じレベルに保持されているからこそ、この体制でも問題とされてはいない。そして、この安全レベルを確保した上で、SL観光鉄道という特殊性における駅務や列車乗務補助、あるいは保線作業や沿線警備等に、ボランティアメンバーが参加できる仕組みとなっていた。
その参加できる仕組みを後ろから支えているのが【GSRシステム】(Gantlet Steam Railroad System)と呼ばれる、教育センターからネット上で提供される「安全運行システム」「スケジュール管理」「コニュニケーション」サービスなのである。そして【GSRシステム】ではこの三つの機能を統合し、三陸夢絆観光鉄道に教育センターから派遣されて来るボランティアメンバー達を、管理監督するための機能までも果たしている。
普段はバラバラのメンバーたち、それこそ住所も年齢も経験も異なる彼らをどうやって的確にコントロールするのか? そして、彼らは
【GSRシステム】の仕組み説明ビデオが、周りの明るい来航祭イベント会場とは全く雰囲気の異なる薄暗い仮設テントの中で続いている。しかし、この
それは、時に期待への感嘆のため息であり、あるいはその中でも一番大きな反応があるのが、ナレーションに「これは別途にお金が掛かります」と決め
そんな彼らをまとめ上げるのが、鉄道マニアが鉄道マニアを仕切る仕組みとなる、【GSRシステム】上で行われる「スケジュール管理」と「コニュニケーション」ツールなのである。そして、この仕組みさえも、鉄道の保安装置と同様に、全て既存にあるシステムの転用となっている。ビデオにも手元資料にも転用に関する解説などは無かったが、実は若田部理事の会社の社内システムを、事実上、その運用ノウハウごと移植しているに等しかった。
すなわち【GSRシステム】とは、ほぼ全てが若田部理事の会社の社内システムと同じなのだ。遠隔監視カメラの実運用についても、工場や物流センターの監視システムと基本はほぼ変わりない。従って、運営コスト面も機能面でも大よそ期待通りに動いている。ただし、このシステムを導入してきちんと観光鉄道で稼働できるかどうか、そこにはある大きな前提条件があった。それは「
ネット上でコミュニケーションを取る場合、果たして実在の人物か? という問題が付いて回る。もしも安全に直結する場面で架空人物や成り済ましが行われたなら・・・・・・。若田部理事の会社で採用している社内システムがどれだけ有効なものであろうとも、それは会社という「全員の実在が確認」できている環境であるがゆえに、期待通りの稼働となっているのだ。観光鉄道では、いったいどうやって、架空人物を排除できるのだろうか?
また、実在については確認できても、必ずしも「本名」とは限らない。本名を名乗りたくない人もいる。だがしかし、鉄道事故が起こった場合には国交省に事故報告を行わねばならない。場合によりメディアに公表されるケースさえ想定される。そんな場合に「本名がわからない」「仮名だとは知らなかった」では、鉄道会社として済まされない。そこで、三陸夢絆観光鉄道の鉄道現場ボランティアでは、本名までを確認できる個人会員だけに限定したのである。このルールは地元高齢者の鉄道現場ボランティアに対しても同様であったのだが、田舎の高齢者には正体不明者など一人もいなかった!
ネット上だからこそのメリットが多い仮想空間も、バーチャルとリアルを
その上で、【GSRシステム】上の「スケジュール管理」も「コニュニケーション」も、ほぼ若田部理事の会社で行っている運営方式と何ら変わらなく行われる。若干異なるのは「スケジュール管理」においては、会社都合よりも各メンバーの主張の方が先にあり、それにより互いに都合を調整させることである。そして「コニュニケーション」では、それが上司の評価につながることが無い事だ! もちろん、これは給与査定が無いという事であり、行動そのものは責任者により管理されている。
その【GSRシステム】の運営装置自体は教育センターの中に設置されており、運営メンバーも個人会員の中から選ばれたボランティアメンバーで行っている。すなわち鉄道マニアによる鉄道マニアへの仕切り行為が、ここでは実施されているのである。ただし、個人会員の全員が鉄道マニアとは限らない。その意味では、必ずしもマニアがマニアを仕切るとは言い切れない面もあり、逆にこの事が今のところは運営上でのバランスの良さにつながっている。
鉄道とは、以前の私の連載記事にも書いた様に、唯一プライベートユーズが存在しない移動手段である。他の自動車や航空機などは、免許を取りルールに
しかし、鉄道趣味の世界は違う。実社会とは異なる世界を構築することから、独特の価値観を持つ大人も多い。より良い鉄道写真のためにと迷惑行為を行ったり、鉄道現場からの部品盗難が絶えない現状は、それがごく一部による行為だとわかっていても、これでは自らが自らを仕切るという社会的理解を得る事は難しい。非鉄道マニアがある一定数加わるという事は、世間的というよりも、むしろ教育センターを利用する他の一般鉄道会社から見て正常な運営状況にあるとも映るのだ。教育センターとは、あくまでも「鉄道会社に向けた鉄道人材教育機関」に他ならないのだから、鉄道会社が困惑する様な運営など行ってはならないのである。
そういった、先に片付けるべき課題を全て克服し、その上でメンバーの活動スケジュールが決められていく。そこには、現地への移動手配(自分で来るのか、誰かの車に便乗したいのか等)や、宿泊や食事はどうするのか等、まるでツアーエージェントの様なフォローまでが作業に含まれる。その間も「コミュニケーション機能」を使い、様々なやり取りを行う。会社とは違いある程度は個人の主張もできるのだが、SL観光鉄道であっても、本物の鉄道会社としてのキャリアプランがそこにはある! そのプランに従うのであれば、あまり個人の勝手な主張も通らない点は注意を要するだろう。
あの大物司会者がそうであったように、いくら教育センターでの座学研修を修めても、鉄道現場での実地研修と経験を経ない限り、思うような業務には勝手に付かせることなどできないのだ。そして、例えば駅務とか乗務とかいった人気ポジションは、業務に就けるまでにはそれなりに時間が掛かるのであり、そのための手順といったものが必ずある。それはSL観光鉄道であっても同様で、いきなりその業務に向かってまっしぐらとは行かない。定められたカリキュラムを順に追い、あたかも単位試験の様に積み上げて行くしかないのだ。
そして、教育センターでは、会員がどこまでのカリキュラムをこなし、どこまで鉄道現場での実地教育の経験値等があるかを、全て【GSRシステム】上に反映させている。これらのデータにより、本人の意向も踏まえつつ、できるだけ納得が行く鉄道現場業務を行ってもらうのだ。この辺が単純なボランティア参加とは根本的に異なる。
また、中には活動適性に問題がある人物もおり、そういった行動や考え方のデータも採る。いわば人物を評価する事になるのだが、実はこの仕組みこそ、大企業が持っている人事評価システムに他ならない。感情による誰かの一方的な評価ではなく、科学的客観的な評価指標を有しており、問題を起こすメンバーに対しての指導根拠にもなる。この評価メンバーたちは、必ずしも鉄道現場にはいない。むしろ、自宅などSL観光鉄道とは違う場所から操作しているケースの方が多い。まさにカメラ同様の遠隔操作システムなのだが、直接、問題の当事者と会わない方が判断の客観性が高いという面もある。ここは職場では無いので、その辺の扱いには特に神経を使うのだ。
なお、企業の社内システムと性質が異なるのは、【GSRシステム】がコミュニケーションツールの役割を果たしている部分だろう。これは、一般的なSNS(ソーシャルネットワーク)とほぼ変わらない。SL観光鉄道の運営に関わる内容から、地域ごとの会員の集まり、趣味の部屋? などと、それこそ多岐に渡っているが、ここにも二つの特徴がある。一つは、前記のとおり、全員が実名且つ実在の人物であることだ。この効果はネットの持つネガティブさを消してくれる。もう一つは、各コミュニケーションの場に、必ず管理者を置いていることである。例え実名であっても荒れる時は荒れる。むしろ、実名だからこそ白熱した状況が起こる時があるのだ。管理者はそれをコントロールし、管理者どうしで問題も共有化する。ここは自由サイトではなく、教育センターの中のネット環境であることを忘れてはいけない・・・・・・。
この【GSRシステム】を含め、三陸夢絆観光鉄道では、独自の全く新しい仕組みを作ったのではなく、実は既にどこかにあるやり方を集めて来たに過ぎないのだ! その実現のために「
若田部理事が「SL観光鉄道会社は芸能プロダクションだ」と言っていたが、両者の機能が全て合致するわけではないにせよ、ファンがファンを仕切る仕組みもそうだし、乗客と言う観客を集める手段など、確かに似ている部分は多い。何よりも、SL観光鉄道とは典型的な人気商売なのだ。しかも、人気があるだけではなく、お金も稼げないといけない。よって【GSRシステム】は、教育センターメンバーへの「課金システム機能」さえも果たしているのである。
最後にビデオ映像は、教育センターの派遣メンバーは、毎月、三陸夢絆観光鉄道の「定期券」を買う事が鉄道現場で働ける条件だとし、
ビデオが終わると、山中さんは「ここで十五分休憩を入れます。その後、もう一本ビデオがあります」と短くアナウンスした。本日のカリキュラム日程表には、ビデオが二本となっているのだが、まさか質疑応答までもビデオ映像だけで終わらせるのではないだろう・・・・・・。
わずかな休憩時間でさえ、参加者からの質問攻めを避ける様にテントを出て行く山中さんに続き、私も冬の日差しが大きく傾き始めたテントの外へと出る。相変わらず来航祭は大勢の来客でにぎわっている。相変わらずSL遊覧列車には、本当に全員が今日中に乗り切れるのかと心配するほど、まだ長い列が続いていた。片や
恐らく、ここに並んでいる乗客たちは、普通のSLならこんな状況で朝から晩まで働き続ける事が、どれだけ大変か、いや、恐らくはできないという事情など知らないだろう。こんなハードな動かし方が実現できているのは、21世紀に作られた新製蒸気機関車だからに他ならない。「ああ、懐かしいなぁ、石炭の
そんなSL列車が場内を一周する様子を見届けてテント内に戻ると、先ほど山中さんが予告していたビデオ映像が始まるところだった。スクリーンには「鉄道事故は起こる」と、ややおどろおどろしい文字が映し出されている。画面では、真剣な顔の若田部理事が視聴者へと語り始めていた・・・・・・。
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