第37話 観光鉄道は芸能プロダクション

 大物司会者が、三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道にやって来た影響はやはり大きかった。しかし当の本人にとっては、当初の思いとは少々違った状況になっていた様だ。いくら著名人であっても、あくまでも本物の鉄道会社の現場にそうは自由が効かない。間もなく、本人が超多忙な事と相まって、都市近郊に計画中の新しいSL観光鉄道の「顧問こもん役」となってしまう。この辺は全く本人の自由意思である。


 この事態は何も大物司会者だからの問題ではない。いくら教育センターのカリキュラムをこなそうとも、いきなり単独での車掌乗務などあり得ない。三陸夢絆観光鉄道はなのだ。少なくとも最初の一年間は各業務の見習い期間となる。観光イベントの一環として防災ヘリポートに降り立ったが、その後は新幹線と自動車を使った移動となり、これも年齢的にもかなり疲れたとの事。・・・・・・三陸は遠いかのもしれない。その事実を十分に考慮した観光戦略の立案がいかに大切か、ケンジ君たちにも良い再考の機会となったことは間違いない。


 一方で、あれだけの人気者である。観光客を押しのけて、地元高齢ボランティア連中が取り巻きの様にしていっしょに行動する。おかげで、思わぬ課題がわかってきた。それは、バリアフリー施設よりも普通のトイレをもっとたくさん設置せよ! という指摘であり、当の司会者も本人自身の年齢もあって、全くもって深く賛同していた。


 テレビの司会同様、婉曲えんきょくではあれども、その指摘は的を得ており、三陸夢絆観光鉄道が陰で「イン鉄道」などと呼ばれるように、その後、各地の観光鉄道にもこの動きは少なからず影響を与えている。


 車イスで入れるトイレがあるかないか、それ自体は「バリアフリー新法(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律)」により、駅施設等であれば必ず設置されるようにはなっていた。しかし、法に合致したトイレが一つ二つあるより、普通の施設があちこちに数がある方が、実は大半の高齢者にとっては安心できるのである。高齢者の多くはのだ!


 例えば中間駅で対向列車待ちが十分間ほどあったとする。若い人なら余裕ある時間だろう。しかし、歳を取ると「一人で十分」かかることさえ珍しくない・・・・・・簡単にはないのだ。トイレの数が少なければ、順番待ちに並んだまま、あきらめて再乗車せざるを得ない。しかし、お年寄りは体力的にも我慢がまんが効かない・・・・・・。


 観光列車の客車内にもトイレを設けよう! そういった検討も行われたが、JRの車両サイズよりおよそ三割も小さいとあって、バリアフリーではかなり厳しい。長距離バスの様に割り切ったサイズでの設置なら不可能でなかったが、それでも全部の客車には設置できない。SL観光鉄道の客車は、基本的に隣の車両には移れないので、トイレの在る車両と無い車両が存在してしまう。やはり、これは各駅に増設し、余裕の在る停車時間とすべきとの結論が三陸夢絆観光鉄道では出た。これなら、中間駅での販売サービスなどもあわせてできると。


 そして、同じ問題は、沿線の高齢者ボランティアにも起こっていた。かって田舎は、その辺はであった。まあ女性の場合は問題があるだろうが、少なくとも男性にとっては自由なのであった。ところが、観光鉄道沿線に監視カメラが置かれるようになり、さらに、あちこちからSL列車目当ての写真撮りに狙われるとなると、そうは行かなくなる。以前は近隣の民家などから善意で借りることもできたが、ボランティアメンバーの人数が増えると共に、次第に好意に甘える事が続けられなくなった事情もある。


 SL観光列車は頻繁ひんぱんに走って来るわけではない。沿線での安全確認役の高齢者ボランティアたちは、列車が来るまでの間、土手に寝転んだり、中には持ってきた将棋を仲間内で指す者まで出て来ていたが、これらがネット上に多数投稿される事態も生じていた。やはり、トイレを併設した休憩所を沿線にきちんと設置すべきだ! こう言った一連の現場指摘を、大物司会者は訴えたのである。


 様々な意見が出される中で、実現しようにも問題は予算であった。しかし、これをかの司会者は「余った中古でいいから現物を寄付して欲しい、作るのはこっちでやるから!」とぶち上げ、とうとうプレハブ倉庫やら洗浄トイレ器材やらが本当に集まって来たのである。意外なことに、それらの多くは被災地周辺からであった。震災で自分たちが設置したものを送ってくれたり、臨時に使っていた仮設事務所などが寄付されたのだ。そして、この動きが報道されると、専門メーカーからも新品が寄贈されるようになる・・・・・・。


 さらに、これらを腕に覚えのあるメンバーが、例えプレハブであろうとも観光鉄道にふさわしい様に改装する。今、完全に木造山小屋の様に見えるそれが、まさかプレハブの簡易トイレだとは入るまでほぼ気付かない。三陸夢絆観光鉄道の沿線光景が、どれも違和感無く周囲に溶け込んで見えるのは、こういった細かい努力を積み重ねた結果なのだ。


 一方、観光鉄道に出向したケンジ君は、増え続ける県外からのボランティアメンバーに、どう対処するべきかで苦慮くりょしていた。鉄道専門教育とはいえを教育センターで受けて来ている。従って、鉄道現場での研修は全く不十分だ。しかも、これまでと違って、参加メンバーの居住地がバラバラであり、活動スケジュールの調整だけでも一苦労となっている。相当な金額を払って鉄道教育を受けていながら、希望者が重なり職務がダブってしまったり、指導役となる陸泉りくせん鉄道社員の手配が付かず、せっかく三陸まで来ているのに現場研修が出来ない、という問題も頻発ひんぱつする。それらに一件一件対応回答していくことは、ケンジ君たちにはかなりの負担となっていた。


「顔と名前が一致しない人間を、鉄道現場で使っていて大丈夫なのだろうか?」


 あの大物司会者もほぼ来なくなったある日、とうとうケンジ君は、珍しく戸倉さんに弱音を吐いた。ケンジ君は三陸夢絆観光鉄道の「中船なかふね駅長」として、教育センターから出向している。そして、中船駅の駅長室は、観光鉄道の本社機能を兼ねていた。ケンジ君は、教育センターから派遣されてくる、全てのボランティアメンバーを統括管理する責任者でもあるのだ。そういった機能を果たすため、本社と駅長室が兼用となっており、教育センターに籍を置いたままで業務を行っている。


「アタシなんかさ、春に新人が入ったって、アイツらから挨拶あいさつに来ない限り顔も名前も全く覚えないわよ。ボランティアだろうと鉄道現場で危ないと思ったら、自分で危険が無いように自分で考えるでしょ。好きで来ているだから、好きにやらせればいいのよ、そのためにちゃんと勉強して来てるんだから!」


 恐らく役所の新人は、今後の危険? を回避するためにも、必ずや先輩に連れられて戸倉さんには挨拶に行くのであろう。だから、貴方は新人の顔と名前を自分から覚える必要が無いのです! と、私なら言ってやるところだが、ケンジ君は違う。


「好きにやらせると言っても、鉄道現場は遊び場じゃないですからね・・・・・・」と、真っ当に返答するのだった。


「本当に鉄道現場で勝手にやられたりしたら、一部のおかしなマニアと変わらなくなっちゃうわよ。でもね、自分たちでやりたいって言って、こんな遠くまで来ているんだから、自分たちでやらせてみればいいのよ。そしたら互いに都合がいいように仕切るでしょ?」


 彼らが「自分たちでやりたい」と言っているのは、乗務だったり駅務だったりと、の話であり、恐らくは運営マネジメントの話ではないだろうが・・・・・・。


「やりたい事を自分たちで仕切らせるか・・・・・・何だか学園祭みたいだけど、でも、それについて少し考えてみてもいいかもしれないな。そうじゃないと、このままでは、いずれ事故にもつながりかねない予感がするんだ・・・・・・」


 世の中には、マジメな人間とそうではない人間がいると言う。そして、頭の良い人間とそうでは無い人間がいる。マジメで頭が良いということは、非常に素晴らしい組み合わせにも思えるが、それで全てがうまく行くわけではない。あの事務局長の山中さんがそうだ。会社のため、本来マジメに戦うべきではない相手と戦い、頭の良さゆえに徹底的に相手を追い詰めてしまう。結果として正しいはずの自分が会社を辞めざるを得なくなる。器用か不器用か、そういった面からみれば明らかに不器用であろう。そして、ケンジ君も明らかに生き方が不器用な男なのだ・・・・・・。


「バカバカしいわ、そんな専門外のこと、自分で考えたらキリが無いわよ。ケンジの友達、あのおしゃべり弁護士に任せちゃえばいいのよ。彼、こういった適当にゴタゴタした騒動って好きそうじゃないの!」


「じゃあ、とりあえずそうしてみようかな・・・・・・」


 机上でいくら考えていても、実際に行動しなきゃ事は起こらない。まさしく若田部理事の口癖くちぐせのとおり、この時にケンジ君が動いたことが、今の遠隔えんかく運営システム実現へとつながって行く。まさか、戸倉さんが考え無しに言ったことがきっかけになるとは・・・・・・マジメで頭が良いだけでは、世の中は動かせない様にできているのである。ただし、戸倉さんは器用な人間ではない(と思う)。しかし、こうやって人を動かすし結果も出て来る。見た目からの判断で大変失礼だが、あまりマジメそうでもなく、頭の方もまあ(この先は自主検閲を・・・・・・)。でも、それで周囲を動かしていく。これが人間力ってやつかもしれないのだ・・・・・・。


 ケンジ君から連絡をもらった工藤弁護士も、やはり同じ問題を抱えつつあった。仕込みを掛けていた大物司会者が、自分が思うようには業務ができず、それならもっと近場のSL観光鉄道でやりたいと言い出し、さすがの大物ぶりを発揮してくれていたからである。そしてまた、他のタレントや有名人の中からも、ぜひSL観光鉄道に関わってみたいという話が、工藤弁護士には持ち込まれて来ていた。


 しかしながら、特定タレントの仕込みなどとは違い、誰もが純粋に趣味ベースから鉄道現場に参加するには、まだまだ参加システムとして穴だらけであった。恐らく、教育センターで受講するまでは個人作業なので満足度が高くても、集団活動となる鉄道現場では絶対に不満が出る。それはもう間違いのないところだ。事実、工藤弁護士は自分自身も現場活動をしてみたいと思いながらも、現状の参加システムではむしろストレスになると感じていた。


 有名人が活動に参加すれば現地でどういった扱いを受けるか、それを考えるだけでも疲れてくる。しかも、他の活動メンバーも互いに知らないどうしが多い。加えて三陸は近くではない。近くではないからこそが欲しい。すでに三陸夢絆観光鉄道で、実際にSL観光列車が動いているという状況と、この話とは全く次元の違う問題なのであった。


 そして、これは取材者としての私自身が到達した一つの結論の話である。各地でやろうとしているSL復活計画は、形を変えたハコモノ行政と変わらないのではなかろうか? 作るだけ作っても人が来なければ、そこにどれだけの言い訳を並べても、それは事業計画としては失敗でしかない。つまり、その施設は社会から必要とされていないと評価されたに等しい。


 若田部理事は、SL観光鉄道が「社会から必要とされる存在なのか?」と、繰り返しメンバーに問う。幸いにも三陸夢絆観光鉄道には大勢が乗りに来てくれているが、それは社会から必要とされる存在になるべく、あらゆる方策を行ってきたからに他ならない。興味本位、物珍しさで最初にやってくる観光客は、決してリピーターにはならないの。それは企業の提供する商品やサービスと同じで、何よりも、地元にとってSL観光鉄道が大切な存在でなければ、他人には不要な存在となる事など時間の問題だと言う。


 あの、大浜崎おおはまさき駅での電話会議。あれは若田部理事が、三陸夢絆観光鉄道に続くSL観光鉄道のコアメンバーに対して、まさしく人材教育をしていた現場に他ならなかったのだ。ではなぜ、三陸夢絆観光鉄道以外である独立観光鉄道が、教育センターの理事に毎月の業務報告をし、そのレビューを受けたり、はたまた怒られているのか? 若田部理事は「観光鉄道は芸能プロダクションと同じなのだ」と良く注意をしている。


 蒸気機関車の人気、それは不動のものだと思い込んでいないだろうか? 恐らく今でも、あの「SLブーム」の熱狂イメージがまだ根強く残っているうえ、SL運転となれば相変わらずニュースとなる実態があるからだろうか。実際にも、SLが運転されるとなれば大勢のファンや見物人がやってくる。この状況だけを見るなら、SLが走れば観光客が来るという発想に、大きな間違いなど無いと思ってもおかしくはない。プロモーションさえ適格に行えばSL運転は失敗しないはず! どこかにそういったがある事を、若田部理事は新しいメンバーに厳しくいましめる。


 売れているタレントも何時までも売れ続けるわけではない。気が付けばテレビで見る顔ぶれはどんどんと変化して行く。人気タレントが売れなくなる理由は何か? そういった現実把握や分析結果は、多くの芸能関係者が十分にわかっているにも関わらず、それでも売れ続けるタレントと、売れていたのに消えるタレントが出て来る。 


 もちろん、本人が魅力的でなければいけない。中身も伴わなくてはダメである。だが、ちょっとでもメディアへの露出機会が減れば簡単に一般人からは忘れられる。ただ、そういった露出機会以上に、ファンの期待に応えられるか、期待以上であるかどうか、実はそれこそが重要なのだ。その期待とは、よりキレイになるとか、より歌がうまくなるとかいう単純なことではなく、ファンといっしょに「共有している世界」においての期待なのである。いつまでも同じで変わらないということは、ファンの期待とは少し違うのだ。ファンもタレントに少しずつ変わってもらうこと期待しており、その期待により「共有している世界」が創り上げられる。そこでは、タレントとファンにとって、人生を一にする様な「共通する時間」が流れて行くのである・・・・・・。


 「共通する時間」は、地方のSL観光鉄道においても同様に存在する。懐かしい景色にいつもと同じSL列車が走る。この変わらない光景こそ素晴らしいとしながらも、いつまでも変わらない事は、時に間違った安心につながる。この間違った安心とは「別に今、急いで乗りに行かなくてもいい」という安心であると共に、変わらない事に対する一種の「き」でもある。人はすぐ行くべき理由を無くすと行動しなくなり、別に行くのは自分でなくてもいいとさえ思うようになるのだ。


 ここに来ればなつかしさがあるよ、という観光戦略は、特段の観光資源が無いからこその逆手戦略だと思う。しかし、景色が変わらない事の裏側には、観光客への確かながない限り、リピーターは増えて行かない。それは、豪華な接待などではなく、むしろ観光客と地元民との人間的な触れ合いの有無なのだ。人は人に会いたいから、再びその地を訪れたくなる。なぜなら、人は誰もが必ず歳を取る・・・・・・。


 変わって行く事が、人の感情を動かすスイッチともなるのだ。何時までもそれは同じではなく、針が元に戻らない時間にこそ、人を行動させる原動力が存在している。懐かしい人に会うと、時間の重みが切ないほどにわからされる事がないだろうか。会った瞬間から次は何時来ようか、限りある時間をいっしょに過ごしたい・・・・・・その想いが強くなるほど、今、現地に足を運ばさせる。いつか将来に行きたいではダメなのである。今、訪問してもらいたいのである。

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