第36話 大物司会者ヘリで飛ぶ

 こちらの騒動というか話題については、私も強く記憶している。あの大物司会者が「これからの毎週末は車掌として勤務するぞ」とテレビでぶち上げたからである。もちろん、一般の鉄道会社が対象ではなく、その勤務先とは明らかに三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道を指していた。


 鉄道マニアとしては有名であったが、あれだけ多忙な司会者がいったいどうやって夢を実現するのか、マスコミも興味津々きょうみしんしんで盛んに取り上げる。が、そんな外野の騒ぎとは無関係に、当の司会者は「日本鉄道従業員教育センター」の個人会員となった後、その教育研修過程を自らの番組内でレポートして行く。半年ほどで、少なくとも見習い車掌乗務が可能なほど、熱心に研修を受け、そして途中過程の単位試験にも全て受かって行った。実際、プロの鉄道職員に向けた教育カリキュラムなので、そこまでの過程は決してやさしくはない。その上で、三陸夢絆観光鉄道で、自分はやはり乗務したいと宣言したのである。

 

 開業当初、SL観光列車の鉄道現場の担当者は全てどこかの鉄道会社OBか、あるいは休止中の陸泉りくせん鉄道の職員が出向扱いでたずさわっていた。高齢者ボランティアたちは、あまり鉄道運行とは関わらない周辺業務を手伝っていたのである。教育センターは、果たして大物司会者の派遣を決断するのかしないのか。そして、彼の希望する車掌職に関わる事ができるのか。


 この辺での裏事情は全く表には出て来なかったが、もし、この大物司会者の要望を教育センターが受け入れ、三陸夢絆観光鉄道に実際に派遣されるとなれば、他のSL観光鉄道申請者たちにとっては朗報ろうほうとなる。以前に若手タレントが実際にお手伝い程度の駅務補助をやった実績があったが、あの時はテレビ番組企画というレベルで済まされていた。しかし、今回は「本気」で車掌として乗務するぞと公言しているのだ。


 これまでの問題点とは、新規SL観光鉄道会社を設置し、既存ローカル鉄道路線にガントレットレイル(単複線)方式で走らせることは良いが、そこで働く従業員に対しては、プロ鉄道職員同等の能力と経験を求められていることにあった。低速のSL観光列車のみならず、高速で走る通常の鉄道列車とも同じ鉄道現場に立つことへの危険性である。


 そして、この危険性とは、本人のみならず、安全運行上への危惧きぐでもある。新規SL観光鉄道では、ローカル鉄道との共同運行が前提なのだ。既存鉄道側の安全運行にも支障が出かねない就労体制は、左派系労働組合の格好の攻撃ターゲットにもなる。しかも、マスコミは今後の動きを絶えず追ってくる。これでは、担当する地方運輸局も自らの独自判断を避けたく、結局は本省判断を待っている膠着こうちゃく状況から抜け出せない。


 それに対して大物司会者は、自分のポジションを存分に活かした行動を行う。「いったい、何が問題になっているんでしょうかねぇ?」と、暗に関係者に問い掛け続けたのである。少なくとも、三陸夢絆観光鉄道の現状は単独のSL観光鉄道であり、そこにローカル列車は走っていない。新規SL観光鉄道と同じ判断を下されるべき根拠があるのか無いのか?


 この裏には、今度こそと工藤弁護士による入念な戦略があった。大物司会者は本気で鉄道業務やりたいという気持ちを持っていた。もっとも、それは三陸夢絆観光鉄道でというより、そこしか選択肢が無かったという現実もあったのだが、それでも工藤弁護士は、最初の若手タレントの失敗からも、全てを自分たちで入念にコントロールして行く覚悟を決める。単に司会者に疑問を投げ掛けさせるだけではなく、その疑問が反響を呼ぶだろうあらゆる先に対して、徹底的に対策を打った。


 ただし、その具体的中身はわからない。私が工藤弁護士に何度尋ねても「僕は特に何もしてませんよ」の一点張りなのである。これぞプロ意識と言うべきか、あるいは恐らく聞いても書けないだろう内容なので、むしろ一切聞かされない方がいいのか・・・・・・。


 その対策は、隠れ鉄道ファンの多い国政関係者をはじめ、運輸審議会うんゆしんぎかいでの対応にまで入念に行われたことは間違いない。そして、からは間違いなく若田部理事が関わっている! なぜなら、大手鉄道会社の社長たちが、いったいこの問題の何が危険とされるのかと、時を同じくして発言し始めたからである。


 例えば、快速列車の通過駅では、ホーム上の乗客脇を百キロもの速度で列車が通過して行く。最近でこそホームドアの設置駅が増えて来たが、田舎駅にはまだほとんど無い。もちろん、通過列車の際には危険防止のアナウンスもあるし、何より乗客は自発的に身の安全を守る。同様に、鉄道現場に配属されるとしたなら、必ず安全訓練と、作業には列車接近監視役も置かれる。そのための鉄道専門教育であり、鉄道会社に対しても管理監督責任が置かれているのだ。それなのに、このレベルを危険と認定されてしまえば、各社は大規模な安全投資が必要となってしまう・・・・・・。


 そして、鉄道現場教育を行う組織とは、事実上、ガントレットレイル(単複線)で乗り入れするローカル鉄道会社しかないのだ。SL観光鉄道の鉄道現場は、ほぼローカル鉄道の鉄道現場に重なるからである。問題点が「SL観光鉄道で働く従業員に対しても、プロ鉄道職員同等の能力と経験を求められている」という事であれば、ローカル鉄道側が認めるレベルであれば、その指摘はクリアできるはずだろう。それを否定することは、ローカル鉄道の運行そのものを危険視していることになってしまう。


 従って、あくまでもローカル鉄道会社の指導の下、同等レベルでの鉄道業務を現場研修できる体制が構築されれば良い。しかも実質上でも共同運行なので、両者は必ずいっしょに行動するのである。その上で、踏切等の要所要所に観光鉄道側から警備要員を出す事は、安全運行上でのプラス面に働くはず。これは駅務にしても同様である。さらに、ローカル鉄道側で人手が足りていない保線にも、観光鉄道側から現場研修を兼ねて人を出す。両線は同じ線路敷地で同じ保安装置を利用しており、共に足りない部分の補完関係にもなるのだ。


 プロの鉄道職場にシロウトが入り込むという批判は、確かにその批判だけを見れば外れていないかもしれない。しかし、現実の鉄道現場には、アルバイトや外注業者もいる。この状況が根こそぎ認められないなどとされたら、鉄道会社としてもたまったものではないだろう。


 すなわち、ガントレットレイル方式で乗り入れる先のローカル線鉄道会社により、ローカル鉄道と同等の職員教育と訓練がボランティアメンバーにも行われ、きちんとSL観光鉄道会社自身としても管理監督をしているのなら、危険な鉄道運営がされていると言う指摘は当たってはいない・・・・・・。鉄道関係者全体にその様な発言が目立つようになってきた。


 従って、新しくSL観光鉄道会社をガントレットレイル方式で作る場合、鉄道事業の許可申請時から、自社で定める「安全管理規程」の審査において、きちんと乗り入れ先(正確には線路施設等共用先)鉄道と連携した同レベルの「輸送の安全」が確保できることを証明し、そうした上で許可を受けるならば、そこに問題は起き得ない事になったのである。


 いったい誰がどの様に用意したのかわからないが、まるで共通のを見ているかの様に、次第に鉄道関係者の意見は一つに収斂しゅうれんされて行った。そして、最後には国土交通大臣の「原理原則に従い、担当する地方運輸局の判断に任せる」という発言により、この一連の騒動は締めくくられたのである。すなわち、各鉄道会社が安全管理規程に抵触ていしょくしないと判断するのなら、鉄道会社の管理監督責任の下において、鉄道係員の職場配置と職務は各社ごとにゆだねる、という結論になったのだ。


 もっとも、何でもかんでも鉄道会社の自由とはならない。鉄道法規で求められている規則は守らねばならないし、法人としての鉄道会社に関わる法律も遵守じゅんしゅすることは当然である。一方で、運輸審議会はある意見書を提出した。「これは『特定目的鉄道』に対するものであること」そして「運転士は『鉄道会社の所属』であること」の二点だ。


 鉄道法規には「鉄道係員職制」も定められている。運輸・工務・電気・車両と分けられた鉄道現場での職制(分担する職務)には、それぞれに統括責任者がいる。一般的な会社で言えば職制とは、権限や業務により社長を筆頭に部長や課長などがこれに当たる。そして本来なら、この様な「管理責任者」は正職員となる。当然、運輸審議会においても、運輸長や車両長など重要な職責は「鉄道会社の所属」を求めると思われた。


 ところが、鉄道会社の所属を求めたのは「運転士」のみであったのだ。その理由について、意見書として出された「特定目的鉄道」であることがまず挙げられる。もしかしたら平日やオフシーズンには全く運行しないという、観光専用鉄道の特殊性を考慮したものであろう。そして、申請予定のSL観光鉄道会社の多くが、ガントレットレイル方式を予定している事情もあろう。つまり、事実上の運行管理は、乗り入れ先のローカル鉄道会社の指揮命令系統において行われる、という想定なのである。当然、運輸長や工務長なども、ローカル鉄道側の職員が兼任、というのが現実的な運営方法と考えられるからだ。


 ただし、運転士に関しては「鉄道会社の所属」であることを求めて来た。これは、観光鉄道で働く多くの鉄道係員が、教育センターからの派遣者となる事に対し、唯一、国家資格と必要とする運転士だけは「プロ」であるべきという判断による。省令でも、運転免許証に「所属(鉄道)事業者名」の記載が求めれていることも、理由としてあるだろう。しかしながら「(観光)鉄道会社」は求めていても、「(観光)鉄道会社」であるとは言っていない。すなわち、SL機関士の絶対数の不足を背景に、他の復活SL運転会社からの出向なども想定しているのである。


 また、大物司会者が「車掌をやる」と宣言したが、本来なら運転士とセットで車掌も「(観光)鉄道会社所属」となるべきところだが、あえて車掌を外したのだと言う。この辺に不思議なパワーの働きを感じざるを得ない様な気もするが、これは運転士が国家資格であるのに対して、車掌の資格とはあくまでも社内資格だという説明がなされていた。


 この様に、表向きは大物司会者が「本気で車掌をやる」と宣言し、それが「なぜできないのか?」という問いかけに対して回答が出て来たように見えるが、裏側では、しっかりと工藤弁護士、あるいは恐らくだが若田部理事が動いていたことは間違いない。社団会員になるという手続きは必要とされるにせよ、個人であってもであれば、鉄道現場で働く道筋がここに生まれたのである。


 思わぬ余波と言えば、教育センターの利用に学生が急増したことであろうか。実はこれが大学生による大手鉄道会社への就職活動の一環だとわかってきた。簿記や英検の様に「取得資格」として履歴書に書けると、どうやら誰かがネット上で広めたためらしい。


 残念ながら、大半の鉄道会社は、採用した新人のキャリア育成に対して、必ずしも本人の意思を完全には尊重はできない。企業には企業のキャリアプランがあるからだ。例え熱心に教育センターで専門課程を受講して来たとしても、それはあくまでも採用へのプラス要因でしかない。教育センターでの鉄道研修実績があれば、鉄道現場に関わりながら本社職も兼務できるかもしれない、という思いは本人の想像内だけに留まる。そして大抵の大手鉄道会社は、鉄道現場とそれ以外は、キャリアとしてきっちり分かれている。


 そういった色んな事情もあり、教育センターはあくまでも「鉄道会社に対する鉄道人材教育機関」であり、個人が対象とは言わない。教育センターの趣旨に賛同して社団会員になった個人が、会員サービスとして鉄道教育を受けられるというスタンスであって、教育センターのはしても、は一切宣伝しないということは、実はこういうことだったのだ。


 ところで、三陸夢絆観光鉄道の方では、従来からの高齢者ボランティアがそのまま手伝っていたのに加え、新たに県外からは高度な鉄道教育を受けたメンバーも加わる事になった。その中には、あの大物司会者もいる。宣言どおりに本気だったのである。ところが、肝心の観光鉄道の方には、まだそれだけの体制ができていなかった。


 陸泉鉄道は、震災被害で休止中とは言え、法的にはまだ存続している。だが、従業員のほとんどはもはや鉄道現場にはいない。SL観光鉄道の車両運行や運営には何名かが関わっていたが、暫定的ざんていてきな出向扱いでしかない。若い陸泉鉄道職員などは、将来を考えて他社に転籍してしまっている。よって、これからどんどん増えるだろう新メンバーに対する体制作りは急務なのだ。


 ケンジ君は、このための指揮官として教育センターから三陸夢絆観光鉄道へと出向する。もちろん、大物司会者と裏で仕込みをしていた関係上、自身も専門教育を受け続けていた。後で知ったが、工藤弁護士も同時に受けており、これぞまさにネットを使った教育システムならではのスタディフレキシビリティの発揮だろう。

 

 話題になったのは、司会者がヘリコプターで現地にやって来たことだ。三陸には空港が無い。しかし、震災後、幾つかのヘリポートが整備された。ただし、これらは防災ヘリコプターの場外離着陸場であり、私的利用などできない。彼は、今回の三陸夢絆観光鉄道の乗務に際し、先に県の観光復興支援委員にも就任しており、これは一種の観光用演出なのである。当日、サングラスを掛け、まるでマッカーサーの様に降り立つ予定だったらしいが、思いのほか地面との段差が大きく、いきなりコケたのが逆に彼らしい良い味を出していた。


 私もこのシーンは何度もテレビでやったので覚えている。いわゆる番組的演出だろうとその時は見ていた。だが、多忙なタレントがわずかの時間で東京から三陸に移動できるためには、この様な特殊な方法でも使わない限りまず無理なのである。羽田空港から県内の空港までは直接行けるし、新幹線もあるのだ。しかし、そこから三陸まではまだ遠い・・・・・・。

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