第33話 流された養殖イカダ

 三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道では、開業当初、鉄道現場のボランティア参加者を県内在住者のみと限定していた。中には熱心な鉄道マニアが県内に転居してきた例もあった様だが、ほとんどは地域ボランティアとしての参加であり、その業務内容も「お手伝い」レベルに留まるものであった。


 まだSL観光鉄道として運行本数も少なく、「日本鉄道従業員教育センター」で鉄道現場の基礎的な勉強をしたとは言っても、この程度のレベルではしょせんシロウトとの指摘はまぬがれない。それでも、震災被害で休止中の陸泉りくせん鉄道職員らにより、それなりに現場指導等もされてはいたが、活動の場は直接運行に関わらない範囲に限定されてしまっていた。何より、活動に参加するボランティアメンバーは地元高齢者が中心であり、しかものんびりしたSL観光列車だけとあれば、そこには通常の鉄道現場で見られる緊迫感きんぱくかんはほとんど無い。


 ところが、三陸夢絆観光鉄道以外にも、四本レールを利用したガントレットレイル(単複線)方式で、新しくSL観光鉄道の事業許可を申請するところが出て来た。平均時速二十キロメートルで走るSL観光列車のみならず、その数倍の速度で走る通常列車との共通運用が現実味を帯びる。もはやお年寄りがのんびりと旗を振っているだけでは現実済まない。列車の運行も複雑さが予想され、BRTバスの様な対応自由度も無い。


 一方、「日本鉄道従業員教育センター」の鉄道人材教育では、三陸地方のボランティアが負担感無く鉄道現場に出られるように、基本知識コースは受講期間も短く、且つ金額も格安に設定されていた。いわゆるという状況なのだが、SL観光鉄道開業当初は、それでも大きな不具合は生じていなかった。


 しかし、いくらSL観光鉄道にボランティア派遣はけんされているとは言え、実際に同じ鉄道現場にローカル路線が同時運行しているガントレットレイル(単複線)区間での業務ともなれば、一般鉄道会社との鉄道人材教育が要求されるべきではないだろうか。


 さらに、鉄道会社の管理者責任についても、単独のSL観光鉄道よりも厳しい水準が求められる。もちろん、それにふさわしい現場における実地研修教育も必要である。いわゆるOJT(日常業務の中での継続教育)だ。そして、その実施者とは、単複線でSL観光鉄道が乗り入れる既存ローカル鉄道会社となるはずで、なぜなら、保安装置や鉄道施設など、ほぼ全てがローカル鉄道とされる関係になるからである。


 つまり、新規のSL観光鉄道会社では、単複線運行であるが故のプロ人件費の発生をどうするのかという問題が生じて来たのである。三陸夢絆観光鉄道では、既存鉄道の休止区間で実現できていたため、偶然にも単独のSL観光鉄道のごとき現場対応で済まされて来た。もっとも、その陸泉鉄道の休止鉄道区間をうまく利用したいがための単複線計画であったのだが、同じ様な事業企画の新規SL観光鉄道においては、既になのである。許可申請上での審査手続きが厳しい方向へと変わる事は当然の流れだろう。


 本来であれば、鉄道事業法の容認規程である「特定目的鉄道」として、三陸夢絆観光鉄道と同等の「安全性」を確保できれば十分なはずであった。ところが、既存鉄道と共同運行することから、地方運輸局よりプロの鉄道職員の採用を指示されたのである。「安全性」はもちろんこと、「事業を遂行する能力」の要求に対しても、事実上のシロウト集団では許可などできない、という監督機関ならではの懸念けねんが生じていたのだ。


 SL機関士を含む運転士に関してなら、国家資格としての免許が必要なので必然的にプロとなるのだが、それ以外の鉄道係員まで全てプロ要員で運営するとなれば、人件費だけでも相当な赤字に成らざるを得ない・・・・・・。


 そうなってしまう理由は単純だ。観光専用鉄道であるので、運行は土日の日中が中心となる。そう、あまりにも運賃収入機会が少ないのである。これでは固定人件費の負担は難しい。仮に乗り入れ先のローカル鉄道から運行日に職員を借りるにしても、相手先もギリギリの要員数で運営しており人員には余裕が無い。都会なら鉄道会社OBもいっぱいいるだろうが、SL観光鉄道を企画する様な田舎では思うようにいかないのだ。


 例えば三陸夢絆観光鉄道においても、中船なかふね駅長のケンジ君などは社団、すなわち日本鉄道従業員教育センターからの出向である意味には、常勤者の給与負担の問題がそこにはある。また、地域の高齢者ボランティアが、通常の鉄道会社従業員レベルの専門教育を受けることも、これまた非現実的な話となる。SL観光鉄道では、運行日の警備要員など一般の鉄道会社以上に要員も必要とされる・・・・・・。


 鉄道事業の開業において、最も難しい線路用地確保については、ガントレットレイル(単複線)による四本レール方式でクリアすることが出来た。現在では調達の難しいSLについても、21世紀の新製蒸気機関車が手に入る。しかもSPC(特別目的会社)の利用により、事実上のリースである。さらに、観光鉄道会社は「上下分離方式」の鉄道事業者として、鉄道運営だけをもっぱら行えば良いと、ここまで開業への好条件がそろっているにも関わらず、まさかの鉄道人材問題でつまずくとは・・・・・・。


 この件に関して、開業を目指すSL観光鉄道会社から、三陸夢絆観光鉄道や教育センターにも問い合わせがあったという。各社とも、どの鉄道教育レベルのボランティア人材が鉄道現場で実際に使えるのか、そのラインを必死に見極め様としていたらしい。そして、各社それぞれの見解を元に、担当となる地方運輸局に許可申請を行っていた。


 ところが、この状況は三陸夢絆観光鉄道にとって、思わぬ飛び火となってかえって来る。三陸夢絆観光鉄道は、陸泉鉄道が休止中という現状があるとはいえ、本来ならガントレットレイル(単複線)方式で運営されるはず。それにも関わらず、鉄道現場ではシロウト同然のボランティアが大勢手伝っていると・・・・・・!


 元々、震災復興も兼ねたSL観光鉄道計画であったので、ある意味では特例にも近い認可であった事は間違いない。ところが、厳密な審査となった各地の観光鉄道申請者から、この前例にならって緩く認可しろと各地の運輸局は言われたものだから、あわてて上位機関である国土交通省へと相次いで問い合わせをしてしまった。その結果、三陸夢絆観光鉄道への状況聴取にまで発展してしまう。当然、鉄道係員の人材提供元である教育センターにも波及する。


 この予想もしない事態の展開には、若田部理事たちも相当困惑したらしい。これは、ケンジ君にその時の対応状況を聞いた時の話である。


「正直、とても痛いところを突かれてしまったと思いました。指摘の通り、三陸夢絆観光鉄道は、休止中の陸泉りくせん鉄道復活を前提としていましたから。それなのに、あたかも単独のSL観光鉄道として、『特定目的鉄道』の範囲内で着々と進められていった自己矛盾が露呈ろていされてしまったのです。三陸夢絆観光鉄道だけなら、この矛盾に触れずに済みましたが、北三陸きたさんりく重工業のSPC(特定目的会社)スキームがある以上、必ずどこかの時点で論理不整合が起こることは必定だったのですが・・・・・・」


 つまり、矛盾点は最初からわかってはいたが、三陸夢絆観光鉄道の実現時点では、まだ単複線運行は現実問題ではなかったので、いわば関係者全員が片目をつむっていたということなのだろう。


「震災復興は政府方針で行われる特殊事業です。そこには、被災地が現状で出来る事をまず優先して行う暗黙のルールが存在しました。つまり、法規制や手続きは厳格に適用せず、柔軟に解釈されるべきという事情です。そうして被災地自身でやれる事からまず先にやって、とにかく復興の形を可視化するということだったのです。SL観光鉄道などは、まさにこれの典型的ケースでした」


――その辺は理解できますが、三陸夢絆観光鉄道は、決して不法な設立でも運営でなかった様に私には思えるんだけど、当時はいったい何が問題とされた・・・・・・?


「もしも陸泉鉄道が復活しない事を前提とするならば、例えば高価なATSなど陸泉鉄道と同じ保安システムを採用する必要はありません。四本レール走行区間も、観光鉄道側で新規にレールを調達することなく、陸泉鉄道のレールの線路幅を縮めて再利用することさえできました。そうなると通常の二本レールですから、ガントレットレイル(単複線)方式である必要さえありません。駅ホームなども同様です。全ては観光鉄道に合わせて改装すれば済みました」


 ケンジ君は、もはや解決した話だけど、と前置きしつつも、この時が三陸夢絆観光鉄道開業後、最大のピンチであったと言う。


「全ては、休止中の陸泉鉄道が復活する、という前提を置いていた事が理由です。また、当時は地元でもそう望んでいました。だからこそ、観光鉄道の申請において、陸泉鉄道側の資料を代替して済ませられた部分が多かったのです。実際に休止復活が可能かどうかは、僕たちの論議にはありませんでした。なぜなら、陸泉鉄道は三陸夢絆観光鉄道とは別の鉄道会社であり、こちらでコントロールすることができなかったからです」


――確かに、私の以前の取材でも、陸泉鉄道の事情に関してはほとんど出て来ませんでしたよね。別の鉄道会社であるという事実を、どうも時々忘れてるかもしれません・・・・・・。


「被災地の観光鉄道事業として、監督省庁も復興行政も、全てがしての開業準備でした。そこには教育センターから提供される形となった、ボランティア要員も含まれます。現状の優先とは、名目上ではガントレットレイル方式でありながらも、事実上は単独SL観光鉄道としての認可です。許可実態として、陸泉鉄道側への運行配慮は一切無く、あるのはBRT専用バスとの併用軌道での共通運用問題だけでした。遅い速度で走る小型SL列車であるが故に、鉄道現場の係員のスキルレベルでさえも、必要最低限の知識を持ちしっかりした管理監督下にあれば問題無し、としてくれていたわけです」


 地元の陸泉鉄道復活を願う気持ちは本物であっただろうが、実際にBRT専用バスが走り出すと、便利さでは鉄道とは比較にならなかった。都会につながるレールが途切れてしまっても、全国に知られるSL観光鉄道が走る。形式上ではガントレットレイルによる鉄道敷地の共有状況にはあるが、その実態は明らかに単独観光鉄道に違いない! その当時の判断が間違いであったとは思えないのだ。


 それが、突然に形式主義で糾弾きゅうだんされる事態へとおちいった。しかも、未だに陸泉鉄道は休止中であるにも関わらず・・・・・・。さらには、その遠因となったのが、三陸夢絆観光鉄道を実現させた、北三陸重工業のSPCスキーム成立事情のためだったと言う。各地の観光鉄道事業申請者が、北三陸重工業の新製SLを手に入れるためには、まず観光鉄道の事業許可を地方運輸局から受けられるか否かが、SPCスキーム成立のキーポイントとなってしまっていたのだ。


 しかも新規申請者たちは、の線路敷地をガントレットレイル方式で共有する。そのため、鉄道事業申請においては書類上こそ「特定目的鉄道」であっても、鉄道現場の審査では通常の鉄道会社並みの安全運行体制、すなわちプロの鉄道係員レベルを求められていた。これでは地元自治体にとって、現状の赤字ローカル線に加え、さらに赤字のSL観光鉄道が加わるだけになってしまう・・・・・・。


 実は、ケンジ君が津波で流された漁協から、教育センターに転職し、その後、三陸夢絆観光鉄道へ出向となったのは、この一連の騒動が原因なのである。


 震災の片付けと捜索そうさくが続く日々の中で、復興を目指す漁協の統廃合話が本格的になってきた。ケンジ君がいた漁協は、事実上隣町の漁協に統合される事になったが、職員全員を受け入れる事は不可能だと言われていた。あまり世間には知られてはいないが、漁協の多くは赤字経営なのである。震災による政策的統合とはいえ、特に事務部門が倍の人数になることへは受け入れ先にも抵抗があったらしい。


 ちょうどその頃、映像メディアでは悲劇のシンボルとして、流された養殖ようしょくイカダを盛んに取り上げていた。しかし、震災前の実状は、海のキャパシティを超える養殖イカダが乱立し、エサとなるプランクトンが激減し続け、その影響で商品としての養殖物が年々小粒化する一方だったのだ。結果として地域ブランド全体の値崩れにもつながり、それがさらに不当な競争環境を生み出すという悪循環へとおちいっていたのである。そして、赤字の漁協も抜本的な対策を打てずにいたところへ、あの大震災が起こった・・・・・・。


 ケンジ君たちは、震災ガレキの漂流ゴミが大量にただよう海面を見ながら、これを機会にむしろ稼げる漁業への変革ができるのではないかと考えていた。震災により漁師の引退や廃業話もたくさん入って来ていたのだ。それならば漁場の統合と再割り当てが今ならできる、震災による漁協の統廃合はその絶好の機会ではないかと。外洋に出る漁師はいいが、養殖となれば事実上、割り当てられた漁場面積で売り上げが決まってしまう。養う家族が多ければ、それだけ広い漁場が必要だし、老夫婦二人なら、小さな漁場と年金でも田舎なら十分暮らせるだろう。


 しかし、大方の予想はうれしい方に裏切られた。漂流ゴミの大半が片付いた海中を調査すると、海底にこそ、まだ大量の震災ガレキがあったが、海中には震災前以上のプランクトンが戻っていた! 津波により渋滞状態だった養殖イカダが突如無くなったことから、プランクトンが食べられずに大いに繁殖はんしょくしていたのである。


 この調査結果を聞き、一度はあきらめていた養殖漁師たちのやる気が俄然がぜん戻ってきた。それと同時に、漁場の再配分どころか、既存権での継続が是とされる。そこに、ケンジ君たちの将来提言など届かない。以前と同じ状態に復興するのであれば、以前と同じ問題がまた起こる。養殖漁場の復活が始まる頃には、改革案のリーダーとも言うべきケンジ君は、漁協から離れる決心を付けざるを得なかった。漁協が強く統括できていた時代には、まだ割り当ては公平だったと言うが、累積赤字の漁協にそこまでの力は今や無いのだ・・・・・・。


「お恥ずかしい話なんですが、工藤君、いや工藤先生に転職先探しをお願いしてました。彼は行政の仕事もしているので、一時的な復興関連でもいいから、とにかく三陸で働ける場所を探せないかと。それが若田部会長との出会いにもつながりました」


――東京に出るとか、あるいは仙台や盛岡でも、ケンジ君ならいくらでも働き口はありそうだけどね?


「三陸を離れたくない事情があったんです。仲間たちのためにも・・・・・・」


 山中さんが送ってくれた資料には、この間の事情に関して教育センターとしての葛藤かっとうと対応があったことが記されている。ただし、記録というやつは表面的でしかないので、討議された項目と結論こそ書いてあるが、会議の実際まではわからない。ましてや、ケンジ君の個人事情など、そこに書かれているはずもない。

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