第31話 会員だけの限定サービス

 若田部理事は、社団、すなわち「日本鉄道従業員教育センター」の運営には本音と建前があり、いくら私が取材であろうとも、本音の部分は絶対に書くなとくぎを刺す。そのくせ、社団の設立理由は説明すると言うのだから、いったい私はどうしたらいいのだろうか。


 教育センターの表向きの設立理由は、主に中小鉄道会社の人材教育支援だ。その仕組みは、ネットを使った廉価れんかでの専門教育が出来るようにカリキュラムをシステム化したものである。だが、過去には無い方式のため、あらかじめ元大臣経験者など層々たるメンバーを理事に入れ、公的機関に準じたポジションを鉄道業界の中に確保していた。さすがに若田部理事の力はすごいと思わせる。


 しかも、各鉄道会社に「無料お試し」をさせたので、本格稼働が始まってからも、それなりの契約社数が取れていた。ただし実態としては、中小私鉄からの申し込みは予想以上に少なく、むしろ大手鉄道会社の契約社数が圧倒的に多かった。何と大手鉄道会社では教育センターのシステムを、中途採用者を含む新人の入社前における自主的勉強機会として利用していた。恐らく、中小私鉄はこの程度の金額でさえも厳しい運営状況なのだろう。


 その教育センター自体の運営も、ネット上だけで全てのサービスを提供しているので、運営も大変コンパクトに行われている。テキストもダウンロード、テストもオンライン。カリキュラム合格者はネット上で確認できるので、紙の合格証さえ発行しない程の徹底ぶりになっている。


 一方で本音の設立理由となるのは、個人でも鉄道専門教育が受けられることである。その上で、三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道で業務委託契約の派遣要員として現場業務にいてもらう。それにより、例えば三陸夢絆観光鉄道の様に人件費予算が足りなくても、鉄道係員として必要な要員数をアサインすることができるのだ。しかもその人件費は常識よりかなり安い。なぜそんな事が可能となるのか? 実はアサインされた鉄道係員メンバーとは、ボランティアメンバーだからなのである。


 これは脱法行為などではない。アサインされたメンバーは、正しく鉄道会社の管理監督下で鉄道業務を遂行するのだ。その意味では、鉄道法規に抵触ていしょくする問題は無い(そうなる様に、若田部理事以下が組み立てている)。しかしながら、教育センターとボランティアとの個々の関係は、いったいどうなっているのだろうか? そこまでの話は若田部理事からは聞けていない。


 若田部理事から聞いた範囲では、無償で働く人間が大勢鉄道現場に出ている事は、ある意味グレーゾーンでもあり、できるだけ外部にはアピールしたくはない部分らしい。もちろん、国交省以下、実状は正しく理解されているが、それは「特定目的鉄道」だから、すなわち観光専用鉄道ならではのとも言える状況でしかないのである。恐らく、通常の鉄道会社に対してならまずあり得ない扱いなのだ。


 三陸夢絆観光鉄道は「特定目的鉄道」であって、観光専用鉄道の要件を全て備えている。だからこそ、ボランティアメンバーが鉄道現場に出る事も容認されるが、実はそこには潜在的に大きな問題が残されていた。それこそが、若田部理事以下、本音の部分を表に出したくない真の理由となっているのだ。


 その理由とは、三陸夢絆観光鉄道が、震災被害で休止中の陸泉りくせん鉄道の線路敷地を共有する「単複線(ガントレットレイル)」に他ならないことである。現時点では、まだ陸泉鉄道は休止中であるから現実の問題にはならない。しかし、もし陸泉鉄道が再開すれば、同じ敷地を両鉄道が走ることになるのだ! 単複線方式なので、レールこそ共有することはないが、信号やATSなどの安全保安装置はもちろん、運行から駅施設に至るまで両鉄道による同時利用が発生する事になる。まさしく、にボランティア鉄道係員がいることになってしまう・・・・・・。


 そして、陸泉鉄道の列車速度は、SL観光鉄道よりもはるかに早い。その速度差は時に数倍にもなるが、BRT専用バスと異なり、すれ違い時に止まったり速度を落とす事はない。被災休止前の運転時刻に戻すとなると、その様な運行形態となる可能性が俄然がぜん高いのだ。そんな危険な鉄道現場に、果たしてボランティアスタッフが「鉄道係員」として安全に活動できるものだろうか。ましてや陸泉鉄道は365日、朝から晩まで運行されるだろう。今の様な、ある意味で悠長ゆうちょうな平日保線作業もできなくなる。全てが危険と隣り合わせの真剣作業ばかりとなるのだ!


 それに、そもそも教育センターが三陸夢絆観光鉄道と「包括的な業務委託契約」を結ぶことなど可能なのだろうか? これはだからこそ許されたのかもしれないが、それだけではなく、個々のボランティアメンバーと教育センターの関係は? 教育センターに雇用されているのではない以上、彼らはどのようなポジションとして鉄道現場で働いているのであろうか?


 さらには、以前に「社団メンバーは会費を払って活動に参加している」との話も聞いている。だからこそ純粋なボランティアという理解を持ったのだが、どうも私の中の理解では何かが違う。何かがと言うよりも、何もかもが違うという方が正しい・・・・・・。


 東京へと戻る新幹線の車内から、私はダメ元で工藤弁護士に質問メールを入れておく。この人も多忙だから、すぐに返事が来るかどうかわからないが。しかし、意外な事に? その返事はまだ車窓に高いビルが見えないうちに戻って来た!


『第三回 審尋しんじん報告書』


 本文無しで、いきなり難しそうなタイトルの添付ファイルが付いている。ところが、ファイルにはパスワードが掛かっていた。私は仕方なく、再び工藤弁護士にパスワードがわからない旨のメールを打つ。程なく、工藤弁護士から返信が届いた。


「先ほどの添付ファイルは破棄はきして下さいませ。くれぐれも早急に願います」


 どうやらファイルを・・・・・・送り間違えたらしい・・・・・・。パスワードが掛かって無ければ、見知らぬ誰かの争い事でも見ていたところだった。結局、工藤弁護士からのメールは東京駅までには来なかった・・・・・・。


~~~~~~~~~~


 翌日、工藤弁護士ではなく、山中事務局長からのメールが入っていた。何でも、工藤弁護士の代わりにメールしたと書いてある。幾つかの参考資料も付いて来た。どれも案外とページ数がある。私は素早くインク代を計算しプリンターで印刷するのを止め、タブレットにデータを移し替えてから、近所の喫茶店きっさてんにモーニングを食べに行く。


 チェーン店以外では比較的珍しい、完全禁煙となっているその喫茶店には、近くの幼稚園ママたちがすでにたまっていた。子供を幼稚園に預けた後の開放感にあふれ、私は今朝の起床時間が遅かった事を自己反省する。いつもの定番の席には座れず、仕方なくカウンターに陣取じんどった。この席はマスターのお母さんの相手をしなくはならないので、仕事の時にはできれば避けたい。ここは客の方が気を使う店なのだ。ただ、運良くお母さんの方は今のところ店内にはいない模様である。


 すかさずこのチャンスにと山中さんの資料を読む。それほどの時間も経たないうちに答えはあっさり出て来た。「会員について」とずばり説明があったのだ。会員とは、社団、すなわち教育センターのメンバーの事であった。


 一般社団法人「日本鉄道従業員教育センター」は、組織メンバーを大きく分けると、運営者と一般会員とに分かれる。運営者とは理事、すなわち役員として教育センターの運営に当たる経営者である。理事メンバー達は、教育センターに基金を提供しているオーナー、すなわち会社で言うところの出資者から教育センターの運営を委任されている関係にあるが、もちろん若田部理事は自らもオーナーになっている。山中さんの立場は教育センターとの雇用関係であるので、彼は会員ではない。何やらややこしいが、ここら辺は普通の会社と何ら変わらない。


 さて、肝心のボランティアメンバーについてである。彼らは一般会員と呼ばれ、理事ではなく従業員でも無いが、会員になることによって、教育センターから各種のサービス提供を受けられる権利が持てるとある。何か生協とかゴルフクラブの会員の様な感じだろうか。もちろん各種のサービスとは、個人であっても鉄道専門教育を受けられることを指す。


 そんな会員種別は、大きく分けると、正会員・賛助会員・特別会員・個人会員の四つに区分されていた。正会員は教育センターの運営に直接関与する。若田部理事たちがそうであり、社団総会での議決権を有している。一方、賛助会員は教育センターの事業を賛助するが、社団総会での議決権がない。見ると鉄道会社や鉄道関連業者が多い。そして一般会員となる個人会員こそが教育センターのメンバーとして、三陸夢絆観光鉄道でボランティア活動している人達なのだ。なお、特別会員は今のところ該当がいないらしい。正会員たる理事がこれだけの陣容じんようなら、広告塔の様な特別会員など特に必要は無いのだろう。


 つまり、教育センターにおける正会員とは、社団運営に参加する経営陣であり、賛助会員とは、本事業の趣旨に賛成し手伝ってくれるメンバーであり、同時に専門教育を受ける権利も有している。そして個人会員は、専門教育を受ける権利だけを持つ個人メンバーという事なのだ。もちろん、全ての会員には会費支払の義務がある。


 重要なことは、この「会員になる」ことが、教育センターのメンバーとなる事とイコールであることことだ。すなわち、個人会員になれば、教育センターのメンバーとして鉄道現場に派遣してもらえる! 


 会員になる事自体だけでは、観光鉄道会社との雇用関係はもちろん、業務委託関係も発生しない。個人と観光鉄道会社が直接契約を結ぶのではなく、あくまでも教育センターが観光鉄道会社と包括的な業務委託契約を結ぶからである。また「派遣される」とは言っても、彼らは派遣社員ではない。委託業務を遂行する外注要員であり、ただし、現場の管理統制上では鉄道会社に従うのだ。この微妙な曖昧あいまいさも、若田部理事があまり表立って言いたくない理由の一つなのだろう。


 そこまでの理解が私の中で進んで行った時、恐れていたマスターのお母さんが喫茶店に戻って来た。お母さんは私からして見ればかなり珍妙な服を着ていたが、それを見たママたちは口々に「あら、ヨガはいいわよねー」などとベタにめるもんだから、得意になってママ達とヨガ話を始める。一方、私はこれがヨガのコスチュームだろう事をそれでひそかに理解した。ひとしきりママたちと大声で雑談してたお母さんは、突然、カウンターにいる私に気が付く。


「まあ今日はこんな時間に珍しいわぁ。また仕事が無いの?」


 ママたちが小さく苦笑する。もし、幼稚園にも行かない幼子おさなごでもいれば、そちらを主役としてママたちの注意も私になど向かないはずだが、あいにく本日はなぜだか大人だけしかいない。こういう時は完全に好奇こうきのハンティングターゲットとされる・・・・・・。


「この人ね、見た目はだらしないけど、津波被害のことを追いかけてる記者さんなのよ。いつもうちで原稿書いてるのよね!」


 今度はママたちが小さく感嘆かんたんする。まるで失職中から社会派記者へ転身したかの様だ。しかし、私は三陸夢絆観光鉄道を取材しているのであり、申し訳ないが津波被害のレポートを書いているわけでない。そして、この喫茶店でいつも記事を書いているわけでもない。


 しかし、突然、ママの一人がその記事なら知っていると言う。一瞬ドキッとする。やはりそれなりの部数の雑誌は違う! だが、聞けばその記事は全く別人のレポートだった・・・・・・。


――実は、三陸夢絆観光鉄道というSL観光列車についての記事を連載していまして・・・・・・。


 何かと詐称さしょうが問題となるこのご時世、やはり間違いは早めに訂正しておかないと。


「じゃあ、いわゆる鉄っちゃんね!」


 それもそうじゃない。さらにお母さんが適当な合いの手を入れるので、いくら正しく説明をしても話はママ達の間で混ぜこぜとなって進んで行く。これはさっさと食べ終わって河岸かしを変えるべきか。


「私もSL列車の車掌しゃしょうか駅長になりたいわ!」


 唐突とうとつにママの一人がそう発言する。思わず私はその人を見てしまう。


――鉄道が好きなんですか?


「子供がね、電車とか大好きなの。でもそれが理由じゃなくって、私も実家が田舎で、東北じゃないけどね。田舎にそのまま住んでいたら絶対に車掌さんとかやりたいわぁ!」


 見た目は都会のセレブなママさん。言われなきゃ田舎出身には絶対に見えない。まあ、都会という場所はおおむねそういう世界なんだろうけど。それにしても、なんでSL観光列車の車掌やら駅長をやりたいのか?


「別に車掌さんじゃなくても良いのよ。たまたまテレビで芸能人が車掌さんやってたのを見ただけ。私はね、外から人がいっぱい来るところで、普段の生活とは違うことができればいいんだから。駅長さんでもいいわねー!」


 またもひとしきり各自勝手な発言が続く。仕切っているのはお母さんだ。私はマスターの方を向くが、彼は料理の仕込みをしながら決して私とは目を合わさない。


――鉄道が好きでなくても、鉄道現場に出たいってことですか? それはボランティア精神から?


 彼女は「違うわよ」と否定する。田舎は毎日が同じ人と同じ生活の繰り返しで、そんな気分を変えるのが、若い子ならネット、大人はカラオケやパチンコらしい。だがそれは結局、時間とお金を浪費することでもある。その点、観光鉄道のボランティアなら、観光客とも話ができるし、自分が求められる存在しての非日常空間として楽しそうだと言うのだ。そして、これが労働となれば、とたんにいやになるだろうとも。何よりも、自分のペースで参加できることがとても重要らしい・・・・・・。


 何だか、昔のスキー場を思い出す。アルバイトでやとわれている地元スタッフ以外に、どうしてだか勝手に手伝いに来る地元連中がけっこういた。きっとスキー場には田舎の日常とは違う風が吹いていたからであろう。


 都会育ちの他のママ達には、どうやら彼女の感覚がわからないらしい。お金をもらわず働くなんて絶対ダメよ、などとマジメにしかっている。喫茶店のお母さんに至っては「そういうのは年金もらってからにしなさい!」などと、それこそ現実を超越したお説教までしている。


 若田部理事の「ボランティアは鉄道マニア以外の方が多かった」という話は、もしかしたら、こういった田舎事情も背景にあるのかもしれない。ボランティアは必ずしも都会からばかりでは無いという。机上だけではダメ、やってみないとダメとは、まさしくその通り。単に教育センターの仕組みがわかっただけではダメなのだ。相変わらず騒々そうぞうしいママたちの会話を追いやり、頭の中で今までの取材を目を閉じて反芻はんすうする。


「食べないのなら、もう片づけるわよ!」


 いきなり思考を邪魔じゃまされる。ここのカウンター席は、ゆっくり一人で考える時間さえくれないのである。言葉をかけられた時、すでにお母さんは、私の食べかけのサラダをゴミ箱に捨てている最中だった。最後の楽しみに残していた、これ以上は無理だろうという、マスターの芸術的薄切りトマトがゴミ箱へと消えて行く・・・・・・。

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