第30話 観光鉄道との委託契約
「日本鉄道従業員教育センター」は、一般社団法人として、その名称のとおり「鉄道従業員の教育」を行っている。実はこの様な鉄道人材教育を行うサービス会社は案外とあるのだ。それなのに、なぜ新しく鉄道人材教育を始めたのだろうか。若田部理事は、その本当の狙いを説明する。
「地方の中小私鉄のみならず、それなりの大手鉄道会社だって、できるだけ人件費は
――では、その業界に参入するために社団をお作りになった?
「それは表向きの話としてだ。より安く、だけど質は落とさずに、という教育サービス内容を山中たちに考えさせた。運転士資格は鉄道教習所じゃないから無理にしても、それ以外のことならかなりの所までできると判断したからな。そして、ここからが肝心の話だ」
若田部理事は、お目当てのイラストが書かれたスライドを探し出そうとするが、またも見つからない。私にも探せと指示するが、私は目指す現物を見たことが無いので全くわからないのだが・・・・・・。
「まあいいわい。本音の話からだったな。それはな、個人に鉄道教育を受けさせて鉄道現場で使えるようにすることだ」
――ちょっと待ってください、鉄道会社の所属でなければ、そういった専門教育は受ける事ができないはずでは・・・・・・?
「それは運転士だけの話だわ!」
少し前の会話を思い戻す。そうだったが、でも、個人が専門の鉄道教育を受けたからって、どうやって鉄道現場で働くのだろうか? 例えば、もし
「いいか、いくら知識があるからと言って、勝手に鉄道現場に出たら犯罪だぞ。当然、鉄道会社の管理監督下において、鉄道業務に当たる事になる。だけどな、何も正規雇用だけが鉄道会社の所属とは誰も言っとらん」
――という事は、例えば臨時雇用、アルバイトとか?
「それじゃ人件費が発生するだろうが。仮に本人が無償でもいいと言ったって、余程に責任が限定されたボランティアでも無い限り労働基準法とかに抵触しかねないわ。鉄道業界なぞ労働組合が強いから、他社の組合員からも横やりが入るわい」
しかし、ボランティアでは鉄道現場には出られない。鉄道会社の所属となるなら、今度は無償雇用ができない。他に何か抜け道があるのだろうか、例えば非合法なやり方で・・・・・・。
「怪しい仕組みを考えたとでも思ったか! そんな事せんわ。正攻法で進められない仕事は必ず
――つまり、自前の鉄道現場従業員はゼロ! という事ですね?
「そうだ。そこで次に山中に考えさせたのが、どうしたら三陸夢絆観光鉄道にも同じ仕組みが導入できるか、ということだった。その結果が、鉄道人材教育を行う機関を作り、そこと観光鉄道とで業務委託を行うと。ただしな・・・・・・」
若田部理事は少し間を置き、手元のお茶を飲む。
「いくら鉄道業務を受託しますと言ってもだな、監督官庁が認める様な相手じゃないと許されない。そりゃそうだわな、業務丸投げして安全運行が
安くて手軽で確実な効果がある! 何やらダイエットの宣伝みたいだが、その仕組みこそ、社団となった「日本鉄道従業員教育センター」である。ここからは社団ではなく「教育センター」と称して行くが、サービス開始直後の教育センターには、同業者とは違う幾つかの特徴があった(現在では多少変更されている)。
・鉄道会社所属は問わない
・高度な専門領域は教えない
・専門教育はネット上だけで行われる
・各過程において終了試験が行われる
「鉄道会社所属は問わない」とは、個人として受講が可能という事だ。原則は鉄道会社にサービスを提供するものであるが、鉄道会社に所属していなくても構わないということである。
「高度な専門領域は教えない」とは、鉄道係員として現場配置になる場合の、基礎的内容だけに限定している事を指す。もちろんそこには段階的なカリキュラムがあり、JRや大手私鉄が行う基本教育に準じている。
「専門教育はネット上だけで行われる」とは、ネットを使った通信教育ということである。座学が中心となるが、実技に関する研修範囲も、動画や3Dアニメ等で提供される。
「各過程において終了試験が行われる」とは、講義内容を理解したかどうかテストされるということだ。当然、不合格もあり、落第すれば上級のカリキュラムには進めない。鉄道会社なら実技を伴う様な内容も、バーチャル画像で疑似操作させてチェックできる。
人材教育に思うように時間とお金が割けない中小鉄道会社にとって、このシステムは使い勝手が良いはずだ。しかも、ネット上だけで全てが済ませられるので、圧倒的に安い。
――ところで、個人への専門教育ができるというメリットは何なんでしょうか?
「それを今から説明するところだ。何回ワシをせかすんだ!」
取材とは難しい。本来、私は気楽な旅ライターのはずなのだが、今や何か違う世界にいる・・・・・・。
「いいか、どこの鉄道会社でも使えて、さらに実際の鉄道会社で使ってもらっている実績があること! これがあってな、初めて周囲から認めてもらえるんだ。教育の中身は、それこそ鉄道教育の専門家連中に作らせたし、彼らが所属する公的機関とも提携している。そこら辺は、まあワシの顔でやってやったわ。本来は鉄道会社所属で無ければ意味のない専門教育が、ではどうして個人に必要なのか? それはずばりな、ボランティアへの専門教育のためだ」
――ボランティアへの専門教育?
「そうだ。鉄道現場にシロウトは使えないからな」
――なるほど、基本的な専門教育を受けていれば、鉄道現場ですぐ使えるようになりますね!
「なる! と言いたいが、そうは甘くは無いぞ。鉄道法規にも明記されているが、鉄道現場の従業員は鉄道会社の管理監督下に置かれねばならない。ボランティアでは法が要求するところの管理監督下の定義には入らない。ま、そう山中が言っていたわ」
鉄道の知識があるだけのボランティアなら、鉄道マニアだって相当な知識を有しているだろう。それを持って鉄道現場に入れるのかというと、答えは否でしかない。だからと言って鉄道会社の所属となってしまえば、無償奉仕で労働をさせる事への問題が生じる。その矛盾は、まだ私の中では解決できていない。
「さっきまでのワシの話を覚えているか? 鉄道係員はな、鉄道会社と直接雇用契約をしていなくてもいいのだ。雇用契約と管理監督下にあることは、必ずしも完全合致ではない。だがな、管理監督下にある状態とは、鉄道会社がコントロールし業務責任を負う関係あるという事だわな。そこで社団法人自体が、観光鉄道から業務委託契約を受けるようにしたのだ」
――委託を受けると鉄道現場での業務ができると・・・・・・。
「社団法人がな、観光鉄道を相手に包括的業務委託契約を結ぶ。包括的とは言っても、受けられる業務範囲は大よそ決まっているが、
つまり、こういう事か。三陸夢絆観光鉄道を実現するにも、必要なだけの鉄道従業員の人件費負担が難しい。かといってシロウトのボランティアでは鉄道現場で使えないし、鉄道会社の管理監督下に置かれていると言えない。そこで、教育センターが法人として観光鉄道と包括的業務委託契約を結び、鉄道業務の一部分を教育センターが派遣する人材が
――その派遣させる人材に対して、鉄道教育を受けさせるという事なんですね!
「ところがな、それがどうもうまく行かなかった。ワシが当てにしていた高齢被災者、彼らが全然興味を持たないんだな。観光鉄道のボランティアはやってもいい。だけど鉄道教育など受けたくはないと。ましてやお金を払ってまでして誰がやるんだ? という反論まで出てな。
――あの、私がSL列車に乗っていると、けっこう高齢者の方が鉄道業務に
「ああ、あれはボランティアメンバーだわ」
やっぱり話が矛盾してないだろうか? 何か論理がおかしいぞ。私は自分の質問意図が正しく通じていないかもしれないと、再度同じ疑問を投げかけるが・・・・・・。
「だからな、あの人たちはボランティアメンバーで、ちゃんと鉄道教育、社団のな、それを受けて鉄道現場に出ているんだ。もちろん、社団から派遣されているんだぞ。ただしだな、地元のメンバーよりも、今じゃ圧倒的外部の人間だ」
――外部の人達とは、三陸の人ではないと?
「そうだ。でもな、実はそこに至るまではさっきの話のとおり失敗の連続だった。地元の高齢者たちがな、何か地元のために役立ちたいと思っても、お金取って勉強させてから現場に行かせようなんてしたら、誰も動かなくて当然だわ。逆の立場になれば良くわかるぞ。お金もそうだし、新たな勉強もしたくない・・・・・・。この失敗は、ワシらの目的意識が高過ぎて理論先行のせいだった。人がどうして動くのかという、その心の部分を完全に忘れておったわい」
――もし仮に、研修費用を全額誰かが負担していたとしても、同じ結果だったでしょうか?
「恐らくな・・・・・・。ボランティアってのはな、何でもいいからタダで手伝うってもんじゃない。自分がやっていいと考えている事に対してのみ、無償奉仕してもいいと思うわけだ。ところが、ワシらは震災復旧ボランティアの延長感覚で、観光鉄道も震災復興の一環だから、きっと地元の人達はやってくれるだろうって勝手に思い込んでいたんだな。震災復旧作業で役立つ事なら何でもやります、という気持ちと、観光振興のために何でもやります、というのは似ている様に見えるが全く違った。ワシらも大いに反省したんだぞ」
自分に置き換えてみる。ボランティアとは何か。無償奉仕ができるのはなぜか。そこには、自分自身に納得性があるからこその無償奉仕があるはずだ。観光鉄道を実現するため、無償の鉄道職員になるということが、本人にとって納得する事なのだろうか。ましてや、専門分野の勉強までしなければならないという・・・・・・。
「三陸夢絆観光鉄道の事業申請許可がな、いよいよ降りるかもしれない時になっても、まだ鉄道職員の問題は実は解決していなかったわい。そんでな、ワシも腹を
私自身の目で、三陸夢絆観光鉄道で働く大勢の社団メンバー、すなわち教育センターから派遣されているボランティアメンバーを確認している。彼らは間違いなく教育センターでの専門教育を受けて現場に配置されているのだろう。そうでなければ、安全に直接関わる作業、そう、私が以前に
――という事はですね、それだけ多くの鉄道マニアが各地から集まって来たと?
「中には鉄道マニアもいるわな。だが、意外とそうじゃなかった。ワシらも最初は鉄道マニアが殺到したのかと思ったが、実際は半数が普通の人達だった。何事もやってみないと、机上だけで想定してはダメなんだな・・・・・・」
そういえば、海外の保存鉄道ボランティアも、鉄道マニアばかりではないと聞いたことがある。そして、もう一つそういえば、若田部理事の予定は大丈夫なのだろうか? 内線のコードは外され、秘書の女の子も全く会長室に入って来ない。忙しく事務の女の子が出入りした工藤弁護士事務所とは正反対の静けさである。
「当たり前だ。ワシが入って来るなと言ったら、ワシが呼ぶまで絶対に誰も入って来んわい」
これが、大企業のトップなのか! 私たちが会長室から出ると、そこには明らかに若田部理事をずっと待っていただろう複数名の焦った顔があった。「今から順に聞くから、トイレくらい行かせてくれ」と、理事は彼らの顔も見ないで
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