第29話 SLのプライべートユーズ

 鉄道とは、鉄道だけが持つ「線路」という特殊装置の上に存在し、他の交通機関とは根本的に異なる乗り物なのである。その生まれからして大量輸送だけを命としており、他の自動車・船舶・航空機の様に「プライベートユーズ(個人利用)」など、最初から全く存在していなかった!


 文章ではわかりにくいかもしれない。とにかく鉄道の特質とは、ことにきるのだ。それは、いっぺんにたくさんの重たい車両を効率よく動かすには好都合なシステムであったが、線路幅がわずかに違っても相互乗り入れができない。すれ違いなどでも他の鉄道車両との調が必要とされる。すなわち、個人が自由気ままに走らせることなど一切できないのが鉄道なのである。

 

 それに対して、他の自動車・船舶・航空機は、道路にせよ海にせよ空にせよ、法に従ってさえいれば操縦そうじゅうは自由だ。さらに、港や空港は大きさの異なる船舶や航空機でも受け入れられる。つまり、鉄道以外なら、個人の好きな所に自由なルートで思うままに移動することができるわけだ。それ故、の道具としても発展してきた。輸送機能だけではなく「趣味」としての世界の確立である。金持ちはより能力が高いもの、より高級な乗り物を嗜好しこうし、それが今の伝統ブランドにまでつながっている。


 一方、鉄道はどうだったのか? プライベートユーズが無かったという鉄道の歴史は、プライベートユーズに適した鉄道車両など存在させ得なかった。例えば機関車には、大量輸送に資する能力だけが求められ、SLはボイラーの大きさがその出力を決める以上、趣味で扱える様な極小ボイラーをせた超小型SLなど、機関車としては存在する余地が無かったのである。


 鉄道歴史の結果として、後世になってからプライベートユーズでSLを趣味として楽しみたいと願っても、それに適したSLは元々存在していない。鉱山など産業機械として例外的に存在した超小型機関車にしても、現場での荒っぽい扱いに比例して、現在まで程度良く保存されている車両は稀有けうである。ケンジ君たちが小型SLを探し回ったが、それが難航したのも当然なのであった。


 あるいは、プライベートユーズが無いという事は、鉄道という世界には「プロフェッショナル」しか存在しないという事情にもつながる。鉄道以外の全ての移動手段では、プロアマの操縦者が同じ空間に混在しているのだ。道路ではプロドライバーとサンデードライバーが一緒に走り、それは海でも空でも同様。違うのはレールの上を走る鉄道だけなのである。


「鉄道のハード部分、車両や施設とか、そっちの方ばかり皆が検討していたが、組織運営で最も難しいのは人材だ。お金を出せばそれなりの人材が集まるだろう。しかし、三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道にお金は無い。しかも鉄道はプロだけの世界だ。この矛盾をどうするか? 海外の様にボランティアを使いたくても、主要な鉄道業務のほとんどは専門的なプロ業務だから、いくら人件費が掛からないと言ってもシロウトなど危なくて使えんわ」


 若田部理事から聞かされる話は、私も乗り物に多く関わっていながら今まで考えたことが無かった。大企業の経営者は我々とはかくも違うスコープを持っているのだろうか。そう言えば、震災復旧工事でも、全国から支援の重機が貸し付けられたにも関わらず、肝心のオペレーターがいなくて動かせなかった! という話を聞いたことがある。他人ひとの金・他所よその人材・外部そとの知恵を使ったからこそ、三陸夢絆観光鉄道は実現できたと言うが・・・・・・。


「海外ではできて、日本ではできない事などあるわけない。ワシも最初はそう考えていたが、鉄道の専門家を呼んで色々と話を聞くうちに、これはは無理だな、と次第に思うようになった。鉄道法規がある以上、シロウトに鉄道業務をさせることは法に反する事になるわな。そうかと言ってだな、急に法律を変える事もできん。三陸夢絆観光鉄道だけを考えるから、どうしてもそこに限界がある。何か鉄道業界全体に関わるやり方を探す出すしかないとな、それを山中に考えさせた。アイツはうちをクビになってひまだったしなぁ」


 会社をクビになって、暇を堪能たんのうしている人がいるとも思えないし、ましてや元の勤務先のオーナーから個人的に頼みごとをされるなんて、いったいどういう気分になるのだろうか・・・・・・? 


「山中の結論もな、ワシと同じく三陸夢絆観光鉄道の都合を中心に考えたらダメ、って事だったわい。日本には日本のやり方がある。明治の開国以来、日本という国は海外の文化を決して直輸入のままでは受け入れず、全て日本風にアレンジして育てて来た。それでな、今一度、鉄道会社におけるプロとはいったいどんな定義だろうって調べてもらった。そしたらな、鉄道業務のプロとして認識されるのは、鉄道会社の管理下ある『鉄道係員』だけなんだと言う。鉄道法規が想定しているプロとは、あくまでも鉄道現場に関わる要員だけだったんだな」


――つまり、運転士とか駅長とかですね?


「うん、そうだ。このスライドを見なさい。ここに文字が四つ書いてあるな。それを読んでみなさい!」


 私は若田部理事の部下でも生徒でもないんだけど・・・・・・。


――「職制しょくせい」「服務ふくむ」「資格しかく」「懲戒ちょうかい」、何でしょうか、これは?


「鉄道法規が定めている『鉄道係員』に関わる規定だな。鉄道現場に関わる職員は、この四つの規定を守らねばならない。つまり、この規定を守る立場にあることが、イコール鉄道のプロというわけだ。具体的な雇用こようの方法については鉄道法規では触れてないな」


――鉄道会社の正社員とは何か、という規定は無いんですね?


「正社員とか雇用関係とか、そういったことは、鉄道現場の規定には出て来ない。鉄道法規は鉄道事業に関わる事だけを定めておる。雇用に関しては、一般の会社に関わる法律と全く同じだな。と言うべきか、鉄道会社も法律上では普通の会社でしかない。ただ営業種目が鉄道なだけで、これは航空会社でも同じだぞ」


――鉄道会社と普通の会社がいっしょとは・・・・・・?


「ごく普通の法人組織でしかないということだ。すなわち、法人としてもし株式会社なら会社法の適用がなされるに過ぎない。うちの会社も鉄道会社も、会社として適用される法律は同じだという事だな。ただし、営業分野が異なれば、業種ごとに適用される法律規制が異なる。考えれば当たり前の話じゃないか。航空会社には航空会社の、ガス会社にはガス会社の法律がある。鉄道法規が定める『職制』『服務』『資格』『懲戒』の四つとは、鉄道現場で守るべき規則や罰則ばっそくというわけだ」


――となると、それさえ守っていれば、あとは自由にやれるってことですね。


 若田部理事は「そうじゃない」と言いながら、立ち上がってドア越しに、新しい飲み物を持って来るようにと大声を出す。


「鉄道の様な公共交通機関はな、国交省から厳しく監督される関係にあるんだ。鉄道会社の新規設立時の許可審査からしてそうだわな。自由にできるなんて部分はまず無い。しかしだな、きちんと法が認めていることをやるのであれば、何も文句は言われないんだぞ!」


――法に認められていること・・・・・・ですか?


「許認可なんてものはな、認められている事をやる分には手続きがスムーズなんだ。例外をやろうとするから、安全性とか前例とか色々言われてめるんだわ。だったらな、認められているものを作り、それを導入する限りにおいては何ら問題なかろうとな!」


 ドアがノックされ、秘書の子が飲み物を持って来る。戻りぎわに若田部理事にメッセージが並んだメモを渡す。それらを一瞥いちべつした後、ポケットしまいながら、急に私に向かいニヤリと笑った。


「おい、社団の設立理由が知りたいか? それが今日の目的だったわな。今から話すが、でもな君、これは絶対に書いちゃならないぞ。世の中には本音ほんね建前たてまえがある。どうだ!」


 そう言うと、急に私の近くに顔を寄せる。大企業の会長である。その迫力に一瞬気をまれそうになる。これじゃ、一種の恐喝きょうかつ現場の様でもある・・・・・・。


「ワシはな、三陸夢絆観光鉄道の人件費をどう抑えるか、そのベストな回答は、ずばりお金の掛からない人材を使う事だと考えていた。だがな、鉄道現場にシロウトは使えない。それじゃ、鉄道のプロとは何か、そこからまず山中に調べさせたんだ」


 話しながら若田部理事は、自分が探しているスライド画像が見つからないのか、何度もモニター画面を行ったり来たりさせた後、突然、リモコンで電源を切った。元々音など出ていなかったはずなのに、急にあたりが静かになった様な気がしてくる。


「人材問題さえ片付けば、残りの問題は解決策がある。ワシの財布なんか当てにしなくても、お金なんぞどこからでも引っ張って来れるわ。防潮堤を走らせることだってな、やり方次第で絶対に実現すると自信はあった。最大の懸念けねん事項はSLだったが、それも解決できた。だから、ワシがやるべき仕事は、ずばり観光鉄道の人間をどうするかだった」


 もしかして、その秘策こそが「日本鉄道従業員教育センター」なのか? 若田部理事が私をおどした様に、この社団の目的には表裏がある。それは間違っても不正行為などではなく、むしろ、三陸夢絆観光鉄道に続く、各地で申請中のSL観光鉄道にとっても福音ふくいんにつながる構想となるのだが、実は社団発足当初は誰もそこまでは気付いていない・・・・・・。


「高齢被災者にも、元気で動ける人がたくさんいた。時間があるので何かやりたいとワシも現地見舞い行くと常々頼まれていた。そんな彼らに観光鉄道を手伝ってもらえば、少しは将来への希望も持てるんではないかと、そんな事も思ったが、鉄道業務にシロウトが働ける場などわずかしかない。そのうち、何とか彼らに専門的な教育ができないか、その上で、鉄道法規にのっとった管理体制下にあれば、鉄道現場に出られるのではないかとな! すぐにそれも山中に言って可能性を探らせた。結果は理屈的にはおおむねゴーサインだった」


――シロウトに鉄道専門教育を受けさせ、鉄道会社の管理下に置くボランティア!


「そうだ。ところが、すぐに壁に突き当たってしまったわ。個人に鉄道専門教育を行う機関などなかった。鉄道教育とは、プロとして鉄道会社従業員だけが受ける世界だったんだな。だから、大手鉄道会社の教習所などは、どこでも『鉄道会社の所属』であることが入学の前提条件とされていたわけだ」


――そりゃそうでしょうね。鉄道会社に入らなければ鉄道現場など一般には無関係ですし・・・・・・。


「ワシもこれでは難しいと思ったわい。ところが、山中が面白い事を発見してきた。鉄道教習所の様なところは、座学もやるがメインは実地教習だと。車の教習所と同じだな。その実地教習があるからこそ、鉄道会社に所属しているかどうかを入学で問われると。もし座学だけなら、それは個人でも受講だけは可能だと言うんだわ! その代り、実技に関する一切は受けられないとな」


 それは全く知らなかったが、確かに鉄道会社の所属でもなければ、鉄道専門教育など必要無い。鉄道会社の所属が求められるのは、他社からの教育委託を受ける形になるからだと言う。実は鉄道教習所とは、基本的に自社社員のための教習施設であるが、中小私鉄には自社教習施設や体制を持たないところが多く、大手の鉄道会社が代理教育する関係が続いているのであった。


「教習所は、正しくはな、おい、モニターが消えているぞ!」


 何っ、さっき自分で消したのに・・・・・・! 私は再びリモコンのスイッチを入れる。最新機器のはずなのに、いや最新機器だからだろうか、昔の真空管テレビの様にすぐには画面がかない。その間、若田部理事は、ポケットの中のメモを取り出してチェックしている。他の予定は大丈夫なのだろうか。


「どこかに教習所のスライドがあるからな、おお、そこだ。あのな、教習所、そう、教習所の正式名称はここに書いてある通り『動力車操縦者養成所どうりょくしゃそうじゅうしゃようせいじょ』だ。わかったか?」


――はい、まあ、読んで文字のとおりだと思います。


「何じゃそれは、全くピントがずれてるわ。ここが一番のポイントだ。ずばり『動力車操縦者』とターゲットが書いてあるだろが!」


――「動力車操縦者養成所」ですね。あれっ、これって運転士の事だな。


 ピントだかポイントだか、どちらがズレているのかわからないが・・・・・・。


「そうだ。他社の鉄道教習所まで行ってやらせていること。これはずばり運転士免許の取得のためだ。鉄道現場で国家資格が求められているのは、事実上この運転士だけだとワシも初めて知った。もちろん、電気工事とか専門資格が必要な仕事はあるが、鉄道だけにある必要な国家資格とは運転士だけでな、あとは全て社内での資格だという。つまり、運転士以外は、中小鉄道会社であっても基本的に社内教育があってな、おい、次のスライド、そうここに書いてある様に、実際に鉄道法規上でも『鉄道会社内において必要な知識や技能を保有させよ』と、そのための教育及び訓練をな、鉄道会社自身が行えとなっている」


――つまり、国家資格となる運転士だけは、試験を受けるのに使用する車両や施設がある教習所にお願いするしかないが、それ以外の鉄道係員教育は、自社でやるのが原則だという事ですね・・・・・・。


 次のスライドには、受験者の氏名住所など鉄道運転士免許のが映っていた。その記載事項には「所属事業者名」もある。鉄道会社に所属していなければ、鉄道運転士にはなれないのか・・・・・・! そして「所属事業者名」は、運転士免許への必須記載事項にもなっているのだった。


「だけどな、教習所が預かっている代理教育中の運転士受講生にしたって、教習所側は鉄道会社への所属こそ求めているが、その雇用関係が正規雇用だろうと非正規雇用だろうと、そこは問題とはしていなんだな」


 それから若田部理事は、社団、つまり「日本鉄道従業員教育センター」設立までの経緯けいいを語ってくれた。もちろん、本音と建前、すなわち表と裏の両方を、である。

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