第28話 外国ならできて日本ではなぜできない

 若田部理事の話が進む中、何度も秘書がメモを持って来ては「会長、失礼します」と中断する。その度に何やら指示を出す。やはり表面上では引退して社長職こそ譲ってはいるが、大企業オーナーはかくも忙しいのだ。


 しかし、すでに何度目かとなる中断の後、とうとう「もう入って来るな! 電話もつなぐな!」と彼女を一喝いっかつする。全くもって彼女の責任などでは無いのだが、会長を独占している私までも恐縮きょうしゅくしてしまう。同じ忙しさでもどこか工藤弁護士とは違う重みを感じざるを得ない。いや、別に工藤弁護士が軽いと言っているわけではないが。


「自分で判断できない部下を作ったのは、ワシの責任だ。できるだけ対応すべきなのはわかっているが、ワシだっていつ死ぬかわからない。自分たちで判断できないなんて甘えた考えだし、それは最終決断への責任逃れにもつながる。いざという時に各自が自分自身で判断できなければ、組織として危機管理などできやしない」


 圧倒される私を前に、若田部理事はのどかわいたと、再び彼女にコーヒーを持って来いとドア越しに怒鳴どなる。それなのに、彼女は笑顔を絶やさず自然に対応する。理事は私の様子に気が付いたのか、少しフォローを入れてくれる。


「これが秘書業務ってやつだ。いちいちトップの感情に自分が振り回されていたら、秘書など務まらないわ。ホステスじゃないんだからな秘書業務は! まあ、これをネットに匿名でブラック企業とか書かれたりするがな」


――何やら非常に社会勉強になります・・・・・・。


 そう言うのが精いっぱいである。それからちょっと沈黙があったが、その後は色んなエピソードを語り、どんどん時間だけが経っていく。むしろ、私の方が心配になる。そう、前回の民宿でも、違う方面に話が進んだまま終わってしまったからだ。まあそれはそれで、大変にありがたい内容ではあったのだが・・・・・・。


「心配するな、今からちゃんと説明してやる。だけどな、これは君の正確な社団への理解のためであって、そのままを記事にしてもらっちゃ困るんだな。もちろん、その理由も含めて説明するぞ」


 そう言うと、若田部理事は再び秘書を呼び出す。彼女は会長室にある大型モニターを手早く準備する。用意された画面には「日本鉄道従業員教育センター」と映し出されていた。


「このスイッチは上下だったかな、それで切り替わるんだよな?」


「ハイ、そこを押すだけでスライドは変わります。終わったらまたお呼び下さいませ」


 彼女は私に会釈えしゃくして出て行く。その笑顔に私は秘書業務の大変さを感じる。この気の配り方、山中さんだけじゃないんだ、大企業って世界は・・・・・・。


「ワシ、かなり目が悪くてな、これ位の大きな画面じゃないと文字が見えないんだ。この大きさでも読むのが辛いから、君、これ渡すから切り替えてくれ」


 そう言って若田部理事は、私にリモコンスイッチを押し付ける。何だか私までもが秘書になった様な気分だ。会長室の雰囲気が成せる技か、恐らく大会社の従業員は、皆なこういう緊迫体験を日常的にしているのだろう。でも、会長や社長と一対一で関われる業務なんか、大企業の中ではほとんどあり得ないのかもしれない。


三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道の事業計画はな、単独の鉄道会社計画としては無理があり過ぎた。もしこれが単独で実現できているのなら、他の地域でもSL観光鉄道がとっくに実現しているわい。いいか、金も無い、機関車も無い、人もいない。おまけにそれを解決する知恵も無い。でもな、事業のスタートとはそこからなんだ!」


――それで、「他人ひとの金」「他所よその人材」「外部そとの知恵」を使ったと? その話を今回の取材中にもうかがっています。


「そうだろうな、実際にそれしか方法が無かった。前にも言ったかもしれんが、他人のポケットの財布さいふを当てにするのは事業なんかじゃない。寄付やスポンサーの話と投資話とは全く違う。まず、その事から教えねばならなかったんだぞ。うちの経営企画とか連れて行ってな、一から教えてやったわ。まあ、それはいい。だがな、ここで『運』が動き出したのは、新しくSLが作れれた事と、線路用地の手配がいらなかった事だ。これはワシも『運』だと思った」


――岩木教授も、確か「これはあくまでも運だ」って言ってました。


 若田部理事は「あのイカレ教員にはびっくりした」と言うと、ハァーっと大きくため息を吐いた。


「だいたい、ワシにタメ口というのか、対等に口は聞いてくるし、最後には研究費をくれとまで迫って来たんだぞ。ただな、ヤツがいなければ、恐らくスタートできなかったプロジェクトなのは間違いないんだわ・・・・・・」


 当時、何かしら騒動があっただろう事は容易に想像できそうだが、岩木教授の怪しい研究が無ければ、そして古典機械図面のデジタル化が無ければ、まさしく三陸夢絆観光鉄道は実現していなかったと思うのだ。若田部理事は、鳴り続ける内線の受話器をちょっと持ちあげ、すぐに置く。呼び出し音はそこで止まった。すると私に、スライドを次の画面に切り替えるように指示する。


「鉄道のジャーナリストだからわかっているだろうが、お金があるだけでは鉄道なんて作れんのだ。もちろん、お金が無くては作れない。鉄道事業のスタートに必要なもの、それは大まかに言って鉄道車両と線路用地と鉄道設備の三つだ。陸泉りくせん町で、あの巨大防潮堤の上にSL列車を走らせるとぶち上げてから、最初はその資金を誰が出してくれるのか、そんなバカバカしい議論が起こったわい。それでワシの所にも色んなハエがすぐに飛んで来おった。ワシが、これは面白い、ぜひ実現しようと言ったせいだな」


――確かに、理事がそうおっしゃったと聞いています。


「モニターを良く見て見てみなさい。防潮堤の工事がいかに大変か」


 それは、巨大防潮堤の工事を映していた。見るからにお金が掛かっていそうな大がかりな工事だ。


「いいか、一番お金のかかる工事はな、国がやってくれているんだ。おい、次のスライド!」


 ハイ、と返事しつつ、私はまるで秘書の様にリモコンに飛び付く。なぜか画面が前のコマに戻る。あわてて先へと進める。これ、もしこの会社の社員だったら相当にあせるシーンだろうな、こんな子供でもできる単純作業なのに、人は委縮いしゅくすると簡単に出来る事もできなくなる・・・・・・。大型モニターには、防潮堤を走るSL列車が数カット同時に映っていた。


「観光列車が走っている部分を見なさいな。君、これどう思う?」


――どう思うというか、防潮堤の上を走っているとしか私には見えません。線路の橋脚きょうきゃくが別になっている写真もある様ですが・・・・・・。


「そうだな。そういう事なんだよ! つまり、防潮堤の工事は大がかりだけど、そこに線路を併設する工事はそこまで大変じゃない。こっちの写真では新たにコンクリートで鉄道用の高架橋を作っているがな、ここは。ここに実現への秘密があるんだ!」


 そういった視点から見ると、線路は防潮堤の真上の様で、実は防潮堤からは微妙に独立した高架鉄道となっている。乗っている人にはまずわからないし、眺望ちょうぼうも本当の防潮堤の真上と変わらないだろう。防潮堤自体にも厚みが色々あり、一番壁がうすい区間では、まんま巨大防潮堤の真上と変わりない。私が最初の乗車の時、窓から覗き込むと海面まで落っこってしまう様に見えた区間がまさにそこに当たる。


「これは聞いても答えが出ないだろうから、ワシが先に答えを言うが、防潮堤の内側に観光鉄道の高架橋を作っている用地、そう、この部分だ。これもな、被災地の非居住区域に指定されたからこそ、鉄道の高架橋設置に何の問題も起きなかった。それどころか、ここは震災後から実質は町有地で、陸泉町がある意味自由に使える。こんな運って、いったい通常の鉄道事業で在り得ると思うか?」


 またも鳴り出した内線に、若田部理事は今度は受話器を外さずに電話機本体からコードを外す。意外だったのは、決して力づくで抜いたりはしなかった事だ。


「コードをぶち切るとでも思ったか? ワシはそんな乱暴者ではないわ! と言うよりな、後で総務がこいつを直す時に社長室のコストとして記録されるんだ。うちの会社は全てのコストの発生場所と原因が、本当に細かいところまで記録される。それで無駄遣むだづかいも不正もすぐにわかってしまうわけだわ。まあ、全てワシが作らせた現場のコスト管理方法だけどな、たまに自分自身でここまでやるんじゃなかったとも思うがな」


 経費ドンブリでOKの某出版社と、全ての発生コストに神経をとがらすメーカーの違いだろうか。私はなぜ、あんなつまらない教科書の様な経営本が売れるのか、少し理解が出来た様な気がしてきた。


――線路用地の取得と造成工事が、どれだけ大変か、そこは私も理解できます。


「そうだろう。あの巨大防潮堤の上にSL列車を走らせたい、その熱い気持ちはわかる。しかしだな、現実にできるものとできないものが世の中にはあるわな。国が作った防潮堤の真上に線路なんかけるはずもない。しかしだ、その真横の町有地ならどうだ! 観光鉄道事業として実現できた大きな要素が、線路用地の追加取得がほとんど必要なかった条件の良さにあったのは、これは間違いないんだわ」


 BRTバス専用道も含めて、三陸夢絆観光鉄道は路線の大半が、陸泉鉄道と同じ線路区間を走る。追加で線路用地を手当てしたのは、防潮堤上(正確にはその真横)を走る高架橋とモールに至る専用区間だけだ。どちらも震災後に居住不適地として陸泉町の町有地となっていた。SL鉄道の高架橋は防潮堤の土台部分と重なっている区間もあるが、防潮堤で無い限り、被災地の特例など、何らかの方法で設置が認められたのだろう。もちろん、若田部理事たちの力があってこそだが・・・・・・。


――津波で倒壊とうかいした陸泉鉄道の橋脚きょうきゃくとかはどうされたのでしょう。


「ああいったものは、全て震災の復旧工事予算だ。観光鉄道の線路施設工事自体は当然別になったが、車両や鉄道設備も町のお金を使わずに手配できた。もちろん、分割後払いという金融システムのマジックでしかないが、まさしくこれぞ、イカレ教授の言う『運』があったのだろうな。ただな、この『運』は、被災地という途方もない悲しみの上に生まれて来た『運』だ。それを絶対忘れちゃならないんだぞ」


 そうだ、そうだった。三陸夢絆観光鉄道とは、悲しみや苦しみや辛さから出発した観光鉄道だった。陸泉鉄道の線路上を走る事も、防潮堤の上を走る事も、もっと言えばSLを新たに作ることさえも、全てが震災から始まっているに過ぎない。それはまさに、地上を走る現代の銀河鉄道の再現だと言ってもいいだろう。


「このSL観光鉄道は、悲しみの鉄道だ。しかし、それじゃ観光客は来ない。観光地にはもなきゃいけない。だから、本当は防潮堤の真上ではなくても、あえて『巨大防潮堤の真上を走る』と宣伝させている。まあ、実際にもその様に見えるしな。ただ、世間にはうるさい連中も多いから『海の上を走るSL列車』になっているだけだわ。本当は、こっちの方がウソ臭い言い方だけどな」


 観光はイメージ産業でもある。その事は旅ライターだから痛感しているが、プロである私でさえも、キャッチフレーズの「海の上を走るSL列車」から受けるイメージから、防潮堤の真上だと思い込んで全く疑いもしなかったのだ。観光イメージとは、ここまで徹底すべきものなのか!


「でもな、まだ肝心なことを忘れている。それは誰がこの鉄道を運営するのか、という問題だ。これは経営主体が誰かという話だけじゃなく、実際に鉄道を動かす人間をどうするのか! という問題だわ」


――先ほどの、鉄道車両・線路用地・鉄道設備には、人の話は入ってませんでしたね・・・・・・。


「まともに人をやとったら、それこそ赤字で首が回らなくなるぞ。しかしな、人件費を押さえると安全面がおびやかされる。行政の補助など当てにしても、すでに大赤字の陸泉鉄道を抱えているからどだい無理だ。今、観光鉄道の正規職員は十名もいないぞ」


――ええ、私も正社員がわずかというのは最初聞いて驚きました。でもすごく不思議と言うか、観光鉄道の駅にも沿線にも社団メンバーと呼ばれる人がいっぱいいて、だからこそ仕組みというかカラクリを知りたいんですよ!


 やっと取材目的に入った! 若田部理事は、私の手元からリモコンを奪うと、何やら言いながらカチカチとせわしくなくスライドを送る。


「おおっ、これだ! この場所分かるか? えっ、海外? そりゃ見りゃわかるだろ。どこの国の鉄道かわかるかって聞いているんだわ!」


 恐らくは英国あたりの保存鉄道だろうか。似た様なスライドが若田部理事の手によって強制的に続く。同じ様な写真がいったい何枚あるのか・・・・・・。


「君なあ、この鉄道は知っているだろ? これらがボランティアで運営されているって話」


――ええまあ、ヨーロッパとかアメリカとか、SL保存鉄道の運営方法として良く聞きます。


「ワシはな、鉄道の趣味世界など良く知らない。だがな、ボランティアで鉄道が運行できているって聞いた時、それはすぐにウソだと思ったわ。そんな事ができるのなら、とっくに日本でもやれているはずだ。欧米でやれる事で日本だけが出来ない事など、まずあり得えないからな!」


 言われてみれば、納得する。でもなぜだ? なぜ日本ではできないのだろう? 確かに若田部理事が疑ったように、海外ではボランティアで鉄道運営している所があるという言葉だけを、我々は単純に信じているだけなのか・・・・・・?


――やっぱり、海外にはすごいお金持ちがいて、そういったスポンサーが付いているということでしょうかね。あとは税法の違いとか・・・・・・?


「それだったら、日本でもお金を出すやつはいくらでもいるがな。税金の問題もうちの会計士に調べさせたが、それが日本でできない理由とは成り得ないと。ワシも日本ではできない理由の辻褄つじつまが合わないというか、それで逆に興味を持った。そしたらな、そもそも鉄道って、金持ちの道楽対象じゃなかったわい」


――金持ちによる道楽じゃなければ、本当にボランティアたちが資金を持ち寄ってやっていると・・・・・・?


「そりゃもっと無理だわな! ちりも積もればなどと言ったって、その程度の資金で鉄道運営ができるのなら、つぶれるローカル線など出て来ないだろが!」


 若田部理事によると、鉄道の創世記から鉄道とは投資対象であっても、金持ちの道楽対象、すなわち趣味の乗り物になった事は無かったのだと言う・・・・・・。

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