第26話 鉄道事業申請は受験?

 恐らく出版社の昼休みも一時間ほどのはずだが、田口さんはすでに三回もドリンクをお代わりしている。あれほど混雑していたファミレス内も、一時を回るとぼちぼちと空席が生まれてきた。もう経理部内では誰も注意が出来ないところにいるのか、それとも既に誰の目にも入らないのか、田口さんを呼び出す携帯音は鳴らない。当の本人は、空席になった隣の机まで勝手にくっ付け、三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道の事業計画について持論解釈じろんかいしゃくを続けている。


「事業企画書って言うからよ、最初は数字面ばかりを気にしてたんだぜ。ところが、むしろ、なぜ自分たちが鉄道運営をできるのか? という根拠を説明させられている事に気が付いたのさ。もちろん、実際に運輸局に提出する『鉄道事業許可申請書』には、もっと形式的に色んな事が書かれているはずだけど」


――ええと、何だか難しい説明に入って来てるから、今一度聞きたいところを言うと、三陸夢絆観光鉄道の実現には「事業計画」と「特定目的鉄道」というキーポイントが二つあって、そのうち「特定目的鉄道」のメリットは大よそわかった。要するに申請が簡易ってことだよな?


「まあそうだけど、事業計画も特定目的鉄道も、さっき言ったみたいに実態としては表裏一体の関係だぜ。つまり、二つの独立したキーポイントではなく、両者は互いに同一の場面に存在しているってことさ」


――同一の場面?


 相手が話の意味を理解できない時にする、あの無表情にイライラした田口さんの顔がそこにあった。典型的なベテラン経理マンの顔である。


「鉄道事業の申請に関わる際の同一性さ。事業計画は提出書類で、特定目的鉄道は適用法律だよ!」


――で、でもさ、法律ってやつはさ、開業後も末永く鉄道事業に関わって行くじゃないのさ? 


「その『末永く関わる鉄道事業』に対して、果たして事業申請者がこの鉄道を遂行すいこう、すなわち運営できる能力があるのか? 運行の安全はどうやって保証されるのか? どこにどんな車両をどういう計画で走らせるのか? 記載内容には具体性があるのか実行可能性はあるのか、あたかも受験の様に事業計画を審査してもらう。その際の審査根拠が鉄道法規ってやつだぜ」


――ちょっと待ってよ、話が固くて良くわからないって。つまりさ、観光専用鉄道なら比較的簡易に鉄道事業の許可を出す事ができるって話だろ? それなら、事業計画自体も通常より作り方がやさしくても良いって話にはならないのかい・・・・・・?


「審査項目が減っていると言う意味では、通常の鉄道事業申請より審査は緩いと言えるさ。でも残った審査項目までもが決して易しいわけじゃない。鉄道の安全性確保や、専門的業務遂行能力なんて、本物の鉄道会社にしか絶対に持ち得ない。外から簡単にシロウトが入り込める世界なんかじゃないぜ。さらに、実現するには相当な資金が必要となる。つまり、外部者が新規に鉄道事業にチャレンジしようと考えても、そこには相変わらず鉄道事業参入への高い障壁しょうへきが残っているってことさ」


――それが鉄道免許を取るのが難しいという・・・・・・?


「今は免許制じゃなくて、許可制だよ。免許は特定の鉄道事業者が地域独占できるためのツールだったからな。独占させれば投資もしやすくなるだろう? それを今は許可制とすることで、鉄道を含む他の交通に対しても、適切な競争原理を働かせようって趣旨しゅしらしいが、現実には以前と同じようなものだ。相変わらず鉄道事業への新規参入のハードルが高過ぎるからな」


 田口さんは、勝手にくっ付けた隣の机に、ダウンロードしたケンジ君からの資料を広げる。あの「三陸夢絆観光鉄道事業企画書」の中にあるページだ。


 そこには老眼鏡ろうがんきょう無しは読めない、否、老眼鏡があってもすぐには読み込めない文字がびっしり書いてあった。決して文字が小さいという意味では無い。なお、あまりに専門的な内容なので、ここからはしばらく読み飛ばしていただいて一向に構わない。それでも十分に内容は伝わるはずである。まあ、どこから戻るかの選択は皆さまにお任せしたいが、このまま、最後まで読み飛ばされたりするかも・・・・・・。


 さて、その企画書には「鉄道事業許可申請書」に必要な項目がずらりと並んでいた。ただし、ここでは多少の項目を省いているので、その辺はあえて誤解の無い様にお願いするとして、以下に記すとこうなる。

・ 事業収支見積書(要積算基礎)

・ 建設費概算書

・ 事業開始時の資金や土地等の調達方法

・ 資金収支見積書

・ 鉄道事業種別(第何種の鉄道なのか)

・ 鉄道用地等を借りる場合の契約書

・ 会社概要(登記等)

・ 予定路線(起点、中間駅、終点)

・ 鉄道の種類(レールの上を走るのかモノレールなのか等)

・ 基本事業計画 など


 そして、「基本事業計画」には、鉄道事業の基本となる事項について、さらなる明細な記載が求められている。

・ 鉄道の種類

・ 施設の概要(単線か複線か、電気なら交流か直流か、線路幅、設計最高速度や設計通過トン数)

・ 計画供給輸送力(一日あたり何人運べるのか)

・ 駅の位置と名称

・ 旅客駅か貨物駅の別


 これだけの記載が書類として提出できるためには、かなり事業としてされている必要がある。それ故、よく新線建設が決まる前から、ここが「新駅予定地」ですなどと言われたりするが、実際に新駅の位置とはこんなにも早い時点から決まっていたりするのだ!


 ところで、飛ばさずにお読みになっている方はお気付きであろうか? 基本事業計画の項目にある「施設の概要」の中に「設計通過トン数」というものがあるが、これこそが陸泉りくせん鉄道に国鉄型SLを走らせる場合の、線路が耐えられる重量の事なのだ。


 もちろん陸泉鉄道は既設の鉄道なので、新たに「鉄道事業許可申請書」を作成することなど無い。しかし、新規の観光鉄道会社を設立し、陸泉鉄道と同じ線路敷地をSLが走ると言うことになれば、この項目を新たにクリアしなければならなくなる。橋梁きょうりょうへの軸重じくじゅうオーバーから国鉄型SLでの運転をあきらめ、より小型で軽いSLを探さざるを得なかったが、法律的にもこんな要因があったのである。


 そろそろきているかもしれないが、残念ながらまだ専門的な話は終わりでは無い。「鉄道事業許可申請書」には添付すべき書類として「線路予測図」なるものがさらに求められている。こちらは「平面図」のみならず「縦断面図」の提出までもが求められている。つまり、希望や予測などでは無く、現実に線路が敷ける予定地をしてから申請書を出せ、という前提に立っているのだ。


(平面図)

・ 縮尺二万五千分の一以上

・ 起点と終点

・ 主要経過地

・ 駅の位置と名称

・ 鉄道線路の中心点(一キロメートルごとの距離も記載)

・ 地形と主要な構築物

・ 縮尺と方位


(縦断面図)

・ 縮尺二万五千分の一以上(ただし縦は二千分の一以上)

・ 鉄道線路二百メートルごとの高さ

・ 線路の勾配

・ 駅の位置と名称

・ トンネル及び橋梁の位置及び長さ

・ 縮尺


 これらは「鉄道事業法施行規則」という運輸省令にしっかりと明記されている。こうやって見ると、鉄道事業の許可を得てから、駅や路線の位置を変更する事がいかに大変な作業なのかがわかる。もちろん「事業基本計画」の変更は認められるが、駅の位置の様な大きな変更には届け出が必要だし、関係者との折衝せっしょうもある。それが認められるかどうか、新幹線計画などでの騒動は旅ライターの私も良く見聞きさせられているが、その舞台裏はさぞや大変であろう・・・・・・。

 

 田口さんの解説に戻る。


「ここに書いてある項目だけどな、送ってもらったファイルが実際の申請書類ではないにしても、すでにこの企画書段階で「単複線たんふくせん方式による検討編」とあるぜ。単複線、すなわちガントレットレイルによる四本レールを念頭に置いているからさ、見てのとおり、主だった区間となるのは陸泉鉄道の路線そのものじゃないか。つまり、陸泉鉄道の既存資料を出す事で、大半の路線関係の確認作業がおわってしまうメリットがあったと思う」


――ガントレットレイル方式を採用したからこそ、「線路予測図」などの作成作業が大幅に減ったということか?


「書類の作成のみならず、実際の線路用地取得から駅などの鉄道施設の全てだな!」


――あとは、観光鉄道として、実際の安全運行面への懸念だけか・・・・・・?


「まあ、多分な。ただし特定目的鉄道でも求められる『安全性』の範囲には、実際に走行する鉄道車両自体の審査も含まれるし、『事業遂行能力』には、いったい誰がこのSL観光鉄道をやっていくのか、という主体者の問題が残る」


――三陸夢絆観光鉄道は、陸泉鉄道の様な第三セクターじゃないしな。陸泉町も一部株式を持っているとは言え、事実上は完全な民営会社だから、事業遂行能力の審査には被災地という特別な考慮が働いたかもしれない・・・・・・。


「それはあるに決まっているぜ。観光は被災地復興への手っ取り早い策の一つだからな!」


――それにしても、田口さん、ずい分と鉄道会社設置について詳しいよ。数字面を聞くだけのつもりだったのに、すごく勉強になってホント助かる!


 私がマジメにめると、彼は少し怒ったような顔付きで横を向いた。


「先日、話を聞いた時から調べていたのさ。幸い出版社だから社内にも関連資料は多いし、それに、仕事中に何を読んでいようと誰も何も言わないんだぜ!」


――それは田口さんがベテランだからかい・・・・・・?


「そうだよ、と言いたいが、管理部門なんて隣の連中が何をやっているか、あまり興味が無いのさ。営業と違ってライバルじゃないし、それに、鉄道六法だろうが会計法規集だろうが、他人には同じお堅い専門書にしか見えないんだ」


 そう言うと、珍しく快活に大口を開けて笑った。歯の隙間すきまに緑色のホウレンソウが詰まっている。しばらくは緑黄系野菜を遠慮えんりょしたくなる光景だ・・・・・・。が、突然マジメ顔になり田口さんは話し始める。


「さっきの『事業遂行能力』だけどな、要員配置を見ておやっ? って感じたんだ。普通、ローカル鉄道はギリギリの人数で運営するから、ほとんどの途中駅は無人駅になる。ところがだぜ、いわゆる無人駅が無いんだよ。もちろん、まだ実際の申請書じゃなくて、あくまでも企画書段階の資料だってことは十分理解しているけど、ちょっと常識から考えてもおかしな話だなと」


 私は、三陸夢絆観光鉄道で見た、あの社団メンバーを思い出す。彼らは、観光鉄道の外部の人間であるから、観光鉄道の従業員であるはずはない。しかし、BRTバス専用道の併用区間での立入者発見は、観光鉄道の保安システムに社団メンバーから直接アラートが入っていた。そういった光景を見て不思議に思ったことを率直に田口さんには伝える。


「そこだな、自分でも辻褄つじつまが合わないと感じたのは。要員計画と予想人件費の数値に矛盾は無い。あくまでもローカル鉄道の合理的なレベルに収まっていると思うんだ。でも、有人駅とか、必要となる施設要員数とは合致しない。人数がカウントされているのに人件費が計上されていないなんてあるか? でも、今聞いた『社団メンバー』ってのが、どうもこれと関係がありそうだ。と言うより、その辺の事情は全く調べてないのか? おい、うちの連載何回目になるんだよ!」


 どうも今回の取材では調査力が足りないと良く怒られる。社団に関しては後回しにして来たのは事実だが、三陸夢絆観光鉄道のどの案内を見ても、そこには「ボランティア会員もいる」ことについては書いてあるが、社団メンバー自体の説明が出て来ない・・・・・・。


「そもそも、ボランティアじゃ鉄道乗務などできないだろう? それに駅務とか信号扱いとか、全て鉄道専門職の世界のはずだぜ」


――言われるとまさしく鉄道こそプロだけの世界だよなぁ。ああ、それで思い出した。ケンジ君の送ってくれた資料、あそこに「鉄道教育機関の設立案」ってのがあったけど、あれは関係無いのかな?


 田口さんが、年季の入ったカバンの中を探す。間もなくこのカバンも引退するのだろうか・・・・・・。その古びたカバンの中から数枚の印刷物を取り出す。


「これだな。でもまだ読んでないというか、全く見てない。事業企画書を読むだけで精一杯だったぞ。今朝はなぜか仕事もけっこうあったし・・・・・・。


 やっぱり、仕事中に読んでたのか!


「ところで、もう社に戻るわ。こんなに遅くなったら言い訳も必要だしな」


――田口さんでも昼飯の帰りが遅いと怒られちゃうのかい?


「当たり前じゃないか、それがサラリーマンだぞ。食事に行ったら偶然そこにいた契約ライターに、支払の件でシツコクからまれて戻りが遅れた、とでも言うさ」


――えっ、何それ!!


 田口さんは、請求書を私の方に押しやると、ひょいと片手を挙げてファミレスから足早に出て行った。

 

――(何やら高い授業料にならなきゃいいが・・・・・・)


 ウェイトレスが、机を元の位置戻してもいいかと聞いて来る。私は、そちらの机の上にあった「鉄道教育機関の設立案」を手に取った。何でこんなものを送って来たんだろう、添付ファイルを間違えたのかもしれない。そんな事を漠然ばくぜんと思いながら、そう大して枚数の無い印刷物をめくって行くと、そこには「一般社団法人でスタートし公益社団法人を目指す」と書いた図があった。これがあの「社団」なのだろうか?


 しかし、最後のプリントを見て全てがつながった。そこには、「(仮称)一般社団法人 日本鉄道従業員教育センター」の設立準備総会の文字と共に、若田部理事の名前があったのだ!


 私はあわてて、まだカバンにしまい込んだままになっている若田部理事の名刺を探す。名刺はちょっと折れた状態で入っていた。見ると、何と全て英文表記である。あれっ? と思うが裏返すと「日本鉄道従業員教育センター」の日本語文字が! そうか、社団とはコイツの事なんだ。


 もし、あの大浜崎おおはまさき駅で最初に会った時、きちんと名刺さえ確認しておけば、当日は社団の話から入れたかもしれない。今さら反省しても仕方ないし、それは何時ものことだが、私の中で何かがひらめく!


 さっきのウェイトレスがまた戻って来て、今度は隣のテーブルを逆方向に幾つもつなげ始めた。間もなく、学生らしき集団がぞろぞろ入って来るのが見える。その様子を見て、ここでの原稿作業は困難と判断し、私はレジに向かう。

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