第25話 緩んだ鉄道法規

 台湾の投資家団体添乗員である彼は、途中駅でSL列車が止まっている間に、前の客車へと移って行った。団体のカメラマン役は参加者を均等に撮らねばならず、なかなかに大変そうだ。私はまったく会話がわからない車内に残される。しかし、何となく居心地が悪く、SL列車の発車と共に頃合ころあいを見て最後尾のデッキに出てみた。だが、ものの数分で寒さに耐えられなくすぐに車内に戻る。最高の展望席もやはり季節次第であった。ところが、車内に入るとたちまち数人から中国語で怒鳴どなられる。意味がわからない。すると、一人がデッキドアをばたんと閉めた。きちんと閉まっていなかった・・・・・・。


 それでも終点の中船なかふね駅では、台湾の団体といっしょにぞろぞろ改札口の方に向かう。こういった時に、何となく集団に着いて行ってしまうのは日本人の悪いくせであろうか。ところが、このダラダラ行動またも私の運を失わせてしまう。何と、新幹線駅行きの直通バスは行ってしまったばかりだったのだ。団体貸し切り列車になど接続しないのは当然か。この先、再び台湾グループに混じり同じ貸切団体バスに乗るってわけにはいかない。うっかり忘れた精算のため改札に戻る。さっきは団体で通ってしまったのだ。私は、意外とマジメなのである。いや、単なる小心者・・・・・・かもしれない・・・・・・。


 駅にある時刻表を見ると、次の直通バスまではだいぶ待たされてしまう。ショッピングモールを見て回っても、特に何も買う予定が無い私としては疲れるだけだ。もちろんレストランも喫茶店もモール内にはあるが、相変わらずのひどい二日酔いもあって、あまり食べ物も見たくない。モールのあるバイバス道には、パチンコ、カラオケ、回転ずし、といったいかにも郊外のロードサイドで良く見かける店しかない。こんな時、都会の様な行動自由度が地方では低いことを痛感する。お金があればタクシーでも使ってどこかに行けるだろうが、車が無ければ思うように身動きができないのが田舎の実状なのだ。


――(今日はケンジ君も休みだし、本社には戸倉さんがいるだろうから、このまま何とかして真っ直ぐ東京まで帰ろう・・・・・・)


 とても旅ライターとは思えない消極的な発想で、私はローカルバスの乗り継ぎを決意する。ローカルバスの料金は一般に鉄道の倍以上となる。気軽なフリーライター稼業と言えども、寝坊するとその対価は高く付くのだ。


 そんな路線バスだが比較的順調に乗り継ぐ事ができた。思ったよりもバス便は多かったのだ。しかしながら、やはりその料金には閉口した。直通バスはおろか、あのオッサンのタクシー料金よりもトータルでは高い。もっともオッサンが口止め料として半分返してくれたからだが、なるほど、いくらバスが増便されようとも、これでは自動車生活を選ぶ人が減るわけ無い事情が実感される。昨夜の民宿分を、若田部理事が持ってくれたことにあらためて感謝したい。


 山道を走るバスの乗り継ぎにもいい加減くたびれた頃、やっと新幹線に乗り継ぐができた。空いたシートに座るや否や、ビールといっしょに玉子型の和菓子を食す。何やら珍妙な組み合わせだが仕方がない。駅弁を買おうと思ったら本日すでに完売となっていたのだ。平日は余程仕入れが少ないのだろうか。お腹にまりそうな食べ物に見えるという外見だけでとっさに選んだのがこれだが、銘菓めいかと言われるだけに予想以上にビールに合う。あぁそうだ、この会社の本社も確か震災で水没したんだっけな・・・・・・。


 甘いはずの和菓子が何やら少々塩っぽく感じてくるので、何か楽しい記事でもないかとタブレットを開ける。そこにはケンジ君からの着信メールがあった。添付てんぷファイルが二つ。


三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道事業企画書」

「鉄道教育機関の設立案」


 メール本文によると、今日は体調を崩した職員に代わり、臨時で仕事に出ていたらしい。何と言う事だ、彼は本社にいたのだ! そして、私の事務所に夕方電話しても誰も出ないのでメールにした、らしい。そりゃそうだ、事務所には私一人しかいないし、その私はまだ新幹線の中にいる・・・・・・。


 添付ファイルの簡単な説明があった。事業書そのものは外部に出せない事、そしてその内容も取材用としては専門的過ぎてわかり辛いので、むしろ事業書の方が理解しやすいと考える事。SPCの利用についても書かれているし、計画の基本になった数字面もしっかり載っているらしい。


 そして、鉄道教育機関の設立案の方には、ケンジ君も所属しているという社団発足検討時の経緯いきさつが載っているとあった。どうやら、社団の山中さんがケンジ君に連絡を入れてくれていたらしい。何と素晴らしい、あの夜のあの状況からでも、翌日しっかりと仕事をしてくれているのだ。私にはとても真似まねができない。


 ご丁寧ていねいにもケンジ君のメールには、夕方の新幹線駅には弁当がもう売っていないので、JR在来線駅前の小さなお店の弁当が安くてうまくてお勧めですとあった。先ほどまで快調に食べ続けていたタマゴが、急にのどを通らなくなる。ふと、TVの大食い選手権の場面が思い出される。苦しくても同じものを食べ続けるそのシーンと、自らのミスで同じもの食べ続ける事になった自分がなぜか重なってきたのだ。ただし、大食い選手たちは声をそろえて言っている。「美味おいしいものしか食べ続けられない!」 それを思い出すと、急にまたタマゴが食べられる様になった。やっぱりこいつはなかなか美味うまいぞ!


 残念ながら、鉄道教育機関という方は私のタブレットではファイルが開けないので、見る事ができた観光鉄道事業企画書だけを、文字を大きくして読む。それでも、なぜだか文字が思うように目に入って来ない。行きにはイライラした車窓をやたらさえぎるトンネル連続区間も、すでに真っ暗とあって全く気にならないのに。走行音が時々変化することで、今はトンネル内を走っているのだと、どこか頭の遠くで確認する。新幹線車内の軽い暖房が心地良い・・・・・・。


 ふと気が付くと、車窓には煌々こうこうとした街のネオンが続く。車内アナウンスが各線への乗り換え案内をしているが、東京ではまだまだ街が元気な時間帯なのだ。終電時刻がアナウンスされるまでには、およそ二時間近くもある。昨夜、同じ時刻にネオンの無い町で星空を見ていた。三陸は果たして近いのだろうか、それとも遠いのだろうか。


~~~~~~~~~~


 翌朝、取材記事の最終稿チェックも兼ねて編集部に連絡を入れ、そのまま内線で経理に回してもらう。田口さんの意見も聞きたいからだ。今やメールだけで編集部とやり取りができるし、印刷状態までパソコンで事前確認できる時代となっているが、直接、顔を出す事が、編集部とのパイプをつないでおくためには重要なのである。若いライターはその辺の機微がわかっていない。いや、わかってくれない方がライバルが減って助かるのだ。何せ同じ仕事なら若手の方が使いやすいというのが通り相場なのである。


 まあ、そんな底辺発想は止めておこう。私は、編集部に顔を出すと、そのまま田口さんを少し早めの食事へとご招待する。昼休みは定時で決まっていると言うが、ここまで超ベテラン社員ともなれば、経理部長以下、彼がいつ食事に出て行こうとも何も言わないものらしい。


 昔は学生街で今はオフィス街となった目抜き通りでは、まだ秋はこれからとばかりに薄着の服装が目に付く。寒さを感じた三陸とのギャップを感じる。私が学生時代、この通りが学生運動のバリケードでふさがれたなんて記憶は、もはや私の脳内映像だけの世界なのかもしれない。そんな事を思うのも、隣を歩くのが初老のオヤジだからか・・・・・・。それでも、ちょっとばかり早い時間帯が幸いし、普段なら席を取れないファミレスにうまくすべり込むことができた。


「朝から何のメールが入ってるのかと思ったぜ。サラリーマンにとって早朝メールは心臓に悪いんだ。ほぼ間違いなくそいつは悪い知らせだからな」


 田口さんはしゃべりながらも、その目は何度もメニューを行き来している。そして、悪い想像どおりランチメニュー以外から選ぶ。ここが私のおごりであるから当然か。私の方はメニューも見ずに今日のランチを頼む。ただし、ドリンクだけは追加オーダーした。ファミレスなら定食屋よりはいく分かゆっくりできる。


「鉄道事業も出版事業同様に、どんどん進化しているんだけど、どちらも歴史が長い業界なだけに、昔の発想やスタイルがまかり通る世界でもあるよな。それでも、今じゃ大手私鉄会社でさえ車両リースなんて当たり前だし、そのためのSPCだってある。いや、これさ、あれから個人的な興味があって調べてみた話だ。鉄道業界ってやつは、調べるほどに出版業界とそっくりだぜ」


 私は先に来た自分のランチを食べつつ、田口さんの話を聞く。昼のファミレスでランチ以外をオーダーすると、なかなか来ないのである。私は軽い相槌あいづちを打つだけで、田口さんは一方的に会話を進めて行く。


「事業企画書を読んだけど、別に真新しいことや、突拍子とっぴょうしも無い内容じゃなかったな。むしろ、突拍子も無い内容じゃなかったからこそ、恐らく観光鉄道として事業認可されたんだと思う。どれもこれも前例があるし、それが巨大防潮堤だろうと、BRTバス専用道への併用軌道であろうと、鉄道が空を飛ぶような空想世界じゃなかったからな。ただ、四本レールで鉄道会社を別々にしたのは、これはいい着眼点だったと思う。もっとも、この計画は赤字の陸泉りくせん鉄道ではやれなかっただろうから、別会社になったのは必然だと思うけどな」


――観光鉄道の関係者が言うにはさ、「21世紀の新製蒸機機関車」と「事業計画」、ええと、それに「特定目的鉄道」が実現へのキーポイントって事なんだけど?


 私の質問を聞いているのかいないのか、やっと来たオーダー品を机の上にうまく整理しつつ、田口さんはわずかな隙間すきまに印刷した事業企画書を置く。そこには「事業基本計画への検討案」と、さらに難しそうな内容の文字が並ぶ。


「彼らが『事業計画』と呼んでいる内容には二つあると思う。いわゆる法人組織の経営計画としての事業計画と、それとここに書いてある『事業基本計画』だよ。そしてこの『事業基本計画』こそ、国交省が審査する鉄道事業の申請書類だ。役所は鉄道事業者としての『採算性』『安全性』『事業継続性』『事業遂行能力性』の4つの項目について審査して、それに合格した申請者に対してだけ鉄道事業を許可してくる。法律で提出を要求されているのは、この『事業基本計画』の方なんだ。実際は国交省の本体ではなく、地方運輸局で審査するらしいけどな」


――それじゃ、鉄道事業の申請ってペーパー試験なのかい?


 田口さんが食べていたものを吹き出しそうになる。


「あのなぁ、そんな単純なはずないだろうが。いくら小さくても鉄道事業だぜ! でもまあ、まず最初は紙ベースでの審査があるのは間違いないだろうな。だってさ、鉄道計画とか空港計画とか、作ってから許可を受けるもんじゃないだろ。作ってからダメだって言われても困るわけで、まあ、そんなバカバカしい実例も無いわけじゃないけどさ」


 ああ、そう言えば、この町に学生のビラが貼られまくっていた時代。あの空港は確かにそうだったかもしれない・・・・・・。


――そっちの失敗例も雑学的知りたいところだけど、まずはこちらの話でと。さてその「事業基本計画」だけど、そんなに大変なものなのか、それともペーパー上だからそうでもないのか、どっちなんだろう?


「自分も鉄道屋じゃないから、審査実態の本当のところなんてわからない。ただ、この事業基本計画は、地方運輸局に提出する『鉄道事業許可申請書』の中に含まれる重要なパートであって、申請書にはさらに、予定する路線とか鉄道業務内容やら、これが第何種の鉄道なのか。あと、それに加えて鉄道の事業収支見積書、建設費概算書、資金収支見積書、線路予測図までもが提出物に含まれるのさ。ほら、この資料に書いてある通りだよ。ちくしょ、うっかり全部読んじまったぜ。ま、つまりな、具体性の無い絵空事えそらごとの事業申請なんか真っ先に却下されちまうって事よ」


――いやさぁ、聞いているだけでも難しくて頭が痛い用語ばかりだなぁ。何だか「特定目的鉄道」なら認可基準がゆるい、って話とは違うような気がしてきた。


「ところがそうでも無いんだな、これが。さっきの『採算性』『安全性』『事業継続性』『事業遂行能力性』の四つの項目を『鉄道事業許可申請書』を通して審査するんだけど、調べてみると、特定目的鉄道、すなわち観光専用鉄道であれば『安全性』と『事業遂行能力性』だけが審査対象になっているんだ。これがどれだけすごい緩和処置かんわしょちかって言うとな、新規申請の鉄道事業者で審査に落ちるところは『採算性』と『事業継続性』が問題視されるらしいんだ」


――「採算性」と「事業継続性」?


「出版社と同じだぜ。新しい雑誌は採算を取れるものなのか、創刊したら継続発行できるのか、この検討は基本中の基本。企画がいくら面白おもしろそうでも、事業として成り立たなきゃダメだろう? それに加えて鉄道は雑誌みたいに廃刊というか廃止が簡単じゃない。鉄道って公共交通体なんだから、作ったけど無理そうだからもう止めました! では社会的影響も大き過ぎる。だから、作る以上は鉄道事業が継続できるのか、鉄道事業が継続できるためには採算が取れる見込みがあるのか、そこが大変重要なんだ」


――その重要な「採算性」と「事業継続性」を問わないと? それって本当の許されることなのか! 何だか急には信じられない話だよ・・・・・・。だって、同じ鉄道の法律なんだろ?


「自分も知って驚いたよ。でも本当のそうなっているんだ。だから適用対象が観光鉄道だけ、それも観光鉄道だけに限定される!」


――なぜ、観光専用鉄道だとそこまで許される? それが地域創生につながるからかい?


「地域創生効果を目指している部分は、もちろん強くあると思う。でもな、本質的には観光専用鉄道はふだんの通勤通学に無関係な存在だから、もし無くなったとしても地域交通システムが崩壊ほうかいするわけじゃない。だからする限りにおいては、採算とか事業継続は審査から除外してもいいだろうと」


――ああ思い出した。確かにそういう話も出ていたよ! それにしても、採算も継続も関係無いのなら、編集部も楽だろうな。


「まあそんな事が実際にあり得ればな、まさしく夢の様な話だけど。超マニア向けの特殊な世界なら可能とも言えるが、大手出版社が書籍コード取れるシロモノじゃなくなっちまうし・・・・・・」


 何やら田口さん、そちら方面の世界にはやたら詳しい感じだが、採算性も事業継続性も問題無しなら、なぜ三陸夢絆観光鉄道はもっと簡単にできなかったのか? それよりも、こんなお手軽な鉄道法規なら、どうしてもっと全国で使われないのだろう?


「その理由こそ『安全性』と『事業遂行能力』という、鉄道事業が本質として持つ参入ハードルが高いためなのさ!」

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