第23話 ドブをさらってでも金を作れ

 見るからに酔っ払い状態の中高年オトコだけが三人、それもカラオケルームで歌も歌わず赤ら顔でにらめっこしている様相は、誰が見ても奇妙で近寄りがたい光景だろう。


 すでに民宿のおかみさんは、この場の空気を読んで部屋から出て行ってしまっている。接客業プロの基本技か。そんな中、私はドップリと若田部理事の今宵こよいのメインパートナー役をになわされている。


「あの防潮堤の上にSLを走らせようなんて、とてつもなくオモシロイじゃないか。じゃ、俺も一口乗ったと、出入りのジャーナリストについ言っちゃったんだな。そしたらな、翌日には地方誌に勝手にコメントを出しやがった。ワシ自身も驚いたが、もっと驚いたのは今の三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道のメンバーでな。いきなり記者たちが来て、それも東京から大手メディアまで来たから相当にビックリしたらしいぞ」


――あはは、それはそうでしょうね! 会長がやると言ったら、それでもう一気に実現ですからね!


「バカたれ、それは全く違う!」


 突然、若田部理事は激高げきこうする。お酒で赤い顔がさらに真っ赤になった。


「そうやってだな、他人のポケットの財布さいふを当てにする。他人の金を頼りにした瞬間、全て自分たちでやり切るんだという強い覚悟かくごが無くなっちまう。そんな甘い気持ちでいたら事業など一つもできんわ!」


 カラオケルームの中に、若田部理事の迫力ある声が響く。まさしく大企業を一代で築き上げた声だ。


――お金は自分たちで集めろ、という事ですか・・・・・・。


 思わず委縮いしゅくする私の反対側で山中さんがうなずく。


「当たり前じゃ。ワシはな、知恵だったらいくらでも貸す。必要なら人も貸すかもしれん。だが、金は違う。きちんと事業計画を作れば、そこに金は集まる。作った事業計画でお金が集められなければ、そいつは事業にならんという事だ」


 知恵も人材も貸すけどお金は貸さない。それが、若田部理事の経営哲学だと言う。事業としてお金を集めるには、まず事業計画を立て、それに賛同してもらう事。その手順を踏まず、最初にお金が欲しいというのは、子供がお小遣こづかいをねだる様なものだと言う。


「金はな、ドブをさらってでも自分で作れ! そう言う事だ」


――ドブをさらってでも金を作る・・・・・・? 先ほどは事業計画を立てろとおっしゃってましたが・・・・・・。


「紙切れだけの事業計画で、そんなポンと欲しいだけのお金など出て来ないわ。ワシが言いたいのは、お金が無いから事業ができません、などと言うヤツはダメだってことだ。まず少しでも動け。そして少しでも自分でお金を作れ。その行動を見て、そして事業計画を見て、初めて支援してやろうかって気になるんだ」


――確かに、昔から「ドブをさらってでも金を作って来い」とか言われますよね。ただお金がありませんとお願いに来るよりも、ドブの中からでも金目のものを探し出す努力を見せろと!


「違う、全く違う! ドブをさらってでも金を作るとは、社会に貢献こうけんすることだ。社会にとって必要とされ、皆に喜ばれる様な行為であれば、結果としてそれがお金になって本人に戻って来るという話だ」


――社会貢献の話ですか?


「いいか、ドブってわかるよな。ワシの孫はドブなど見たことが無いと言っていたが、下水道の出来る前はそこら中にあったよな」


――ええ、私も良く覚えてます。くさいし不衛生ふえいせいだし、放っておくとまるし。遊んでいてドブに落ちた時はショックでした・・・・・・。


 急に子供時代のドブさらい光景を思い出す。両親がひどくいやがっていた作業だったな。いや、私の両親のみならず、近所の誰もが嫌がる作業だったが、しかし、これをやらないとたちまちドブが詰まり、雨などで道路に汚泥おでい氾濫はんらんしてしまう。その後片付けも大変だったのだ。


――おっしゃる通り、ドブをさらっていると、時々、入歯とか、とんでもないものが見つかりましたね。家庭の排水からドブまでが直結の時代でしたから。丹念に探せば金目のモノも、確かに見つかったかもしれません」


「まだわからんか! ドブさらいが宝探しなら頼まれなくても誰もが勝手にやるわい。ドブさらいは誰もが嫌な作業だ。だから、それを代わりにやってあげるんだ」


――わかりました、会長は、嫌な仕事を人に代わって行うことで、それがお金になると!


「そういったケースも無くはないだろうな。しかしだ、それは相手から頼まれてやる場合だ。自分から勝手にドブさらいをやった時はどうだ? ありがとうと言われても誰も金などくれないぞ!」


――やっぱり、ひたすらドブの中から金目のモノを探すという・・・・・・?


「だからな、それでは無理だ。せいぜい百円玉とか安い指輪程度だろう。そんなモノかき集めても、幾らにもならない。日払いのバイトの方が断然割がいいに決まっている。それなのに、なぜ自分からドブさらいに行くのかなんだ!」


 私はわからないと顔を左右に振る。山中さんは私と目を合わさない。


「頼まれてもいないのに、勝手にドブをさらってあげる。やればやるほど住人たちからは感謝されるが、さて、さらった汚泥はどうする? まさか、その場に捨てて行くわけにはいかないわな。町に頼んだって、たいていすぐには処理などしてくれないぞ。その間にも、ドンドン勝手にドブさらいをし続ける。そうすると、ヘドロが山積みになって行く」


――それって、ただもう迷惑行為めいわくこういじゃないでしょうか? 勝手にドブさらいやっているんだし・・・・・・。


「ドブをさらってもらう事には誰もが感謝している。しかし、ヘドロの山は困る。役所もすぐには来ない。警察に言っても、犯罪ともボランティアとも判断が付かない。やがて住人たちから、ドブをさらったアンタ自身でどうにかしなさいと言われる様になる」


――そりゃ当然でしょうね。


「でもな、そこからがビジネスチャンスなんだぞ。相手も困っている。現実は放っておけない状況だ。そこで『町内会でお金を出してくれたら、すぐに片付けます』と交渉してみる。勝手にドブをさらってたヤツに個人で感謝のお金を払うヤツはまずいない。ところがだ、自治会としてなら支払える。むしろ、お金を払ってでもヘドロの山を町内からどかしてもらいたい位だからな!」


 私も自治会費を半ば強制的に取られているが、実際のところ、何にどう使われているのか良くわかっていない。ただ、町内に不法投棄ふほうとうきされた粗大ゴミを、自治会費で渋々しぶしぶ処理しているという話は聞いたことがある。もし、家の前に不法投棄されたら、個人のお金でゴミを片付ることはせず、私もひたすら町やら自治会やらに何とかしてくれと言い続ける事だろう。


「最初の自治会が、格安でドブさらいを受託する人間を見つけた。そうなると隣の自治会もそうしたくなる。誰もが貴重な休日に汚いドブさらいなんかしたくはない。こうやってドブをさらう事がお金に変わって行くわけだ。かき出したヘドロの中から偶然の金品を探す博打ばくちとは、こうなると本質的に違ってくる。これはもう一種のビジネスだぞ!」


――なるほど、それはすごい話です。でも、体力的にも限界がありそうだし、自治会相手では受注単価も安いのではないでしょうか? それでは肝心のヘドロの処分代までは捻出ねんしゅつできない様な気もしますが・・・・・・。


 若田部理事は、年齢にしてはいいピッチでグラスをどんどん空けて行く。山中さんは会話に程よく合いの手を入れながらも、空いたグラスも見逃さない。しかも、二つあるグラスの片方は「水」なのである。明らかに理事の体調をおもんばかっている仕業だ。今日、すでに何度も感じさせられたが、私なんぞには絶対に真似まね出来ない、これぞサラリーマンのすごみなのだろう。


「体力の問題もそうだがな、まず、ドブからすくい上げたヘドロをどうするかだな? これが社会の何やらおかしな所なんだが、町内会がそれぞれにドブさらいをしてた時はな、その辺の空き地に適当に捨てても何となく黙認されちまうもんなんだ。それが長年の地域慣習になっているからな。ところが、ひとたびヘドロの山として積み上げる。それも、近隣町内のあちこちでそういう光景が出現する。すると、このヘドロの処分はどうなっているんだ! という問い合わせが役場に入る様になるんだ」


――目に付く、って事ですね。


「そうだ。そしてな、彼にヘドロの最終処理まで責任を持て、とそうなるだろう。自治会としては金まで払っているんだからな。ところが、そんな処分先など持っているわけない。仕方ないので、行政から返事があるまで、さらにヘドロは山積みのままになる」


――そうなると、自治会で昔の様にこっそり処分するしかないと・・・・・・。


「ところが、そうはいかないわ。一度でもヘドロの処分方法が注目されると、昔のグレーなやり方はもはや通用しなくなる。それこそ不法投棄になっちまうわけだ。だから、自治会側も行政に泣きつく。行政も動かざるを得ない。そこで、ドブをさらっている彼にヘドロ処分場所を指定する。ところが彼は、その作業はタダじゃやらないと断る。そうなると町としては、彼にお金を払うか、あるいは他の業者に支払ってやってもらうか、いずれにしも、予算が生じる公共サービスとなるわけだ」


――でも彼が断わったら、そこで話は終わってしまうのではないですか?


 観光鉄道とも社団とも関係無い話になってしまったが、今まで考えたこともない「ビジネス」という世界。ドブさらいがお金になる瞬間。しかし、思い通りに行かないのもビジネス・・・・・・。


「これで終わると思うか? まあ、普通の考え方ならそうだろうな。だがな、行政というところは市民サービスに対して公平性も重要としているぞ」


――わかりました、彼に対しても処分業者に対しても、公平に両者発注って事ですね!


 山中さんがなぜかせき払いをする・・・・・・。


「君はどこまでも平和な人間だな。そんな公平性なんぞ行政には無いわ。そうじゃなくってな、住民サービスとしての公平性だぞ。特定の自治会のヘドロ処理だけやって、他の地区のはやらないという事はマズイ。最初は山積みヘドロを除去する緊急要請きんきゅうようせいだったが、町の予算で処分までやったとなればな、他の自治会も黙っちゃいない。ドブさらいはどの地区でも逃げたい位の嫌な作業だからな。うるさい地区なら議員だって騒ぐだろう。こうなると、本格的に町も何らか対応に取り組まないと済まされない」


――今回は緊急事態で特別だ、町としては二度とヘドロ処理やらない、って話にはならないんですか?


「ならない! 何故だかわかるか? それは一度でも『出来る』ってことを証明しちまったからだ。出来るならやってくれと、それが行政サービスだろうとな。住人はみんなこの問題で困っているし、議会も必ず動く。地方議員なんて地元の要望をやらなきゃ次の選挙は落ちるだけだ。ここに第二のビジネスチャンスが生まれる。もう勝手に押し掛けるドブさらいではない」


「もちろん、行政の仕事となると、業者は入札だわ。大抵は指定業者から選ばれるだろう。最初のドブさらいの彼は入札などできやしない。だがな、現場仕事ならできるんだ。ドブさらいなんて募集したって作業員はそうは集まらんからな。その指名業者から仕事をもらえばいい。そして自らも屋号でも付けて、さらにアルバイトでもやとって、どんどん仕事をもらっていけばいいんだ。何年かやれば実績から指定業者にもなれるかもしれないしな」


――それってもう起業そのものじゃないですか!


「そうだ、その通り。そして、まさしくドブをさらって金を作る。一度このシステムを作るとな、他地区の行政でも同じ様になって行くんだな。つまりマーケットがどんどん広がる。だから、そこの仕事もどんどん取る。会社も大きくなる」


――何だかワクワクしますよ。それなら大企業も夢じゃない!


 再び、山中さんが首を横に振っている。


「そんな無尽蔵むじんぞうに続く『打ち出の小づち』などビジネスには無いわい。良く考えて見なさい。どうしてドブさらいが仕事になるのか?」


――ええと、つまりはドブがあるからですよね・・・・・・。


「うむ、だからな、ドブが無くなりゃこの仕事は消える。ドブが消えるのはなぜだ?」


――下水道?


「おお、やっとマトモな答えが返って来たぞ。その通りだな。行政が予算を掛けてドブさらいをやる。これは住人にとってはうれしい。だがな、同じ予算を掛けるなら下水道にするのが本当の行政サービスだろうが。もし、隣町が先に下水道工事を始めたら、ドブに対する住人の不満はどんどん高まるぞ。だからな、このビジネスには必ず終わりがある。経営者はそれを見越して、ビジネスの内容も変えて行かねばならない。これはどんなビジネスでもそうだがな」


 ドブをさらってでも金を作る。これは、ドブの汚泥の中から金目のモノを探す事ではなかった! もちろん、大量のヘドロの山を探せば、何らかのモノは見つかるだろう。しかしそれはせいぜい副産物とでも言うべきレベルでしかない。本質は、他人のポケットの財布を当てにせず、まずはできるところまで自力でやれという事か。社会から必要とされることで動いていれば、周りも何をやっているのかを理解し、やがてそれはかせぎへとつながる。もはや、他人の財布は当てにしなくてもいい・・・・・・。


「ドブから下水道実現へと一気に話が飛躍ひやくするからダメなんだ。そうなると、下水道はすぐにできるのか、それともできないのか、の論議になっちまう。そしたら、今はできません、という結論に必ずなるわな。まずは、下水道にしたいのか、下水道にしなくていいのか、その意識を明確にすることが大事なんだぞ。そしてな、ぜひとも下水道にしたいとなってから、それは今やるべき事業なのか、やる必要が無い事業なのか、そこを検討する。その上で今やるべき事業と決まったら、最後に事業として実行できるのか、それとも実行できないのかを具体的に検証する。お金の在る無しの話ではないぞ!」


 アルコールけの頭の中にも、若田部理事の話は良くみ込んでいく。だが待てよ、私がこんなに理解が進むという事は、あれっ? この「できるかできないか」って話、確か工藤弁護士が住人説得の際に言ってたと、さっき列車内で戸倉さんから聞いた様な・・・・・・。


「ああ、そうでしょうね。理事が初めて工藤先生とお会いした時、理事から工藤先生にお話させていただきした。これは若田部理事のオリジナルの訓話くんわですからね。彼はひどく感心してメモまで取っていましたよ!」


 山中さんが、その疑問の種明かしをする。

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