第22話 巨大防潮堤から突き落とす

 砂利を敷き詰めた民宿の駐車場に車が入って来る音がする。少しだけ障子しょうじを開けてのぞくと、運転手付きの高級車から若田部理事と山中事務局長が降りて来ていた。恐らく社団の車ではなく、会長としての車なのだろう。再び胃の辺りにギュッと来る。これではどこが気楽な旅ライターの取材なのかわからない。


 おかみさんが呼びに来る。個室を別に用意しているらしい。何気ない民宿だが、ちょっとした旅館並みだと感心した先は、いわゆるカラオケルームだった。しかしそこには、目玉が飛び出る様な海鮮料理が並んでいる!


「東京の人は普段オイシイものを食べていると思いますが、この程度でも、三陸ではちょっとした贅沢ぜいたくだと思って下さい」


 料理に圧倒され山中さんの話に否定もできず愛想あいそ笑いをしていると、ネクタイを外し終わった若田部理事から「おお、君は戸倉女史といて無事だったのか!」と聞かれる。


――先ほど、民宿のおかみさんから、戸倉さんのエピソードをうかがったばかりでして・・・・・・。


「あれはすごいぞ、うちの会社にも柔道部があるが、もっと早く知っていればうちの監督に呼んでたな」


 若田部理事たちは、すでにどこかでアルコールが入っているらしく、社団とは関係無い話が続いた。しばらく、私もそこにお付き合いする。


「しかし、あの堤防、君たちは防潮堤って呼ぶのか、あれはイカンと思った。地元の人間への敬意が無いなアレは。安全のためはわかる。わかるが、へいの中が安全とは限らんのだ。君は世の中で塀に囲まれている場所ってどこだかわかるか?」


 理事は謎かけの様に私に問う。横にいる山中さんは答えを知っているのだろうか、何やら笑っている様にも見えるが。


――ええまあ、まず刑務所ですか?


「そうだ。そして、もう一つある。そいつは『城』の中だ」


――なるほど、お城ですね。刑務所とは失礼な考え方でしたが、お城の城壁じょうへき、すなわち敵の脅威きょういから守るすべであると。私も各地の城はほとんどを回っています。


 山中さんがなぜか咳払せきばらいした。


「城は敵から身を守ってくれる。ここでの敵は大津波だろうなな。それじゃ、刑務所と城の壁の違いはわかるか?」


 私は少し考える。先ほどの回答では違うのか。


――ええと、刑務所の壁はコンクリートで、城壁は石垣ってところでしょうか?


 二人がカラオケルームの部屋で大爆笑する。


「いや、その通りかもしれんな。どうもピントがずれる様だから、それじゃ質問を変えるぞ。そこに壁がある意味とは何だ?」


 なぜだか笑われたので、今度こそと真剣に考える。さっきも一応マジメに答えたつもりだったのだが・・・・・。


――簡単に逃げられないって事ですか・・・・・・?


「まあ、半分当たっているが平凡な答えだな。つまり、出入りを制限するのが壁の一つの役割だ。そして、共に壁の中の世界は、けっして安全でも自由でも無い。わかるか? 刑務所に自由が無いのは当然として、それは城の中も同じなんだぞ」


――城の中もですか? 安心というイメージは、城の中には持っていますけど。


 山中さんが「恐らく、今持っているイメージはテレビや映画のイメージですよね」と言う。


「そうだ、山中が勝手に答えてくれたが、自由に出入りできない時の城内というのは、敵に対する臨戦態勢りんせんたいせいに置かれている非常時だ。つまり、そこから逃げられない場所、それが戦闘中の城内の実態だぞ。安心と言うのはな、将来の保証があるからこそ感じられるものなんだよ。敵とやり合っている城の中は、君にとって安心できる場所か?」


 何やら歴史談義の様になって来た。旅先の取材で、たまに歴史オタクにからまれる事はあるが、若田部理事の迫力はそんなレベルではない。一代で大企業を育てた人間が、今目の前の私に対峙たいじしてきているのだ。ただし、既にかなり酒臭い息をしながら・・・・・・。


――でも、城の外よりは安心ではないでしょうか?


「敵方より味方が強ければ、確かにそれは正しいかもしれん。だがな、負け戦の籠城ろうじょうとなればどうだ。武器弾薬も食料も日々尽きて行くぞ。目の前の死体は明日の自分かもしれない。外に出て逃げたくとも逃げられない。どうだ、少しは想像が付いたかな」


 全く社団とは違う話が続くが、豪華料理にうまい酒と、完全に私の自由は抑えられてしまっている。さらに、今回の支払いまで先方で持ってくれると言うのだ。ここは、若田部理事の話が切れるまで機会を待つしかあるまい。まさしく、目の前の高級料理こそ、私にとっての逃げられない「壁」となっている。


「ワシは防潮堤を見た時に、これでこの地域は閉ざされたと感じた。まさに巨大な壁だ。百年に一度の大津波にも耐えるという事は、構築物として百年は持たせるぞと言ってるに等しい。これから百年後の未来にまで、なぜこれを作ったのかを問われ続ける。何世代にも渡ってな。それに正しく答えられるか?」


 若田部理事は、グラスに残っていた酒を一気に空ける。すかさず山中さんが脇からおしゃくをする。サラリーマンではない私にはできない素早さに感心させられる。だが、若田部理事の問いへの答えは出て来ない。


「百年以上、何世代もこの巨大な構築物を見ながらこの町で過ごす。壁は自由な出入りをその間ずっとこばみ続けるぞ」


 うんうんと同意している山中さんには悪いが、私は思わず反論してしまう。


――でも、陸上交通はつながっていますし、自由に行き来できないわけじゃありません。漁だって、漁港からちゃんと海に出られるようになっているはずですよ!


「君はバカ者か! 出入りが出来ないのは、広いはずの太平洋とつながる心の事だ。三陸の海が目の前にありながら、海を隔離かくりして生活させられることへの意味だぞ。もちろん、ワシだって高台から太平洋が見える事など百も承知しているわ」


 心の持ち様という事だろうか。禅問答ぜんもんどうの様に良くわかるような、わからない様な・・・・・・。


「三陸は、過去に何度も巨大津波の被害を受けて来た。それなのに、人はなぜ再び海のそばに居を構えるのか。それは、相手が『海』だからなんだな。相手は『人』じゃないんだ。誰か人のせいなどではない。だからやがて戻って来れる。もし人が相手だったら、その場所に戻るにはとても長い時間が必要だ」


 「海」と「人」


 震災被害は甚大じんだいだった。いまだに完全復興には至っていない。三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道さえも、その過程にあるもしかしたら小さな出来事に過ぎないかもしれない。全てが「海」によってもたらされたのだ。だからこそ、そこに戻れるという。まるで潮の満ち引きの様に・・・・・・。しかし、もしこれが人災であったら、そこに戻れるだろうか。相手を許したり、受け入れたりする事ができるだろうか。


「そこが、フクシマとの違いかもしれない。なぜ、フクシマでは人災と言っているのか。故郷にいつ帰れるかわからなければ、人は故郷を離れる。これは見捨てて行くんじゃない。原発という特殊要因だけに目が向きがちだがな、巨大防潮堤もどうなのか? 元の生活に戻りたいと言ってる人達に、元とは違う環境を将来に渡って与える事の意味は何なのだ!」


 アルコールのピッチが早くなる。巨大防潮堤は、地元民の安全確保のためにある。そのためには「巨大な壁」であっても仕方が無い。ただしそれにより、震災前とは違う「海」との付き合い方になる。少なくとも今後の百年間は、これまでの何百年間も続いた海との関係とは異なるのだ。若田部理事は言う。


「正しい答えなどあるわけ無いわ。それからな、答えも人それぞれだ。さらにな、この地域から離れてしまえば、何が正答だったかさえも気にならなくなるだろうよ。まさに『故郷ふるさとは遠きにありて思うもの』だ。だけどな、戦国時代には人の出入りの自由を制限してた城壁がだな、今の時代には人気の観光スポットとなっている事実もある。しかも、そこは合戦で大勢の死者が出た場所なのにだ。君な、全国の城を回ったと言ってたが、殺戮さつりく現場って有り難いと思うか?」


――いや、私はお城をその様な目で見たことはないです。職業なので観光スポットの史実としては知ってますが、確かに、戦国時代じゃなくとも、暗殺場所が有名な観光地になる例もけっこうありますからね。


 横から山中さんが幾つも例を上げる。三人ともかなり酔いが進み、どことなく話の辻褄つじつまが合わないのだが、それに気が付く事もなく三人の話は続いていく。三人とは言っても、実状は若田部理事の独演会に聴衆ちょうしゅうが二名。


「要するにな、機能を変えてしまうんだ! 人が大勢死んだら心霊スポットとなるか、鎮魂ちんこんの聖地として観光地となるか、もし観光地に変えて行くとしたら、どう視覚的に訴えるべきか。つまりだ、その場所をイメージするシンボルが必要ということだな。天守閣てんしゅかくでも残っていれば、そりゃそのままでシンボルとなれるわな。でもな、皇居のお堀位の大きな城壁ならまだしも、田舎にちょこっと石垣が残ってる位で、そこに観光客が殺到すると思えるか?」


――そうですね。ただ、歴史的に有名な石垣などであれば、かなり小さなものでも不便な場所でも、わざわざ見に行きますよ。


 若田部理事が、ポンっ! と自分のヒザならぬ、隣の山中さんのオデコを手でたたいて、我が意に同意したかという素振そぶりを見せる。山中さんは、すかさず自分自身でもオデコを叩く。何気ないがすごい技なのだ。


「いくら遠かろうと、わざわざ見たいのは、それが見たいから見るのだ」


 ずっこけそうな続き話にも、山中さんはウンウンと何度も同意している。気が付くと若田部理事の前にグラスが二つある。片方は間違いないお酒である。もう一方は、恐らく・・・・・・水だろう。これが真の秘書ってことなのか!


「いや、これはマジメな話なんだぞ。見たく無いものは見ないし、見たいものだけが見たい。これは人が持つ本能だ。しかしだ、単なる遺構いこうがそうなれるには『ストーリー』がなきゃいけない。その代わりどんな田舎の小さな城壁さえも、ストーリーというたましいを込めるとな、人は感動して動き出すんだぞ」


――感動・・・・・・ですか?


「そうだ。例えば富士山の様にな、誰もが見れば感動するものもある。田舎の観光資源としてそんなものがあれば、こんな楽な事はない。だがそれは無いものねだりってやつだ。一方でな、心で感動してるからこそ、見ても感動するものがある。その役割を果たすのが、その場所に込められたストーリーなんだわ。それまで誰も気にしていなかった小さな遺構にも、その瞬間から命がこもる事になるからな」


――テレビの戦国ドラマで取り上げるとか、そういった事でしょうか?


「感動って言葉の範囲は広いですからね。共感も悲しみも全て含みます」と、山中さんがさらっと付け加える。私は彼のそういった細やかな働きにこそ感動しそうになる。


「その場所で過去何があったか、それを教科書みたいにただ出来事を知っているのではなく、そこで起きたドラマとして知っている。この差はものすごく大きいぞ。そこに感情移入があるからな。だからこそ、その場所に行きたくなり、実物を目にして感動する。山中が言ってた様に、悲しみの共感とかもあるわな。残念ながら、いつの間にか歴史遺構のほとんどが失われてしまったが・・・・・・」


 明治維新での廃城行為もあったが、長大な石垣も土塁も近代の開発には邪魔じゃまな存在だった。敵の邪魔になる様に作ってあるのだからそれも当然である。歴史遺構はいつの間にか姿を消す。偶然にも残った痕跡こんせきを観光スポットにするなら、確かに教科書の様な歴史事実だけでは無理があるだろう。ポツンと街中に残る城壁跡に、そこでどんなドラマがあったのか、それを知る人は地元でさえほとんどいない。


「巨大防潮堤はどうか? 城壁と同じ様にな、こいつらの存在意義は『防御ぼうぎょ機能』なんだ。相手が敵方ではなく津波という自然に変わっていても、求められる機能は同じだわ。震災は、多くの悲しいストーリーを残してくれた。後世にも伝えねばならん。だけどな、そのストーリーの舞台は防潮堤じゃないぞ。舞台はな、間違いなく『海』だ。震災の記憶を語り継ぎ、そのストーリーが将来も三陸に観光客をきつけるとしたら、その舞台は『海』そのものしかない」


「その海が巨大防潮堤で見えなくなっちゃたんですよね」と山中さん。


――しかし、防潮堤が無ければ、絶えず次の津波への恐怖にさらされますよね・・・・・・?


「ワシはな、防潮堤の機能を否定しておらん。だがな、この延々と続く防潮堤がこのままで城壁の様な観光資源になるとはとても思えんわ。本来観光資源ってのはな、地元からも愛されるべき存在なんだぞ。君な、防潮堤の役割はわかるが、これが地元から愛されている存在か!」


 既に、かなりの空きびん壁際かべぎわに並ぶ。とうとう一升瓶も三本目に入る。山中さんが「おかみさんに片付けと追加オーダーして来ます」と、若干よろめきながら席を立つ。


――ところで、どうして、若田部会長は社団の理事になられたんでしょう?


 私は山中さんが部屋を出て行くと、いきなり直球を投げた。


「あの防波堤、いや防潮堤か、あの上にSL観光列車を走らせたいと言う構想を聞いたからだわ。ワシもそりゃ驚いたよ。あり得るはずもないと。しかも、バスの専用道にも走らせるとなぁ! 三陸で他にこんな痛快な話があるかって。全く何でかわからんけど、ワシ一人でもやろうかと思い込んじまったほどだ」


 私が返答しようとした時、おかみさんと山中さんが、何やらうまそうな酒とおつまみを持って入って来た。


「あらま、会長さんもどうしたの、二人で深刻な顔をしちゃって。まるで戸倉ネエさんにまた怒られたみたいじゃない」そう言いながら、おかみさんは、新しいコップに地酒を注ぐ。


「あの戸倉女史はすごいぞ。ワシも後で聞いたが、本気で現場の親方を防潮堤から投げ下ろすところだったらしいからな!」


 おかみさんが、そうなのよ~と言いながら、その時の顛末てんまつをまた語ってくれる。聞くほどに、そりゃあすごい話なのだ。


「あの防潮堤の外に落っこちたら、ここら辺は海流が早いからまず出て来ないのよ。それでね、もしかなり時間が経ってから違う地区で見つかったりでもしたら、それこそ『やっと戻って来てくれた』って騒ぎになっちゃうわよって。今でも早く戻って来いよって流された家族を必死に探しているんだから・・・・・・」


 そうだった、ニュースで時々流れている・・・・・・。


「それでね、どうしても戸倉ネエさんが棟梁を海にぶん投げたいなら、わかった、身ぐるみいで投げ込もうってネエさんをしたう連中が言ったらしいのよ。そしたら後々にどっかで上がったって誰だかすぐにわかんなくなる。そんでね、DNA鑑定が出るまで、わずかでも希望が持てる家族の気持ちにも貢献するだろうって! それ聞いて棟梁も真っ青になったとかならないとか、もうまったくな話よねぇ~」


 こ、この話、まかり間違っても、被災地の当事者以外は絶対できない。あまりにブラックジョーク過ぎる。でも、まさかまさかの実話だったりするのか・・・・・・

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