第20話 防潮堤が巨大だからこそ

 私たちの乗る三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道のSL列車は、まるで海の上を走っているかの様な沿線一のステージを今走っている。秋の陽光きらめく太平洋を一望するここは、まさしくあの巨大防潮堤の上なのだ。乗客達は入れ替わり立ち代わり、互いに海をバックに写真を撮り合う。やはり、この区間こそ、観光鉄道最大のハイライトであるとあらためて認識できる。


 ところで、車窓を見ていて歓声がき起こる路線とは、ずばり観光客が多い鉄道路線に他ならない。例えば東京近郊の通勤路線であっても、休日など観光客が多いと車内で歓声が上がる。それが海じゃなくても、富士山や昨今ではスカイツリーでも同様なのだ。


 こういった歓声が起こる路線では、観光客は事前にこれから訪れるそのシチュエーションを良く知っている。突然、目の前に想像もしなかった海が広がるのではない。わかっていてワクワクしながら待っているのだ。そして、期待通りの光景が広がった瞬間、そこに大きな歓声が沸き起こる。


 しかし、そのためには、事前にその光景を知っていてもらう必要がある。では、いったいどうやって事前に知らしめるのか。昭和の時代まではその手段が著しく限られていた。テレビや雑誌、あるいはパンフレットなどの数少ない手立て、しかも、テレビなどはその場で見てくれなければ、二度と目にする機会はない。当時はまだメディアとして人気があったラジオも、さすがに画像の威力にはすでに勝てなかった。


 だからこそ、駅などに巨大な観光ポスターを貼りまくったのだ。いかに旅情をかきたてるか、その光景を見たいと一瞬で思わせることができるか、そこにはクリエーターと大衆に一種の真剣勝負の関係が存在していたのである。


 しかし、今やインターネットにより、誰もが何時でもどこでも何度でも、見たいものが自由に見られる時代となった。コンテンツと呼ばれる映像の中身さえも、もはやプロもアマも関係無く発信できてしまう。


 だから「撮り鉄」にたくさん来てもらって、数多くの写真がネット上にアップされる状況も、地元観光にとって決して悪い話などではないのだ。ま、確かに、あの撮り鉄のマナーには驚かされたり、非常識な迷惑をかけられる例もあるが、ネットで「検索けんさく」という機能を使う程に、いかにコンテンツが多いことが重要であるかがわかる。


 とにかく観光客が、調べて調べまくってから来てくれる時代になったのだ。まず訪問目的を決め、それを現地で達成できることが満足につながり、そして自らも訪問情報を公開し、さらにその情報への反応が自身のリピーター訪問へとつながる。その関係がメビウスの輪のように切れ目なく表裏一体となって回り続けて行く。今やそういう時代になったのだろう。


 そして、客車内の乗客たちは、期待通りの光景の出現に、三陸訪問の目的が達成された満足感を互いに味わってる瞬間にいる。先ほどまで前の席にいた戸倉さんといえば、狭い車内で忙しくカメラマン役を次々とお願いされていた。


「アンタもこっちに来なさい。ここはそんなに長い時間じゃないんだから!」


 彼女に言われ、私もふらふらと知らない団体の撮影の輪に入る。


「バカ、何してるのよ、アンタは写真を撮る方の手伝いだよ!」


 私を引き寄せた戸倉さんのこぶしが、列車がれた反動でもろにに入る。幸い、予備のカメラをぶら下げていて、衝撃を半分は受けずに済んだ。だがしかし、予備機のレンズには後で見るとヒビが入ってしまっていた・・・・・・戦場で弾丸が偶然カメラに当たり、奇跡的に命が助かったカメラマンがいたと言うが・・・・・・。


「ホント、何を考えているんだか。防潮堤の区間は短いんだから、もっとテキパキと動いてよ!」


 私は、私の取材のために、今回、三陸夢絆観光鉄道のSL観光列車に乗っているのであって、間違っても乗客のお手伝い役ではない。ただ、そんな正当たる理屈もこの状況には通らない。まるで戦場の様に理不尽な・・・・・・。

 

――あれっ、もう終わりだっけ?


 思わず声を発する。前回は結構長いと思っていた防潮堤区間は、確かに戸倉さんの言う通りかなり短かった。


「だから言ったでしょ。さっさと写真撮ってあげないと、すぐに終わっちゃうの。だって一キロちょっとしかないんだからさ」


 前回にも乗車したはずなのに、そんなに短いとは感じなかったのに! 色んな映像をメディアで見てるせいだろうか、防潮堤上をもっと長い時間走っている様に感じていた。そう言えば、あの出版社の書庫で見た鉄道雑誌にも、せめて倍の距離を防潮堤上で走れれば、などと書いてあった様な記憶がふとよみがえる。


「反対派がとにかくすごかったの。あまりに危険過ぎるって。また大津波が来たらどうするんだとか、強風や大雪の日に列車が海に転落したらどう責任を取るのかとか。三陸って、昔から津波以外にも自然災害が原因の鉄道事故があったじゃない。だから反対する人の主張も地元の人は皆んなわかるのよ」


 終戦前年の早春、雪崩なだれで流された鉄橋から貨物列車が谷底に転落した。鉄道電話も無く、重傷を負った老機関士は若い機関助士に対し、自分を助ける事よりも駅に事故発生を通報せよとたくし、現場でその命を落とす。機関助士は吹雪ふぶきの中を必死に走り、次の汽車は事故を避ける事ができた。戦後に映画となり、この事故は全国に知れ渡る。

 

 そして、これは三陸での実際の鉄道事故なのであった。厳しい路線が多いこの地方では同様の自然災害事故は多く、それだけに、あえて危険にさらされる観光鉄道など作るべきではない、と言う意見は確かに正論でしかなかった。


「最後は、この巨大防潮堤を将来世代までながめて暮らすべきか、利用して暮らせるようにするべきか、その議論になったわ。技術的にも色々と安全性を検討したの。その時に、あの、おしゃべりなテレビ弁護士、あいつが案外がんばってくれてさ、最後は、三陸は絶対に観光で生きて行くんだって、全員のきもわったのよ!」


――おしゃべり弁護士って、工藤先生のこと?


「そうよ。ケンジ君の友達だって言ってた様だけど、とにかく田舎の人は有名人に弱いんだ。それまで強固な反対派だったのに、彼が来て説明しているうちに、いつの間にか一番の協力者になっちゃうんだからさ」


 そうなるのも工藤弁護士の魅力のおかげかとも思うのだが、とにかく、巨大防潮堤をこれから地域としてどうすべきなのか、外の人にはわからない深い葛藤かっとうだったらしい。そして防潮堤が自分たちの安全と地域の将来を守るものであるという、るぎの無い正義に立つ以上、もはや作ったものを壊すという選択肢せんたくしは存在しなかったのである。


 一方、戸倉さんが言うように、地元として、巨大防潮堤を将来世代まで眺めて暮らすのか、それとも利用して暮らしていくのか、その結論はどこかで出すしかなかったのだろう。SL観光鉄道を巨大防潮堤の上に走らせようという発想は、最初こそ冗談みたいな話でしかなかったが、最後はこれこそが三陸復興の観光目玉になるかもしれないという、防潮堤が巨大だからこその現実プランへと変わって行く。


 それでも、具体的プランは往々にして決まらない。安全面を考えると、皆どこかで腰が引けてしまうのだった。


――さっき技術的に色々検討したって言ってたよね? それはどんな内容だったの?


 観光列車は、再びBRTバス専用道へと戻り、次に止まった駅で対向からやってくる専用バスを待っている。BRT専用バスは防潮堤の上は走らない。


「やっぱりね、またあの大津波が来るんじゃないかっていう不安よ。余震は相変わらず続いてたし、もし、その時にSL観光列車が防潮堤の上を走っていたらどうしよう、って言う底なし沼みたいな議論よね・・・・・・」


――でも、どうやってその状況から話を先に進めることができたんだろう?


 私が、本音として知りたい本当の実現理由。巨大津波という絶対的な恐怖に向かい立つその勇気は、いったいどこから来たのだろうか。


「防潮堤の上にSL観光鉄道を走らせるなんて、本当にこの計画を実行するのか、それとも実行しないのか、って議論がひたすら堂々巡り。だから、ともとも、何時までも結論が出せなかったわ。それでね、防潮堤を見るだけの暮らしを続けるのか、防潮堤を利用して暮らして行こうとするのか、そのどっちを望んでいるのか、まず、みんなの気持ちの確認からスタートしてみたのよ。単に高台に住めば遠くに海が見えるって話じゃないの。ここはずっと昔から、海とはいっしょに暮らしてきた地域だから・・・・・・」


 戸倉さんは、反対側からやって来たBRT専用バスを目で追う。するとSLの汽笛が鳴り、やがてこちらの列車も動き出す。ホームで何人も手を振ってくれているが、その中には制服を着た社団メンバーも混じっていた。


「あのおしゃべり弁護士が言うのよ。皆さん、この観光SLプランをやりたいんですか、それともやりたくないんですかって。そうすると、反対派も含めて、そりゃやれるならばやりたいさ、って全員が同意したのね」


「そしたら次に、じゃあ、これはやるべきですか、それともやらないべきですか、って聞くのよ。そんなの、安全面が大丈夫ならやれるならやるべきだろう、って結論に向かうわ」


 なるほど、その辺の誘導はさすが有能弁護士かもしれない。彼女の話は続く。


「それで最後に、じゃあ法律的に防潮堤の上をSL列車が走れるのか、それとも走れないのか、って話を彼はしたの。その結論は、禁止されてない以上、必ずできるってこと! それで全て決まったわ。そうと決まったらすぐに行動はスタートよ。例えば、防潮堤を走る区間の決定もそうだし、そのままじゃ防潮堤の上に線路なんか敷けないから、そのための追加工事の折衝せっしょうとか、万が一の避難ひなん施設だとか。アタシなんか安全帽までかぶって、毎日工事現場に出たんだからね!」


 彼女の現場スタイルはさぞや似合ったはずだ。それにしても、さすがに弁護士ならではの理詰めの説得力だと脱帽だつぼうする。私にもそれ位の筋書きの組み立て能力があれば、恐らく印税だけで飯が食えているだろうに・・・・・・。


 戸倉さんによると、それこそ防災専門の高名な学者まで交え、最終的には、観光と安全の両面からシツコク検討を重ね、それで、実際に防潮堤の上を走れるのは一キロメートル強にしかならなかったのだと言う。各地の火山地帯を行くロープウェイ、風の強い海沿いの鉄道、巨大鉄橋区間の危険度など、あらゆる実例と比べた結果でもあるらしいが、まさにお役所ならではの前例主義の賜物たまものなのだろうか。でも、現実に巨大防潮堤の上を走るSL観光列車は出現したのだ!


 ところで、防潮堤のてっぺん部分をSL列車は走っている様に見えるが、実際はほとんどの区間で、防潮堤の陸側にコンクリート橋脚を作り、その上に敷いた線路上を列車は走っているのだった。だからこそ観光の目玉として、防潮堤に乗り入れる橋脚などにも木造橋の様な装飾を施し、観光のランドマークとして視覚的に耐えられる工夫をらしているのだという。肝心の乗客目線は、海側には視界をさえぎるものなど一切無いので、まるで海の上を走っている様な感覚である事に変わりはない。


 一番神経質となった緊急時の避難方法についても、およそ百メートルごとに避難誘導路を作り、万が一、防潮堤上でSL列車が止まっても、列車の前後どちらか五十メートル以内に必ず避難誘導路を見つけられる。その先には簡易的ながら、必要最低限の津波避難施設も設置した。そこは普段、海を眺める展望台的な役割も果たしているのだ。そして、それ以上の安全保証の検討は止めよう、という事になった。キリが無い話なのである。


「絶対に落ちない飛行機と同じよ。飛行機に乗って到着地まで地面を走って行くのかって!」


――飛行機の安全って、確かにそうだよなぁ。飛べば落ちるリスクは必ずどこかにあるけど、それと大津波のリスク、可能性はどっちが高いのか。まあ、こんな話しは結論も出せないナンセンスだと思うよ。


「もっともだわ。アンタ割といい事言うじゃないの。それともう一つね、震災対策とは違うけど、法律的な問題のクリアに『特定目的鉄道』だからOKというものあったわ。もし三陸夢絆観光鉄道が普通の鉄道だったら、恐らく認可されなかったらしいの」


――観光目的の鉄道だからこそ、特別に認可されたと?


「そういうことね。だからさ、良く勘違いされちゃうんだけど、最初に「鉄道事業法」が緩和されていたからこそ、三陸夢絆観光鉄道は実現できたんだから。もしこれが通勤通学路線なら、それこそ災害の危険度からも、絶対に防潮堤の上に鉄道なんか作れるはずなかったって。だって、JRの在来線だって、海沿いの被災区間を廃止して山の方に新しい線路敷いたでしょ!」


 法律ってやつは、私には良くわからない。同じ災害危険度を基準とするのならば、どちらも当然ダメなはずであろう。まあ、その話はここではいいや。あくまでも三陸夢絆観光鉄道がどうやって実現できたか、その経緯を取材することが私のメシの種なのだから・・・・・・。


 いつの間にかSL列車は、BRTの併用区間から離れて、陸泉鉄道との四本レール区間を走っている。


「BRTの専用バスはね、病院とか役場をきちんと回るのよ。こうやってBRTのバスになってあらためてわかったけど、ローカル線って必ずしも町の機能と一体じゃないのよね。都会の電車と田舎のローカル線、もしかしたらそこが一番の違いかもしれないわ」


――そうやって考えると、鉄道が走っている意味って良くわからなくなるよなぁ。それでも、地域にとって鉄道が大切なのはなぜだろう? 町の名前が地図から消えるショック話も聞いたけど、そんな情緒じょうちょ的な事で鉄道の存続は決められないだろうし。


「何だろう、線路が都会までつながっている安心かな。良く言われるけどさ、田舎にいると本当にそう思うのよ。太平洋を見てアメリカまでつながっているって思うのといっしょかもね。この海が隣の町までつながっている、とは地元の人はいちいち誰も感じないし思わない。もちろんその事実はわかっちゃいるし、海がつながっている事での色んな面倒もあるけどさ」


 旅ライターだから、この手の話は幾度も聞いていた。地方にとっての鉄道とは、その地域が都会のみならず全国各地ともつながっていることを、視覚的にも精神的にも確認できるツールなのだろう。


 次に止まった駅には、小さな古い駅舎があった。ここは四本レール区間だからバス待ちの停車ではない。三陸夢絆観光鉄道のSL列車は観光列車だが、休止中の陸泉鉄道の鉄道駅には全て停車する。そして、実際の客扱いもする。地元の鉄道復活に掛ける想いが、観光列車ながらこの様な運行にさせたのだと言う。それにしても、こんな小さな駅にも制服の社団メンバーがいて、少ない乗降客にも丁寧ていねいに対応していた。恐らく、きっと割と最近まで陸泉鉄道の駅員もこんな風にここで働いていた事だろう。


「この駅はさ、アタシが高校時代からずっと無人だったんだけどね・・・・・・」と彼女が一人つぶやいた。


 そんな大昔から無人駅だったの! とは、私もここで突っ込まない・・・・・・。

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