第18話 レールを刻む音を作る

 三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道の線路幅が、最終的に762ミリメートルと確定した事で、具体的なSL製作段階に北三陸きたさんりく重工業も入って行った。SPC(特別目的会社)による「21世紀の新造蒸気機関車」への証券化も販売は順調で、小口化したために多くの個人が買ってくれた。資産の流動化とはこういうものなのかと、私も初めて金融商品の威力いりょくを思い知った。


 そして、予想外に大口の申し込みが多数あり、その結果、追加募集に際しては対象資産の変更をかけ、SLなど鉄道車両以外のレールや鉄道施設にも同様のスキームとして組めたことは、観光鉄道の運営上でも大いに助かる事になった。これらの大口投資家の多くが東日本の出身であったらしいが、やはり震災復興を気にしていながらも、素直に応援できない何かがそれまでの復旧復興過程にはあったのだろうか。


 そして今、目の前にあるSLを見ていると、この機関車が生まれてくるまでの経緯、そして現代の運転環境に対応する各種の工夫に、あらためて素晴らしさを感じる。それに、前回の訪問時は真夏だったせいか気が付かなかったが、間もなく紅葉というこの季節、白い蒸気スチームが機関車の全身にまとわり付き、さらには客車の床下からも湯気が立ち上る姿がとても美しい。ここでは、懐かしい蒸気暖房が使われている事にも気付かされるのだった。


「僕は午後もここで勤務ですから、代わりに陸泉りくせん町役場の戸倉さんにいっしょに行ってもらいます。彼女は三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道の町広報を担当しているんですよ」


 紹介された戸倉さんという女性は、いかにも三陸のおねえちゃんという雰囲気だった。都会的なケンジ君に比べ、ガハハと大声で笑う彼女を見ると、中堅の公務員というよりベテラン海女あまさんの様である。


「何だぁ今日はさ、出版社って聞いてたからタレント同伴の取材かと思ったのに、まあ、誰でもいいわよ。何でも遠慮えんりょなく聞いてよね!」


 観光鉄道には色んなメディアが取材に来るという。それにしても、戸倉さんは私がこれまで各地で出会ってきた広報担当者のイメージとはまるで違う。そんな彼女の方も、私が有名人ではなくけっこうガッカリしていそうだが、ガッカリではなくガッチリ体型の戸倉さんに、私なんぞの連載でも少しは三陸の観光客増加にも寄与しているのだと言いたい。連載が突然終わらない以上、多分それなりに貢献しているに違いないはずだぞ、と・・・・・・!


――やっぱり本物のSLはいいですね。雰囲気というか、こんな小さくても存在感がある。間もなく発車ですけど、私は子供の頃から黒煙を上げて走り出すSLがとても好きだったんですよ。


「それはちょっと残念だわ。このSLはね、出発する時にあまり煙吐かないのよ。中船なかふね駅にはホーム全体に屋根があるし、ショッピングモールに隣接しているから、動き出すときは電動モーターがその分も頑張がんばるってわけ」


 とても町を代表する広報役とは思えない友達口調で、彼女はそう説明してくれる。聞けば、町には若いミス陸泉町がしっかり選ばれていて、さらには三陸夢絆観光鉄道にもSLガールズという、広報役も兼ねた若い女子のアテンダントグループまでいるのだと言う。ついでながら、海にはミス海女さんまでもいる・・・・・・つまり、映像メディアには、専門のキレイどころがしっかりと対応しているらしいと。


「アナタもミス陸泉町の案内じゃなくってご不満かもしれないけど、アタシも出版社の取材対応って言うんで、昨夜はお肌のためしっかり睡眠時間取って来たのにさ。アハハ冗談よ!」


 夏の訪問時と違い、窓が全て閉まっている客車内では、彼女の存在が言葉に出来ない圧力として私にのしかかって来る・・・・・。


――月並みな言葉ですが、お手柔らかにお願いしますよ。それにしても、今、動き出しましたが、確かに割とスムーズな発車ですね。


「市街地を抜けるまでは、ほとんどバッテリー動力でゆっくり走るの。運転士さんに聞いたけど、これがけっこうな力があるんだってね。それに、駅を出てしばらくは軽い下りだから、気を抜くと石炭をくのつい忘れちゃってることもあるんだってさ。それであわてて石炭をくべると、今度は黒煙がモクモク。その人、元々は電車の運転士さんだったから、最初の頃はかなり大変だったみたいよね、アハハ」


 電車の運転士からSLの運転士になる。昔とは逆パターンの転身だ。恐らく給料も下がったことだろうし、小型SLとはいえ電車よりはるかに運転も複雑だろう。


「この前、SLの運転士になって何が一番良かった? って聞いたのよ。都会の通勤電車に乗ってたから、毎日同じ田舎の風景できないかって? そしたら、このSLに飛び込むバカはいないだってさ! 何だか二度もやられたとかって言ってたわ。都会の鉄道運転士も何かと大変だわねぇ・・・・・・」


 鉄道事故が発生すると、まず主に対応するのは車掌しゃしょうである。もっとも、車掌がいないワンマン電車も最近は増えていて、そんな時は運転士が対応するしかない。事故は毎日の様にどこかで起きている。私は幸い通勤とは無縁だが、乗ろうとした電車が止まっている事など日常茶飯事にちじょうさはんじだ。こんな異常な事態が、どうしていつまでも放置されているのだろうか・・・・・・。


「何よ、怖い顔してるわね、飛び込まれたことあるの?」


――いや、そうじゃなくって。そんなバカらしい心配しないで鉄道に乗れるって、なんて素晴らしい事なんだろうと思ってたところだよ。


「そうよね。でも、今日はバス専用道で無法トラックとぶつかったりしてさ、アッハハ!」


 この人、ちょっとオカシイかも。可笑おかしいではなくだ。ま、それでも、この汽車旅は何だかとても楽しい。暖房がそれなりに効いていて快適だし、木目の車内はどこか格調が高く落ち着きがある。


「ホントに今まできちんと取材してきたの? 三陸夢絆観光鉄道の売りの一つが、この客車たちなのよ。だって、いくらSLが大好きでも、SLには直接乗れないじゃないのさ。乗客はあくまでも客車だけに乗るのよ。いい印象も悪い印象も、極端に言えば乗った客車で決まっちゃうんだから。だから、チープな客車にはしないって最初からの方針だったわ」


――これって木造の客車?


 戸倉さんはハァーと息を吐いて、今度は私が膝元ひざもとに置いている資料をパンパンと平手でたたく。けっこう痛いかも・・・・・・。


「その中に全部書いてあるわよ。取材記者なのに読んでないの? 車体は防火仕様のスチール製。当然でしょ、今の時代の客車なんだから。室内には難燃性の木材を使ってて、それも認可されているやつよ。法律でも決められているし、火を焚くSLに木造客車なんて危な過ぎるわよ。さっき自分で『平和な路線だ』って言ってたでしょうが。丸焼けの恐怖があったら誰も安心して乗れないわよ!」


 「平和な路線」なんていつ言ったかな? でも、まあ彼女の言う通り、旅ライターをしていると、座席や車内の雰囲気で旅全体の印象まで大きく変わってしまう。これは鉄道に限らない話だが、自分が一番接している環境で印象の良否が決まるのだ。この客車も決して豪華というわけではないし、本物の無垢材むくざいではないことも近寄って見ればわかる。だが、最近の模造品は良くできているので、そこにチープさや違和感を感じる事はない。


 ただし、もしこれがトロッコ列車なら、鉄板むき出しに直接塗装程度でもOKだと思うのだ。大体トロッコってのは鉄道の中でも最下層の車両だし、そういう列車は、汽車旅気分というよりアトラクションに近い。しかし、三陸夢絆観光鉄道の売りはあくまでも「汽車旅」なのだ。快適旅行とは多少意味合いが違うが、心地良い旅気分をぜひ味わってもらうことが願いなのである。そんなSL列車は、休止中の陸泉鉄道と同じ線路敷地をひたすら走り続けている。


――ここが四本レール区間だってこと、客車に乗っていると全くわからないものですね。


「そう、レールは四本とも客車の下になっちゃうからよね。一番最後尾の客車に乗れば、後ろのデッキから良く見えるんだけど、陸泉鉄道のレールは真っ赤にびちゃったから、あまり目立たないのよ」


 震災被害による休止から、時間だけはもうかなり経ってしまった。今、このSL列車は陸泉鉄道と同じ線路敷地を走っているが、これは陸泉鉄道の列車ではない。観光客にはそんな事など気にならないかもしれないが、地元の人はいったいどう感じているのだろうか。


 そしてこの区間、三陸夢絆観光鉄道には、ある面白い仕掛けが使われているという。客車内には、ガタンガタン、ゴトンゴトンという、鉄道特有のレールを刻む「ジョイント音」が軽快に入って来る。しかしその音が窓の外を流れる景色の速度より、いく分か感覚的に早いリズムに聞こえる。そのせいだろうか、けっこうな速度でSL列車は走っているように感じられるのだ。


 実際の今の走行速度は、恐らく時速にして二十キロ程度のはずなのだが、まさしくこの音は軽快に走行している時のリズム感だ。ところが、これこそが三陸夢絆観光鉄道が特にこだわった仕掛けなのだと言う。


「アタシたちもさ、鉄道に乗っているビデオをいっぱい見せられたのよ。実際の鉄道車両に乗りに行くには予算がないからだってさ。それに、今の鉄道のレールって昔と違って長いものが多いから、この『ジョイント音』があまり聞こえてこないからって事も理由として言われたけど、まあとにかく、おかげでやたらビデオを観て全国中を旅した気分になったわよ」


 三陸夢絆観光鉄道のこだわり、それは、レールを車輪がきざむ「ジョイント音」のリズムにあった。列車がゆっくり走ればゆっくりと聞こえるし、早く走れば連続して聞こえてくる。このレールのリズムこそ、汽車旅の旅情感へとつながると考えたのだという。


遊戯施設ゆうぎしせつのアトラクション鉄道って、どこでもすごくゆっくり走るでしょ。走れる距離が短いから、急ぐとすぐに終わっちゃうというのもあるんだろうけどさ、これは全然汽車旅の感覚とは違うなって話になったの。じゃあ、どんなのだったら汽車旅を感じるのかって色々検討してたら、その一つが線路のリズムだってわかったのよ。すごいでしょ!」


――あはは、そうですね、それはそれですごいと思いますけど、でも昔から鉄道ならではの特徴として「ジョイント音」のことは言われも来ましたけどね。新幹線なんかレールどうしが溶接ようせつされたロングレールになっていて、全く音がしないし、都会の電車も今じゃほとんどそうだけど。でも、どうしてこんな心地良いリズム感にできたの?


 最初に話を少しばかり否定したので、彼女はちょっとむっとしながらも、コンピュータでシミュレーションしたのだと言う。


「車窓を映した映像に、様々なスピードでのジョイント音を重ねて、その中で最も汽車旅感があるリズムを探し出したのよ。そしたら、予想外の結論が出ちゃったわ」


――予想外の結論って?


「ゆっくりのんびり走っている時のジョイント音、これが全然汽車旅のイメージリズムじゃないの。けっこうこれって意外だったでしょ! アタシたちもそうだったけど、聞いた皆んながそう思うって。快適な汽車旅のリズムって、それなりの速度が出ている時に感じるものだって初めて知ったわけ。それがさ、ゆっくり過ぎると、鉄道に乗って遠くに移動しているという、あの独特な感じが全然しないのよね」


 うーむ、私、各地の鉄道も乗り歩いてる本職の旅ライターであるが、今までそんなところを深く考えた事はなかった。今、三陸夢絆観光鉄道の客車内にいて、実際にそのリズムを聞きながらのせいかもしれないが、適度に早い速度を感じる事が、いかにも汽車旅をしている感覚にマッチしているのは間違いない。確かに、ゆっくり走る列車に旅気分は感じづらい。それは何故なのだろうか・・・・・・? 鉄道旅の高揚感こうようかんとは、どうやら自分は今移動しているのだ、という感覚にこそありそうなことは間違いなさそうだ。


――それで、ゆっくりではなく、速度を上げて走ることにしたんだ?


「アンタ、頭悪いの? この列車、全然早く走ってないでしょ!」


 反対の側の乗客たちがチラリとこちらを見る。何だか中年夫婦の痴話ちわげんかに見られなきゃいいが。でも、実際のところ、車窓を流れる景色は、このSL列車が決して早い速度では走っていない事を正しく教えてくれる。しかしながら、聞こえてくるジョイント音は相変わらず軽快なリズムだ。時速でいうと五十キロは出ている音に近い感じがする。


「一本一本のレールが短いの。陸泉鉄道のレールは二十メートルだけど、こちらは十メートル。半分なのよ。だから、あまり早く走らなくても、次々とレールのつなぎ目を車輪が通る音がするの。さらに客車自体もJRサイズより短いから、余計にね!」


 なるほど! 仕組みとしては単純だがこれは面白い仕掛けかも。軽快なジョイント音のリズムを刻みながら、でも実際の速度はそんなに早くないので、割とゆっくり車窓もながめられる。乗り心地も昔の軽便客車と違ってハードではなく、木目調の客車内は狭いが落ち着ける空間が広がる。乗車時間もけっこうあるから移動自体が十分に堪能たんのうできる。そして、車外からはなつかしい石炭の匂いとSLサウンドも入って来る。そう、これこそまさにイメージどおりの「汽車旅」じゃないか!


――あっ、わかったぞ!


 私の大きな声に今度は彼女が驚く。


――今日は窓を開けてないけど、前回、夏に来た時、子供たちが窓から顔出してたんだよ。でも車掌もあまり注意しないし、けっこう飛ばしているのに平気かな、って思ってた疑問がわかったぞ!


「疑問がどうしたの? だから、今、ジョイント音の仕掛けは教えたでしょうが」


――そうじゃなくって、ここは陸泉鉄道の線路敷地だから、こちらの車両サイズが小さい分だけ、限界マージンがあるんだって事実に気が付いたんだよ!


 彼女は何なの? という顔をしているが、子供たちが窓から顔や手をある程度出しても怒られないのは、一つには走行音から感じられるイメージとは違い、実際の速度が遅いことがあるだろう。もう一つは、陸泉鉄道より小型の観光鉄道専用車両で走っているので、多少窓から手足を出しても、車両限界的に鉄道施設とぶつかる可能性が低いってことなのだ。


 車両限界とは、簡単にいえば車両の最大幅と高さのことで、プラットホームやトンネルなどの大きさの制約から、この車両限界以上で作ると施設にぶつかってしまうぞ、という規程である。陸泉鉄道ではJRサイズの車両限界が採用されているから、それより三割ほど小さな三陸夢絆観光鉄道の車両は、その分だけ車両限界にも余裕があるって事なのだ。ちなみに、この車両限界は鉄道のみならず自動車にも存在している。


「そんな事、今さら驚く様な発見じゃないじゃないの! 誰でも見りゃわかる話だし、皆んなとっくに知ってるわよ。それ、これから連載に書くっていうの!」


 狭い空間とは恐ろしい。たったこれだけの時間で、まるで彼女は古女房の様に私に指図する。もっとも、昔から汽車旅には「そですり合うも多生たしょうえん」的なエピソードがあったとはいうが、私には今、ここで会ったが百年目・・・・・・の様に感じられるのは何故なのだろうか・・・・・・。

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