第15話 タクシー三陸を飛ばす

 寝坊して、本来乗るべき三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道の中船なかふね駅行き直行バスを逃した。私は半ば呆然ぼうぜんとしている。


 すると、さっきまで少し離れた所でタバコを吸っていたタクシーのオッサンが、再び近寄って来た。


「なあ、いくらなら出せる?」


――えっ?


「予算だよ、予算。タクシー料金の話だべ」


――ああっと、せいぜい一万円が限界ですよ。


 オッサンは少し黙ってたあと「観光タクシーって知ってるか?」と聞いて来た。


――知ってますよ、定額料金の貸し切りでしょう。


 自分もたまに取材で使う。一定時間を定額料金で観光地などを回ってくれる。取材にはありがたい存在だ。ただし、遠くには行かない。指定地域内の特例だからだろう。


「オレのは小型タクシーだから、観光貸し切りは一時間で六千円だ。陸泉りくせん町まで行くと二時間近いけど、きっちり一万円で行ってやんべ。でも、ひとつだけ条件がある。貸し切り車に乗ったって絶対誰にも言うなよ。これはルール違反だからな」

 

 背に腹は代えられない。オッサンに言われて、なぜか先に一万円を払わされた。一万円札が無く五千円札を二枚渡す。金をあまり持ってない客かも、という疑いに拍車がかかりそうだ。そして、後ろではなく前の席に乗れという。山道だからシートベルトも必ず閉めろと。途中検問も良く行われているらしい。


 オッサンの年はよくわからないが、走り出したタクシーは、さっきの「山道にはダンプが多くて飛ばせない」どころの話ではない。怖い位に先行車を抜きまくるのだ! 車体がでかいアメ車、それもビンテージカーでは、山道で先行車を抜く事などまずあり得ない。もし山道で先行車を抜くとしたら、相手が得体のしれない後続車におびえて道を譲ってくれる時くらいのものだ。


――昔ラリードライバーでもやってたんですか?


 少しずつ、車酔いで気持ち悪さが増す中、オッサンに聞く。オッサンはほとんど黙って運転しているのだ。


「この国道、昔はオートバイで良く走った。半分以上がダートだった。あんたには狭い道に見えるだろうが、こんな山道が全線が二車線になったことにも驚いた。これも全部、震災復旧の工事車両のためだべ」


 なるほど、最近、広げて整備したのか。ただ、工事用の重量車が多く走るせいか、舗装路ほそうろのあちこちがへこんでいる。そのため、タクシーは時々宙に浮いた。高価なカメラが飛ばない様に手で押さえる。対向車線にパトカーがすれ違う。あれはミニパトだから大丈夫だろう・・・・・・。


「こんなに飛ばしたら、二時間なんてかからない様に思えますけどね・・・・・・」


 オッサンは「自衛隊のヘリコプターならたったニ十分足らずの距離だ。地面とは面倒なもんだな。地面は地面の通りにしか動けない。空を飛べればどこにでも自由に行けるべさ」と返す。


――あの、昔は自衛隊にいたのですか?


「違う、震災の時に救援ヘリに乗った。三陸にいる親戚の家に行ってたんだ。家族と自家用車に乗っていて、あっと言う間に車ごと水の中だ。一瞬、気絶してて気が付いたら・・・・・・隣にかあちゃんの姿はもう無かった・・・・・・」


 このオッサンも被災者だったのか! 家族は見つかったのだろうか、訪ねた親戚しんせきたちは大丈夫だったのか。こちらの質問の雰囲気をさえぎる様に、オッサンは強く黙り込んで先行車を抜き続ける。


――おおおーっ!


 思わず声が出る! カーブ外側から強引に抜き去った大型車、それは、私が乗るはずだった直通バス・・・・・・。


「心配すんなって。金は先にもらってるから、ちゃんと中船まで責任もって届けたる」


 もう、これ以上は先行車を抜く必要が無いのに、直通バスより早く着いても取材時間は決まっているのに、オッサンは市街地に入るまで繰り返し先行車を抜きまくった。


 タクシーから降りた時、思わず胃から苦いものがこみ上げて来た。それを必死にこらえていると、オッサンが、ティッシュの様なものを差し出した。案外いい人なんだなと思った紙切れは、ティッシュではなく五千円札だった。


「これな、口止め料だ。今日の話、この辺の地域で話すなよ」


――ちょっと待ってよ、だって、最初に一万円ってきちんと約束したし、これじゃもうけも無くなるでしょう。帰りのガス代もかかるだろうし・・・・・・。


「だから、口止め料。ガソリンは会社で入れるし、それにタクシーはLPガスだべ。今日、俺は貸し切り観光客を駅前から乗せたけど、金を払わずに逃げられた。そういう事だ。貸し切りだからメーターも倒してない。ま、直通バスよかちょっと高かっただろうけど、実はオレも、なかなか陸泉町には来れなくってな、気持ちがどうしても・・・・・・営業でもこっち方面はずっと断って来た。ありがとな、くれぐれも、絶対誰にも話すなよ!」


 オッサンは、さっさとタクシーに乗り込んで行ってしまった。オッサン、ありがとうはこっちのセリフだよ。私がもし有名な旅ライターになって取材予算が潤沢じゅんたくになった折には、必ずオッサンを指名して観光貸し切り予約するから。


 いい歳して感傷かんしょうひたっているのか、車酔いで気持ちが悪いためなのか、何やら焦点がぼやけた目のままショッピングモールのベンチで休む。


 ここは三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道の出発駅でもあり、観光バスなどの発着拠点でもある。だから、観光鉄道の「中船駅」でもあるが、道の駅「三陸中船駅」でもあるのだ。既に広い駐車場にはけっこうな数の車が駐車している。


 しかし良く見ると、圧倒的に地元か近隣ナンバーの車だ。県外のナンバーは少ない。まだ観光バスもほとんどいない。前回は気が付かなかったが、このショッピングモールは観光客向けでは無く、どうやらメインは地元に向けたものであるらしい。そうか、津波で商店街が流されたから、ここに街の機能を集約しているのか!


 そう気が付いて辺りを見渡すと、どうも土地が一段高くなっている様に見える。何か不自然なほどこの付近だけ平らなのは造成地だからであろう。モールから見える観光鉄道の線路も、それなりの勾配で中船駅まで登ってきており、この場所が震災後に整備されたことが理解できた。恐らく、この付近まで津波は来てしまったのだろう・・・・・・。


 一方、モールの反対側にはパチンコ屋などが並んでいて、どこか場違いな雰囲気を感じるが、駐車場を見ると午前中からけっこう盛況な様だ。それどころか、パチンコ屋側の駐車場には中国語がボディに書かれた観光バスさえ止まっている。これがうわさで聞く「海外からのパチンコツアー」なのだろうか?


 バイパスからモールに向かって一台のバスが入って来た。自分が乗るべきだった直通バスがやっと到着したのだった。ほぼ満席だったので、もしかしたら私は補助席だったかもしれない。タクシーとどちらが乗り心地良かったのか、それはわからないが。


 バス到着組のほとんどが、三陸夢絆観光鉄道の中船駅に向かってモールの中を歩いて行く。私もベンチから立ち上がり流れに付いていく。彼らの乗ったSL観光列車が発車すると、ケンジ君は私の取材に対応してくれる予定になっている。


「あのタクシー捕まったね! さっき無理にバス抜いて行ったもんね」

「でも、どうしてまた戻って来たのかしら?」


 ふと耳に飛び込む親子連れの会話。オッサン、もしかして帰り道に捕まったのか! でも、事故でなくて良かったよ。あんな走り方したら、いくら陸泉町への思いがあったにせよ、ホントに危ないんだから。命は大事だから粗末にしちゃいけない。隣に乗った私の命も、だ。


 中船なかふね駅の本社までタクシーで来たとだけ言うと、ケンジ君は「さすが名門出版社は太っ腹ですね」と感心していた。まさか、自腹で一万円払って、口止め料で五千円戻って来たなんて話はしない。口止めされている以上、一切この話はできないのだ。それが、捕まったオッサンへの仁義でもあろう。


 窓からのぞく中船駅のホームには、先ほど直通バスから降りて来た親子たちがいる。どの客車にも最低二名の職員が張り付き、忙しそうに窓の汚れをいたり室内掃除をしている。人気のSLの前では、職員が撮影係として大活躍中。ざっと見ても十名以上の職員がこの駅にはいるらしい。


――あの制服の人達は、全員が三陸夢絆観光鉄道の職員なんですか? ずい分と多くいるように見えますけど。


 私がそう尋ねると、ケンジ君は意外な答えを返してきた。


「それが違うんです。いわゆる鉄道会社の職員は、運転士などSLを運行するわずかな人だけで、制服を着ている多くが社団法人に所属の皆さんです」


――社団法人? 観光鉄道は株式会社のはずだから、それって陸泉町の嘱託しょくたく


「嘱託とは違うのですが、その社団と観光鉄道とで包括的な業務委託契約を結んでいます」


――ボランティアで観光鉄道に参加している人もいると聞いてますが、それと社団の人はまた別ですよね。ボランティアの業務委託契約ってちょっとあり得無さそうだし・・・・・・。

 

 ケンジ君は、窓からホームの様子を見ながら、ぜん問答の様な回答を返す。


「同じじゃないし、同じでもあります。何よりも、僕自身が社団のメンバーというか職員なんですから」


――えっ? どう言う事? ケンジ君は駅長さんでしょう!


「この話は、きちんとご説明しないといけないですね。今日は、SPCの話とかもあるって伺ってますし、午後のSL列車にご乗車いただく予定だから、どうしましょうか・・・・・・」


 結局、社団の話は長そうなので、終着駅で誰かに別の人から教えてもらえる事になった。従って、まずはこのところの私の疑問、つまり「どうやって三陸夢絆観光鉄道はお金を出さずにSLを手に入れたのか!」についてを、優先的に聞く事にする。それにしても、この観光鉄道はどうも謎めいた話が多い。これは間違ってもミステリーなどではないのに・・・・・・。この先に、妙な殺人事件とか発生しないことを心のすみで祈ってみる。


 そんな時、駅長室、いや三陸夢絆観光鉄道の本社か? いずれにしても、同じ室内にいる職員から突然「軌道敷地内に侵入です」との声が上がる。すると、ケンジ君も含むその場の全員が一斉に各自のパソコンをいじり始めた。ケンジ君は私の方にノートパソコンの画面を向けながら説明する。


「鉄道現場の監視メンバーから、BRT区間に自転車が走っているという通報ですよ。ほら、画面に現場が映ってるでしょ。どうもツーリングの様ですね。地元の人はもう絶対に入りませんから」


 これは、すごいシステムだ! サイクリストはいったん固定カメラからは消えてしまったが、すぐに沿線から中継している移動カメラ画像に再び映り出す。


――この人、こっちに近づいていますね。あれっ、誰かが自転車を止めた、他の人も敷地内に入っちゃったんじゃないですか、これって何?


 驚くべきことに、沿線のほぼ五百メートルおきに監視メンバーがいるのだと言う。「だから、今自転車を止めたのは彼らなんですよ」と、ケンジ君は解説する。


 観光鉄道沿線には、踏切にこそ固定監視カメラがあるが、途中区間には固定カメラは無いと言う。そこで、休祭日の様に観光客が多い日は、この様に沿線各所に監視メンバーが配置されるらしい。彼らはスマホを通じて安全情報や画像を提供し、それは運行管理者全員が同時に見れるのだと言う。


「ケンジさん、今、鉄道もバスも運行を再開しました」


 職員がケンジ君に、運転が再開した事を報告する。そうか、敷地内侵入者があった時には、付近を走行中の列車もBRT運行バスも両方を止めるのか。それにしても、観光列車が止まるのはわかるが、なぜバスまで止めるのだろうか? バスなら、前方を注視して走れば大丈夫な様な気もするが。


「そうですね、鋭い質問に脱帽です。それは、BRT区間が鉄道の休止区間だから、という形式上の理由もありますが、実際は勝手にバスだけが走ってしまうと、すれ違いの交換ができなくなってしまうからです。舗装されたBRT区間とはいえ、お互いの車両が交換できる場所は限られているので、勝手に走行すると狭い専用道の上ではち合わせになる恐れがあるんです」


――事実上、鉄道の単線区間だから、バスであってもそれは変わらないと。


「バスは、極端な事を言えばバックしてもいいんです。きちんと誘導があればですが。でも、列車の方はバックすると鉄道事故扱いになります。運輸局にも事故としての報告書を出さなくてはいけません。何よりバックする様な異常事態が発生したということは、万が一の場合には正面衝突の可能性もあったという事になります」


 専用道を走るBRTのバスは、一般道を走る代行バスとは性質も運用も違うという。あくまでも休止中の陸泉鉄道の代わりなのだ。さらに、その専用道にはSLが走る。ここは、舗装されていても、あくまでも鉄道ということなのだ。


 そしてケンジ君の真顔には、交通機関を預かる責任の重さが感じられる。それにしてもだ、これだけの監視システムを作り上げるとは、都会の電車も真っ青ではないか。きっと相当なお金が掛かっているのだろう。これも震災復旧予算の成せる技か、それとも、監視カメラは災害監視も兼ねているからなのか?


「固定監視カメラは、実は大手警備会社のものなんです。そしてそれ以外の映像は、鉄道現場にいる社団メンバーの個人スマホとか携帯電話を利用しています。緊急時や必要な時には、すぐに本部に映像がつながる様にしてあります」


――と言うことは、そのシステムには会社のお金は掛けていないということ?


「はい。警備会社とは月払い契約なんですが、実質的にはスポンサーになってもらっています。個人のスマホ通信料金は本人負担です。安全システム全体の監視機能は、もちろん鉄道側の施設となりますけど」


 何やらすごいことだが、警備会社の方はまだしも、個人負担ってある意味で従業員に経費負担させる「ブラック企業」と同じ構造ではないのか? それに、そんな各自任せをしていては危ないとしか思えない。その疑念をケンジ君に問う。


「逆なんですよ。社団メンバーは喜んでやっていますし、鉄道現場に参加するために会費まで払って、専門教育まで受けているんですから。それに、彼らは鉄道職員としてシロウトではありません」


 聞くほどに、三陸夢絆観光鉄道へのなぞは深まるばかり。何やらどこかで聞いた様なセリフだが。

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