第14話 安全性と事業遂行能力

 北三陸きたさんりく重工業を出た時には、あまりの気温の低さに驚いてしまった。東京の今時分の夕方とはまるで違う。そこに三陸への距離を感じざるを得ない。工藤弁護士は、ぜひケンジ君の家に泊まれ、あそこは元農家で広いぞと言ってくれていたが、すでに新幹線駅近くのホテルに予約を入れていた。


 今どきのビジネスホテルは、ネット環境もしっかりしており、契約データ容量を気にせずに調べ物をすることができる。予算に限りのあるフリーライターにはとてもありがたいのだ。翌日のチェックアウト時に、いきなり接続料金を取る不届きホテルも無くはないのだが・・・・・・。


 新幹線駅とは不釣り合いな古い街角の酒屋で手に入れた地酒に、つい何時もの惰性だせいで買った東京でも良く食べるコンビニ弁当をおつまみにして、私は少々手つかず状態にあった「特定目的鉄道」について、ホテルで調べを進めて見る。驚いた事に「特定目的鉄道」と検索で入れると、ほぼ最初に三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道が必ずヒットする。と言うよりも、実際のところ日本にはごく少数しか「特定目的鉄道」に該当する鉄道路線はないらしい。


 これはどういう事か? 実は認可要件が難しいのか? もしそうであれば、三陸夢絆観光鉄道は特定目的鉄道を選ばなかったのではないか。それとも、実際には使い勝手が悪い法律なのであろうか?


 私は、まず法律書など読まない。あの離婚騒動の時でさえも・・・・・・おっと独り言だった。それでも、ネット上のウィキペディアなどを繰りながら、それなりに少しずつ理解が進む。異分野探索のストレスのせいなのか、逆に酒の消費はストレス無く進んで行く。ホテルの廊下に出て自販機のビールを買い足す。案外良心的な金額。こういった自販機がリーズナブルな料金の場合、チェックアウトで驚かされる追加請求はまず無い。これは旅ライターとしての私の経験知である。


 さて、ここで、えいっままよとばかり「特定目的鉄道」について触れておこう。もちろん、あちこちに転がっている資料からの抜き出してあり、実は私自身も良く理解していないかもしれない。ちなみに「特定目的鉄道」とは「特定目的鉄道事業者」のことで、鉄道会社の事業種類みたいなものである。


 そもそも鉄道事業とは輸送機関としての公益性が非常に高く、勝手に事業を始めたり止めたりされては地域経済への弊害へいがいが大き過ぎる。そのため、鉄道を管理する法律である「鉄道事業法」、あるいはその旧法である「地方鉄道法」では【事業免許制】なる方法を取って来た。つまり、無免許で鉄道を敷くことは一切出来なかったのだ


 この【免許制】のメリットは、地域独占事業者となることにより、鉄道事業に安心して投資できることであった。反面、この【免許制】のために鉄道事業への新規参入が難しいという、地域経済発展への弊害も同時に指摘されてきた。


 やがて競争原理が働かない分野は、どこも同じく成長がイビツとなり、自家用車の普及など交通手段の多様化も相俟あいまって、【免許制度】から条件を整えれば認める【許可制度】へと規制緩和きせいかんわされた。しかしながら、免許制度が許可制度に変わったとはいえ、許可審査の実態は以前までとあまり変わらず、鉄道業への進出は相変わらず高いハードルであった。


 ところで「鉄道事業法」では、鉄道事業者への許可要件として、事業申請に際して「鉄道事業の実現可能性」「鉄道事業の継続性」「鉄道運営の採算性」「鉄道輸送の安全性」の四項目について、厳しい審査を課している。これらは文章にするとごく単純なものにも見えるのだが、その実態は専門的かつ合理的根拠の累積であり、鉄道規模によっては審査資料が段ボール箱数杯分にも及ぶのだという。当然、それだけのボリュームを審査するための時間や手間も掛かる。


 要は、開業させても頓挫とんざしてしまう様な鉄道など認めない、という事に他ならない。特に昨今は予定沿線の開発事業とセットになっていたり、トンネル工事など環境負荷が高いものも多い。簡単に鉄道事業がうまく行きませんでしたでは許されないのだ。とりわけ、経営不振から安全運行に手抜きが生じる事態など、絶対に避けねばならない。審査は厳しくて当然なのである。


 そして、これは鉄道だけに限らないが、高速道路や空港など、こういった大量輸送のインフラ事業は、実際にお金がかせげるようになるまでには相当な時間がかかる。線路用地は当然の事、鉄道開業前までには、鉄道車両から駅舎等までの全てが準備されねばならず、それらも事前に審査を受けなければ営業行為には使わせてもらえない。また、鉄道工事の遅延は珍しい事では無く、用地買収や難工事を理由に開業予定が遅れる実例は枚挙まいきょいとまが無い。まだ稼ぎが無いのにお金ばかり出て行く過程が延々と続く・・・・・・厳しいのは審査だけでは無いのだ。


 一方、現代の鉄道目的は多様化してきており、鉄道は地域輸送需要だけではなく、観光客輸送などにも高いニーズが見られる様になった。そこで、先の四つの認可要件を緩和かんわし、鉄道運行の「安全性」と鉄道事業者としての「事業遂行能力」のみを審査対象とするという条文が、「鉄道事業法」の容認規程として追加された。それが「特定目的鉄道事業者」なのである。


 この「特定目的鉄道」とは、「鉄道事業法施行規則」において「景観の鑑賞かんしょう遊戯ゆうぎ施設への移動その他の観光の目的を有する旅客の輸送をもっぱら行うもの」と規定されている様に、ずばり「観光専用鉄道」に対する規制緩和きせいかんわに他ならない。では、なぜ厳しいはずの鉄道事業認可に、こんなゆるやかな法律が許されたのだろうか?


 それは、観光鉄道が求められる環境を考えれば理解できる。鉄道である以上、安全性の確保は絶対条件だから、これを審査から外す事など考えられない。しかし、鉄道事業の継続性に関していえば、仮に観光鉄道が無くなっても地域輸送への影響はまず無い。困るのは観光客だが、観光鉄道の営業が継続できないほど観光客が乗らないのであれば、他のバス等での代替交通手段で十分間に合ってしまう事だろう。


 鉄道事業の採算性についても審査から外された。そもそも「景観の観賞」や「遊戯施設への移動」手段であれば、鉄道のみが唯一の観光収入手段ではなく、地域全体で稼ぐ構図となるのが通常だろう。観光鉄道が赤字でも、それが補てんできる限りにおいては問題だとは言えず、鉄道自体に黒字計画を求める意味合いは薄い。もしダメなら観光鉄道を廃止しても良いのだ! 故に事業継続性も審査に入っていない。


 残るは「事業遂行能力」となるが、こちらは鉄道に限らず、事業者なら当然要求される能力である。特に鉄道事業であれば、小さくともそれなりの設備維持から運行までが経営の守備範囲となるので、事業遂行能力が無いのは論外と言える。だが、もし鉄道法規を避けようとして鉄道事業者以外を選択すること、すなわち何か別の方法を使いSL観光列車を走らせようとするなら、法はそれを脱法と見做みなし厳格な規制をかぶせてくる。


 例えば、鉄道事業者でなければは作れない。また、少し前までは遊戯施設であっても、乗車した駅と降車駅が同じであること、すなわち途中駅での乗り降りさえ禁止されており、ぐるっと一周するエンドレスか、同じ線を行ったり来たりの線路配置しかルートが選べなかった。今では遊戯施設内においてなら途中駅の設置については認められたが、それでも、相変わらず何時でも止まれる速度でしか走ってはいけないのだ。シュポシュポと気持ちよく軽快に飛ばして走る事は、鉄道事業者以外には許されていない(ジェットコースターなどは鉄道では無く、別の法律によるアトラクション)。


 従って「鉄道事業法」をクリアしないと、いくら休止中の陸泉りくせん鉄道の線路敷地であろうとも、そこに新規の観光鉄道を走らせる事はできなかった。陸泉鉄道と三陸夢絆観光鉄道は、法的にも全く別の鉄道会社なのだから、観光鉄道として独自に認可される必要はあるのだ。


 それでも「鉄道事業法」の規制緩和メリットは大きい。「特定目的鉄道」に対して、設立開業の許認可の簡易化のみならず、運行本数や運行日などの自由裁量までも認めていた。つまり、土日祭日だけ、しかも日中だけという鉄道営業を正々堂々と認めているのである。一言で言ってしまえば「観光客がいる時だけ運転するダイヤ(時刻)設定」が可能という話だ。まさしく地域輸送義務とは無関係であることの象徴しょうちょうがこれだろう。


――(なるほどな、詳しくはわからないが、鉄道である以上は、絶対に鉄道法規には従うしかない。ところが、それが観光目的に特化した場合には、本来厳しいはずの鉄道法規の適用要件が易しくなる。でも、審査には、使うべき車両も含まれるし、線路敷地や鉄道施設も含まれるとなると、通常の鉄道審査とあまり変わらないのではないか? 具体的には実務上のどこが緩和されているのだろうか・・・・・・ダメだ、眠くなってきた。シャワーを浴びないといけない・・・・・・)


 何だか程よくいが回って来た。やはり距離のある取材は年齢的に厳しい。


~~~~~~~~~~


 翌朝、目が覚めた時、すでに時間はギリギリだった。もはやシャワーどころではない。あわててチェックアウトを済まし、駅前から陸泉町に向かう直通バスの乗り場まで必死にけ付ける。しかし、バスの姿はもうそこには無かった・・・・・・。


――(やばい、田舎で乗りミスは完全にアウトだ。次のバスは一時間半後だし・・・・・・)


 仕方なく、昨日と同じ駅前のコンビニでコーヒーとサンドイッチを買い、店の前のベンチでタブレットを開いて思案していると、一人のオッサンが声を掛けて来た。


「観光旅行? 工事の人には見えないな。一人かい? 良ければ軽くこの辺案内するよ」


 良く見ると、そのオッサンは地元タクシー会社の制服を着ていた。どうやらドライバーらしい。


――観光鉄道の中船なかふね駅まで行くはずが、直通バスに乗りそこねたのさ・・・・・・何とかタクシーで追いかけられないかな?


 オッサンはケラケラ笑い「そりゃ無理だべ!」と言った。


「あんた、山道だよ、追い付けなくもねーけど、そりゃ相当先の方、多分一時間は先位かな。復興の大型ダンプが多くて、いくら国道でも抜かすの大変だ」


 ああ、絶望である。いっそ、次のバスを待つか……。


――中船駅までいくら位かな?


 ちょっと待ってと言って、オッサンは自分のタクシーに戻る。案外新しいタクシーだ。新幹線が通っている駅にはまともなタクシーが多い。


「今、指令に無線で聞いたら三万円近い事言ってきたぞ。二時間近くはかかるからな。どうする、止めるか?」


 三万円・・・・・・。無理だ。でも、もし途中で少しでも早くバスに追い付ければ、それだけタクシー料金は安くなる。いや、こんな事考えている時間こそロスタイムだろう。


「誰か同じ方向に行く人がいれば、本当は良くないんだけどさ、割り勘もできるんだけどな。三十分前にバス行っちゃったから、見渡す限りもう駅前に知ってる顔しかいねえべ」


――三十分前? まだバスが行ってから十分とってないよ!


「何言ってるんだあ、そりゃ夏時刻だべ。秋からは本数少なくなるって調べて来てないのかい?」


 ああああ、もう完全に旅ライター失格だ。そうだ、そう、昨日、北三陸きたさんりく重工業から急きょ予定を変更したせいだ。本当は昨日の夕方、最終の直通バスに乗るはずだったから・・・・・・。


 待てよ、という事は、もう次のバスまであと一時間も無いぞ! 良かった、まだギリギリ運があったらしい。


「だからさっきも言ったべ、秋から本数少なくなるって!」


 次の直通バスは、一時間どころか今から二時間近く後であった。とにかく、冷静になれと自分に言い聞かせ、ケンジ君のメールに「少々遅れそうです」と送信する。今、これ以上やれる事は無い。オッサンは、しばらく私の近くにぼんやり立っていた。

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