第9話  水没した工場

 ケンジ君にその事を電話で確認すると「確かにそれは事実です」と言った。


――でもあと十台ものSLなんて、いったいどこに走らせるのですか? 海外からでも大勢団体客が来る将来予約が延々とあるとか、陸泉りくせん鉄道の運行も全てSLにするとか、とても今後十台投入なんて尋常じんじょうな発想ではありませんよ!


 私の話を聞き終わると、電話先でケンジ君が大笑いしてくる。


「どの雑誌にも三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道でSLを十台追加で買う、なんて書いていないと思いますよ。北三陸きたさんりく重工業さんが十台、もしかしたらそれ以上のオーダーを受けているのは本当ですけど、その納入先はうちではありません」


――ええっ、三陸夢絆観光鉄道じゃないの?


 ケンジ君は、私の早とちりに苦笑しつつ、ぜひ次は「北三陸重工業」にも寄るべきだとし、よければ自分たちが手配するからとまで言ってくれた。それにしても、21世紀に蒸気機関車を量産するなんて事が、いったいあり得るのか。いや待てよ、何も鉄道会社からのオーダーだとは限らないし、海外からかもしれない。とにかく、一度現地に行ってみなければ・・・・・・。


~~~~~~~~~~


 今、三陸夢絆観光鉄道で走っているSLは、21世紀に新しく作られた蒸気機関車である。そしてこのSLたちは全て、国内の鉄道車両メーカーで造られているのだ。ケンジ君とも話した様に、次回の取材先はこの車両メーカーとなった。編集部としても、取材内容が深まって読者の興味が増すことと、連載が長引いて読者がきてしまう天秤てんびんを比べつつ、読者投票の結果など見ながら、まあ東北地方へまたどうぞなどと言う。


 私の取材は、この連載だけではない。なぜなら、単発の案件だけで食えるはずないからだ。そういう面では工藤弁護士事務所は、都会にあるので旅費が掛からず取材先として大変ありがたい。そんな貧乏旅ライターには重なる取材仕事をどうこなすかも大切で、時間の節約のため泣く泣く新幹線も使う。そして、これが仕事で無かったらどんなに楽しいだろうかと、いつもそう思うのだ。しかも取材の行きには、車中で絶対にビールなど飲めない。今日も素面しらふで取材地に向かう私に、車窓に見える東北の山々がどんどんと近づいて来る。


 まあ、そんな個人的感情は無視されるとして、今日訪れる「北三陸重工業」は、正真正銘の現役鉄道車両メーカーだ。聞けば、最新のディーゼル機関車なども作っているという。電車の製造工場になら何度も行った事があるが、そういった工場は見学客の扱いに慣れており、専用の見学コースまであったりするのだ。北三陸重工業ははたしてどうなのだろうか?


 ところで、なぜこんなマイナーなメーカーが今さらSLを? という疑問はあった。しかも、戦後に始まった鉄道車両メーカーで、過去にSLを作っていた実績は無い。それよりも名前も良く知らなかったこの車両メーカーのホームページに、近年の出来事として書かれている文面に驚かされてしまった。


『東日本大震災で工場が水没』


 全くこの話は知らなかったのだが、恐らく、同じような被害にった工場はたくさんあったはずだろう。しかし、震災被害の全てが報道されているわけではない。ライターとして報道のはしくれにいる私にとって、他の仕事をキャンセルしても取材に行きたい気持ちになれたのは、北三陸重工業という会社が、三陸夢絆観光鉄道のSLを製造しているという理由だけではなかったのである。


 仕事で行く取材でありながらも、いつもの義務感とは違う。東北新幹線にトンネル区間が増えて行くに連れ、いったい今回はどの切り口から進めるべきか、そんな事ばかりを考えていた。

 

 そんな北三陸重工業の工場は、新幹線駅からタクシーでわずか十分足らずの好立地にある。津波被害の後、県の補助金で全面移転したのだという。目指す工場は小ぎれいな大規模工業団地の中にあった。各社の工場もまだ建物が真新しく、けっこうな額の移転補助金が出たのかもしれない。


 入り口で守衛に名乗ると、すぐに担当らしき人が自転車でやって来た。


「わざわざ遠いところ、ありがとうございます。車両課長の松沢です。私どもも連載読んでますから、社長たちとね、いつウチに取材に来てくれるかって良く話してましたよ。だから、今日は何でも聞いてくださいね」


 松沢課長は気さくな人のようだ。恐らく広報担当も兼ねているのだろう。


――それにしても、かなり大きな工業団地ですね。タクシーの運転手にも、工場名を間違えると降りてから大変だよ、と言われて来ましたから。


 うんうんと松沢課長はうなずきながら、いきなり現実的な事を話し出す。


「この工業団地を見れば、皆さんすごいなぁって驚きますよね。だけど私らが移転してくる前は、今の三分の一も工場が建ってなくて、俗に言うペンペン草が生えている様な更地さらちだったんです」


――ここが更地だった? 震災後に急遽きゅうきょ造成したんでしょうか・・・・・・?


「いいえ、いわゆるバブル期の過剰投資ですよ。地方に工場をどんどん呼ぼうって事で、それまでこのあたりは一面田んぼだったらしいのですが、大規模工業団地に作り変えちゃって。そこにバブル崩壊ほうかいが来て、工場の新規誘致どころか、先に移転してた工場まで撤退しましてね。その後は、資材置き場やら倉庫やらで二十年も放置されてた様です。そんな夢の跡に、私らは強制疎開ならぬ強制移転してきたわけで。それでも、工場が再開できたのは正直助かりました……」


 そうか、新しい建物が多いのは、津波被害から移転してきたばかりの工場群だったからなのだ。松沢課長は、押していた自転車を入り口脇の置き場にしまいながら、今日の予定を教えてくれる。


「作りかけのSLがあります。それをぜひ見て下さいね。その後、社長と東野とうの工業大学の先生がいらしているので、一緒にお茶でも飲みましょう」


 作りかけの新しいSL。今後十台以上製造するという今回の取材目的の一つだ。相変わらず編集部は私に一人取材をさせているので、写真を押さえるのは必須事項。ただ、北三陸重工業の社長と話せるだろうとは思っていたが、東野工業大学の先生とはいったい誰なんだろう。ケンジ君もそんな事は一言もいってなかったが。


 そこに若い従業員が、ヘルメットと安全ベストを持って来てくれた。ご丁寧ていねいにもヘルメットに「重要見学者」などと大書きしてあるのがご愛嬌あいきょうか。


「軍手はいりますか?」


 一瞬受け取ろうかと思ったが、写真撮影があるのでせっかくだが断る。松沢課長によれば、あと一カ月もしたら手袋無しにはいられない寒さになるとのこと。東京駅を出る時には、まだ季節外れのセミが鳴いていたというのに。


 工場内は巨大な体育館を思わせた。当初想像していたのは、色んな産業ロボットや、部品が目まぐるしく移動するコンベアなど、いかにも「近代鉄道工場」という景色の出現だったが、目の前の光景は違った。広い工場内のあちこちで、それぞれがグループになって手仕事っぽい作業をやっている。以前に見てきた鉄道車両工場のイメージとはだいぶちがう。もし鉄道車両工場を想像させるとしたら、天井に張り巡らされた巨大クレーンの存在だけかもしれない。


――思っていた鉄道工場とは違いますね?


 少々失礼な質問かもしれないが、こちらが取材で来ている事を知っているのだから、まずはストレートに切り込む。


「ああ、うちのはね、大量生産品でないからですよ。ほとんどが単独車両の受注か、部品でもせいぜい数十という発注サイズに留まりますからね。個別プロジェクトの様な受注形態なので、こういったグループ作業の方が効率良くなります。それに、鉄道車両の大量発注が出されるのは、大手車両メーカーだけですし」


 なるほど、それが中小鉄道車両メーカーってやつなのか。どうも都会にいると同じ形の電車ばかり見るので、何やらガンガンと流れ作業的に作っているイメージがあったが、むしろあっちの方が特殊なケースなのかもしれない。


「あれが、現在製作中のSLです」


 松沢課長が指差す工場の一角を見る。しかし、そこには蒸気機関車は見当たらなかった。


――ちょっと良くわかりませんが……。


「SLって言っても、まだ部品の段階ですから。もう少し近づくとわかりますよ。ほら、これが台枠で、こちらに転がっている箱がシリンダーとなります」


 言われて近づいてみたが、目の前にしても良くわからない。そもそも見慣れたSLの形をしていないのだ。何らか製作中の部品である事はわかるが、それがいったいSLのどこのパーツなのか、皆目見当が付かない。旅ライターであっても、SLの構造に詳しいわけでもなく・・・・・・。


――台枠ってフレームの事でしょうか?


 作業の手を止めた、けっこうな年配のお父さんが説明してくれる。


「この大きな箱が台枠っていう、ボイラーを乗っける骨組みだよ。この骨組みのところに車輪がくっ付けば、そしたら誰が見ても機関車だってわかるんだがな。こっちのシリンダーてやつはよ、その動輪を動かす装置が入るんだ。あとで松沢君に写真見せてもらうといいよ」


――どうもありがとう、仕事中にすみません。


 事務所の方に歩きながら、松沢課長に訪ねる。


――今の方、SL製造のベテラン職人さんですか? もしそうだとしたら、あらためてインタビューしてみたいのですが・・・・・・。


「ベテランも大ベテランです。うちの創業当時からの職人さん。でも、彼も含めて、今までうちはSLを作った経験が無かったんですからね。だからいくら超小型サイズとはいえ、新規のSL製造にあたって、まさしく全てがゼロから勉強の連続でした。とにかく、津波で工場が全壊して、製造機械の多くも流失したか壊れてしまい、工場丸ごと、とにかく本当にゼロからのスタートでした・・・・・・」


 、というところに力が入っていた。人的被害は? と続けて聞こうとして、それは止めた。取材の目的はSLなんだと自分に言い聞かせる。


 事務所内の会議室は軽く暖房が入っている様だ。陽が当たらない場所なので寒いのだろう。松沢課長より、製造中のSLの説明を受けていると、二人の男性が部屋に入って来た。作業服の男性と、いかにも自由人という風貌ふうぼうの男性。さっそく名刺交換する。作業服の男性は予想通りに北三陸重工業の福嶋社長、そして自由人は? というと、東野工業大学工学部教授の肩書名刺を出した。


「東野工業大学の岩木です。わざわざこんな辺ぴなところまでお疲れ様でした」


「おいおい、社長の私が先に挨拶あいさつだろう。失礼いたしました。ここまで東京から半日はかかりますからね」


 妙な掛け合い漫才まんざいの様に、福嶋社長からも挨拶をもらう。どうやら二人はかなりの付き合い関係がありそうだ。


「どこまでご説明したんだ?」


 福嶋社長ではなく、なぜだか岩木教授が先に口を切ると、松沢課長は「まだ本題はこれからです」と答える。私も何とか話をしようとするが、再び岩木教授の方から話が始まってしまった。


「ずばりだな、このSLプロジェクトは、オレがいなければできなかった。まず、そこを書いてくれ」


 何だ、このオヤジは。取材対象にはずい分と失礼なやからもいるが、初対面でこう来る輩はそうはいない。


――はぁ、ええと、何がどうできなかったのでしょう?


 岩木教授は、自分のペースで勝手に説明をし始める。きっと授業でもこうなのだろう。しかし、あまりに長いので要約すると、こんな事を話していた。ただし、その内容は取材のキーポイントに成り得るものであった。


「東野工業大学は見てのとおり地方にある単科大学だ。都会の大学や大規模校と正面から張り合う事はできない。そこで機械工学専門のオレは考えた。田舎工場にまだ残っている古い機械を記録し、さらに図面があればそれをデジタル化し、その研究で公的予算を取ってやろうと。何故かその中に正体不明の古いSL設計図面があった。恐らく戦前に倒産した鉄道のものだろうが、鉄道自体には興味が無い。オレは学生を使い、数年掛かりで授業や研究の一環として、古い機械に関わる記録やら図面やら、それらを完璧にデジタル化してやった。そしたら、あの東日本大震災が起きた。そうこうしていると、今度はそこにSLを作れる会社を探しているという自治体が現れた。北三陸重工業のボンクラ社長は、被災して今は機械も無い、SLも作った事がないから無理だと断った」


 何がボンクラだ! と、福嶋社長がひじで岩木教授を突くシーンも途中あったが、そういった部分もカットして早送りして進めよう。


「しかしだ、ボンクラ社長が断ったのに、それをできると言った優秀な部下が北三陸重工業にはいたのだ。それが君だ!」


 岩木教授は、松沢課長を指差す。


「社長は優秀な部下に助けられたことを感謝しなさい!」


 そう言って、やっと本当は長い長い岩木教授の話が終わった。福嶋社長が何かしゃべろうとすると、すかさず岩木教授が横取りするので、私は松沢課長の方だけを向いてたずねる。


――なぜ社長ができないと言ったのに、松沢さんはできると言ったのでしょう?


 今度は岩木教授も口をはさまない。本当に優秀だと思っているのかもしれないし、しゃべり疲れただけかもしれないが。


「最初は、会社復興のために何でもいいから仕事が欲しい。それだけだったんですよ。工場の大半を失って片付け以外にやるべき仕事も無く、従業員である自分たちは工場が移転する事もあって、将来が不安で仕方ありませんでした・・・・・・」


 社長も岩木教授も、共にうなずいた。

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