第3話  地図から町名が消える

 震災の復旧工事は遅々としながらでも進んでいるらしい。その象徴が巨大防潮堤と各地区で見られる高台の造成工事だ。肝心の市街地の復興はまだ終わっていないが、それでもSL列車が走るということで、観光地としてけっこうな来訪客が来るようになったという。


 私はここで気になる質問をしてみた。


――三陸夢絆さんりくゆめきずな観光鉄道ですが、観光SL列車としては短い長さですよね。先ほど乗った列車は客車が三両でした。途中で交換した列車も四両でした。車両自体がJRより小さいのに、これでは走らせるほど赤字になりませんか?


 ちょっと意地悪な質問だったかもしれない。ケンジ君も少々答えを探している感じに見える。


「観光列車として、何をもって赤字とするのか、その定義はけっこう難しいんです。ご指摘通り、列車単体では赤字運営となっています」


――もし、陸泉りくせん鉄道に復活SLを走らせれば、列車単位で考えれば今の数倍の乗客を乗せられると思うのですが。もっとも、その場合はあの防潮堤の上は走れないんでしょうけど・・・・・・。


「確かに、防潮堤を走らせるなんて構想は、車両の大きさ的にもまず無理ですよね。あんな所に本当に鉄道が走れるなんて、実は僕たちさえも当初、半信半疑だったんですから。ああ、質問の答えですね。もし国鉄型SLを復活させたとしても、事業計画上の数字では列車単位で見て赤字でした」


 国鉄型SL復活を前提とした事業計画に具体的な数字を入れてみると、誰がどう見ても、やればやるほど赤字が増える計画にしかならなかったという。その理由は簡単だ。仮に陸泉鉄道の線路や橋梁きょうりょうを強化したとしても、走れる国鉄型SLは、C12型かほぼ同型のC11型という共に小型SLに限定される。


 ところが使い勝手の良い小型SLは、牽引力けんいんりょくという客車を引っ張る力が弱いのだ。陸泉りくせん鉄道の様なローカル線は、総じて急勾配に急カーブがてんこ盛り路線なので、ますます機関車に負担が掛かる。専門家の想定では、引っ張れる客車の量数はせいぜい三両が限界と言う。


 仮に、見た目の悪さはさておいて、ディーゼル機関車で後ろから後押させて走らせるとしよう。それでも、最大限で客車六両が限界らしい。また、現実的な制約として、待避線などの長さ的にディーゼル機関車まで含むとなると、客車の両数はSLを入れて四両で精一杯となる。


 鉄道の売上は、乗客からの運賃売り上げがメイン収入だ。駅ナカ売店や沿線不動産開発などの周辺事業で稼げるのは大手鉄道会社の話であって、そもそも田舎に走る陸泉鉄道の駅はほとんどが無人駅だ。沿線の土地も安く駅間にはほとんど人も住んでいない。


 それでも、仮に四両の客車にフルに乗車してもらえれば、およそ三百人ほどの乗客が見込める。三百人と言えば、陸泉鉄道レベルで考えるなら決して少なくない乗客数だと言えるだろう。何せ普段はたった一両のディーゼルカーが走り、日中などは乗客が数名という運行が日常茶飯事なのだから!


 しかし、SL復活には先立つお金がいる。まずは客車も新たに購入しなければならないし、客車四両編成のためにはディーゼル機関車も別途購入が必要。撤去されたSL専用の施設を新たに作る必要もある。鉄橋等に対して本格的な強化工事が必要だが、陸泉鉄道の沿線鉄橋は大小で十か所以上を数える。


 さらに、事前試算によるとSLの年間の維持費が一億円はかかるという。これにはSL列車を走らせる際の警備費用なども含まれるのだが、通常のローカル列車運行だけなら掛からない費用だ。警備以外にも臨時駐車場確保のほか、いわゆる「撮り鉄」と呼ばれる鉄道マニアと地元民とのトラブルまでも想定される。こうやって算段していくと、SL復活初年度までには、ざっと五億円は下らない試算数字が出てくるのであった。


 仮にだ、SL列車を毎回一往復、満員乗車で走らせたとする。先ほどの三百人前提を運賃に指定席などの特別料金を入れて、一人を二千円ほどとして計算してみる。すると、300人×2回(往復)×2,000円=120万円! という数字が見えてくるだろうか。土日や夏休みなど年間百二十日運行したと仮定すれば、120万円×120日=1億4,400万円となる。機関車はたった一台、しかもかなりの中古品だ。これ以上に運行日数を増やす事は難しい。


 SL運行により、何とか年間一億円程度は稼ぎ出せるかもしれないが、SL運行の維持経費も一億円は掛かる。初期投資の数億円がこれでは全く回収できない。もちろん、沿線に落とされるだろう「経済効果」ってやつは見込めるが、そのお金は直接的に陸泉鉄道には入ってこないだろう。


 そんな試算があるにも関わらず、一度は完全に消えたはずのSL復活計画が、新たに「21世紀の新造蒸気機関車」となって実現したのは、いったい何故か?


 それは「地図から町名が消えた」事件があってからだと、ケンジ君は言う。


「その騒ぎがあってから、過疎地かそちの観光とは施設単独での黒字赤字の問題なんかではない、という意識が地元に広がりました。過疎地観光とは地域全体で成り立つという考えに、徐々に住人の思いがシフトしていく契機となったのです」


――地図から町名が消えたというのは、いったいどういった状況だったのでしょう? 何か特別な理由があった?


「それは、ある意味、かなり衝撃的しょうげきてきな出来事でした。震災発生からそれなりに時間も経ち、徐々に全国からの支援も減りつつあった時の話です。被災地を訪ねてみたいが、地図に地域名がっていないって指摘されたんですね。それで言われた地図を確認してみたら、震災被害で休止中の陸泉鉄道も載っていないし、代行交通のBRTのバス停さえもほとんど出ていない・・・・・・。確かに、バス停の名前までは載っていない地図は以前からありましたけど、それまではここがどれだけ田舎だろうと、鉄道なら駅名が確かに載っていましたから。まさしく『地図から町名が消えた』事をショックとして確認した瞬間でした。これが、地図に町の名前を載せ続けるにはどうすべきか、すなわちここに再び鉄道を絶対走らせる!というエネルギーになったのです」


 町の名前が地図から消える!


 正確には、市町村名そのものではなく、それまで鉄道駅名として地図に名前が出ていた地域が、鉄道の廃線と共に地図上から消え落ちるということだ。過去、日本中のあらゆる地域で廃線と共に起こって来た事象だが、いざ自分の地域が当事者となった時の動揺どうようは、私自身も田舎出身だけに容易に想像が付く。しかも、鉄道は廃止ではなく震災という不可抗力による休止である。


 田舎を離れ遠い都会に住んでいても、地図を見る時、そこに自分の故郷の名を発見できる。そんな小さなことが、田舎出身者、ただし鉄道がある地域の人間だけの感情かもしれないが、他所よそでがんばる気持ちを支えていたりする。あるいは、地元に残っている人間にとっても、他人にはどうって事のない地図上への表記が、地域で生きて行く上でとても大切だったりするのだ。


「元々路線バス停は地図にあまり載ってはいませんでした。しかしBRTは通常のバス路線とは違うはずでした。これは鉄道復旧までの仮姿なのだと、少なくとも僕たちはそう信じていました。でも実際はBRTだろうがバス停はバス停なんですよ。さらに、動いていない鉄道情報など、旅行者には混乱の元になるのでしょうか、鉄道時刻表などを除くと、いつの間にか多くの地図から削除されていきました。この喪失感そうしつかんっていったいどう表現すれば良いのか、僕たちは津波で人も町も希望も無くして、さらに世の中から自分たちの存在感を失った感じがしたんですよ。いい歳してこんな事言うのはおかしいでしょうけど、地図から町名が消えている事実を知った時のショックは、もう世の中からここは必要とされていない地域なんだと、かなりナーバスになりました・・・・・・」


 ケンジ君はとつとつと語る。その想いは駅長室だか本社だか、とにかくこの空間の中で一瞬にして共有される。それまでここでは一番の責任者であるはずのケンジ君が、私のインタビューに答えている時に、まるで他人事で各自仕事に没頭していて無視? してた職員達が、今、全員が一つになってケンジ君と共に私に回答してきている様だった。


――鉄道駅だからこそ、地図に名前が載っているという事情は、私も旅ライターなので良くわかります。でも、駅名が地図からが消えるということと、SL観光鉄道の実現とはどうつながっているのでしょう。陸泉鉄道が復旧すれば、それにより駅名復活として解決する話の様にも思えますが・・・・・・。


「陸泉鉄道の復旧は誰もが信じて望んでいました。と、教科書どおりならそう言いたいところですが、実際の沿線住人の本音はどこか違ったのです。その理由は、陸泉鉄道が必ずしも便利な存在じゃなかったからです。田舎になるほどに病院から買い物まで、全てが自動車だけの生活。もう鉄道駅なんてどこも無人だし、駅前に商店街なんてありません。だけど、実生活と駅名、つまり地域名が消えるって話は全く別問題でした。これは地元住人のアイデンティティの問題というか、鉄道ってまさに故郷としての心のり所なんだと、初めてこの事実にみんな気が付いたんです」


――私も田舎出身ですから、地元が地図に出て来ない寂しさって、どう説明していいかわからないけど、自分の原点が確認できない様な何だか悲しい気持ちになります。でも、私も田舎には鉄道では帰りません。あれだけ運行本数が少なければ、移動の時間が全く自由になりませんからね。


「まさにそのとおりですよ。鉄道を使うのは優待パスを持っている老人とか、通学利用の中高生が中心で、たまにTVなどでちょっと特集があると、観光客が一時期だけどっと乗りに来る程度でした。冬の積雪問題だって、今では国道から町道まで除雪は完璧かんぺきですからね。地元から鉄道が無くなっては困るけど、日常の必需品ではなかったというのが本音でしょう」


 旅ライターとして、いったいどれだけ同じような話を各地で聞いてきたことか。


 それがここでも例外では無かっただけだ。あれだけ鉄道開通をみんなが待ちわび、地元有力議員への陳情ちんじょうとお布施ふせを積み重ね、もはや収支がバランスしない事が明白な中での鉄道開業。それも明治大正の話では無く昭和の話なのだ。それから行年も経たず、赤字ローカル線は大きな社会問題となり、まさかと言われた国鉄解体への原因にもなって行ったことを・・・・・・。


 やがて国鉄からJRに体制は変わったが、民間企業となったJRには残してもらえず、第三セクターとして多くの赤字ローカル線が強制的に独立させられてしまった。国は手切れ金代わりの「転換交付金」を、事実上国民の税金から渡すことで、その交付金を独自運用して赤字は埋めれば良いとした。


 「転換交付金」とは、国鉄の支線等から陸泉鉄道の様に第三セクター鉄道に転換した路線に対し、国が交付した一時金である。これがけっこうな金額であり、その運用益で毎年の赤字を埋められるだろうという、政治的な打算であった。


 しかし現実は、ゼロ金利政策やデフレ社会の長期化により、基金の運用益による運営赤字補てんどころが、逆に基金を取り崩して赤字を埋める最悪のシナリオが続出した。結果として「転換交付金」は各鉄道で枯渇こかつ、路線廃止となった鉄道事業者も多数出現している。純粋に事業として考えれば、これはもう終わっている状態だ。


 それでも、一度できてしまった鉄道と地域との関係は全く違う。その設立の経緯や第三セクター化した背景の本当の理由など知らずとも、地元民にとっては、鉄道とは地域に当然あるべき存在となっている。特に鉄道の駅とは、自分にも、家族にも、友達や顔しか知らない他人にも、その地域から切り離す事ができない心のランドマークなのだ。そして、恐らく地域外の人は誰も知らないだろう田舎の駅名であっても、それは地図上で何時でも確認できる、故郷とそこを離れた人間を結ぶ切れない糸なのである。


「鉄道でなければ、こんな小さな町名など地図になんて載りませんよね。僕たちはやっとその事に気が付きました。時間の経過と共に、震災の被害が全国の記憶から消えていくのは仕方が無い事だとわかっています。でも、地域名を消させないで済むことは可能なんだと気が付きました。それが三陸夢絆観光鉄道構想のスタートにもなったのですが、単なる観光列車ではダメだということも、すぐに思い知らされたのです」


 わかる、良くわかる。でも、申し訳ないが、それは感情論での話でしかない。私が知りたいのは、いったいどうやって、今の三陸夢絆観光鉄道のSL列車が実現したかという事である。


紆余曲折うよきょくせつがあっても、結局はSL観光列車がいいとの話になりました。陸泉鉄道の休止からの復活への希望もありましたし、やはり『銀河鉄道』のイメージが強い地域だった事がどこかで影響してると思います。でも、国鉄型のSLでは無理だとわかったので、現実の動きとしては、より重量の軽い小型のSLを探し始めました」


 室内にチャイムが鳴る。ケンジ君はいったん席を外しますと断りを入れ、窓から見えるホームの方に出て行った。間もなく次のSL列車が発車するのである。彼は中船なかふね駅長としての仕事を遂行すいこうする。わあわあ言う騒ぎ声が聞こえ、子供たちが大勢乗って行く列車だと言う事が窓越しにわかった。


「小学生の貸し切り列車なんですよ。夏休みは各地から団体でSL列車に乗りに来てくれるのがうれしいです」


 職員の一人がそう教えてくれた。本社、いや駅長室のチャイムは、発車五分前に鳴るのだという。

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