五月十日 鎌倉からの手紙
前略、ひどく懐かしいお名前につい、筆を執ってしまいました。私の方こそ、自分のような人間のことを、今でも憶えていてくれることにただただ望外な思いです。佳いご相手を見つけられたようですね。わざわざお知らせ下さり、ありがとうございます。こちらの方は相変わらずで、特にめぼしい話題もなく恐縮です。蔭ながらお幸せになられることを祈るばかりです。
今、ちょうど同じ庭を眺めながら筆を執っています。そのようなこともあったかと、お手紙拝見して今さら思い致す始末です。あの頃は確かに、色々なことがありました。相も変わらず同じ場所で日々に追われていると、そんなことにも鈍感になってしまいます。
鎌倉に因んで静御前のお話は、致しましたでしょうか。源頼朝に処刑される覚悟で、反逆者で逃亡中の恋人義経へ、変わらぬ愛情を示す舞を踊った白拍子です。彼女は過去を手繰り寄せて今を昔に巻き戻したいとあの八幡宮で歌い踊ったそうです。
しかしそんな彼女も、頼朝の妻、北条政子に説得されて結局は、京都へ帰ったと言います。人は過去を生きては、いけないようになっているのです。この庭も私が関心を払わなくなってから、すっかり様変わりしてしまいました。つくづく時間は、前にしか流れてはいかないようです。あなたも今、寄り添ってくれる方をくれぐれも大切になさって、ここに訪れたことはお忘れ下さい。
それが今のあなたにとっても、この私にとっても何よりの幸せなのです。
草々
五月十日 水城彰大
杉村美鈴様
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