五月八日 したためた手紙

 一筆申し上げます。

 薫風のみぎり、いかがお過ごしでしょうか。


 あなたとお会いしなくなってから、気づけば早三年の月日が経とうとしております。急なお手紙にさぞ驚かれたことでしょう。


 きっとあなたはこのお手紙をあの小さな庭に面した濡れ縁に腰かけてお読みくださっているような気がします。それとも封も切らずに送り返されてくるのでしょうか。それでもしかたがありません。私はそれほどにあなたに恨まれているとしても返す言葉はありませんから。それでももし気まぐれに封を切ってくださったならと願うのはおかしいでしょうか。


 そちらの庭は若葉が眩しい頃でしょうね。あなたは覚えていますか。私が初めてその庭を眺めた日のことを。あなたの絵に魅了された私に「この場所を見てみたくはないですか?」と聞きましたね。初対面なのに妙なことを言う方だと思いましたが、軽い気持ちで「はい」と答えたら、翌日にはあなたのお宅にお邪魔していました。まさかご自宅の庭だったなんて。

 でもあなたは私以上に戸惑っていたのですよね。あなたはいきなり自宅に誘うような人ではないもの。ギャラリーで初めて会った時も「一週間分も話した」と言っていましたが、あんなわずかな会話が一週間分だなんてずいぶん大袈裟だと思いました。その頃はまだあなたが他の人とはあまり話さない人だなんて知らなかったから。


 だから私は自惚れてもいいですよね。あなたもあの時、私と同じように感じていたのだと。一目惚れだとか運命だとかそんな言葉では言い表せない気持ち。でもそうとしか言いようがない気持ち。

 そんな気持ちになったのはあなたが最初で最後です。今お付き合いしている彼にもそんな気持ちにはなりません。でも、とてもいい方です。


 そして、実は今日、その彼に結婚を申し込まれました。


 お返事をする前にどうしてもあなたに気持ちを届けたくてお手紙をしたためています。


 おそらく私はこれから先もあなたより大切に思える人とは出会わないと思います。今の彼でさえあなたには適わないのです。誰かと比べることなどしてはならないとわかってはいるのですが、私にとってあなたは特別なのです。あなたが大切で、あなたとの時間が愛おしくて、あなたがそこにいるというだけで幸せなのです。

 一緒にいる時はこんなこと、言葉にしたことはありませんでした。あなたからも聞いたことはありません。それでも不安はみじんもなく、あなたとの時間は永遠に続くものだと思っていたものです。なんて浅はかだったのでしょう。あの頃に戻れるのなら、どんなことでもするのに。

 まだそんなことを思う私を笑いますか。それでも私はあなたといること以上に望むことなどなにもないのです。


 アキ。これが、鎌倉に赴く勇気のない私の精一杯の思いです。

 この手紙があなたに読まれるといいのですが。


                      かしこ


 五月八日


                     杉村美鈴


 水城彰大様

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