龍と狐の奉納舞

「わぁあ!」

 市場に戻ったナナシは、目の前に広がる光景に歓声をあげていた。あんなに賑わっていた市場はどこにもない。代わりに、際限なく広がる水田が崖に遮られるまでどこまでも続いている。崖の向こうには海が広がっていた。

 田園風景の中央には、立派な檜でできた舞台が設置されていた。舞台の四隅には狐たちが鎮座し、狐火を絶えず口から吐いている。


 ぼぉう。ぼぉう。


 狐火が消えるたび舞台は闇に沈む。


 ぼぉう。ぼぉう。


 狐火が灯るたびに舞台は、暗がりに浮かび上がる。

 舞台を凝視していたナナシは、にわかに周囲が騒がしいことに気がついた。あたりを見回すと、狐やら鬼やら、鳥獣戯画を想わせる面々が周囲を取り囲んでいるではないか。

 みんな、市場で見かけた妖たちだ。その中に、ちょこんと一目連が紛れ込んでいるのを見つけて、ナナシは眼を伏せていた。

 一目連の傷ついた一つ目の横では、相変わらず菫色の眼が忙しなく動いている。

 その眼を見つめていると、ナナシはとても悲しい気持ちになるのだ。

「おぉ! 伏見! 伏見ではないかっ!」

 一目連が舞台に向かって大声を張り上げる。

ナナシは驚いて舞台に視線を戻す。舞台の上に、さきほどまではなかった人影があった。

 狐火が灯り、人影を映し出す。

 それは、狐の面を被った女だった。赤襦袢に白い小袖を纏った女は、これまた白い袿をその上から羽織っている。

 奇妙なのは、狐面にあるのと同じ狐の耳が、その女に生えていることだった。尻尾だってほら、九本も背後から伸びて、後光のごとく女を飾り立てている。

 すると、凛と舞台に立つ女性の前に一匹の黒狐が現れた。

 尻尾が五本もあるその狐は、ぐるりとナナシたち観客に体を向ける。

 こんっと咳払いをして、彼は重々しい口調で語りを始めた。

「ようこそ。ようこそ。お集まりのお客様方。こんこん。今宵は、伏見さまの夜市場によくぞお出でくださいました。

ひとのキンダイカが始まって早数十年。愚かにもにんげんたちはカミを忘れ、外から来たセイヨウ文化なるものを信奉し始めた。我ら狐が喋ることも、ひとを化かすことも、狐火すらも迷信だとのたまわる始末。

忘れ去られたカミたちは怒り、お隠れになったり、ひとを祟る始末である。

そのためこの数年、この日出る国は未曾有の旱魃に襲われることとなった。伏見様に仕える我ら狐一同も、前にも増してにんげんどもを化かしまくった。

この祟が功を奏したのか、全国の神社で今や雨乞いの祈願は絶えることがない。ひとが救いを求めてカミたちに奉納する品も、うなぎ上りに増えている。

そして嬉しいことに、お隠れになっていたカミたちが常世の国から還ってくるというではないか。

そして、伏見さまも一目連さまも、反省したにんげんたちに豊穣を約束してくださるとう。

キンダイカが進もうとも、ひとはひとでしかない。カミは祟るのである。カミは与えるのである。そして、ひとはカミになるのである。

さぁ、ここににんげんたちへの豊穣を約束しよう。常世からお戻りになられるカミを祝福しよう。

さぁ、伏見さまの舞が始まるぞ!!」

 黒狐の叫びに応じ、舞台にいる狐が吠える。

「受け取れっ! 伏見」

 その鳴き声に応じて、一目連が大鎌を宙に振り上げた。

 ナナシは鎌を眼で追っていた。鎌は弧を描いて、舞台へと飛んでいく。

 舞台に立つ女は、飛んでいた大鎌を手に収めた。

 女が鎌を大きく振る。すると女が、一瞬にして五人に増えた。

 ぎょっと眼を見開くナナシの前で、鎌を手にした女たちはくるくると回り始める。

 

 ごうぅ。ごうぅ。


 渦を巻く狐火が、そんな女たちを照らす。


 こんこん。こん。こぅ、こぅ、こぅ。

             

                       こんこん。こん。こぅ、こぅ、こぅ。


 いつのまにやら、舞台の周りを二足で立つ狐たちが巡っていた。彼らは尻尾に狐火を灯している。よく見ると、狐たちは両前足に何かを持っていた。

 どうもそれは、五穀らしかった。

 米、麦、粟、稗、豆の五穀は、生活に必要な食料とされている。

 それら五穀の束を狐たちは持っているのだ。その束を、狐たちは掛け声とともに左右に振っていた。

 

 ごぅう。 ごぅう。ごぅう。


 狐火が唸る。


 ひゅん。ひゅん。ひゅん。


 女たちが鎌を振るう。


 こう。こう。こう。


 狐たちの掛け声が、舞台を彩っていく。


「今行くぞぉ! 伏見ぃ!」

 一目連の大声が上がり、ナナシは彼を見つめていた。大声に驚いたのか、観客たちが一目連から凄い勢いで離れていく。

 一目連の周囲から人だかりが消える。彼の周囲に無数の水柱が出現し、彼を飲み込んでいく。

 一目連が危ない。

 ナナシは、とっさに一目連に駆け寄ろうとしていた。そんなナナシの肩をぎゅっと掴むものがいる。驚いて振り返ると、にぃっと一つ目に笑みを浮かべた百目がいた。

「大丈夫だよぉ……」

 にぃたにぃたと笑いながら、百目は空を仰ぐ。ナナシも百目に習って、空を見上げていた。

 天高く聳える水柱は、唸り声をあげて一つになっていく。その水柱が二つに割れ、中から巨大な龍が姿を現したのだ。

 月光が龍の鱗を照らし、傷ついた龍の一つ目を輝かせる。龍は蛇行を繰り返しながら、水飛沫の舞う空へと上っていくのだ。

「一目連さま……」

 呆然と、ナナシは空を飛ぶ龍を見つめることしかできない。

「エロジジィの本業はぁ、暴風雨を起こす事なんだよぉ。鍛冶職人はぁ、副業みた

いなもぉん。ほぉら。来るぞぉ! 来るぞぉ!!」

 そんなナナシに百目は得意げに空を指差してみせる。

 巨大な狐の形をした炎が空を疾駆していた。

舞台で舞う女たちが鎌を振るたびに、狐火が巻き上げられ、炎の狐に取り込まれ

ていく。

 炎の狐は上昇する龍を追う。龍に追いつくと、その周囲をぐるぐると巡る。

狐と龍のあいだでは白い蒸気が絶えず生まれる。蒸気は雲となって空へと広がっ

ていく。

 やがて雲は月すらも覆い隠し、あたりを暗闇に染めてしまった。

 ただ、上空で巡る炎の狐と、その狐に照らされる龍の鱗が地上に光を投げかけているだけだ。


 うぉーん。うぉーん。


 こぉーん。こぉーん。


 炎の狐が唸る。地上の狐たちが鳴く。


 ぐぉぉぉおおお。

 

 龍が雷鳴の如く唸る。

 龍の唸りに空がにわかに蠢いた。空を覆う雲は雷鳴を小さく轟かせる。

 そのとき、ぽつりとナナシの額に落ちるものがあった。肌を滑るそれが雨粒だと分かり、ナナシはじぃっと空を凝視する。

「おぅ! 来るぞ! 来るぞ!」

 百目が弾んだ声をあげる。それと同時に、大量の雨音が地上に降り注いできた。


 どぉう。どぉう。どおおぅう。


「雨……」

 滝のように激しく降る雨を、ナナシは呆然と見つめる。

「うぉお! うぉぉ! うぉぉぉお!」

 そんなナナシの周囲で、百目は絶えず弾んだ声をだす。

 百目を見る。

 彼女は周囲にいる観客とともに両手を広げ、雨の中で踊っていた。


 やれ、めでたい。やれ、めでたい。

 豊穣の雨が降りしきる。

 やれ、めでたい。やれ、めでたい。

 カミが海から還ってくる。


 弾んだ歌が、踊る観客たちの中から聞こえてくる。

 いつのまにかナナシを中心に、妖たちは輪を作って踊っていた。妖たちの視線は、舞台の向こう側にある海に注がれている。

 豪雨に荒れ狂う海の遠方に、微かに光るものがあった。灰色の海を照らしながら、それは荒波に揉まれこちらへと近づいてくる。

 それが、炎を灯した無数の船だと分かったとき、ナナシは眼を見開いていた。

「歌えぇ! ガキぃ! 歌えぇ! 踊れぇ!!」

 踊りの輪の中から、百目の声がする。

 ひょこ、ひょこと百目は輪の中から顔を覗かせ、ナナシに笑いかけてきた。ナナシは百目に笑い返し、両手を天高く広げて見せる。

 温かい雨を体いっぱいに浴びながら、ナナシは回ってみせた。


 こんこんこん。

 こんこんこん。


 狐が私をここに呼んだよ。


 こんこんこん。

 こんこんこん。


 百目女が目をくれた



 ナナシの歌に、踊りの輪から歓声があがる。それに呼応するように、荒波がひときは高く轟音をたてる。雷鳴が鳴り響く。


「おぉー! やはり、あのときの稚児ではないかぁ!!」


 雷鳴とともに、大きな声が空から降ってくる。驚いてナナシが顔をあげると、一つ目の龍がナナシめがけて落ちてくるところだった。

 


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