一つ目花魁、ポン菓子鬼灯


「えっ、何ってイチャイチャしてただけだぞぉ! ほれほれぇ!!」

「わっ!」

 狐に見せつけるように、百目はナナシの頭を胸に強引に胸に押しつけてくる。柔らかい百目の胸からは、ほんのりと甘い香りがした。

「百目さん……」

「いいじゃぁん。相思相愛なんだからぁ、私たちぃ」

「やめんかぁ! このハレンチ女がぁ!! うおんどりゃぁぁ!!」

 

 ぼぉん。ぼぉん。


 顔をドス黒く染めた狐の周囲で、狐火があがる。


 ぼぉん。ぼぉん。


 次々に灯る狐火は蒼く燃え、狐の周囲でとぐろを巻いた。

「いけぇ、こんこん!!」

 狐の掛け声とともに、狐火は夜闇を疾駆しながらナナシたちへと襲いかかる。

「ちょっ! 狐火とか本気かよぉ!!」

「百目さんっ!」

「のぉ!」

 百目が危ない。

 ナナシは、とっさに彼女を押し倒していた。水しぶきがあがって、ナナシたちは川の中に倒れ込んでしまう。

「ごぼぉうぅう」

「ひゃくぶぇめさぁん!!」

 水の中で、百目が呻く。苦しげに一つ目をグルグルと回しながら、彼女の体は水底へと沈んでいく。

 ナナシは彼女に手を伸ばすが、百目がその手を掴むことはない。

 そのときだ。川の水が、いっせいに引いた。

「えっ!」

 自分を取り囲んでいた水がなくなる。ナナシは驚きのあまり声をあげていた。

 代わりに自分たちを取り囲んでいたのは、蒼い狐火だった。

 狐火はナナシたちを取り込み、静かに宙に浮いているらしい。

「うぅえぃ……」

「あっ、すみません」

 ナナシの下にいる百目が、気持ち悪そうに声を上げる。ナナシは慌てて、百目から体をどかしていた。

「えぇい、破廉恥な! こんこん。 少しはまともな衣を纏え! こんこんっ!!」

 狐火の外から、怒声が聞こえる。それと同時に、狐火がナナシたちの体に襲いかかった。

「きゃあ!」

 ナナシはとっさに眼を瞑る。

 だが、不思議と熱くない。奇妙に思い、ナナシは恐る恐る眼を開いていた。

「あっ!」

 驚きに、声が上がる。

 まるで炎が衣服のように、ナナシと百目の体を包み込んでいるではないか。ぐるぐると螺旋を描き、狐火は大きく燃え上がる。すっと、ナナシたちの体から消えてなくなる。

 足もとを軽い浮遊感が襲う。気がつくとナナシは地面に立っていた。

「あれ……?」

 さっきまで水の中にいたはずなのに、これはどういう事だろう。

「おぉー。すげぇぞぉ!!」

 小首を傾げるナナシの耳朶に、百目の大声が飛び込んできた。ふいっと百目を見て、ナナシは驚きに眼を見開く。

 まぁまぁ、なんとも煌びやかな衣装を纏った百目がいるではなか。

 結い上げられた髪には無数の鼈甲簪。体には地の色が鮮やかな濃緑に、鬼灯の絵が描かれた見事な染絵の着物を纏っていた。艶やかな朱色の帯を前方で結わえた姿は、まるで花魁のようだ。

「すげぇ、すげぇ。なんかまたぁ変わったぁ!!」

 百目は一つ目をきらきらと輝かせ、しきりにナナシを指差してくる。不思議に思って、ナナシは百目の一つ目をじっと見つめた。

 そこに映っている自分の姿を見て、あっと声を上げる。

 一つ目の中のナナシは、上品な赤い小袖を身に纏っていた。結い上げられた黒髪には、ぼうぼうと輝く鬼灯が巻きつけられている。

「どうだぁ! 私の見立ては完璧だろぉ! こんこん。さぁ、この白狐さまにひれ伏すがい! 感謝を述べよぉ! こんこん」

 驚くナナシの横で、白狐が声を張り上げる。両腰に前足を押しつけ、狐は偉そうにナナシたちを見つめていた。

「あんがとぉ。じゃあ、ガキィ。市場に行こうかぁ!!」

「軽っ!」

 そんな狐に軽く会釈をし、百目はナナシの手をとり歩き出す。ツッコミを入れる狐の声が、虚しく聞こえるのは気のせいだろうか。

 去りゆくナナシたちの横で、狐はしょんぼりと尖った耳をたらしてみせた。

「あの、百目さんっ! ちょっと、いいですか?」

「あぁん? どした?」

 百目の手をぐいっと引いて、ナナシは立ち止まる。不思議そうに一つ目を細める百目に微笑みかけ、ナナシは狐に顔を向けた。

「ありがとうございます。こんな綺麗な着物、着たことなかった。すごく、嬉しいです」

 深々とお辞儀をして、ナナシは狐にお礼を言う。驚いた様子で、ひゅっと狐が耳をあげる。そんな狐に、ナナシは笑顔を送っていた。

 だって、ナナシは本当に嬉しかったのだ。捨てられる前は、襤褸ばっかり着ていた。こんな上等な着物なんて、触れることすら叶わなかった。

「こんっこんっ! それは、本当かい! 本当かいっ!」

 嬉しそうな狐に、ナナシは頷いてみせる。

「あぁ、百目と違ってなんていい子なんだ。こんこんっ!」

「んだぁとぉ! 狐のくせにぃ、生意気なんだよぉ!!」

 ナナシの言葉に、狐は細い眼に笑みを浮かべて見せた。そんな狐を百目は怒鳴りつける。

「ふん! 年端もいかない人間の娘よりも礼儀がなっていないということだ。零落したとはいえ、本当にお前は八百万の末席に位置するカミなのか疑いたくなるわっ。こんこんっ」

「んだとぉ! 長生きしてるだけの狐に言われたかねぇよっ!」

「我らも人々の捉え方によっては、拝められる伏見様の使いの狐よ! 存在すら忘れ去られたお前と、一緒にしてもらっては困るなぁ。こんこん」

 ぎっと百目と狐はにらみ合う。喧嘩をする二人を見て、おろおろとナナシは狼狽することしかできない。


 ぐぅぅぅう。

 

 そのときだ。ナナシの腹の虫がなったのは。

 睨み合っていた二人が、いっせいにナナシに振り向いてみせる。ナナシは急に恥ずかしくなって、顔が熱くなるのを感じていた。

「どうしたぁ! ガキ? 具合悪いのかぁ?」

 不思議そうに百目がナナシに尋ねてくる。自分の顔を両手で覆い、ナナシは首を振ってみせた。

「おぅ、こんこん。そう言えば、お嬢さんに渡すものがもう一つあったっ!」

 ぽんっと狐が両前足を叩く音がする。ナナシは両指の隙間から、狐を見つめてみせた。

「ほれ、腹が減っているのだろう? 一つどうだ? 伏見様の神子米で作ったポン菓子だ」

 狐が片前足をナナシに差し出してみせる。その上には、ポン菓子がたくさん詰まった鬼灯の袋があった。

 顔から両手を放し、ナナシはポン菓子に手を伸ばす。

 猫の目玉よりもふた回りほど大きな鬼灯の袋は、赤い和紙で拵えてあった。

指で捉えて袋を月にかざす。ぼんやりと、鬼灯の種を想わせるポン菓子の影が赤い和紙に映える。

「食べてごらん。こんこん。もうすぐ、伏見様の奉納舞も始まるからね。腹ごしらえをしとかないと」

 狐が優しく声をかけてくれる。

 ナナシは狐を見た。にっと眼を細め、狐はナナシに笑ってみせた。



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