ナナシと一目連
わっと、踊りの輪がかき乱される。妖たちは龍を恐れて、我先にと逃げ出していった。
ナナシは、ただ龍を見つめることしかできなかった。逃げ出そうとしても、体が動かないのだ。
そのあいだにも、龍はぐんぐんとナナシめがけて落ちてくる。体に衝撃が走り、視界がぐらつく。
逃げ惑う妖たちが小さくなっていく。ナナシは龍にくわえられていることに気がつき、わっと悲鳴をあげていた。
――案ずるな! 案ずるな! 取って食いわせん! 取って食いわせん!
頭に、一目連の声が響き渡る。龍の一つ目がぎょろりとナナシを捉え、ナナシは叫ぶのをやめた。
――お前はあのときの稚児であろう。儂のために、百目に眼をくれてやった稚児であろう。
匂いでわかる。儂の愛らしい菫色の眼と同じ匂いがする。
頭に響く一目連の声に、ナナシは言葉を失っていた。
一目連が何を言っているのかよくわからない。まるで、一目連の顔についた菫色の眼が、ナナシのものだと言っているようだ。
――覚えてないものも、無理はない。お前はまだ、生まれてさえいなかった。生まれていなくとも、眼の病に苦しむ母を何とかしてやりたいと思い悩む優しい子だった。
だから、生まれる前にお前は我らカミに願ったのだ。母を救ってくれと願ったのだ。その願いを、百目がお前の眼と引き換えに叶えようとした。だが、母の病は重かった。だから、百目は儂に助けを求めたのだ。儂は百目に力を貸し、お前の母の病は癒えた。
百目は礼として、儂にお前の眼を寄越した――
一目連の話に、ナナシは唖然とすることしかできない。
――百目は珍しいことだと、お前のことを儂に話してしてくれたよ。生まれる前の稚児が、カミに願うなんてことは滅多にないからなぁ。お前に会いにも行ったが、生憎と腹の中におって、声しかかけられなかったのが残念だった。
お前に何かあったら、助けてやってくれとも百目は私に言っていた。だから儂がお前を育てよう。ともに行こう、稚児よ――
「どこへ私を連れて行くの……」
震える声で、ナナシは一目連に問う。ぎょろと傷ついた一つ目をナナシに向け、一目連は続ける。
――不満か? 儂とともに来るのが、不満か? 何も不自由はさせぬ。着るものにも困らぬ。儂の使いがお前を可愛がってくれる。とても幸せになれるのだぞ? それでも、不満か?――
頭に響く一目連の声は、どこか寂しげだ。その声を聞いて、ナナシの心はゆれた。
一目連を初めてみたとき、ナナシは彼に懐かしさを感じていた。
一目連にあった記憶はナナシにはない。ただ、ナナシは心の深い場所で一目連を覚えていたに違いないのだ。
一目連のことを語りながら、笑っていた百目を思い出す。
一目連のことを語る百目は、とても幸せそうだった。
きっと、彼はいい人だ。
だからナナシは彼のことを覚えていたし、彼を見て懐かしさを覚えた。
でも――
「お母さんには、もう会えないの?」
溢れる涙に、声が震えてしまう。
どうしてだか、ナナシの脳裏に過ぎったのは母のことだった。
――穀潰し。穀潰し。
そう罵って、ナナシを捨てた女だ。ナナシは母親に優しくされた記憶すらない。
でも、生まれる前はどうだったのだろう。
もし、眼さえあれば、お母さんは私を愛してくれたんじゃないかしら。
「お二人さぁん。 お取り込み中、ごめぇん」
ナナシの思いは、呑気な声によって遮られる。涙に濡れていた眼を剥いて、ナナシは声のした方へと顔を向けていた。
「よぉ!!」
呑気な声は、ナナシに向かって挨拶をしてくる。一目連の頭の上に、ひょっこりと百目が乗っていた。
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