マグダラのマリアと、イスカリオテのユダという聖書の中でも印象的な二人の人物に、焦点を当てたエッセイ。史実と創作が入り交じる神秘的な物語の中には、表向きには語られない真実がたくさんあるのでしょうね。古代イスラエルを舞台に繰り広げられる人間ドラマと、多くの謎。キリスト教とは縁のない私にも、聖書が2000年の時を超え、多くの人々に愛される理由が、少し分かった気がします。
マリアに関してはダヴィンチコードでよく触れられていましたね。そちらは割愛してユダの方に触れたいと思います。好きなんです彼。イスカリオテのユダ、として裏切り者ポジションとしてよく用いられる彼ですが、キリスト教的に考えれば考察にありますように「予言の成就のために必要な行動をとった」わけであり、「神によって定められた運命に従って、司教たちに情報を売った」と考えれば一概に彼を悪とは呼べないかな、とも思えますね。運命に抗えない弱い人間の象徴がユダなのかもしれません。
新約聖書のイエスとユダの関係を巡る、作者さまの考察です。聖書のシンプルな記述もあってか、この二者のやりとりは人の心を惹きつけてやみませんね。太宰治の『駆込み訴え』が有名ですが、またそれとは違う解釈に、自分なりの解釈も考えてみたい気持ちにさせられました。
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