25 おおきなてのひらに剣を握って
「いいですか? この山はできる限り丁重に扱うように! 他は後回しで構いません!」
日が登り切る前の澄んだ薄闇を払うように、ジルコの朗々たる声が響く。
ドームの主区画。彼の視線が向く先では、里の住人達が資材を運び出していた。
ジルコは振り返り、〈宿木〉を見上げる。
「主様。細かな〈遺産〉類はともかく、それ以外は搬出口が必要です。昨日の蹴破られたあとを使っても良いのですが、それでは方角が悪い。非効率です」
『ふむ。手配しよう』
「ありがとうございます。……おや」
彼が気配に振り返ると、そこには客人たる少年の姿があった。
「おはようございます、レイジ。――では主様、私は現場に戻ります」
『ああ、頼んだ』
その場を後にするジルコへ軽く会釈をして、レイジは〈宿木〉へ問いかける。
「進捗はどうだ?」
『まずまずだね。歩行戦車も動員すれば〈遺産〉の退避は一日とかからないだろう。……それから、ひとつ報告がある』
「報告?」
『敵が使っていた高周波ブレードの
言いつつ〈宿木〉は
同時に視界へ窓が浮かび上がり、詳細な
そこには〈
武器の特性故か刀身は細く、五キロ強という驚異的な軽さに仕上がっている。
それを見て、思わず剣を拾い上げた。幾度か空を斬ってみる。
生身で振り回すには重いが、不可能ではない。握把もなんとか片手で保持できる太さに留まっていた。
「このサイズと重量、機動歩兵にでも持たせるつもりだったのか? 連中もなかなか突飛な発想を持ちだしてくるな。確かに出来は良いが……」
『戦闘用というより、ワイヤーカッターのような運用を想定していたのだろうか。いや、それにしては性能が大仰すぎる。すまない、私にもわからないな』
「戦術支援AIにわからないとなればお手上げだな。連中がよく作る
『君が眠った後に作られた物かもしれないぞ。無論、私も長らく機能を止めていたから、開発されていたとしても知らないが』
「ま、モノは使いようだ。これからの作業には有用だろ」
剣を〈宿木〉に渡すと、彼はそれを別な〈白炎〉へと投げ渡した。その機体はドームの外へと向かっていく。
『そうだな。先ほどジルコに頼まれた搬出口を開くのにも使えるだろう。ひとまずは私の方で進めておくよ。……それで、君はどうする?』
「そのことだが、〈
『機械類の退避に使うつもりではあったが、まあ、そちらは一機でも十分だろう。持って行くが良いさ』
「すまないな。それでも準備は間に合うか?」
『それは先方次第だな。もし五分後に再襲撃を受けたなら、我々は総崩れだ』
「そうなれば俺も腹を括るさ」
『頼もしいことだ。つまりは君も、十分な時間さえあれば問題は無いと考えているのだろう?』
「戦闘に絶対は無い。昨日のも含めて実戦経験は二回しか無いが、痛いほどに実感してるよ。……それは、お前の方がよくわかってるだろ?」
『そうだね。そうした状況変化への対処こそが、私の存在意義であるのだから』
「ま、時間が限られてるのは確かだ。もう行かせてもらうぞ」
言いつつ〈白炎〉の搭乗席を開放し、それに乗り込む。
『予想は付くが、聞かせてもらいたいね。何をしようというんだい?』
「お前が言った『俺にしか果たせない役目』をこなしに、だよ。〈
●
指定した里の近郊。先日の戦闘で〈宿木〉から指示を受けた誘導地点で、フェムとスライアは待っていた。
フェムの顔色は良くない。やはり、一晩では体力の回復までは難しかった。
病み上がりどころの騒ぎではない。文字通りの満身創痍だ。逃走に伴う激しい運動に加え、〈耳〉を酷使したことが尾を引いているのだろう。
だが、それでも彼女には訓練を受けてもらう必要がある。完全な快癒を待っていては間に合わないということだけは確実だった。
〈白炎〉から降りるなり、彼女はこちらに問いかけてきた。
「……それで、なにをすればよいのです? 正直、猟犬すらまともに操れないので、まるで自信が無いのですが」
「お前、この機体に侵入しろ」
「は」
彼女は目を見開いて、憤然とまくしたてる。
「話聞いてたのです!? 頭おかしいんじゃねーですか!?」
「猟犬――〈リトルドギー〉すらうまく扱えない、だろう? それは聞いてたし、そもそも見てる。それくらいはわかってるさ」
「じゃあ!」
「試しにやってみてほしいんだ。俺の仮説が正しけりゃ、特に問題は生じないはずだ」
こちらの説得にフェムは不承不承という顔つきながら、それ以上の反論を重ねずに目を閉じた。しかし、彼女はすぐさま眉をひそめる。
「これ……」
「どうした?」
「糸が、極端に少ないのです。いえ、というより、一本しか無いような」
「さっきお前の〈耳〉を認証させたからだろうな。完全に
「これなら、多分」
フェムの眉間にしわが寄る。その数瞬後、彼女の肢体から力が抜けた。まるで糸の切れた操り人形だ。その肩を受け止めて、レイジは〈白炎〉を見上げる。
『……入り込めた、のです』
「軽く歩いてみてくれ!」
聞こえるように声を張り上げる。機体の動きからもわかるほどの困惑を露わにしたまま、彼女が同化した〈白炎〉が歩行を始める。
『倒れない……の、です……?』
「よし、良いぞ! いったん接続を解除しろ!」
『わ、わかったのです』
スピーカーからそんな返答が聞こえ、数瞬をおいた後、腕の中にいるフェムが目を開く。
抱え込まれた状態で、彼女は混乱を隠しきれないまま機体を見上げていた。
レイジは得心がいったという表情で小さくうなずく。
「予想はしてたが、やっぱりか」
「へ? え? ……え?」
「あの
「……え、ええ、まあ。あの、これは一体どういうことなのでしょうか」
「単純に言えば、
「まったくもって単純じゃないのですが」
《何言ってるか全然わかんねーのです。こいつ、本当にわからせる気あるのです?》
漏れ聞こえてきた独り言に、思わず頭を掻く。
「あー、その」
『つまり、
「……なるほど」
割り入ったメルの説明を聞き、フェムは納得がいったようにうなずいた。
「助かった。どうも分かりやすく教えるってのは苦手でな」
『初等教育に用いられる換言プロトコルを転用しました』
「お前、意外と子供の扱いが上手いんだな」
『
「……何か含みがある気がするんだが?」
『黙秘権を行使します』
「まあ、いいだろ。……ともかく、〈リトルドギー〉――猟犬がお前の侵入能力に耐えきれてなかっただけだ。自動制御でまかなうべき部分も狂わせてたからな」
「だから私が操ろうとしたとき、まともに動かなかった、ということなのです?」
「そうだ。〈リトルドギー〉の方にもっと強い防壁でも噛ませれば良いんだろうが、所詮は物資運搬用の随伴機だ。そこまでの備えは無かったんだな。それにしたって軍用の防衛機構は持ってるはずなんだが」
『それだけ彼女の電子戦性能が桁違いということでしょう。解析を行ってもよいのですが、私でも逆襲浸食を受けかねません』
「解析は良い。お前に壊れられると厄介だ」
『褒め言葉として受け取っておきます』
「――それで、私をここに呼んだ理由は? ここで見ているより、〈遺産〉を運び出すのを手伝った方がいいような……」
と、これまで状況を見守っていたスライアが話しかけてくる。
「それなんだが、フェムに剣を教えてやってほしい」
「……剣を?」
そう言う彼女の表情は、わずかに迷っているようだった。
「お前がその剣と家の剣術を大事にしてるのはわかってる。それをフェムに教えろなんて言うつもりはない。最低限の護身だけ仕込んでほしい。念のためだ」
「でも、一朝一夕で扱えるようになるモノでもないわよ? フェムは剣を振るための身体すら出来ていないわけだし」
「構わない。基礎をたたき込むだけで随分違うはずだ。確かに動かすのはフェムだが、動くのは歩行戦車だからな」
フェムが歩行戦車に乗り込む場合、
「? ……つまり?」
「必要なのは身体の動かし方だ。
「でも、二、三日じゃたかが知れてるわよ?」
「たとえそれが付け焼き刃だとしても、並の乗り手が相手なら太刀打ちは可能だろう。連中、剣の扱いには長けていても、それをそのまま歩行戦車の動きに転化できるわけじゃないらしい」
昨日の戦闘を経て確信した。帝国の貴族とやらが乗っている歩行戦車は、ほとんどが
自分の身体を扱うように機体を操る自分と、どうしても一瞬の
次の襲撃で帝国が何機の歩行戦車を持ち出してくるかはわからないが、一対一の状況を作り出せればフェムにも十分勝ち目がある。
「フェム、こいつに乗ってくれ。同化してる間は無防備だから、中にいたほうが良い」
フェムは黙ってうなずき、搭乗席へと身をおさめた。
「乗り込んだまま、もう一回この機体に侵入しろ。残骸から回収した大剣を背中にはめ込んである。同化したら手に取ってみてくれ。可能なら高周波ブレードを持たせるつもりだが、今は別件で使用中だ」
ショルダーハーネスをはめ込みながら指示を下す。多少もろくなっているようだが、身体の固定には申し分ない。
フェムはされるがままで、困惑の表情も露わにこちらを見ていた。
「え? え? あの、それって……」
「ねえレイジ、まさか、なんだけれど」
背後からスライアの不安げな声。それに振り返れば、彼女はタチの悪い冗談を聞いたとでも言いたげな表情でこちらを見ていた。
「なんだ?」
「もしかして、その神像に乗ったフェムを相手に剣を教えろ、って言うつもり?」
「そうだが?」
答えた瞬間、彼女は額をおさえて、こちらにも聞こえるほど大きくため息をついた。
「どうしてこの人、いつもこう無茶なことを……」
「俺は剣に関して素人だし、それなら慣れた人間が教えた方がいい。現場の状況を見に行かなきゃならないから、かかりきりって訳にもいかないしな」
「……いいわ、やってみる。要は身体の動きを見て、正すべきところを指摘する。そういうことでしょう? 父様に嫌ってほどたたき込まれたもの。相手が多少大きいからって、できないことはないわ」
「すまない。他に頼れる相手がいなくてな」
その言葉に、スライアは小さく苦笑した。
「今更ね」
「頼んだ。ひとまず、メルを置いていく。フェムの容態が悪化したりしたら、こいつに言ってくれ。すぐに向かう。メルも頼んだぞ」
『了解』
念話通信は概念レベルでの意思疎通だ。発話に頼れなくなるのは厄介だが、メルがいなくても
スライアがうなずいたのを見て、レイジは踵を返す。これから迎撃の準備を整えなければならない。
「じゃあ、始めましょうか。まずは利き手で持つこと。私の父様は左で握っていたけれど、私は右。立ち回りは大きく変わってしまうけど、扱いそのものに大きな差は無いわ。刃を立てて斬る。まずはそれを覚えることね」
心なしか大きく張られたスライアの声を聞きつつ、レイジはその場を後にした。
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