26 その因子は時を超えて


 一日が過ぎた。


 フェムの訓練は思った以上に順調らしかった。

 歩行戦車を相手取って剣を教えるという難題にスライアは苦戦していたが、それでも『フェムの吸収力は目を見張るものがある』と話していた。フェムの〈耳〉にも動作補正機構フィードバックシステムに近いモノが搭載されているのかもしれない。

 怪我や報復作用の予後を見つつになるとはいえ、フェムにはできる限り慣れてもらう必要がある。無論、前線への配置は極力避ける予定だが、最低でも戦力として数えられるだけの技術は体得させなければならない。


 そうでなければ、彼女は死ぬ。

 彼女だけでなく、大勢の住人が死ぬことになる。


 前線に出る自分が上手く立ち回れなければ甚大な被害が出るのはもちろん、フェムの教練が半端な結果に終わった場合も多くの死者が出る可能性がある。

 あまり考えたくはないが――もし自分が敗北し〈宿木〉さえもがたおれたなら、殿しんがりを務めるのは彼女だ。撤退という選択を取ることができるよう言い含めておく必要もある。

 希望的な判断はいましめねばならない。それは必ず隙となる。

 無為に負けるつもりはない。しかし、いざという場合の動きも教えておくべきだろう。


(仕掛けがうまくハマってくれれば、多少は楽になるんだが)


 早朝から訓練を開始した二人の元にメルを残し、レイジはひとりドームへと向かっていた。朝霧がたちこめる森は相変わらず穏やかで、こちらの緊張など素知らぬ風である。


 ――ドームの主区画は、昨日と比べてかなり広くなっていた。


 内部に山積していた〈遺産〉類の大部分が運び出されていたのだ。残っているのは見るからに駆動しそうもない半壊品や部品を取り尽くされた残骸ばかりだ。

 このドームがあるのは、先日落ちた崖から3キロほど西進した位置だ。そこから更に1キロ西にある半壊したビルまで資材を退避させた形になる。大型の機械は歩行戦車が運んだとはいえ、一日でここまで進んだ手際の良さには素直に舌を巻く。

〈里〉の中心たる大樹木は二点の中間から少し南に逸れた位置にある。今はそちらからも家財を引っ張り出しているというから、予定よりも余裕が出ているようだった。

 相手がいつ仕掛けてくるかが分からない以上、作業が迅速であるに越したことは無い。


《作業はおおかた片付いたみたいだな》


 資材搬出について、現場での確認を行っているジルコへと話しかける。


《――おや、レイジ。少しは眠ったほうがよいのでは?》


 こちらにならってか、ジルコは念話通信を返してきた。


《作業現場の指揮、有事に備えた非戦闘員の指導、フェムの教練……襲撃からずっと、働き通しでしょう?》

《多少は寝てる。でなきゃ効率が落ちるからな。だが、それを言うならお前もだろう?》

《ええ、まあ。仮眠は取っていますが、眠りこけてなどいられませんからね》

《それは、里の長としてか?》

《それもあります。しかし――それ以上に、一人の親としての焦りがあります。子がその身を危険に晒さんとしている今、悠長に構えてなどいられないのです》


(子、か)


 フェムはジルコの子であると、里の住人達にはそう説明しているらしい。事実、彼の遺伝子を用いてフェムは生み出されたらしいが、それを〈子〉と呼ぶにふさわしいかは判断がつきかねる。

 こちらの心情を知ってか知らずか、ジルコは続ける。


《……貴方は既にご存じであると、主様から聞きました》


 視線をこちらに向けることなく彼は話す。その言葉からは主語が抜け落ちていたが、何を指しているのかは明白だった。


《フェムのことか。いや、聞くまでもないな》

《ええ。その上で伝えておきますが、私は不具です。子を成す機能が既に失われている》


 唐突な告白に反応が遅れる。それを意に介するでもなく、彼は滔々とうとうと語り出した。


《私がまだ若く未熟だった頃。里を抜け出したところを捕らわれまして。いわゆる奴隷落ちというやつです》


 平然と語りつつ、彼は上衣をはだけてみせた。

 露わとなった首元には、奇妙な紋様が赤く浮き出ている。まるで見えない蛇が彼の首を絞め上げているかのようだ。


《……焼き印か》

《おかしな反応をしますね。帝国から来たのであれば、さほど珍しくもないでしょう》

《初めて見たからな》

《おや、それは失敬。昔に比べれば数を減じているとは聞いていますが……それほどとは。帝国も多少はマシになったということでしょうか》

《すまない。その辺りはよくわからないな。昔のことって言うなら、なおさらうとい》


 実のところ、反応に困った最大の原因は焼き印ではない。

 彼がさらけ出した首筋のさらに下――胸元に、無数の裂傷痕が見えたからだ。

 そんなこちらの思いを知ってか知らずか、ジルコは相変わらず薄い笑みを浮かべたまま衣服を正した。


《どうもはっきりとしない答えですね。貴方は帝国から来たはずでは?》

《説明が難しいが、出身は帝国じゃないんでね。奴隷制が存在してるってのは頭じゃわかっちゃいたが、実際たりにするとどうもな》

《随分と浮世離れした感覚をお持ちなのですね》


 ちくりと刺されたような気がして、黙り込む。自分がこの時代の常識をよくわかっていないのは事実だ。


《気に障ったのなら謝る。すまない》

《ああ、誤解なきよう。褒めていますよ。知らない方が良いこともある。……しかし、そうですね。貴方に正しく理解して頂くなら、私のは労働用ではなかったということも付け加えておかねばならないようです》

《それは、つまり》

《愛玩用ですよ。実のところ、私も買われるまでは知らなかったのですが。人とはわからないものです。実に多様な人間が存在している》

《……ちょっと待て。王族と商隊しかお前達の存在を知らないんじゃなかったのか?》

《ええ、その通りです。……今は、という条件付きではありますが》

《死んだか》

《ああ、先の襲撃者を含めればいくらか増えてしまいますか。……ともあれ、里の者が私を救った際に商人と所有者は死にました。仲間達が殺したのです。あと知っている人間といえば、貴方あなたがた二人くらいですね》


「……ッ」


《そう身構えないでください。貴方は客人だ。人となりもわかった。軽々しく口外などしないでしょう?》

《それは、そうだが》

《いや、今となってはせん無きことでしたね。既に里の存在は知れてしまった。……ともあれ、その一件を経て私は悟りました》


 糸のような細さだった目が、かすかに見開かれる。

 フェムと同じ紫色の瞳には、強い意志の光が宿っていた。


《里の皆を守るためには力が必要なのです。他者を寄せ付けない強い力が。これ以上、私のような人間を出さないためにも》

《だから、フェムを作ったっていうのか》


 問いに、ジルコは静かに頷いた。


《誤解の無いように言っておきますが、それでも彼女は私の子です。私の身体から取り出した因子を組み込んで設計された、正真正銘、私の子です。私も私なりに、彼女に愛を注いできたつもりです》


 私の意図した通りに伝わっているかは分かりかねますが、と彼は寂しげに漏らした。


《言いたいことは分かります、レイジ。しかし――もし彼女が自然な形で生まれていたとしても、私は里の長を継がせるべく、同様の教育を施していたでしょう》


 眼前の彼が正しいことを言っているのか、自分にはわからない。

 最後にものを言うのは力だ。それは承知している。共同体の規模で劣る彼らが〈国〉という巨大な力と渡り合うには、相応の武力や文明力を持たねばならない。それは事実だ。


 だが――そのために取りうる手段とは、本当に一つだったのだろうか。


 思い浮かぶのは、先ほども顔を合わせた少女の姿だ。

 里を守り率いるべき存在として設計デザインされた、被造物スクラッチドの少女。望まれた生であることは間違いないが、そのせいで彼女が苦しんでいることもまた、事実だ。

 生むべきではなかった、などと言うことはできない。

 第三者である自分がそれを口にするのは、単なる傲慢だ。

 しかし、ジルコの取った選択は本当に正しかったのだろうか。どうしてもそう考えずにはいられない。

 あるいは、いっそ他の共同体と手を取り合うという道も――


《ありませんね。取引ならばともかく、依存してはいけない。私達は私達として、独立した力でなければならない。そうでなければ、多くの同族に危険が及びます》


 ジルコの反応に総毛立ち、警戒を強める。自分は今の思考を念話として発信していない。


(――侵入を受けた? いや、その形跡は無い。だが、接続したことさえ相手に気付かせないのだとしたら)


 思わず一歩後ずさったところで、彼は表情をやわらげた。


《ご心配なく、貴方の声は漏れていませんよ。しかし、随分と顔に出るのですね。主様からは軍人であると聞かされていたのですが》

《正確には候補生だ。実戦の経験も浅い》

《ならば、わかるでしょう? 我々がこの世界の均衡を揺るがしうる存在であるということは》


 確かに、周辺諸国の立場になって考えたとき、はっきり言って彼らの存在は脅威だ。


〈遺産〉の扱いに精通し、あまつさえ拡張臓器サイバーウェアをも有している。フェムのような規格外は他にいないとしても、彼らが持つ〈耳〉は十分に世界の〈異物〉だ。

 個人によって性能のバラつきはあるとはいえ、おそらく何名かは歩行戦車を扱うこともできるのだろう。疑似体感覚イミテーションを介した操縦となれば、長期の練成は不要だ。無論、操縦補助に用いられる音声認識等の言語を現代語に再設定する必要もなくなる。

〈聖別〉と先日の貴族は口にしていた。おそらくは認証ロックの解除と、そうした種々の再設定を指しているのだろう。

 フェムのように性能の良い〈耳〉を持つ者ならば、それらがまるごと不要になる。歩行戦車ヒトガタをそのまま戦争に用いることができるようになるわけだ。

 歩行戦車を扱えるほどにまで発達する者はほんの一握りだろうが、〈リトルドギー〉のような小規模の遠隔操作機ドローンを扱えるだけで、そこらの歩兵にとっては驚異的な戦力だ。

 それを差し引いても、彼らは中距離間での無線通信を行える。時間誤差の無い情報がやりとりできるということは、戦場における大きな優位性アドバンテージだ。通信機自体はまだいくらか現存しているはずだが、彼らのに比べれば利便性は落ちる。当然、数も。


 そこまで考えて、気付く。


《そうか。……お前達は確かに脅威だ。それこそ、帝国を上回るほどの》

《どうやら、思い至ったようですね》

《お前達の力が知れれば、周辺諸国がこぞって手に入れようとするだろうな》


 ――数。

 そう、数だ。


 最も重要な点として、彼らはえる。


 な生きた〈遺産〉――持続可能な天然の兵器。それが彼らだ。

 多くの〈遺産〉が再生産不可能な、持続的な使用に耐えないモノである中、彼らは持続的にその数を増やしていくことができる。

 帝国がいくら歩行戦車ヒトガタを戦争の主力として用いても、その総数には限りがある。自己保全機能によって故障は最小限に抑えられるとはいえ、戦闘における損耗は無視できない。


 たとえ帝国が歩行戦車によって世界の覇権を握っても、終わりは早々にやってくる。


 その時、最も強い力を有するのは誰か?


 歩行戦車以外の〈遺産〉をも直感的に扱える彼らはその筆頭候補だろう。

 太平洋戦争の中期に登場した歩行戦車ヒトガタか、それ以上の技術革新ブレイクスルー耳長エルフという種の持つ意味は、それほどまでに大きい。


《それだけではありません。私が恐れているのは、不用意に血が交わることです》

《……耳長エルフ真人ヒュマネスは、混血が可能ってことか?》


 その言葉に、ジルコがうなずく。

 彼らがおおよそ真人ヒュマネスと変わらない容姿をしているため予想は付いていたが、生殖的隔離はさほど大きくないらしい。彼らは真人とも繁殖が可能だ。


《だが、混血を産ませたとしても〈耳〉の形質が弱けりゃ意味が無いだろう。徹底的に実利を考えるなら、むしろ混血政策は使わないんじゃないか?》

《そこが問題なのです、レイジ》


 ジルコは自らの耳に触れながら、言葉を続けた。


《貴方が言う〈力〉――この特性はむしろ、真人と交わったときにより強く発現する。いかなる原理かはわかりませんが、主様の言葉を借りれば『真人のほうがオリジナルよりも馴染みやすい』のだとか。意味はよくわかりませんでしたがね》

《おい、待て。待ってくれ。たちの悪い冗談だ。その言い方じゃあまるで――》


 力が強く発現した個体。

 その響きには覚えがあった。

 ジルコの言葉が指し示す、一つの可能性。

 そこから目を背ける暇も無く、彼は静かに真実を告げた。


《フェムの肉体には、私とは別に、真人ヒュマネス――古代人の因子が組み込まれています》


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