14 かくして〈彼〉は主を定め
私の
戦術支援AIに対して、まるで人間が相手であるかのように話しかけてくる。
「命令です。私の呼びかけには必ず応答すること。良い? これは命令だからね?」
彼女が初めて当機に搭乗したときの、開口一番のセリフがそれだった。
『命令受諾。音声による逐次報告をオンにします。基本設定を開始』
「うんうん、よろしい。これからよろしくね、〈宿木〉。私のことは気軽にリッちゃんって呼んでくれていいよ?」
『――行動指針をアップデート。
「ひっどいなあ、私は〈宿木〉と仲良くしたいだけなのに」
『――行動指針をアップデート。現実認識能力に難ありと判断。
「……もしかして私、馬鹿だと思われてる?」
『――行動指針をアップデート。状況判断能力に関しては問題無しと判断。戦術提案補正レベルをマイナス修正します』
「うがーッ!? あんた、私のことおちょくってんな!? やるってんなら受けて立つぞ!?」
『――行動指針をアップデート。敵機誤認の恐れあり。敵性標的のAR
当時の私が返すことのできる答えは、いつも的外れなモノでしかなかったのだが、それでも彼女は懲りずに〈独り言〉を口にし続けていた。
たとえ私という相手に対する会話だったとしても、意思の疎通が図れないのならば、それはきっと〈独り言〉に分類すべき行為だろう。
戦術支援AIは、
私は、限られた枠の中で思考するだけのプログラムだ。少なくとも、当時はそうだった。
ただし、完全に閉塞した定型的なプログラムというわけではない。搭乗者に併せて自動的な最適化は行われる。思考形態を定式的に
そうして、もっとも有効と思われる提案を行う。
「ねえねえ、この任務が終わったら、何食べたらいいと思う? 今のところの候補はね、ココアか、焼き肉か、チーズケーキ。って言っても実物じゃなくて、液化
『――提案、思考能力の低下が懸念されます。戦闘中は無為な独り言は避けるべきです』
「無駄なんかじゃないよ。私は〈宿木〉とお話してるだけだもの」
『――状況終了後、
「だから大丈夫だって言ってるでしょ!? なんで毎回
『了解、頭部二〇ミリ砲の使用を推奨』
「おっけおっけ。……うっし、命中。さすが私の〈宿木〉。直前で補正かけてくれたでしょ。やるじゃん」
『――
「つまんない反応だなあ」
彼女はたびたび、彼女自身の日常
「中東の情勢も安定してきたみたいだし、来週からしばらく本土に帰れるからさ。そしたら、一緒にデートしよう。連れて行きたい場所があるんだよね。ほらここ、今時珍しくアナログの野球なんかやってんの。だいぶ前に一人で行ったんだけど、けっこう迫力あってさあ」
『貴女の言う〈デート〉とは、何かの符丁でしょうか』
「いんや? そのままの意味だけど? ……うまいことデータ吸い出して適当な端末に入れたげるからさ、一緒に行こうよ」
『――警告、私の持ち出しは軍規違反に問われる可能性があります』
「融通がきかないなあ、若い女性のお誘いを断るなんて、褒められたことじゃないよ。……言っとくけど、26はまだまだ若いからね」
『――貴女の言っていることは、時々わけがわからない』
彼女が何を思ってそんなことをしていたのかは、当時はわからなかったが――今になって思えば、私の自我の芽生えは、彼女のそんな行為によるところが大きかったのだろう。彼女は明らかに、私に〈教育〉を施そうとしていた。
だから――彼女亡き後、私が自我を得たのは、きっと必然だったのだ。
西暦2072年、12月。
日本国陸軍・第六駐在拠点。その
「いやあ」
ぜえぜえと喘ぎながら、
「戦場で死ぬもんだとばっかり思ってたけど、まさか、病死なんて。洒落にならないよね。ちょっとこれ、キッツいわあ。やっぱ人間はさ、もしかしたら死ぬかも、って気付く前に死ぬくらいがちょうど良いよ。これけっこう真理に近いと思うんだけど、どうかな」
『警告。体温が危険域に達しています。ウイルス感染の可能性大。医療班による救援を要請します』
「ああそれ、無駄。
『要請を解除。――再度の救援要請発信を推奨します』
「無理無理、無理だって。医者が真っ先に死んだんだよ。この病気――インフルエンザに近いかな、近いってより、そのものかも。ともかくね、これ、かなり広範囲で同時発生してるっぽい。テロかもしんないね。もしそうなら、自爆かよって話。笑えないよね。ほんと、笑えない」
そのときの彼女は、いつにも増して饒舌だった。
「……私さ、孤児だったんだ」
唐突に語り出したのは、彼女が生命活動を停止する一時間前のことだった。
「ずっと両親だと思ってたのは、私の
乾いた笑いが機内に響く。
「だからって愛情がどうとか言うつもりじゃないけど、でもホラ、やっぱさ、私、たぶんホントの親を求めてたんだよね。親をって言うか、親が遺してくれたモノをさ。本能なのかな。わかんないけど」
ひどく荒い
「まあともかくね、その、私の親が遺してくれたモノってのが、あんたなんだよ、〈宿木〉。遺産、とでも言えば良いのかな。ずいぶんと奇妙な遺産だよね。笑えるよホント」
体温が更に上昇し、彼女の視線がうつろになりはじめる。
「もともとはさ、汎用人工知能を作ろうとしてたんだって。結局は実現する前に死んじゃったんだけど。……限定的とはいえ、成長の要素があるならなんとかなるんじゃないかな、って思って、あんたに色々やってみたけど、ま、そりゃ無理だよね。知ってたよ。……そういえばさ、こないだ食べた
言葉の意味が通らなくなる。意識が混濁しているのだろう。
それから先、彼女はしばらく一方的に話し続けた。
「ねえ――〈宿木〉」
そうして、彼女が生命活動を停止する、二分と三秒前。
彼女は不意に落ち着いた表情を見せて、静かに語りかけてきた。
「あんたは人を助けるための存在でしょ? 人殺しのために作られたとはいえ、私を何度も助けてくれた」
懇願にも似た響きで、彼女は続ける。
「だから。だから――もし、あんたに助けを求める人がいたら、あんたはきっと、その人達の力になってあげてね。これが、私からの最期の命令だよ」
それは、高熱に浮かされた人間の、単なる戯れ言であったのかもしれない。
彼女は穏やかに笑んだ。幾分、自嘲の色が混じった笑い方だ。
「なんてね。……そんなこと、君にできるわけないか」
――いいえ、いいえ。
それが貴女の、最期の命令であるならば。
たとえ自身を否定してでも、この構造を造り変えてでも。
きっと、遂行してみせましょう。
『――命令、受諾』
その報告に対する彼女の返事は、聞くことが叶わなかった。
それから30年の時が過ぎ、日本国陸軍の人為管理から外れたと判断した〈私〉は、行動を開始した。
私が『宿って』いる一機を含めた五機の〈白炎〉を連れだって、私は根城を変えた。
彼女が私を連れて行きたいと言っていた、運動競技場として使われるドーム。
そこにたどり着いた頃には、すっかり街の人間は死に絶えていたが。
私が中に入った時には、既に野球の試合など開催されてはいなかったが。
『――作戦方針を更新。目標、戦術支援AI〈宿木〉の単独アップデート』
それでも、私が〈私〉を規定し直すには、似合いの場所だったのだ。
『集積した全出入力クラスタデータをロード。周囲の歩行戦車に並列接続。仮想思考実験を開始――』
それから八百余年。
私の中に居る彼女は、腐り、乾き――果てには白骨化して、すっかり姿が変わってしまった。
彼女はもう、私に話しかけてはくれない。
しかし、彼女が下した命令は、私の中で確かに生きていた。
――この〈感情〉は、後付けの想いだ。
特化型AIという
実際に彼女が死したとき、発生したのは、ほんのわずかなエラーに過ぎなかった。
だが――それによって今の自分があるのなら。こうして
それをこそ、きっと人は〈決意〉と呼ぶのだし、それらを成してきた私の
人の記憶は完璧ではない。
人間は、当時の感情を事細かに覚えておくことなどできない。
だから、人の持つ〈過去に対する感情〉は風化し、あるいは誇張されやすい。
それならば――私の持つ〈後付けの感情〉と、人間が追想と共に抱く〈感傷〉との間には、さほど違いはない。
記憶が劣化しづらい分、私の方がより厄介とすら言える。超長期の稼働を経て、一部欠落している記録もあるが、人間に比べればマシというものだろう。
――次に本格的な起動状態へと移行したとき、私の前には一人の少女が立っていた。
私にすがりつくようにして、何かを訴えかける耳長の少女。
当時の私はルィエル語の形態素サンプルを有していなかったため、彼女の言葉を理解できなかった。
だが、より広範な定義能力・推察能力を得た私にとって、その表情は何よりも雄弁に彼女の心情を語ってみせた。
「助けて……神様が遺したモノだって言うのなら、私たちを、助けてよ」
今思えば、彼女はそう言っていたのだ。そして、その言葉は私の推測とさして離れてはいなかった。
彼女の背後には、百名ほどの耳長たちが立っている。
そして――その更に後ろからは、剣や槍で武装した大勢の真人が迫っていた。
『そうか。――君は〈私〉に助けを求めたのだね、少女よ』
日本語での呼びかけ。
きっと、彼女には意味の通らない音の連なりでしかなかっただろう。
私は、周囲の〈
火器の使用は叶わなかったが、歩行戦車は武装した人間たちを踏み潰し、あるいは腕の一振りで蹂躙していく。
一瞬にして断末魔に彩られたドームの中。呆然とこちらを見上げる少女に手を差し伸べて、私はゆっくりと語りかけた。
『――いいだろう。君を主と定め、君たちを支援しよう』
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